朱子学そのものの解説をちょっと見れば分りますが,(私には難し過ぎて理論そのものはよく分りませんが・・)トマス・アクィナスの頃の神学大全同様に・・深遠な哲学・格物致知=空理空論のこねくり回しが基本に見えますから、実践哲学とは言うものの高尚過ぎて実生活の解決に何の役にも立たない印象です。
漸くいろんなことが気になり出した社会にとって,アタマの体操に役立つ程度ではないでしょうか?
西欧の神学論争・十字軍遠征によって異文化に接したことによるアタマの体操が始まって次々と「アアでもないこうでもない」と頭を使っている内にいろんな疑問が出て来て百家争鳴・・→神学取りまとめの方向性トマス・アクィナスに限らずその他の学者による「神学大全」がいくつか出て来たことになります。
この頃に一旦まとまった神学が、基礎になって新たなステージに入り,ルネッサンス→新教の発生→信教の自由・思想の自由→民主主義社会になって行くのですが,中国社会では朱子学が明以降は国家教学になり,硬直して行った結果、解釈学の範囲枠内で停滞してしまったようです。
朱子学は南宋時代ですし,国家教学採用は元明以降ですからあたかも西洋におけるトマスの神学大全完成とほぼ同時期です・・・。
科挙制度・解釈学中心社会・国家検定的試験制度〜受験準備過程としての教育制度が権威を持てば持つほど、権威にあわせる努力中心社会になり易く・・自由な思考回路発達を阻害する危険があります。
韓国では今も科挙試験に代えて学歴格差が激しい・売春婦をしてでも学歴が欲しい社会と言われていますし、就職先もヤンパン時代の官僚に代えて大手財閥就職のために数年単位の就職浪人も厭わない・・就職用の塾が発達している社会です。
就職試験合格目的の受験勉強・模範解答偏重ですから,秀才と言ってもそこから新しい発想思考など生まれるべくもありません。
マスコミでは韓国の過激な受験地獄・・極端な詰め込み勉強が報道されて,詰め込み・知識記憶力偏重の弊害だけの報道ですが、画一価値観の刷り込みだけで良しとして枠外の思考を巡らせる経験がないまま育ち成人してしまう・・社会停滞リスクの方が大きいコトに注目する必要があるでしょう。
いわゆる大企業病に陥る弊害の社会全体版を李氏朝鮮の国家創設以来繰り返して来ました。
就職後も日本に密着して先進技術導入・読解能力さえあればよかったでしょうから、受験勉強の延長で良かったでしょうが、嫌韓感情が高まってしまった以上、日本は今後は簡単に技術を渡しませんし簡単に剽窃させませんので、今後は独自技術開発ができないと失速します。
中国も基礎状況は同じですが、(イギリスがノルマンコンクエラーの結果コンモンローが発達したほどではないまでも)異民族支配が長かった分・「上に政策あれば下には対策がある」と言われる社会です。
この分社会には権威を批判的に見る習慣・底力があるように見えるほか,支配層も自分より強いイギリスに侵略された歴史があるので国際合意の重要性も自覚しています。(韓国の場合には自分から日清露3国のどちらか強い方の支配下に入りたかっただけで、侵略され非合理な支配を受けた経験がない点が違います)
ただしアヘン戦争に負けた経験から得た教訓としては、相手が自分より強いかどうかに気をつけることを学んだけで、古代からの専制支配の妥当性を否定しない・・・道義は関係がない・・屈辱の原因は力がなかっただけと言う反省・・・正義の重要性自覚には至っていません。
今でも道義・正統性よりは,自分より強いアメリカの出方だけが行動基準ですから、まだ強弱二元論・・動物的・原始的リヴァイアサン社会意識のままです。
オバマが断固とした行動に出ないと読めば、国際ルールなど無視するのを気にしない原因です。
これは領土拡張のみならず経済活動でも同じで、相手が弱ければ・・国内進出企業にはスキなように嫌がらせをするし,相手国からダンピング制裁や知財剽窃のサイバー攻撃などに対する制裁を受けない限り、どんなルール破りをしても構わないという国家の行動形態に現れています。
強弱に言論ですから,国内的には道理((今風に言えば法)よりは,権力者に近いかどうかが基準・当然賄賂や不正行為がはびこります・・になり、国家権力者自身が自分より強い相手に捕まりさえしなければ、・・正義や信頼関係など全く問題にしない価値観を実践しているのですから、人民も同様の行動基準になるでしょう。
大規模サイバー攻撃や領海侵犯は個人ではできないしやっていない・・だから人民の道義心に関係がないというのは詭弁に属するでしょう。
政府行動は、人民の目標的価値観に大きな影響を与えるのが普通です。
ここまでPublished2016/11/22「民主主義の基礎9(信頼関係7)」以来民族の成り立ちの重要性の関心で書いている内に国際関係処理の前提条件などに関心が移って来ました。
日本を除く全世界的価値観では・・社会組織のあり方では「支配と被支配」の2項対立が基本ですし,西欧近代哲学では主観客観の対比・・西洋人の形而上思惟の開始→神学論争は「信仰と理論」の整合性の疑問が神学関心・・アタマの体操の始まりでした。
この思考形式や社会組織の原初形態が・・個人と全体の関係への疑問・圧政に対する抵抗権としての反作用として・自我確立が尊重されるのが最初の意識現れです。
個人の成長に喩えれば,中学〜高校期に自我・主体性の芽生えとともに、反抗期が来る(子供がいる)のと対比出来るでしょう。
日本はその期間を縄文時代に経過している大人の社会・・エゴを必死に主張しなくともお互いの人格・立場を尊重しながら包摂して行く社会ですが,西欧近世〜近代は思春期が始まったばかり・・これを以て「自我の確立を知らないのか」と大人社会の日本に自慢しているのが欧米です。
日本人は各自を尊重しながら,一々「俺が俺が・・」と言い張り壁を蹴っ飛ばしたりしなくともお互いの立場を尊重する・・お互い融合している温和な家庭〜社会生活をしています。
腹一杯食べたい子がいれば,あるいは何か困った子がいれば、母親が黙って気配りしてくれます・・学校で苛められている子に気付かなければ学校が非難される社会です。
中国では春秋戦国時代に多様な思想が輩出しましたが,その基礎には陰陽論・善悪二元論などがあり(5行説も陰陽論の上に成り立つ修正的意見です・・中世の朱子学も理気二元論で「気」に陰陽の二元があり,そのバラエテイーとして5行・木火土金水があると説いています)・・何でも2元的切り分けが好きな社会である点は西洋と同じです。
これが始皇帝→漢王朝成立による専制支配確立とともに社会組織として「支配被支配関係」が確立固定されて以来、思想の多元化が阻止されたまま現在(上記のとおり価値基準が正義ではなく強弱原理=共産党独裁支配・・価値観単純化の一態様である点は同じ)に至っていると思われます。
韓国は反日と言えば全て善・・政党的に言えば反北朝鮮か否かの二元論で極端に行ったり来たりしている点は今も同じです。
国内的にはこのような極端な色分けで行ったり来たり・右往左往していても勝手でしょうが,前政権の国際合意のちゃぶ台がえしをすると国際信義を簡単に破る結果になります。
19世紀末以来ロシア〜ソ連南下政策の脅威・・地政学的重要性に鑑みて日米が韓国の信義破壊行為の繰り返しを黙認して来た結果、信義を守る重要性を理解出来ないまま現在まで来たように見えます。