民度6(イギリスの経験論)

観念論体系にこだわる場合に社会が変化して行くときの現実との矛盾相克に戻ります。
日本では江戸時代に儒学採用後半世紀ほどですぐに矛盾が出たのすが,中国で言えば前漢時代から約2000年以上も延々と採用していたのに,西暦2000年頃まで社会矛盾が出なかった・・余程変化しない・・停滞社会であったことが分ります。
実際には、いろんな矛盾が起きていたのにエリートの教養優位を維持するために,強権で押さえつけて来た結果停滞していた相互作用でしょう。
専制支配社会では処罰の合理的根拠不要なので、赤穂浪士処分のような矛盾相克が起きないということでしょう。
韓国も「反日無罪」の論理で国内的には一貫できる点は専制支配の現在版ですが、安倍氏に国際合意にされてしまった結果(慰安婦像設置と国際合意の相克)国際ルールとの関係をどうするの?と言う矛盾に今頃になって初めて気が付いている状態です。
韓国では民主国家になったと言っても精神レベル、民度が専制支配状態のままですから、君主専政の代わりに人民が激昂すれば論理・正義無視でなんでも出来る社会意識でやって来ました。
何かある都度興奮して大集会を開いては特定人物を糾弾する・・・大統領を失墜させるなどを繰り返して来た精神風土です。
専制君主一人の無茶苦茶から、飛行機を止めたピーナッツ事件で分かるように財閥親族の横暴や個々人では弱い人民でも大集会開催まで成功すると同じく論理無視の無茶が通る社会に変わった・・マスコミの応援があれば無茶をみんなが言えるようになっただけです。
民主主義社会には一定の民度がない社会ではタガが外れると衆愚政治→大混乱になりかねないと書いて来ましたが、個人の弱い社会では被害者と(マスコミに)公認されるとイキナリ怖いものなしのモンスターに変身する・・集会激昂主義もその一態様でしょう。
国内的には無茶苦茶でもその都度興奮してちゃぶ台がえしをするのも民族の勝手でしょうが、対外約束をしてしまった慰安婦合意も国内集会さえ派手にやれば反故にできると誤解した結果が表面化したチャンスを逃さずに安倍政権がスワップ交渉中断等を発表したので、韓国は国際社会で一人前に生きて行ける民度レベルに達していないことが国際社会に露呈してしまいました。
これまでいつも日本が折れてやって尻拭い的にカモフラージュしてやっていたからこそ,一人前であるかのような顔を出来ていたに過ぎないコトが露呈しました。
日本では、綱吉から家宣父子の時代・・10数年を経て、吉宗の御定書シリーズで紹介したとおり、観念的儒学では実務処理出来ないコトを理解し・実生活に即した判例集の編纂・・判例主義・・薬学その他実用学問奨励へ傾斜して行きます。
そして儒学は朱子学の高尚な哲学から・実践倫理である陽明学の「知行合一」(幕末の大塩平八郎の乱で知られるとおり現実重視)に移って行きますが、朝鮮半島にも陽明学が先に入ったのにその後朱子学中心になってしまい,衰退して行く点では日本と進行が逆です。
(ローマ帝国が一神教のキリスト教を国教化してからダメになって行ったのと似ています)
朱子学オンリーに固定化したから・・社会が停滞したと言うよりは,硬直化する下地があった・・日本では約50~100年経過で重視されなくなったのと比較すると社会構造・・実態社会が日本と違っていたからでしょう。
実学中心に日本人の知的営みを変えて行った吉宗は,(旧思想界からは「御文盲に御座なされ・・」と室鳩巣に書かれるほど伝統文化・・和歌などを軽視していましたが)日本の知識・思想界主流を実学的・近代合理主義社会へ変えて行った大功労者ですし、古来から連綿として変化し続ける社会の要請があったからと言えます。
ウイキペデイアの引用です。
「室鳩巣が、吉宗の教養について「御文盲に御座なされ候」といい、6代家宣の正室天英院の父・近衛基煕も「和歌については尤も無骨なり。わらふべし〃」と酷評しています。」
文化発展に戻しますと,立派な観念論体系が完成した社会または先進社会から導入した社会では・・有り難いものの解釈学中心人材・・老舗大企業で言えば新規事業や・製品開発能力よりは,有能な秘書向き能力ですが・・こう言う能力ばかり重視する社会では,別の観念体系・・枠を越えた自由な発想が育ち難くなり、企業で言えばジリ貧になりますしクニも同じです。
現在でも,後進国が先進国の知財輸入または剽窃利用する社会では,導入技術の解読が中心作業になります。
既存観念の解釈学が幅を利かす社会では,専制・絶対支配に馴染み易い・・これが中国朝鮮の歴史であり現在の状況であるのに対して,日英のような経験論・実務に即して工夫して行く社会は無理な論理一貫性を強制しない分,大陸の観念体系が入っても参考にする程度で発想の自由性があります。
日英でも既存枠内の整合性を追及する解釈学も当然必要ですが,それ程重視されない程度差がありますが,社会内には観念にこだわる・原理主義者も一定数いても,主流にはなり得ません。
イギリスがローマから見て辺境の地にあったことが幸いして,ローマ法やキリスト教ドグマの浸透が緩かったことを書いて来ました。
勿論これに加えて海洋民族性が,大陸的強固な神学大系に違和感があった面が大きかったでしょう。
ローマとの関係が緩かった・これが絶大なキリスト神学の権威を低めて自民族意識・習慣にあったコンモンローの発達促進に効果があったと思われます。
コンモンロー裁判制度はノルマンコンクエラーで知られる異民族支配の結果,却って同族による裁判の要請・陪審制が発達したと言われています。
陪審制とは庶民による裁判保障・・あるいはいわゆる人民裁判・吊るし上げ制度ではなく、異民族による裁判拒否、自民族による有罪の支持がないと処罰出来ないとする制度です。
ローマから遠かった結果、成分法体系(ローマ法の解釈ではなく)よりは実情に応じた解決・・漸進的判例法の発達を促し、更に法解釈ではどうにもならないようなときのために別途「衡平法裁判所」と言うものが生まれて来ました。
このように独自の法制度が成立する土壌があってこそ,ヘンリイ8世のわがまま・無茶苦茶?に端を発したとは言え,ローマンカソリックからの国教会独立を容易にした原因でもあり,(異民族王朝・・抑制が必要な歴史があったのにイキナリ王権神授説で権力を振るったので反発を招き易かった)絶対王政を倒し,自由な発想が保障されていた英国で先ず産業革命が始まった基礎でしょう。
英国は大陸との関係では,我が国と地理的条件が似ていますが,我が国の場合思想統一になる科挙制度を古代から意識的に除外して来た点が英国と一歩どころか何歩も違っています・・念のため・・。
英国はEUに一旦参加していましたが、ついに気が合わずに離脱方針を決めましたが、日本人にとっては一旦でも中国と合併したいと思う国民は100人に1人もいない・・その違いです。
この違いの基礎は、日英の海洋民族性に関する濃度の違いではないでしょうか?
日本人のルーツは南洋諸島や東南アジアの諸島からはるばる流れ?て来た海の民が祖先の大多数でしょうが,(DNA研究によれば大陸からの移住者はごく少数らしいですから気が合わないのです)英国の場合,周辺・・南方にこのような人口供給源になるような諸島がありませんし、海の幅・対馬海峡とトーバー海峡の差もあります。
結局は大陸からの移住者中心社会である以上は,大陸の人と元は人種的には同じになります。
長年、英国人は島で暮らしていた結果徐々に生活習慣の違いが出て来た程度に過ぎないのですが、日本の場合大陸の人たちとは,ルーツからして違っている点が大きな差です。
話題がそれましたが,ついでに韓国で文学芸術系で何かあるかを念のために調べてみると以下のとおりです。
ウイキペデア(対して信用性がないとしても・・)で「朝鮮文学」で検索すると,いろんな物語があったらしいと言う想像的書き方ばかりで、具体名があるのをクリックしても多くは「編集中」で全く具体性・根拠がありません。
最も古そうな人名でさえ下記のとおりです。
『春香伝』『沈清伝』ともにその発祥は定かではないが、申在孝(1812年‐1884年)が『春香伝』『沈清伝』を基にパンソリの台本として『春香歌』『沈清歌』を作ったとされること、様々な文献に『春香伝』『沈清伝』の原型が見られることから、古くから伝えられている説話である//」
以上のとおりで1884年までの作家の名が初めて出て来ますが、それさえも,「・・が作ったとされる」と言う程度で伝説的噂の域を出ていません。
19世紀中期〜末頃でこれですから、源氏物語などのある日本に比べて上流階級は何をしてたの?と言うレベル(文化を楽しむ・顧客層が一定数が育たないと文化人が育たないでしょう)・・清や明から来た外交文書を理解出来,返書を何とか書ける程度で満足するエリ−トだったのかも知れません。
ただし朝鮮人の名誉のためにちょっと書いておくと、李氏朝鮮での朱子学の解釈学はそれなりに進んでいたようですが,繰り返し書くように解釈だけいくら掘り下げてもその先がありません。
比喩的に言えば「韓国人は日本人より何故優れているか?」「歴史が日本より古い」「日本技術の解読」と言う予め決めたテーマの研究中心社会では,発展性がありません。

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