ピープルと文字文化普及3

我が国では古来から,外来語その他社会の変化によって新たな表現が出来るとすぐに新言語を創作して,適応して来ました。
自民族固有の文字文化を大切にして来た(民族内差別意識が少ない・同胞意識が強い)からです。
とりわけ幕末から,明治に掛けてまったく未知の社会組織や機械類がはいってきたので、各種用語の創作発展に目覚ましいものがあることは周知のとおりです。
現在の漢字仮名交じり文は,表意、表音の良いところをうまくミックスさせたもので,文字表記方式としては世界最高到達点と言えるのではないでしょうか?
言わば漢字文化圏での最高到点です。
漢民族は漢字を発明したかも知れませんが,原始的蒸気機関を発明してもクルマや新幹線に到達しないようなもので,最高最終完成品にしたのは,日本民族だったことになります。
中国由来・経由のいろんなものが日本で立派な完成品になっているものが一杯あります。
中国では社会変化にあわせた自国言語の応用変化・創作力が追いつかなくて近代以降に生まれた社会生活上の用語は、日本語をそのまま直輸入利用している状況です。
自民族の表現のために生まれた文字文化ならばもっと柔軟に応用変化出来る筈なのにこれが出来ない民族・・漢字は本当に中国人の言語を表す文字であったのかの疑問が起きるのは私だけでしょうか?
今の中国支配下人民は,1950年代の簡体字化教育開始まで自民族の99%?が自国文字をまともに読めない・・あるいは自由に操れない状態で放置されていたこと・・ほぼ文盲状態であったことを表しています。
自分の気持ちを表す文字道具すらない・・こんな酷い状態で人民に何の不満もなかったことも不思議です。
日本では漢字が入ると直ぐに万葉仮名の用法工夫→漢字の簡体化ん繰り返し=仮名の前身になる何段階もの工夫繰り返し→仮名の完成となっています。
古今集の仮名序は1月7日に紹介したとおり905年です(正確にはその後に選者が作った和歌も入っているので若干遅れるようです)から、その頃までには完成型のひらがなカタカナが出来あがっていたのに対して,漢字発祥の地の中国地域では昨日まで紹介したように760年ころに漸く「的」の前身の利用例が発見されているだけです。
古今集完成より140年早いとは言え,せいぜいようやく間接詞利用が芽生えた程度・・現在でもまだ完成していない・・中国現在から見れば1100年以上早いことが分ります。
建物様式が入ってもそのまま取り入れて満足ではなく・・住居様式も,寝殿造りから書院造り等に発達し,戦後洋風建築が入っても日本独自性を失いません。
仏像や絵画でも当初は西域から入ったままの観音様などがありましたが(東京国立博物館内の法隆寺館の仏像など見ると日本に伝来したばかりの観音サマの多様性に驚きます)平安時代に入ると我が国独自の表情などに変わって行きます。
絵画でもいわゆる独自の「大和絵」表現が始ります。
漢民族の先祖は他地域から入って来た文化を生煮えのママ・・自国民族用に昇華して醗酵させられないまま、20世紀半ばまで来たのではないでしょうか?
25〜30年ほど前に中国へ旅行して先ず驚いたのは,西欧と住形式やお城の形式が同じことでした。
勿論文法・語順・S+V+Cも全く同じです。
ここ10年ばかりこのコラムで何回も書いているように中国発祥の文明はなかったのではないか(私の根拠なき仮説です)・・その都度他所から入って来た文化を自国文化と僭称して来ただけではないかと言う主張根拠の1つです。
日本で言えば中国から文物を真っ先に輸入した博多が、自分が発明したと偽って「博多文明」と称していたような疑いがあります。
博多の場合文明発祥地として独占宣伝したくともその先に海があっていろんなルートで違う湊に船が入って来るのでで,その先から入って来たことがすぐに分りますが,黄河最上流で町が始まった場合,何千kmもはるか砂漠の先の・・奥の院がどこあるか誰も分らないので独自文明の僭称が成り立ったのではないでしょうか?
中国歴史で言えば、匈奴に追われた月氏族が,西域に新たに大月氏国を立てると,漢の張騫の頃には西域の先の事情が分らなかったので,その先にあったクシャーナ朝も大月氏国と同じクニと誤解した歴史書が編まれています。
大月氏と言えば,中国人の大好きな璧玉も月氏を経由して輸入していたので,月氏の特産品と誤解していたのもその一種です。
この辺は「和氏の璧」に関するの解説で昔読んだ記憶だけですのでネット再確認しようとしてなかなか出て来ません。
ただし以下の文献には「目次」としてそれらしい項目がありますので紹介しておきます・目次だけでは当てにならない・・正確に知りたい方は,下記の文献を直接お読みくして下さい。
「古代中国の玉の世界-その科学と文化-鄧淑蘋監修茅原一也編古代中国の玉の世界(平成18年10月20日)
第12章
古文書にみる崑崙の玉
11. 1神話・伝説世界における玉
11. 2「史記」に記述された崑崙の玉
11. 3「漢書」[西域伝] にみられる崑崙の玉
11. 4「北周書」巻五十,異域伝-于?の記録
11. 5「五代史」巻七四,四夷付録三,于?の条
11. 6「重修政和経史証類備用本草」巻三,玉石部上品の条
11. 7西域南道の国々と玉
11. 8 月氏の玉
11. 9十世紀ごろの玉交易
11. 10 完璧の故事-和氏の璧

要するに古代には中国がどこから文明を仕入れたか誰も分らなかったと言うだけのことです。
ところで、自民族の発音そのままの文字にイキナリ変えると,変更前の異民族由来の文字文化・・過去の文献には研究者以外の一般人(庶民ではないある程度の教養人)が触れることが全くなくなります。
古い家を壊して最新式洋風建築するとその前にあった家屋内にあった文物の記憶が失われるのと同じです。
西洋でラテン語表記しかなかったのを自民族語表記(いわゆるローマ字がドイツ語フランス語英語その他、地域民族別の発音に合わせて少しずつ綴りが変化して行った・・この結果フランスはイギリスドイツよりラテン語の影響が強い・・遠くなるほど薄れているのは,このときからになります)に変わって行った場合,ラテン語表記に触れられるのはラテン語研究の学者だけになったのと似ています。
韓国は日本統治まで漢文だけの文字社会だったので,ハングルのみの教育制度になると,国民の多くは日本統治以前の文字記録を読めなくなって・・文化断絶・歴史無視の荒唐無稽な国民意識が生まれた原因がここに胚胎します。
・元々大した独自文化がなかった・・家屋で言えば建て替え前の家屋は貧民窟のバラックであって,残すような文化がないと言えばそれまでですが・・。
西洋では,ルネッサンス以降民族別独自文字利用が徐々に広がり一般市民〜庶民にも(自国語で書いているので)文字に触れるチャンスが広がったのですが,一般人にとってそれまでに書かれたラテン語文献に触れるチャンスがなかった点は韓国と同じです。
中世にドイツやフランス、イギリス(12〜15世紀に掛けて徐々に完成したアーサー王物語程度?)その他の独自文化がほとんどなかったとすれば、韓国同様ですから、ラテン語を読める層が学者限定になっても殆ど困らなかったでしょう。
ダンテの神曲が現地語で書かれたと言っても,それは超エリートの話であって庶民相手に意図的教育をしなかった当時では実際に庶民に文字文化が広がるには数世紀〜20世紀までの時間が必要だったでしょう。
西洋では15〜6世紀から徐々に独自文字表現が始広がったとすれば,韓国が20世紀後半から始まった点で500年の差があるだけ?の違いです。
西洋では自然に自民族文字が広がるのに任せていたので,数世紀以上・・あるいは幕末頃には日本に比較してまだ文盲率が高かったことが知られていますが,中国朝鮮では意識的にやって来た・・促成栽培の結果・・半世紀で漸く多くの人民にも自民族日常言語どおりに表記する文字文化が普及したところですが、その分底の浅さは否めません。
中国も簡体字普及政策で初めて庶民にも自国文字文化が広がり始めた・・そもそも少なくとも中共政権成立時には,全国的な初等教育制度自体なかったのですからこれをイキナリ全国展開出来るものではありません・・。
朝鮮半島と満州では日本が教育制度を戦前から整備しておきましたが,それ以外の中国では元々教育制度のなかった中国で全国一斉教育開始は(仮に資金があっても教員自体がいません)無理ですから、仮に一斉に初めても世代交代しないとすぐには普及しませんので,大方に広がったのは早くとも1980〜2000年頃からでしょう。
とすれば、文字文化普及の歴史では韓国より数十年遅れたレベルです。
上記のとおり教育制度整備の時間差があって、韓国が先に近代化した原因ですし,中国内では旧満州地域の人材が早く頭角を現した原因です。
韓国台湾の発展期に漢字文化圏とか儒教文化圏の有利性が言われましたが,文字教育制度がいつから始まったかの差です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC