シチズン(文化人)とピープル(無知蒙昧?)1

市民・・都市国家の始まりは,フェニキア人等が地中海沿岸に進出して市場を開いた場合に,現地未開人の夜襲等を防ぐために先ずは柵で囲んで城門を夜間閉じるのが先決だった歴史を物語るもので,都市国家とは異民族地域に進出した場合の現地駐在拠点に始まることを書いて来ました。
このやり方は(私の仮説によれば・・)メソポタミア文明の到達点であった中国古代も同じで,川沿いに荷物・交易品を運び現地有力者と交易場所を決めて交易する・・日帰りは不能なので,現地駐在時に夜襲を防ぐため、日没とともに城門を閉じて夜明けとともに城門を開けて(鶏鳴狗盗の故事のとおり)鑑札のある地元業者だけ出入を認める・・これが普通のやり方でした。
集落の交易点は水運を利用して始まるのが普通ですが,中国の場合水源近くの最上流から始まった不自然さは,中央アジアを通じて山を越えて来た異民族が最初に居着いた場所(山越え後平野部に出たばかりの扇状地)とすれば理解可能です。
中国の場合海岸沿いに都市文化が広がらずに,黄河上流から下流にかけて順次下りながら発展した原因です。
すなわち都市国家形態の社会は先進異民族が遅れた地域へ進出して来た名残と見るべきでしょうし,市民(元は駐在員・長崎出島の居留民のようなもの)と城壁外の民族とは別部族と見るべきです。
ただし地中海世界とは違い西洋大平原の農業・牧畜地帯では都市住民と周辺住民とでは,16年12月29日に書いたように同一民族なのでローマ文化受容者とその他の違いでしかありません。
そこで違いを強調するには,「優れた外来文化(キリスト教)を持って来た人と・これを吸収した者のみ」がローマ市民資格と言えます。
キリスト教は西洋の原住民にとって自分たちで生み出した宗教ではない・隔絶した文化レベル差があったコトからキリスト文化を身につけた教養人だけが名誉?「市民」であり、その他はピープルと言う差別意識が生まれたのでしょう。
インデアンのうちで白人文化を身につけたものだけが、人間・市民扱いされる教育をして来たアメリカのインデアン同化政策はこれに似ています。
欧米植民地支配政策もこの延長で,地元酋長・有力者を留学させて欧米文化を理解させる・・名誉白人扱いで上流社会に出入りさせて,特権意識をくすぐり満足させていました。
自国に帰ると貧しい低レベル環境・文化に嫌気をさして文化施設その他インフラの整ったロンドンやパリ・・気の利いた詩文を口ずさめば受ける高度な社会に早く帰りたいと思うように仕向けて来たのです。
日本古代に国司等になって地方赴任すると早く都に帰りたいと願うのと同じ心境です。
ここで、元々の関心である欧米のシチズンとpeopleとの対置に戻ります。
フランス革命で支配権を奪取したのは城壁に守られた市内に住む「市民Citizenの政治参加の権利」であって庶民peopleは対象になっていません。
16年12月17日紹介した記事最後にあるように、フランス革命ではブルジョアのための革命である本質を逸早く表明しています。
ブルジョアとは何か?一般に教養と財産のある「市民」と翻訳されている階層ですが、ここで言う教養は・・天動説を含むキリスト教の教えが中世の支配概念です。
これを体系化するために努力していたのがキリスト教神学者であり,西洋の学問は神学が全ての始まりです。
神学は天動説と言う迷妄な理論ばかりが有名ですが,実は芸術表現も神学によるテーマしかなく,我が国のように花鳥風月や個々人の心情描写が始まりではありません。
漸く宗教から解放された後・・近代でも王様の肖像画中心ですし・・ミレーの晩鐘のように風景が絵画に入って来てもなお教会の鐘の音を背景にする程度です。
ウインザー城を見学して驚いたのですが、天井その他あちこちに書いている絵画は、キューピッドその他神話に出て来るらしい人物画ばかりです。
一緒に行った子供が,人間ばかりで夢に出て来そうだと怖がっていました。
フランス凱旋門の屋上にある塑像?も似たようなものです。
ルネッサンス芸術と言っても,(全部を知らないので遠慮して書くとほぼ全部?)キリスト教神話に基づくものばかりです。
日本の例・・万葉集の歌です。
「山部宿禰赤人が不盡山を望てよめる歌一首、また短歌
  天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き
  駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放(さ)け見れば
  渡る日の 影も隠(かく)ろひ 照る月の 光も見えず
  白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
  語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不盡の高嶺は(317)
反歌
  田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ不盡の高嶺に雪は降りける」
赤人は(生年不詳 – 天平8年(736年)ですし、万葉集には自然描写が一杯あります。
数百年下がると日本人らしいきめ細かな感性も歌われています。
「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかねぬる」
上記は藤原敏行(生年不詳〜906〜7年頃死亡)ですが、西洋は近代に入っても肖像画に毛の生えた程度の絵画表現だったのですから,西洋文化の浅さが分ります。
自然現象その他全てが,キリスト教と言う迷妄な宗教・・神学と言う名の学問もどき?に縛られていたのです。
以下は冗談ですが、日本に来た西洋人がちょっとした地震に大騒ぎするのは,未だに地動説を心の底から信じていないからではないでしょうか?
日本では天地(あめつち)が動くことは,万葉の昔から誰でも知っていることです。
古今集仮名序(現代語訳)
「仮名序によれば、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された」
「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」
上記に対する江戸時代の狂歌
「歌よみは下手こそよけれ天地の 動き出してたまるものかは(宿屋飯盛)」
ここで西洋庶民(ピープル)の文盲・・無知蒙昧時代が長かった原因・・元々の関心である欧米のpeopleとの対置に戻ります。
フランス革命で支配権を奪取したのは城壁に守られた市内に住む「市民Citizenの政治参加の権利」であって庶民peopleは対象になっていません。
16年12月17日紹介した記事最後にあるように、フランス革命ではブルジョアのための革命である本質を逸早く表明しています。
ブルジョアとは何か?一般に教養と財産のある「市民」と翻訳されている階層ですが、当時のキリスト教に対する批判的文化人であれ,キリスト神学教養が基礎になります・・例えばニーチエFriedrich Nietzsche(1844-1900)の「神は死んだ」と言う哲学はキリスト教神学の理解なしには書けないでしょう)がフランス革命で対象としていた教養人です。
トランプ氏以前のアメリカでは,「民主主義価値観共有」が文化人の資格です。

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