大晦日(緩和医療の期待)

今年も最後の日になりました。
この1年を振り返ると私個人で言えば,これと言った変化のなかった穏やかな良い?1年であったように思えます。
武者小路のカボチャの絵などに「日日是好日」などと書いた軽い?作品が私が結婚した頃かそのちょっと前に出回っていましたが,マサにそんな1年だったことになります。
武者小路の「友情」その他作品を学生時代に読んでいたので、大正時代に活躍した昔の人と思っていたのに,イキナリこの種のものが大量に出回ってまだ現役で活躍しているのを知って驚いたことがあります。
私の場合若い頃も今も活躍したことがないのでまだ生きても誰も驚かないでしょうが,毎日鏡を見ていると自分が年をとったのに気が付かないだけで,他人から見ればレッキとした高齢者・・高齢化が進んでいる筈です。
「知らぬは本人ばかり・・」と言うわけです。
健康面で言えば,8〜9月ころに親知らずに虫歯が見つかり,抜歯したのが最大のイベントですが,抜歯と言われてちょっとたじろいで,その予定日は抜歯予定時間後の事件打ち合わせなど仕事を一切入れずに臨んだのですが,やって見ると数分程度で簡単に終わりすぐに事務所に戻れました。
その後ちょうど事務所に来ている司法修習生も2回試験前にリスク回避のために前もって,親知らずの抜歯をする・・難しそうなので大学病院で抜歯手術と言うので、奇妙な巡り合わせに驚きました。
その後に事務所に出て来たのを見ると顎の辺りが腫れていて、マスクをしていました。
若い人の親知らず抜歯は相応の理由があるので,難しいのが多いらしく,私のように高齢化して偶然虫歯になったのとは違うようです。
秋から冬が来て春から夏に咲いていた庭の草花の植え替えを毎年していますが,元気なハナは充分に土を抱えていますが、花が十分くたびれてから引き抜くと根が殆どなくなっているのに驚くことがあります。
いろんな病気をするにも、高齢化してからだと生木を裂くような苦痛がない・・枯れ木が折れるように痛みも少なく,便利な面があるのではないでしょうか?
8〜90歳の高齢者が足を引きずって歩いても,若いトキのびっこに比べれば、精神的にも苦痛が少ないでしょう。
「ここまで来れば,いつ死んでも良い」と普段言っていながらも,どうせ病気になるならば少しでも高齢化してからにしたい・・先延ばししたい気持ちの根源には痛みが小さくなる期待があるからかも知れません。
いつ死んでも良いと豪語しながらも,お腹が痛くてもいつ死んでも良いならば,放っておけば良い筈ですが,やはり一刻もはやく悼みが収まって欲しいものです。
矛盾すると言えば言えますが,考えてみると痛いとか吐き気など苦しいのがイヤなだけで,死ぬのがイヤだと言うのではないのかも知れません。
世にピンピンコロリ願望が言われますが,要はいつ死んでも良いが,痛い思いや苦しみ・長患いで周囲に迷惑を掛けたくない人が多いからではないでしょうか?
私の母は100歳になったころにがんが見つかりましたが,手術しましょうと言う人はいませんでしたし医師も勧めませんでした。
100歳まで行けばこれが普通ですが,80歳前後になれば「十分生きたし・・」という人の方が多いのですが、いろんな病気が見つかると廻りがまだ「放っておきましょう」とは言ってくれないのが普通です。
運が悪いと何回も手術されたり,または副作用で吐き気に悩まされ・・病気によっては寝たきりになるリスクがあります。
これが怖いのでピンピンコロリ信仰?がはやるのですが,信仰がはやると言うことは,逆から見れば,解決すべきテーマが示唆されていることになります。
心臓病や脳内出血などで救急車で運ばれるから,半端に半身不随などになって困る・・脳梗塞・脳内出血などでは場所によっては治癒後に認知症や精神疾患になっている人も見かけます。
放っといてくれたら数時間後に気が付かないうちに死亡出来たのに・・と言うわけです。
心臓発作などでは苦しむのは数分だけでその後は意識不明ですから,一定年齢になればこのチャンスに死んでしまった方が良かったと言う人の方が多いかも知れません。
臓器移植の同意事前意思表示同様に,一定年令以上の場合事前意思表示・・救急車を夜ばいでくれと言う意思表示が広がるかも知れません。
放っといてくれと言う人の治療をしない・・本当に必要な人だけの治療や介護になり,高齢者の医療費や介護需要も減って行き,世の中のためになるでしょう。
リハビリで以前と似たレベルの生活出来るかどうかが前もって分らないので,怖くて「救急車を呼ばない方が良い」と言う人が増えるのでしょう。
出産前の胎児の異常検査のように事前検診で合理的選別出来ていれば、救急車を呼んだ方が良いか分って便利です・・そう言う時代が来るかも知れません。
10日ほど前に年末で隠退する弁護士と食事をしたときに,彼は「自分に何かあったときに救急車を呼ばないでくれ」と家族に言ってあると言っていました。
これは安楽死選択のように,医師が生死を決める選択ではなく,家族に対する意思表示ですからそんなに厳格でなくとも良いように思います。
ただし、「どのような救急の場合」と前もって決めておくのが難しいし,家族も迷うでしょうから、今のところ家族迷惑な自分勝手な宣言かも知れません。
と言うことで私の場合にはそこまで思い切ったコトはしていません。
根拠がありませんが,私の場合,まだそう言うことはずうっと先のような感じを受けているからです。
ガンその他内臓疾患の場合心臓発作などと違ってすぐには死ねないので、放っておかれるのも困るのかな・・。
この場合の心配は痛みと日常生活レベルダウンですから,これを緩和さえしてくれれば放っておかれて死亡まで1〜2年かかっても10年かかっても困りません。
痛みも不便もなければ誰でもいつかは死ぬ「その内死ぬらしいな!」と言うだけですから,ガン発見前とあまり変わりません。
緩和医療(痛みだけではなく生活クオリテイー低下防止の研究さえ進めば、一定年齢以上の人にとっては、ガンが見つかっても手術しないで・・あるいは抗がん剤投与・放射線治療などやめて「痛み止めさえくれたら良いんだ放っておいてくれ」と言う人が増えるでしょう。
虫歯でも痛みさえなければ放っておいていいのです。
その他の病気も同じです。
冒頭に紹介した抜歯が全く痛くなかったのは、麻酔ヤ抜歯技術進歩の御陰・・一種の緩和医療の賜物です。
高齢者になれば難聴・老眼・膝の痛み,肩の痛みその他全て不治の病でしょうから、不治の病でこそ,治してくれなくても良いから,不便や痛みの緩和医療・社会ではバリアーフリー化の進展を祈る次第です。
リニアーが普及すれば京都まであっという間につくので旅行するにも,あまり疲れないで済みます。
今年の1年は御陰さまで、大病もせずに無病息災?で過ごせたと感謝して今年最後のコラムとします。
1年間お読み頂いた方,たまに読んで下さった方・・私に何の関係もない方も含めて皆様にとって来年は良い1年でありますように!

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