支配層のピープルに対する差別意識は古代ギリシャ・ローマ〜現欧米がオリエントの異民族から最先端文化受け入れによって成り立っていたこと・・先端文化を吸収したものだけがエリート・支配層と言う意識が基礎にあったからだと思われます。
その上,イギリスのノルマンコンクエラーが有名ですが,イギリスでは支配層は原住民・ケルト族の上に君臨する異民族でした。
イギリスでは支配層と庶民とでは体格からして違うし使っている英語自体が違うと一般に言われていますが,これは元々異民族支配によるものだからです。
この辺はフランスその他のクニでも支配層と庶民はまるで違っている原因です。
フランスに行っても格好いいパリジャンばかりではなく庶民の多くは貧相な体格です。
重層的に支配者が入って来て上にかぶさって来た歴史のあるインドでも、立派な風貌の支配層と庶民とはまるで「人種」が違います。
西欧諸国では長年ラテン語しか公式言語・文書がなかったことからも分るように,あるいは教会に入れるのは地元の有力者だけであったこと・・宗教戦争と言っても領主がどちらかに決めれば,その領内全員がその宗派に変わる程度の信仰でした。
もともと領民は支配対象であって人間の仲間・・意思主体と認めていない社会であったこと・・領民の自己決定権尊重など思いもよらなかったからでしょう。
これが戦国末期に日本に来た宣教師らが日本における庶民の重要性に気付かず、領主中心に布教して失敗した原因です。
キリスト教はローマで国教化に成功した以降、庶民から遊離して儀式を荘厳化するなど庶民の苦しみ救済と関係なく権力に結びついて広げていたコトが,この一事をもっても分ります。
庶民が宗教を支えていた日本の浄土宗系や念仏系、一向宗とは違い,キリスト教徒の言う宗教は、権力をカサに来たものであって,庶民の心・・衆生救済に本当に関係していたか不明です。
救済能力が形骸化の反動で異教徒かどうかに異様に関心がある・・あるいは他の宗教に対する敵意が重要になっているのではないしょうか?
中韓の内政がうまく行かないと矛先を日本に向けるのが常態化しているのと同じです。
西欧や中国の領土論では、行った先に旗を立てて来たら自分の領土だという不思議な主張も領主さえ取り込めば宗教地図上の勝負アリの思想とどこかに共通性があるのかも知れません。
西洋では文化が上からの浸透を基準にしているので、庶民にキリスト教がどこまで浸透していたか不明な状況であったことからも分るように,西欧の庶民はずっとローマ文化の被支配者・アウトサイダーのままだったと思われす。
とりわけ,ローマ滅亡後の中世キリスト教精神は修道院中心になって行ったことから分るように,言わば牢獄的思考停止を強制する(修道院で生まれた食品もありますが原則を書いています)精神世界ですから,新しい発想が生まれ難い社会を強制していました。
ガリレオガリレイの「それでも地球は動いている」と言う言葉が有名ですが,ルネッサンス最盛期でさえ自由な考えや発言が許されない状態だったのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki
ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 – グレゴリオ暦1642年1月8日)は、イタリアの物理学者、天文学者、哲学者。
ルネッサンスの曙とされるダンテの「神曲」は1300年丁度ころから順次発表されたものでしたが,それから約250年後でも,この有様です。
如何にキリスト教神学?が思想の自由を奪い中世西洋社会で圧政の裏付けとなって来たかが分るでしょう。
新しいことを言えば異端審問や魔女狩りの恐怖が待っている・・言わばキリスト教が沈黙を強いられる社会を強制していたのです。
旧ソレンがこの焼き直しで「共産主義」と言う新たなドグマ(「教義」と訳されていますが正に「教義」です)を定立し、政敵が出ると反党的言動(異端審問の焼き直し)として容赦ない粛清対象にされていました。
ソ連政府は,西洋諸国では,フランス革命で信教の自由・・すなわちキリスト教神学に縛られない自由を宣言していて、これを否定出来なかったので,共産主義を宗教ではない・合理主義と称して,非合理な印象の旧宗教を一律禁止しましたが,本質は共産主義と言う新興宗教以外認めない一神教の論理を近代風に言い換えただけのことでした。
ロシア社会は西欧よりも数世紀単位以上遅れた・・一種の古代社会でした(今も安倍総理がロシアと交渉するのに先進国基準で話し合ってもむりです)から,その社会に合わせた一種の反動・・思想信条の不自由を維持する必要に迫られていたものの・・社会主義革命は資本主義の矛盾を解決する新時代をになうもの・・先進性を主張するためのレトリックとしての表現だったことになります。
ルネッサンスを「人間復興」翻訳されているように,1000年に及ぶ中世の暗黒時代・・何も言えない・・黙って牛馬のように農作業等の従事するしかなかった人民が人間が人間らしい生き方を表現したいと主張し始めたのがルネッサンスだったのです。
この圧迫・隷従の時代には,庶民から生まれる文化など想像すら出来なかったし,大衆社会と言われる現在でも欧米では現場力より特別なエリートが集う研究所などで研究すれば足りるという意識が今でも強固に残っている原因です。
芸術(音楽や絵画)も原則として修道院〜大聖堂建築からしか生まれない・・庶民の支持を問題にしない・・前衛と称して庶民のずっと先を行くものと言うエリート思想が定着している源流です。
今でも欧米系展覧会に言っても何が何だか分らない前提で,客の評価は問題にしない「お前はレベルが低くて分らないのだ」と言うのが欧米系芸術展示方法・・専門評論家の批評だけが頼りと言う変なシステムです。
日本の都々逸、端唄小唄,歌舞伎や浮世絵あるいは,古くは源氏物語〜今様や(難しそうな能狂言でさえ神社等で各地民衆に開放されて演じられて来ました)〜各種絵双紙もその時代,時代に普通の読者・観客に受入れられて来たものであって,「時代の先を行くものだから素人が見ても分らない」と言う受け止め方はありません。
どんなにニッポン民族が貶められている時代でも洋画は専門家がそろっている?美術館等が買い上げるものであって,市場では日本画の方が実際に高額で売れていた・・洋画に何千万も自己資金を出す客がいるでしょうか?
宗教に戻しますと,日本では八百万の神が仲良くする社会ですから、他宗教と争い相手を排撃するものと言う前提で宗教観を聞かれると、多くの人は(占領下でうっかり言うと危ないと言う自己保身もあって)無宗教と答える習慣が根付いていますが、神道やお寺は庶民の心底からの支持で成り立っているので神社仏閣に行けば自然に手を合わせる状況は今も変わりません。
西欧庶民にとっては地方に残っている教会に対して日本のように何かありがたく感じるものがない印象ですが、これは上記のとおり千年単位で文化征服・圧政の象徴・出先機関・道具としての歴史があるからではないでしょうか?
日本では各地でお城の復興に熱心ですが,西洋では遺跡扱いになっているのは中世〜近世にかけての領主と人民の関係を表しているのと同じです。