規模追及の限界2と民度4(PeopleとCitizen1)

欧米では,ギリシャ・ローマの昔から,民主主義と言っても市民だけのことで「市民」でない人に対しては人間扱いして来ませんでした。
PeopleとCitizenの語源の違いです。
http://daruyanagi.jp/entry/2012/12/15/142304市民概念の歴史的解剖からの引用です。
実際には複雑な歴史変遷がありますが,長文になり過ぎるため部分引用ですので正確に知りたい方は,全文を御読み下さい。
「市民」は、城壁と秩序の「内」にあり、それ(≒社会)を支える資格*1と気概*2をもつ人のことを言う。それをとくに「公民」と訳す場合がある。なので、「市民」とは「~であるもの」ではなく、基本的に「~になるもの」だ。つまり、自覚的・能動的存在であり、この点で「民衆、庶民(people)」とは異なる。」
今後中間層の総合的レベル・民度差が国力・各国の生活水準の差を決めて行くとなれば,民度が重要です。
欧米では,被支配層に主体性を持たせない政策・・ピープルを他動的自主性のないものと決めつけて、あるいは自主的思考を持たないように動物並みの扱いをして来ました。
古くは商品の1つとしての奴隷は売買対象であり、近代では機械や羊のように入れ替え可能な人「材」として、ここ100年前後では流れ作業を黙々とこなすだけの役割しか与えないで来たツケが出て来たのですから、急に頑張っても数百年単位程度の期間では人材レベル引き上げはほぼ不可能でしょう。
国民がはらからで成り立っている我が国は欧米とは違うので、移民受入れによる低賃金労働者と入れ替える安易な方法はクニを誤ると言う私の基本的立場による介護に限る移民受け入れ論に戻します。
以前書いたことがありますが本当に介護や保育士人材が必要ならば,移民にたよらずに介護人件費・保険点数アップ・・彼らの能力に応じた人件費を払えるように介護や保育料金アップを政府が認めれば済むことです。
コストに見合う料金にすればいくらでも開業する事業主が増えるでしょう。
高すぎれば,その批判をうけて,コスト削減努力の工夫が業界内から自然に生まれて来るでしょう。
別の角度から見ると、次世代人格形成にに大きな影響を与える大切な乳幼児教育こそ、優秀な人材が必要で、低賃金外国人に入れ替えるのは危険です。
本来はコストに見合う保育料や介護料を払うのが経済原理ですから,これをコスト以下に抑える政策は社会保障の分野ですから,所得と関係なくコストに見合う負担しない・・中高所得者の場合負担額が上がりますがそれでも、本来のコスト全額を負担していません・・・政策が許されるかも総合的議論をすべきです。
料金をコストの何分の1に押さえるから民間参入が進まない・・不便な場所にしか出来ないなど結果的に有能な人材が集まらないので(日本では最も重要な)現場発のシステム改善工夫も進まない悪循環に陥ってるように見えます。
国鉄の失敗で分るように「官」が料金からサービス内容全てに関与すること自体に無理がある・だから保育所や介護事業関係の需給バランスが崩れているのです。
人件費相場で見れば,仮に周辺職種よりも大幅アップになれば周辺の人材が高い方に流れますので、結果的に周辺労働力不足・・賃金水準がアップします。
保育士や介護士の人件費アップを避けて移民に頼ろうとする意見は、結果から見ると国内全般の人件費相場のアップを嫌っている主張・・欧米並みに移民と競争させる低賃金政策となります。
国際的な低賃金時代に対して同レベル・低賃金で競争に入るのではなく、別の角度からの対応努力しなければ,あるいは個々人の努力するのを妨害し,努力や工夫に水を指し続ければ,いくら優秀な民族でも千年単位経過でレベルが低下して行くのは,10日に西洋と日本の民度差が生じた理由の1つとして書いたとおりです。
教育界やマスコミがアメリカ方式・大量・粗放生産方式が如何に素晴らしいかを賞讃しこれにに従わせようと戦後70年間も営々と教育・努力していて、大学までマスプロ教育と称して私の学生時代には数百人の大教室での講義が普通でした。
ところが、細やかな店員対応を度外視して大量仕入れ大量販売方式を導入しただけのスーパーダイエーはなくなってしまいました。
これをやっている限り日本は欧米の猿真似人種と揶揄され2〜3流国として下風に立ち続けるしかありません・・。
戦後農政・・その中核であり具体化である農協の役割を見ると個々人の品質改良努力をマイナス評価して量のみの評価=標準価格米の生産誘導・・量のメリット・農機具や肥料などの協同仕入れ販売も共同販売・・量だけを追及する農協方式の限界が明らかになっています。
日本の農業は広大な農地牧場を擁するアメリカやオーストラリアなどと対等な競争が出来る訳がないと言う前提で、いつも農業に関する特別枠を求める結果、折角競争力のある工業製品の輸出条件で割を食っていますが、これは広大な農地・牧場で粗放・大量生産している両国基準の真似をする前提に立っているからです。
何事も相手の体格や基礎条件に最適の土俵・・ルールで戦って勝てる訳がありません。
現在日本の生き残りに役立っているのは(量での勝負ではなくおいしい銘柄米やサクランボや果物、トマト、人参や和牛など)農産物であれ、食品(ロイズのチョコレートなど)・工業品であれ医薬用機器・介護用品であれアニメ等の文化面その他全ての分野で,高品質製品を「お宅的に」作る能力を発揮した結果によるものばかりです。
新興国と共存を図るには,汎用品は新興国に任せて張り合わずに,先進国は長年の伝統に基づく工芸品的な生産・・手間暇かけた教育などに特化して行くべきです。
農産物(各種果物や和牛その他)が,個々人の努力によって,高品質品としての評価を得るようになって,世界に活路を見いだしつつありますが、これは農協が切り開いたどころか・どちらかと言えば農協は,農協を通さない個性的出荷に対する妨害勢力でした。
低賃金新興国の工業生産参入による国際環境激変に対しては,(本来間違っていた)大量粗放品生産方式に見切りを付けて日本人の得意な「おタク」的な手間ひま掛けるもの,アニメ方面や文化的方面あるいは精密作業を増やして行く・・大量画一生産方式から手を引いて産業構造を変えて行けば良いことです。
粗野で効率ばかりの医療や教育よりは手間暇かけたきめ細かい保育や教育、手厚い看護も世界の富豪が日本に求めるインバウンド消費になるかも知れません。
12月11日(日曜日)ブルゴーニュ地方で愚直に昔からの手法を守って再起を図る?ワイナリーを主人公にするフランス映画を見て来ましたが,隣のワイナリーの娘と結婚したアメリカ青年がまじめ一杯にアメリカ式農法で奮闘するのですが、頑固な手法を守りたい?(結婚相手の娘の)経営者・母親から追い出されてアメリカに帰ってしまう顛末も出て来ます。
このような映画が出て来ていることから、フランスでもアメリカ式大量・合理的?生産で勝負するより個性的品質で勝負する方向へのノスタルジア・・大量生産方式への見直し機運が芽生えていることが窺われます。
アメリカは中級技術者層のレベルが低い・・ベルトコンベアー方式の大成功によってレベルアップ努力を放棄してしまったので?社内訓練の歴史経験がありません。
日本は何の資格もない青年を採用して社内で仕込んでエキスパートに仕上げて行く社会ですから、転職すると通用性が低い難点があります。
アメリカでは各人が就職前に持っている資格別採用・・だからこそ画一資格を持っていれば転職フリーな社会になります。
社会構造の違いを無視した雇用流動化論は、結果的に中間層の底辺層への転落誘導政策になり兼ねません。
欧米では身分制度がなくなってもその代わりに企業別ではなく職能別組合が発達するなど,今でも階層別資格社会ですから、その分レベルアップの困難な社会構造です。
November 16, 2016「民主主義の基礎4・信頼関係3(governmentとは?1)」以来,ガバメントとピープルとの関係・・支配、被支配の対抗関係を書いて来ましたが,両者が対抗的関係で隔絶して来た・・ひいてはピープルの権利強調に走ります・・欧米では,governmentを構成する支配層とピープルの間には同胞意識がありません。
ピープルのレベルを引き上げて自分たちに近づける工夫をすれば,自分らの支配的地位を危うくするので避けたい意識があります。
これがアジア、アフリカに対する接し方・・日本の場合には現地人が自分でやれるように懇切丁寧に教え込むので喜ばれますが、欧米や中国は「お前らに出来る訳がない」と差を強調する目的で現地インフラ整備してやる?方式との違いです。
日本企業がプラザ合意その他で欧米市場から閉め出され始めた結果、生産基地として東南アジア展開(迂回輸出)するようになると、パンドラの箱があいたように世界中の新興国の産業勃興が始まりました。
日本が行くまで欧米は何百年も支配していながら現地人には格差の大きさを強調して絶望感を与える努力ばかりで、(この辺はシンガポール元首相が日経新聞連載の「私の履歴書に来書いてるとおりです)何らの技術移転もしていなかった・・日本の台湾や朝鮮半島統治との根本的違いです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC