アメリカの国力源泉(資源→金融)

アメリカは自己の強みが資源にあることを良く知っていたので、中東の豊富な資源が分るとイギリスを押しのけてアメリカのメジャーが支配することによってなお資源支配していました。
後で西欧諸国のアメリカに対する怨みの深さを書きますが、営々と築き上げてきた中東の利権を奪われたイギリスの怨みは大きなものがあります。
スエズ運河国有化に対する英仏軍侵攻対するブルガーニンだったかによる、核攻撃の強迫に対して、アメリカが英仏防衛表明しなかったので、英仏軍は涙をのんで撤退しました・・この恨みの結果英仏が核独自保有戦略になった経緯を05/22/05「パックスアメリカーナ」1で紹介したことがあります。
戦後いろいろな確執を経て英仏の中東における伝統的影響力を駆逐して行き、アメリカが取って代わったことは事実です。
ところが、石油ショック・・アラブ主導の石油支配が確立されて来るとオペック・石油輸出国機構外(北海油田など)の資源開発が進み・・遂に世界各地で資源開発が進んで来て資源に関するアメリカの優位性が徐々に蝕まれて来ました。
中国のレアアース禁輸で分かるように、単価を上げる(その間の採掘技術の向上と相俟って)とあちこちで採算性が上がり採掘出来る国が多くなります。
資源支配力の相対化が、流れ作業的単純工業品製造レベルでも威張って来られたアメリカの発言力相対化・低下の主原因です。
「ベトナム戦争に始まってブッシュ政権以来のイラク・アフガン戦争では膨大な富みを使い果たしてしまい・・」とマスコミは言いますが、基礎的には資源+工業レベルミックスの優位性が減少して来たことによります。
アメリカの勃興は産業近代化進行レベルとちょうどマッチしていたアメリカ移民のレベルと資源事情・豊富な資源を強みに資源の近く(五大湖周辺)で近代産業立地の優位性が高かったので工業国化に成功したのですが、20世紀に入って大型船舶が普通になって石炭や鉄鉱石等重量物の長距離輸送の制約が減ると、資源輸入に頼る日独等の競争力が伸びてきました。
第1次大戦後石炭から石油に火力源が変わって来ると、石油を自給出来るアメリカの強みが強化されました。
日本では戦時中「石油の一滴血の一滴」と言われるほどの貴重品・・生命線だった・・ABGD封鎖ラインはこの「血の1滴を止めてしまう」もので日本は文字どおり「血路を切り開く」しかないところに追いつめられたのが日本開戦決意の直接の原因です。
石油ショック以降約40年経過で、北海油田やロシア、リビア、ベネズエラ、ナイジェリアなど世界各地で原油・石炭その他資源採掘出来るようになるとアメリカの資源大国+大量生産国+大量消費のミックス効果が相対化して来ました。
産業革命勃興期に適した豊富な資源・農地が地元にあるがほどほどの技術しかない点を補ったのが、当初南部の奴隷を使った綿花大量栽培であり・・ついで資源と結びついた北部工業基地→ベルトコンベアー方式による非熟練労働力の活用・・大量生産方式でした。
人海戦術〜非熟練者の大量利用・大量生産方式こそがアメリカ産業の特徴ですが、その成功は時間の経過で必然的に中国その他(アメリカレベルに達している)未熟練労働力の豊富な低賃金後進国への工場展開に結びつくので、アメリカの地位低下は予定されていた流れでした。
(日本やイタリアの場合元々資源不足のハンデイを高度な職人的技術力や文化力でカバーする国ですから、各種資源が世界中で取れるようになるのは却って有利です)
アメリカ製造業の復活をマスコミが騒いでいますが、要はシェールガス・オイル等の資源産業の再勃興と人件費の安さでは中国と肩を並べるようになったので「国内製造業が復活出来そう」と言う自慢話程度ですから,過去約1世紀のアメリカの強みが何であったかが分ります。
中東産油国を含めて後進国はこ資源を自分で利用出来る程度の労働力水準にさえ達していないので資源を売るしかないのが難点ですが、今では資源が安くいつでもいろんなルートから手に入るようになると国内である程度自給出来るかどうかは大したポイントではありません。
縫製工場で考えれば分りますが、動力源の電気等の値段差よりは中国→バングラディッシュのように低賃金地域で生産した方が競争力が高くなります。
輸送費の低廉化によって資源と大消費地の近接したアメリカで造る優位性がなくなりました。
この結果、自由貿易で日本に負け始めたニクソンショック以降アメリカの通商政策は、自由貿易の旗印に矛盾した(スーパ−301条など)強引な輸入規制(現地生産強制)日本叩きの連続でしたが、要は巨大消費地から閉め出すぞ!と言う脅しの連続でした。
4〜5日前に発表した為替操作国監視対象国基準を見れば分りますが、正義の基準ではなく結果(経常収支黒字比率)から見ると言う宣言です。
アメリカのヘゲモニー維持のためにする一方的規制は日本に対するだけではなく、アメリカの個別産業を脅かす限りドイツもフランスもミナ理不尽な懲罰?アメリカへの輸出閉め出しの脅しに応じざるを得ない結果を招いてた来た点は同じです。
この辺の西欧諸国のストレスは日本人が想像している以上に大きなものがあるようです。
(日本は戦争に負けた以上仕方ない・・と言う気持ちが心の底にありますが、西欧は元同根・同族意識があるから余計(「成金め!と言う反発意識があって)面白くないでしょう)
個別利害を乗り越えた経済共同体EU設立のエネルギーはアメリカの理不尽に対抗するには大きな市場を作るしかないと言う強迫観念・・ストレスと無縁ではなく、徐々に対中貿易比率を上げて行くなどアメリカに対する貿易比重を下げる努力して来たように見えます。
(韓国パク大統領の中国寄り政治活動によって韓国の対中・対米貿易比率を良く知っている人が多いでしょうが、フォルクスワーゲンの燃費偽装事件でドイツ車のアメリカでの販売比率の低さに驚いた日本人が多いでしょう・・西欧諸国も今やアメリカよりも対中国の方が貿易比重が上がっている国が多いのが現実です)
度重なるアメリカの強引な要求に対する不快感の表明が、アメリカの要請を蹴っ飛ばした西欧諸国によるAIIB設立参加でしょう。
これに対する意趣返しが,この数週間前から大騒ぎになっている「タックスヘイブン」パナマ文書暴露・・中国とロシア及び西洋諸国大物中心に発表されている不思議・・と巷間言われています。
イランに対する制裁もアメリカの軍事力によるのではなく、アメリカの制裁に従わないとアメリカでの巨大市場で銀行業務・・金融取引が出来ないと困るので、世界中の金融機関がイランとの金融取引を停止するしかなかったことによります。
サウジの怒りを知りながら何故いきなり制裁解除することになったかと言うと・シリア情勢などいろんな情勢が当然重なっていますが、その他に、イランとの取引が金での決裁などになって来た外、地下銀行システム(例えば韓国が原油を買った代金をイランへ送金出来ませんがその分を韓国内銀行に預金しておく・・イランが韓国から何か輸入すれば韓国内預金から差し引くなど)にシフトとして来たので・銀行決済システムやドル決裁秩序に穴があくのに耐えられなくなったからとも言われています。
アメリカの発言力・・無茶を通す力の源泉は、巨大消費地・・購買力によります。
今や国力・発言力は、生産力よりは消費力→ひいては短期的には金融支配力にかかっています。
消費を支える金融支配の関係を明日以降書いて行きます。

政府と国民5(2項対立3)

2項対立論者は、何かあると国民が困ってもいないことを過大に宣伝して政府の施策妨害のために批判するのですが、イザと言うとき・・サールスなど患者が発生したときに伝染拡大を防ぐためにその足取り追跡などのためのデータ収集に反対すれば、誰が困るでしょうか?
ベネッセ情報流出に関して書きましたが、本当に困ったのはマスコミに叩かれたベネッセでした。
仮に搭乗者名簿や宿泊名簿が流出しても誰が個人的に困るか?(勤務先や家族に知られたくない愛人との旅行など後ろめたい人でしょう)スーパーなどの防犯カメラで誰が困るかの疑問です。
何か困ったことが起きれば、政府だけが困ると思って喝采するのがこれまでのマスコミの姿勢でしたが、ソモソモ政府だけ困るのか国民全部か?と言う図式設定自体が間違っている・・実態はもっと複雑多岐であると思う国民が圧倒的多数でしょう。
国民主権国家論も(コクミンのためにあるか抑圧ためにあるかの)西洋的2元論によるものですが、少なくとも国民主権国家である以上は、政府は国民のためにあるものですが、革新系論者の各種意見は日本がその段階に至っていない立場のようです。
「人権活動家」と称する人たちが国連に出掛けて行って、報道の自由が抑圧されている少女の性道徳が乱れているから調査に来てくれとか、慰安婦問題を宣伝しているのです。
19世紀西洋で到達した近代社会に達していない中国社会を前提にすれば、国連に出掛けて行って自国政府批判するのは合理的ですが近代法成立よりもずっと以前から、高度な社会に達している日本政府が如何に酷いかを宣伝しても世界中がキョトンとしているのではないでしょうか?
「人権活動家」とは、人類を「万物の霊長」として、どんな残虐なことをしても良いと思っていた西洋人・中国人が「動物愛護」「人としてやって良いこととイケナイことの区別」を知って、自分が目覚めると今度はしたり顔で、イキナリ捕鯨反対をしているグループと同レベルではないでしょうか?
日本民族はフランス革命のずっと前から人権・民意・環境・万物尊重社会だったと言う立場です。
世の中は、シロか黒か、暑い寒いかなどの2択ではなくいろんなバリエーションがあることはこれまで書いている・・私が書かなくとも多くの日本人はそう思って生きて来たでしょう。
何とか集会では、2項対立的議論・・すっきりして分りよいことを大きな声で主張している人は自慢げですが、多くの参加者「そうは言ってもなあ・・・・」と言う顔をしている人が圧倒的多数です。
・・複雑多岐で一言で言い切れない意見を持っている国民性・・意見がないのではなく・・白か黒かのような単純な意見として表現し切れないだけのことですから、高度文明社会では演説的単純表現しきれない、サイレントマジョリテイが重要です。
芸術分野でも西洋では近代に入って漸く写実の必要性に気が付いたようですが、日本人は写楽のクビ絵.北斎の赤富士などが出る江戸時代のもっと昔・・・縄文の昔から、写実をはるかに通り越した土偶を一杯残しています。
アメリカでは交渉力その他総合力がなくとも映画界その他演出のプロの言うとおりに、演説さえ上手にこなせれば、大統領や政治家になれるのは不思議でも何でもありません・・要は国民レベルが低くてその程度の煽動的単純主張しか理解出来ない民度・・単純主張では飽き足らないレベルの人が少ないからです。
それでも国際政治が何とかなっているように見えたのは、その都度損ばかりしていても大金持ち・・資源大国・・産業革命→資源活用の時代が始まってうまくマッチ出来たので、その結果を誤摩化せていたに過ぎません。
支配地拡大縮小の結果から第2次世界大戦を見ればスターリンは東欧諸国を支配下に収め西欧諸国は植民地支配権を失ってスターリンの一人勝ちの結果に終わり、更に世界共産革命を目指す余力まで与えました。
引き続いて始まった朝鮮戦争はソ連に対抗する力を着けそうな中国をアメリカの正面の敵に据える作戦にうまく乗せられ,米中双方が引きずり込まれた上でソ連はあっさり手を引いて米中の消耗戦にさせられてしまいました。
その後ベトナム戦争に始まり現在のシリア混迷に至るまで下手ばかり打っているアメリカですが、それでも底力(資源地生産と資源利用力が近代化レベルにマッチしていた優位性)の勝負で最後はソ連崩壊に追い込みましたが、今では資源開発能力進歩によって(アフリカ諸国もロシアも中国も)世界中が資源国化してきてアメリカは相対的資源利用大国に過ぎなくなって来ました。

政府と国民4(2項対立2)

2項対立論者は、何かあると国民が困ると見るか、政府や与党=抑圧者だけが困るだけと見るかの2択視点を前提としていて、不祥事や災難が起きるとこれを喝采する方が正しいか困ったことだと思うかによってどちらの側かの区別をしようとするものです。
社会実態はもっと複雑多義であると思う国民が圧倒的多数でしょう。
熊本地震当初ミノモンタ氏のように根拠なく政府批判的アタマごなしの論調(現地応援の政府高官による弁当差し入れ希望のツイッター批判など)が頭出しされていましたが、昨日あたりの報道では政府の対応をプラス評価する意見が多かった世論調査結果が出ています。
ミノモンタ氏のツイッター炎上に関して、政府批判の揚げ足とりに精を出すよりは先ず助け合うことが必要だろうと書いておきましたが、ネット世論発達で、マスコミによる一方的な政府タタキが出来なくなって来た様子・・2項対立論を煽るよりは一丸となった同胞救済が先と言う意見の方が多かったようです。
万年単位で人智が遅れているアメリカ人が乱暴な2択基準を持ち込んで教育強制したために、この70年間世社会を2項対立でしか判断出来ない人材がアメリカのトラの威を借りたマスコミを筆頭にエリートとしてのさばっていたに過ぎません。
今日の風情・・春めいた気分とか初夏らしい空気などにあわせてどのような装いが良いか、どのような色柄が良いか迷っているときに「今日は春か夏かどちらかだ!」「晴れるか雨か」と言う基準で早く決めろよ!と夫に言われると黙ってしまうしかありません・・。
黙っている人(女性・・サイレンとマジョリテイー)はモノゴトの基準が分らないのではなく、大雑把な基準しか分らないテーマ設定者を議論にならないとバカにしているだけです。
単純化・・ミノモンタ氏流に良く考えもせずに一刀両断的に発言する人がもてはやされて来た)に適している戦後エリートを基礎的人材源とする革新系・・民主党政権時代にいわゆる二者択一的判断・・(曖昧模糊とした主張が許されない)吊るし上げ・人民裁判的「事業仕分け」が同政権の目玉だったことがその本質を如実に物語っています。
2項対立的仕分けによれば、政府が何のためにあるのか犯罪摘発は国民のため必要なのか、政府に抑圧・搾取されている国民反抗抑圧のための「摘発組織」としてあるかのテーマとなり、政府をフランス革命前の抑圧組織として理解しているグループは政府統計処理などの充実に対して、何でも反対に傾き易くなります。
テロや災害のない平和安心社会を望む庶民はこれに必要な装置・・プライバシーとの比較の上で街灯設置数が多く街路や公園が明るい方が良いし、防犯カメラ設置場所が多い方が有り難い・・ひいては仮名取引などの不透明社会を望みません。
引っ越せばそのとおり住民登録するし、自分の行動を秘密にしたいと思う人は少ないでしょうからいろんなデータ化に協力的・寛容→アングラ系が跋扈しない社会を望みますが、2項対立図式・・秩序は人民抑圧のためにあるとするグル−プでは現在日本を現在中国社会そのものと見ていて、政府と人民は対立関係にあるべき・・・現に対立していると理解しているように見えます。
社会を権力に連なる階層と非抑圧者の2種類に単純化してみる・・現実の日本を見ずに数千年単位で遅れている中国社会と同視しているからです。
日本社会は昔から(フランス革命よりもずっと前から)、そんな単純な社会ではありません。
食中毒事件1つ例にとってみても、庶民が安心して外食出来なくなる点では社会の信頼関係破壊ですし、地震災害、交通機関混乱や爆破テロもすべて政府権力者が困るだけではなく国民も等しく困るので避けるべき・・事前情報収集体制の整備を求めます。
情報収拾・・預金残高の動きが政府に分っても自分が何も悪いことしたくなければ少しも困りません。
ちなみに、マイナンバ−制度や防犯カメラ、航空機搭乗者者名簿、ホテル宿泊名簿も同様で伝染性疾患患者が出た場合その足取りを調べるためなど必要性があれば調査するだけであって、近所の人が、自分の行動を自由に知ることと同じではありません。
隣近所の人に一々自分の行動を知られたくないのと、統計処理とプライバシー保護とは直接関係ありません。
マスコミが大量データ漏洩を如何にもプライバシー侵害のように宣伝しますが、業者は自分が個人的に知っている友人知人のデータを欲しくって情報を買うのではありません。
漏洩したビッグデータを各種業者は更に加工して成人式直前の女性だけの名簿とか化粧品購入層など需要に応じてダイレクトメール業者に売るのが普通で、商品販売業者(例えば資生堂)でさえその名簿を入手する必要がない・・ダイレクト業者に何万人分として発注するだけでしょう。
このように漏洩名簿は専門業者ごとに加工されて行き、抽象化されて行くのが普通で、隣近所の知り合いが隣の人の情報を欲しくてこれを入手するなど滅多にあり得ない仕組み・・マスコミが喧伝しているようなプライバシイー侵害リスクに直結しないのが原則です。

政府と国民3(2項対立1)

日本列島では縄文の昔から上下の一体感・・犬まで一緒に葬る同胞意識が強い社会ですし、西洋の革命によって生まれた民主主義・人道主義以前から日本では民意重視・・すべての生き物・環境重視社会です。
西洋の学問を学んだ文化人は飽くまで政府と国民の対立図式・・地主と農奴・労働者と資本家・男性と女性・敵か味方か白か黒か人とそれ以外と言う2項対立図式を有り難がる傾向があります。
世の中「晴か雨、暑い寒い・・」ばかりではなくいろんな天候があるし白黒の外にいろんな色合いがあります。
キリスト教・イスラム教的善悪二元論は数千年〜万年単位で遅れた社会で通用する・・人間の一生で言えば小中学生レベルの単純価値観ではないでしょうか?
自我に目覚めて何でも口に出して主張するのが進んだ人間と賞讃される価値観も、小中学生レベルを前提にすれば、自分の意見を持てるようになって良かったと言うオヤの目から見れば賞讃すべきことですし、子供から言えば誇りでしょう。
近代西洋で発達した2項対立図式(この程度までが理解能力の限度)によれば、犯罪摘発・・秩序確立は政府を利するだけのことだし、国民を監視するための情報収集に協力するのは、まっぴら御免・・通信の秘密・プライバシーその他表現の自由など人権重視となると嬉しくなってそのサジ加減の必要性が分らないし、「生き物を大切にしなければならない」と習ったことを自慢したくなって「捕鯨反対」と短絡化して行くのは民度レベルから当然です。  
フランス革命で権力と人権の二項対立を習うと、この基準でしか考える能力がない人は日本人レベルで言えば、小学高学年レベルの人と言えるでしょう。
日本は繰り返すように縄文の昔から・・複雑多様な自然の移ろいを肌で感じて表現して来たように、(「春か夏か!と言う観念で決めるのではなく、その日の風情で微妙に着るものや床の間に活けるハナや掛け軸を変えて行く社会です)いろんな価値観を総合判断して行く社会でしたから、2項対立→「今日は春か夏か」の区別程度しか分らない人はムラの寄り合いでマトモな意見を言えずに黙っているしかない人材でした。
万年単位で人智が遅れているアメリカ人が乱暴な(言わば原始社会基準の)二択基準を持ち込んで強制したために、この70年間世間を2項対立でしか判断出来ない低レベル人材がアメリカと言うトラの威を借りてエリートとしてのさばっていたに過ぎません。
今日の空模様で何を着ていこうか、どのような色柄が良いか迷っているときに「今日は春か夏かどちらかだ!」「晴れるか雨か」と言う基準を出されると黙ってしまうしかありません・・。
黙っている人はモノゴトの基準が分らないのではなく、大雑把な基準しか分らない設問者をバカにしているだけです。
多くの女性は出掛けるのを急かす男性に対して「はいはい」と答えていますが、「どうせ男性には分りはしない」と言う気持ちであって男性が優れていると思う女性は皆無でしょう。
子育ても「厳しいか寛容か」などの単純価値観ではうまく行きません・・母親の重層的価値観でこそ学業や友人関係について行けない子供が何とか育つのです。
単純化に適している戦後エリートを基礎的人材源とする革新系・・民主党政権時代にいわゆる二者択一的判断・・微妙な反論を許さない「事業仕分け」が同政権の目玉だったことがその本質を如実に物語っています。
菅直人氏が総理現役時に自衛隊を「暴力装置」と表明したのも、人命救助側面を見たくない・・抑圧組織としか見られない限界を示しています。
2項対立的仕分けによれば、政府が何のためにあるのか・・・国民のためか搾取するための道具としてあるのか?
社会秩序は国民のためにあるのか?犯罪摘発は政府に抑圧・搾取されている国民反抗抑圧のための「摘発組織」としてあるかがテーマとなります。
そして革新系文化人にとっては、日本政府を「自分たちの政府」ではなく、フランス革命前の人民抑圧組織として理解し敵視していることになります。
公害・環境問題や核実験反対も、抑圧組織と決めている日米政府や企業に反対するが、解放組織である中ソの実験や公害出しっ放しには全く問題にしない矛盾行為に平気な理由です。
敵か味方かを基準に「戦略的に?』判断するのではなく、人類全体のために環境をどうするかの高度な視点にまで脳構造が追いついていないのでしょうか。

政府と国民(信用破壊工作)2

彼ら人民と対立する日本政府を想定し外国勢力占領を渇望する立場からすれば、時代に応じて政府が新たな情報活用すること・・防犯カメラ、マイナンバー・統計処理その他政府が正確な情報を得ること全てイヤ・・秩序が乱れている方が政府による国民抑圧効率が悪くなるのは良いことですし、抑圧されている人民を助けるために外国が攻めて来易いから政府のためになりそうなことは全て反対と言う気持ちも分ります。
しかし、今のシリアのようにあまりにも内部が乱れてしまうと占領政治も出来なくなるので、もしかして・・無政府主義者になるのでしょうか?
犯罪=政府秩序破壊行為ですから、反政府組織(無政府主義者)にとっては、泥棒であれ何であれ、秩序破壊に役立つ行為・・データを不明瞭にすることを奨励する立場になるのでしょう。
英国流の汚いやり方(海賊行為でスペインを挑発して遂に覇権を握ったのは周知のとおり)を学んだサツマ藩は、幕末江戸の秩序撹乱を狙って、テロ行為を実行しました。
幕末薩摩藩は正規職員を撤退させて、その空き屋敷に得体の知れない素浪人を引き入れて押し込み強盗その他犯罪者の巣窟になっていた・・幕府支配下の治安破壊を目的にしていた小説を子供の頃に読んだ記憶です。
追っ手に追われた強盗集団(子供の頃に読んだ物語では益満休之助がサツマ藩のテロ組織の親玉だったように記憶していますし、人斬り以蔵はサツマ藩出身ではありませんが、殺し屋として知られています)が・・治外法権を利用して薩摩屋敷に逃げ込むと追っ手は、手も足も出なかったことを想起しても良いでしょう。
(桂小五郎も京の薩摩屋敷に逃げ込んで難を逃れた逸話があります)
うろ覚えですので、念のため・・以下は益満休之助に関するウイキペデイアの記載です。

薩摩国鹿児島高麗町生まれ。薩摩藩の尊王攘夷派として、江戸で活動する。万延元年(1860年)には清河八郎が結成した虎尾の会に名を連ねる。慶応3年(1867年)末、西郷隆盛の密命を帯びて伊牟田尚平らとともに江戸へ赴き、江戸薩摩藩邸を本拠として約500名の浪人を集め、江戸市内を意図的に混乱させる工作をした(江戸薩摩藩邸の焼討事件)。その狙いは、幕府の施政を妨害し、挙兵させ、それによって江戸を中心とした関東地区を撹乱することで、民衆の不満を煽り、尊皇攘夷の大義名分を得て、新政府実現へのきっかけとすることにあった。
果たして、狙い通りに江戸取締役を務めていた庄内藩軍を主力とする幕府軍が江戸薩摩藩邸を襲撃、この知らせが大坂城に至り、会津藩及び桑名藩を刺激し、鳥羽・伏見の戦いが勃発した。のち、幕府方により逮捕され処刑される直前に勝海舟によって身請け・幽閉された[1]。

岡田以蔵に関するウイキペデイアの記述は以下のとおりです。

土佐勤王党が王政復古運動に尽力する傍ら、平井収二郎ら勤王党同志と共に土佐藩下目付の井上佐市郎の暗殺に参加。 また薩長他藩の同志たちと共に、安政の大獄で尊王攘夷派の弾圧に関与した者達などに、天誅と称して集団制裁を加える。 越後出身の本間精一郎、森孫六・大川原重蔵・渡辺金三・上田助之丞などの京都町奉行の役人や与力、長野主膳(安政の大獄を指揮した)の愛人・村山加寿江の子・多田帯刀などがこの標的にされた(村山加寿江は橋に縛りつけられ生き晒しにされた)。 このため後世「人斬り以蔵」と称され、薩摩藩の田中新兵衛と共に恐れられ、同時代の史料では同志から「天誅の名人」と呼ばれていた。なお一般的に「幕末の四大人斬り」と呼ばれる者達はみな、後年の創作物によって「人斬り」の名が定着したものである。

鳥羽伏見の役は薩摩屋敷を基地とするテロ挑発に我慢し切れなくなった庄内藩兵が治外法権の薩摩屋敷を襲撃するに至り、小御所会議のクーデターで京を退かされた無念の会桑+新撰組連合軍が・・俺たちも・・と兵を挙げてしまったことに始まります。
言わばイギリスの海賊行為に業を煮やして無敵艦隊を派遣したスペイン同様の経緯です。
薩長を中心とする勤王派(今で言えば、2世紀前の近代法の原理を掲げる時代錯誤)によるテロ行為・・秩序破壊行為が目に余って来て、奉行所制度・・みんなが権威に従っていてタマに間違った人しか事件を起こさない前提)では手に余って来たので、江戸市中警備のために庄内藩が警備役に就任して兵力を駐留する事態になっていました。
一般には京の治安維持には所司代だけでは間に合わなくなって来て会津藩の軍隊が駐留したことが知られていますが、徳川お膝元の江戸市中でさえ治安警察が必要になっていたのです。
会津藩軍兵への進駐でも、テロには正規軍や対応不向きなので非正規組織である新撰組が組織されました。
明治政府成立によって新撰組が悪役化されて描かれていますが、先に治安悪化を狙った暗殺組織や強盗集団を組織して挑発したのは薩長の方であり、新撰組や見回り組はその防衛組織として始まったものです。
現在は、東京時代・・まだ明治時代の延長ですが、その影響がなくなると新撰組や会津藩に光が当たる時期が来ると2004年09/09「勝てば官軍」1(薩長閥と戦後政治家の変遷)」に書いたことがあります。

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