コーポレートガバナンス2

セブンイレブン騒動は、成長企業から安定・停滞企業への踊り場にさしかかった・・「今後は仮に現状維持=年数%の縮小路線でも良いから安定の方が良い」とすれば多数で決めるやり方に切り替えたことは正しいことになります。
鈴木氏は創業家の同意を得られなかったことを辞意表明の大きな理由にしているところをみると、そこに創業家・伊藤氏の判断の重み・・もうこの程度の成長で打ち止めで良いから今後は安定軌道に乗せてくれと言う意向が働いたのでしょうか?
今後セブンイレブンが今まで通りたゆまぬ新機軸を打ち出すのか、守りに入るのか次第で今回騒動の本当の意味が分かって来るでしょう。
躍進型企業の場合、トップである孫正義氏や永守重信氏からの新規事業提案に根本から反対かどうかを「部下である」取締役らの多数決で決める現行のコーポレートガバナンス方式では無理があります。
(企業買収を含めて)の提案があった場合,取締役らは提案自体に反対せずに、提案を実行する前提でミスがないように手堅くチェックするための機関・・「こう言う問題がないでしょうか?」と言う質問をするくらいが関の山であって、(オ!良い点に気が付いてくれたその点の調査を君がしてくれ」と言う前向きのやり取りが普通です。
マスコミ的評価では、取締役(財務や労務あるいは法務に詳しい人など・・)多数が反対するのが「ガバナンスの勝利」と言うのでしょうか?
彼らは新規事業の発展性について意見を期待されて取締役になっているのではなく、財務系取締役は財務的にその事業にはどの程度資金が必要で当社資金力は・・・などと言う説明・・増資か社債発行か、その場合の損得など・・法務担当は、進出先の法務事情の説明・・公取委の審査機関にどのくらいなどそれぞれ分野別能力発揮を要請されているのが普通です。
セブンイレブンはなお発展を続けて来たことは衆目の認めるところでしょうが、躍進中企業でも安定企業向けのコーポレートガバナンスが機能した事例の1つとしてマスコミが賞讃しているのでしょうか。
企業不祥事が起きる都度、監視機能が機能していないことを理由として監査役会制度や◯◯委員会制度を設けたり、「屋上屋を重ねる」社外取締役制度を設けさせたりと弥縫策に必死ですが、根本には西洋の近代価値観・・各種制度のほころびの一種であって基本的に無理があるように見えます。
西欧型民主義・・西欧の価値観が実態に合っていない点・・矛盾が一杯あって中東地域の反抗の現れが、テロの頻発や難民発生等の根本原因であると書いてきましたが、会社法のコンプライアンス論もその一つのような気がします。
(西欧で発達した)「近代法の原理を守れ」と言うお決まりの政治運動に対しては繰り返し批判してきました。
近代法の原理は三権分立に始まり人間性を邪なものと前提して牽制監視しあう仕組みですが、それではどこまで監視を強化しても不正会計等を防げませんから、無理があるでしょう。
マイナンバー制度に限らずも、どんな厳重な防護策もこれを破る能力のある人間は必ず出ます。
厳重な防御システムを作れる人が100〜1000人いれば、このシステムを理解出来る同等レベルの人(ハッカー)がその何倍・・相当数いるのが普通だからです。
会計不祥事がある都度、帳簿監査の公認会計士の数をいくら増やしても、同等レベルの人にとってはその裏をかいくぐるのは容易です。
三権分立の権力構造に限らずいろんな猜疑心で成り立っている近代法原理をもう一度見直す必要があるでしょう。権力に限らずいろんな猜疑心で成り立っている近代法原理をもう一度見直す必要があるでしょう。
我が国の企業や友人関係をみれば分りますが、従業員が忠実でしかも不正をしないと言う信頼で成り立っています。
不祥事が起きるとあの人が「まさかそんなことをするとは思わなかった」・と言うのが普通です。
そして(近代法の原理によれば)「信用していた私(被害者)が馬鹿だったのですね!」となりますが、我が国古代からの法原理によれば、信用していた人がバカだったのではなく「信用を悪用」した人が(長期信用を重んじる我が国では、信用を毀損した方がその何倍も損するのですから)本当の「バカ」なのです。
「まさか神社に罰当たりなことをするとは思わなかった」立ち入り禁止の立て札すら不要・・結界だけで充分と思っていた人が馬鹿なのではなく、結界を破る方が大バカと言うの我が国の法原理です。

コーポレートガバナンス1(成長企業と安定企業の違い)

セブンイレブンの騒動は任期満了を待ったと言うのですから、皇帝などを途中廃帝にするのとはちょっとちがいます。
不正や大失敗がない限り任期満了→再任拒否出来ないのでは、前例のない分野にリスクをとって踏み出すべきトップの選任・解任方法としては逆に非合理・・と言う余地もあります。
これまでトヨタの奥田氏抜擢やフロントで奥田氏の弟を海外子会社から抜擢して本社社長にした例・・あるいは日航再建での京セラ社長の抜擢、徳川将軍家での吉宗の抜擢などを見れば、総べて本体危機時の緊急登板です。
セブンイレブンの場合、最高益更新中の社長再任拒否らしいですから・・緊急性がない点が支持を集められなかったことになります。
鈴木氏とすれば経営者は4〜5年先どころか10年先を見なければならない・・今のうちに手を打つべきと言う危機感でしょうが、(昨日書いたように会長の影響力を保持したいために漸く慣れて来た現社長をコケにしているのではないかと言う疑念もあるし)実績主義に慣れた普通の人の理解を得るのは困難だったでしょう。
会長制の是非・・どちらが正しいかの実質論を離れて再任拒否の手続論に戻ります。
いわゆるカリスマが10人も集まった場合、4〜5先あるいは10年先のために手を打つべきテーマを多数決で決めるのも良いでしょうが、1つの組織にはカリスマは一人しか要りません。
トヨタの奥田氏など例を書きましたが個性のある人は子会社に飛ばされるのが普通です・・「船頭多くして船山に上る」と言うように、本部で角付き合っていると企業が前に進みませんから本部運営から外しておくのは良いことです。
イザというときのピンチヒッター要員としてあまり本部の目の届かない自由度の高い海外子会社などで温存し、その人がのびのびと個性発揮させておくのが合理的です。
上記によれば、本部・・側近として残っている取締役は必然的にカリスマの言うとおりに実行する能力が高いが、それしか出来ない取締役が一般的になっています。
日本電産の永守重信氏やソフトバンクの孫正義氏、鈴木自動車の鈴木治氏などなどを見ればすぐに分りますが、彼らは取締役多数の決めたことを実行しているだけとは到底思えません。。
ユニクロでも次期社長にバトンタッチましたがうまく行かずに柳内氏が復帰しましたが、トップ次第で業績が大きく変わる事実はトップが取締役会の合議の結果・・ありふれた意見を集約して企業運営しているのではなく、取締役会は逆にトップの指示を受けて前向き検討機関になっていることを如実に表しています。昨日あたりにユニクロの柳内氏が昨年からの値上げ方針が間違っていたことを率直に認めていますが、トップ主導で決めて行くからこそ、自己責任を率直に言えるのです。
実績主義で上がって来たあるいは本部に生き残って来た実質的部下が、カリスマ経営者の提案を多数決で否決するのは背理です。
すなわち、トップが方針を決めて役員会はその遂行機関(追認)であることが実態であり,この方が実際に合理的であることを示しています。
ところで法的には社長は取締役会の選任→意見で動くモノであって社長の方が下位機関ですが、実際には上記のとおり指示待ち・・イエスマンのそろった取締役多数の言うとおりにしていたら何も進みませんので、トップ人事が株相場の上下に影響を与えているのです。
自治会などの団体のトップは、構成員の意向や世の中の流れにあまり遅れずに従っていれば良いのですが、(いつお花見会を開くか敬老会でどう言う引き出物を用意するかなど・・大方の意向に従った決議が妥当です)企業は先ずトップのリーダーシップで前に進まない限りジリ貧です。
企業は世間のトレンドがマスコミで報道されてからそんなに遅れずに設備投資したり社員訓練をしていたのでは、ドンドンジリ貧になって行きます。
鈴木自動車の鈴木治氏や孫正義氏,日本電産の永守氏,シャープ買収を決めた台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)董事長らのカリスマ的経営者にそれぞれの取締役会の多数意見が、彼らに値上げ方針などを指示命令する姿を誰が想像出来るでしょうか?
大方の・・無難な意見を代弁する取締役会決議に従って社長が動くのは停滞・老舗企業に任せて、新興成長企業は、社長・トップの指導力に従うしかない・・コーポレートガバナンスも老舗・ジリ貧企業と新興・個人企業とでは違ったルールであるべきです。
国家的にみても、新興国では開発独裁政治が能率がいいことが知られています。
国家の場合には国民の人権的側面が重要ですが、企業の場合、取締役の人権?とは何でしょうか?
マスコミや学者がみているのは、創業期から続く成長企業から停滞企業に脱皮?した大手企業の方が多いでしょうから、安定成長型企業を前提とするコーポレートガバナンスをマスコミが「唯一正しい道」と宣伝しているように見えますが、社会には一定の躍進企業・・高成長企業が生まれて来ないとその社会の活力がなくなって行きます。
無謀とも言えるニトリ創業者の例やアイリスオーヤマの大躍進の例などみても、(大方の常識的意見に従っていたのでは出来なかった)創業者の創意工夫で躍進を続けて来たことが明らかです。
現在唱えられているコーポレートガバナンスは、(マスコミはセブンイレブン騒動をガバナンスが機能した事例と応援するニュアンスですが・・)誰も気が付かないような新たな投資をして成功すれば成果は大きいものの失敗すれば大変なことになる・・失敗して大きな損失を出すリスクよりは,儲けが少ないが確かな効果のある他社追随型投資・世間のトレンドに少しでも早く乗る程度の投資しかしない現状維持で大過なく役職定年まで勤める人たちのために安住の地を作る政策です。
「養子」(サラリーマン社長)が家を守る経営的発想・・先走って失敗しない・早耳で先行企業について行く・・後追い政策で行って年数%ずつ縮小の方が企業が長持ちするものですが、これでは社会の活力が奪われてしまいます。
マスコミ(多くはサラリーマン)はこのような自己保身的サラリーマン社長の立場を代弁していると思われますが、もっと成長したい企業にとってはマスコミ・(せいぜい早耳程度)識者の言うコーポレートガバナンスは、成長阻害のためにあるようなものです。

人材登用3(後継選定と取り消し1)

中国では、・・玄宗皇帝は安史の乱で避難している間に子供が即位して(天に何とかなしと言いますから、責任をとって退位させられたのでしょう・・)乱を平定したので、引退になってしまいました。
普通は日本のように自発的隠退がなく死亡後に後継が即位するので日本の上皇制度みたいなものがありませんが、その代わり子供が小さいときに皇帝が死亡して豪腕の皇后がいるときには皇太后の垂簾政治(我が国の場合、光明皇后の紫微中台のようなもの)が始まります。
これをやってみて思うように行かないと任期途中のクビ・・いわゆる「廃帝」「小帝」となるのですが、皇帝には任期がないので、正に現役の皇帝をどう言う法的根拠か知れませんが母親が息子・あるいは甥などの皇帝位を奪ってしまうやり方ですから・・一種のクーデターかな?
中宗を廃位しその弟の李旦(睿宗)にして更に自分が即位した則天武后あるいは、清朝末期の垂簾政治の西太后によって光緒帝が逮捕幽閉された戊戌の政変など悪妻の代表のように悪く言われますが、要は想定外に後継者が駄目だった・・眼鏡違いの場合に起きることです。
則天武后の場合自分が権力を奪取する手段だったかも知れませんが・・。
ちなみに中国で政権を揺るがす大事件はいつも皇太后の専横事件(前漢の高祖死亡後には呂氏の専横がありスンでのところで政権が呂氏に移るところまで行きました)ですが、日本では光明皇后の紫微中台の1件のみで終わってこの経験を活かして?上皇制度が出来ましたが、中国でこれが繰り返されるのは、皇帝が実力のあるうちに隠居して上皇になり後見をする院政制・社会すべての分野で「隠居」制度が発達しなかったことによるものです。
現共産政権で初めて任期制が出来ましたが、蒋介石も終身総統だったように記憶していますし、北朝鮮では今でも死亡まで権力者のママ・・隠居や任期制がありません。
中国では、上記のとおり偶然豪腕のママンが出たときに出来の悪い皇帝(前回までに書いたよう世襲の場合、親子の年齢差を如何ともし難い・・普通は経験豊富な側近の言うままになるかないことになります)を超法規的に?小帝とか廃帝とか言う途中失脚させて行き周辺の宦官を一掃するしかない・・皇太后が豪腕でないときには宦官等側近の操り人形になって行くしかない宿命です。
ところで後継については候補者と言う資格では実際の能力を見られないので、自分の元気なうちに試運転させて様子を見たいのが普通で合理的です。
サウジアラビアでは皇太子が実務を仕切っているような報道ですからサウジだけはなく元々イスラム諸国ではそうだったのかも知れません。
日本では源氏が子供をあちこちに派遣してそれぞれの地で勢力を扶植し実力を蓄えるやり方であったことを、09/18/04(2004年です)「源平争乱の意義4(平家の武士としての役割1・・・貴種であるだけ?)」前後で紹介したことがあります・・有名人では保元の乱で活躍した鎮西八郎為朝、平治の乱での悪源太義平などです。
(源氏各流が各地に独立して根をはったことが、(義仲の父が悪源太善平に打たれ、頼朝→義経、足利と新田など)源氏同士の争いが歴史上目立つ原因です。)
一旦次期社長として公表しあるいは現社長にするとある程度新社長・後継者に対する新たな取り巻き・支持者も増えていますので、一旦皇帝や社長にしてしまった場合・資格剥奪の難しさ・・秀吉による関白秀次の処刑も同じで体制弱体化のもとです。
ですから余程のことがないと途中で皇太子など公表した後継者を変更しない・・皇太子に冊立されると余程のことがない限り一応安泰になります。
セブンイレブンの騒動に戻りますと、交代決議反対論者も本音では現社長を社長の器として疑問を持っていても、混乱を防ぐために自発的退任を待つべきで強制的交代決議までするのはやめようと言う程度の反対者が何人かいたかも知れません。
そう言う人にとっては鈴木氏による一切の役職からの退陣表明は想定外だった可能性があります。
こうしてみると鈴木敏文氏としては全役員に対して自分をとるのか現社長をとるのかギリギリの選択を迫っていて負けたことになります。
話題を人材登用の難しさに戻しますと、ユニクロもそうでしたがいろんな企業で後継者と見込んでバトンタッチしたらうまく行かないで元社長が復帰する事例が一杯あります。
・・いずれも結果が出てからの更迭でしたが、今回のセブンイレブンの騒動は結果が出る前の解任騒動である点が異例でしたが・・将来に責任を持つ者としては先に手を打ちたいと言うことでしょうか?
同じ船に船頭が二人も要りませんので、意見があわずに子会社に飛ばされている人を除いて本社に残っている取締役は、一般的に気の利いたイエスマンが普通です。
・・大きな方向に反対しないで「その方向はすごく良いと思いますが、こう言うリスクがないか、念のため調査してみる必要があります」と言う程度の手堅い提案が得意です・・。
そつなく上司に合わせて出世して来た実績主義の人にとっては「失敗の実績が出ていないのに将来失敗すると言う見込みだけで解任するのはおかしい」と言う意見・・外部委員の意見が流布すると・・これがマスコミ界の主流でしょう・・こう言うタイプの人は大勢に従う結果になりがちです。
ただ今回は任期満了を待ったと言うのですから、そこがちょっとちがいます。
不正や大失敗がない限り任期満了→再任拒否出来ないのでは、前例のない分野にリスクをとって踏み出すべきトップの選任・解任方法としては逆に非合理・・と言う余地もあります。
これまでトヨタの奥田氏抜擢やフロントで奥田氏の弟を海外子会社から抜擢して本社社長にした例・・あるいは日航の再建での京セラ社長の抜擢、徳川将軍家での吉宗の抜擢などを見れば、総べて本体危機時の緊急登板です。
セブンイレブンの場合、最高益更新中の社長再任拒否らしいですから・・緊急性がない点が支持を集められなかったことになります。
鈴木氏とすれば経営者は4〜5年先どころか10年先を見なければならない・・今のうちに手を打つべきと言う危機感でしょうが、(昨日書いたように会長の影響力を保持したいために漸く慣れて来た現社長をコケにしているのではないかと言う疑念もあるし)実績主義に慣れた普通の人の理解を得るのは困難だったでしょう。

人材登用2(院政→会長)

多くの企業では「ひ弱な?新社長を後見する」ために会長制度を設けているのですが、世襲ではない大手企業の場合、イエスマンばかり引き立ててその筆頭を指名するから必要な制度になっている疑いがあります。
大手企業の会長制度は、自分がいつまでも影響力を保持したいと言う私心がある場合が多い・・このためにイエスマンを後継にする傾向がある点では、原則として悪しき制度です。
セブンイレブンの人事騒動では、鈴木会長が「この7年間の新機軸は皆自分の発案によるもので現社長の発案によるものは何もない」と主張しているようですが、それが真実としても自分がまだ陣頭指揮したいならば隠退しないで、社長をやっていればよかったことです。
世襲でない以上は親子のような年齢差はないので実力を見極めて選任したのでしょうから、隠退した以上は任せてみればよかったでしょう。
社長の器か否かを多数決で決めるべきでないにしても、鈴木会長の言い分にもおかしな点があるので世間一般に受入れられないような印象が残るのかも知れません。
そのうち、大手企業で社長が会長になること自体が、「品性が疑われる」社会常識になっていくでしょう。
大手企業の雇われ社長は本来終身ではない・辞めるべき任期があるのに、任期以降も影響力を残すためにイエスマンを後継指名するのは任期制の潜脱です。
プーチンがイエスマン・・メドベージェフ氏を1期だけ大統領にして任期制を潜脱したことがありますが、それに似たようなことを会長制は制度化したものです。
世襲を前提とする時代の院政や信長、家康の隠居の場合、折角確保した政権を盤石にしたい・・息子の地位を早く確立しておきたいと言う(世襲が公理のような時代・環境・・ 現在でも個人的零細企業では)合理的意図によります。
歴史家は院政を悪く言うのが普通ですが、世襲制の場合本来任期がなく終身ですが自分が元気なうちに次世代に少しでも経験を積ませておきたいから早めに隠退するのは、後継育成策として合理性があるのでイチガイに批判出来ません。
終身制の場合に子供に早めに地位を譲るオヤは、元々余裕を持って存続出来る権力を子供のために自発的に自分の権限を狭めて任期を短くするものです。
どちらかと言えば権力の盤石なときに今のうちに子供に譲っておくと言うスタンスですから、自分の権力を少しでも引き延ばそうとする現在の会長のいじましさとは逆です。
江戸時代の隠居制度・世襲制の利点を書いたことがありますが、息子が後を継ぐ前提で早めに隠居して息子に早くお城勤めの経験をさせてやりたい親心です。
合理主義の信長だって権力最盛期に家督を信忠に譲って経験させようとしていますし、秀吉が関白職を秀次に譲り、家康が秀忠に将軍職を譲ったのも関ヶ原で勝った後の最盛期です。
吉宗以降も徳川将軍家では、将軍を隠退した「大御所」制度が行われていました。
最近では何年か前に大王製紙の後継者の大失敗や昨年あたりの大塚家具の父娘の大騒動(武田信玄のように息子の方が成功する場合)があります。
千葉県の政治家の例で言えば、(国会乱闘で勇名を馳せた)浜コー(浜田幸一衆議院元予算委員長?)であれ皆自分の元気なうちに地盤を早めに継がせたいのが親心であり合理的です。
ちなみに浜コーの場合後継に成功しています。
成功している場合歴史に残るほど有名にならないだけです。
権力者が自分の元気で余力のあるうちに後継者育成に心がけるのは(院政を敷くことが目的になって来た保元平治の頃になると本末転倒・・保元の乱は崇徳上皇が院政を敷けない仕組みにされたことに恨みを持ったことが天皇家内の争いの原因でした・・こうして「院政=悪」と言う図式が出来上がっているのですが本来は子供が一人前になるまで面倒みる親心が悪いことではありません)必要なことであって、悪しき因習と言うモノではありません。
今は院政の代わりにどこでも、会長と言う役職がありますが天皇家同様に世襲を前提とする個人企業の場合一定の合理性があります。
私の3〜40年来の創業者・依頼者(・・中小企業)も高齢化して多くはまだ自分の威光の届くうちにと言うことで、60代後半ころから70台に掛けて息子を社長にして自分が会長になっているのが普通です。
社長をやらせてみるとオヤの目に叶わないことが多く、元社長から時々相談を受けることがありますが、息子は一人しかいないので他人に変える訳にも行かないと言う愚痴で終わるのが普通です。
折角創業して一応の企業に育て上げたのに会社が駄目になってしまうくらいなら他人(何十年来の信用出来る社員)に委ねたいと言う元社長も中にはいますが・・本心かどうか不明なので糟糠の妻の意見はどうかなどと聞いていますが・・。
息子をクビにする・・その後の息子夫婦の生活をどうするかなどの詰めをしていないと話がややこしくなるからです。
息子に任せていると仮に5〜10年先に倒産必至と言う場合にその前に転職させておいて普通の職人・・他所で食えるようにしてやる方が良いかと言う選択肢がありますが、そこまでの覚悟がない親が普通です。
本来子供を育てている途中でその子が経営者に向いているかどうかが20台になる前に分る筈ですから、早めに見切りを付けて後を継がせない・・能力相応の勤め人にしておくのがオヤの務めです。
社長にしておいて50台になってからやめさせるのでは、子供もその後の人生をどうしてよいか分らないで困るでしょう。
大塚家具もセブンイレブンもその意味で高齢者の方が負けて、隠退する方が落ち着きが良いことが確かです。

人材登用(社長の器2)

ところで、社長業はやらせてみないと分らないと言う世間常識は社長お気に入りの候補(多くはイエスマンです)を側近から選ぶことを前提にしているから「やらせてみないと実践能力が分らない」のであって、トヨタの奥田碩氏はフィリッピンかどこかの子会社に飛ばされていた人材と言うことでしたし、その弟で松坂屋と阪急の合併会社の「何とかフロント」の社長・・最近日経新聞「私の履歴書」が出ていましたが、本流から外れて海外などの子会社で実績を挙げて来た候補者を選定すれば試運転が要りません。
幕府で言えば紀伊徳川家から選んだ吉宗のような事例です。
その前も綱吉が館林城主、その次が甲府城主など経営の実績を元にいわゆる親政を布いています。
親から子への直系相続の場合、年齢差が大きく経験がないので海千山千の長老に囲まれると「良きに計らえ」となって結局人形になってしまいます。
藤原氏の地位が確固たるモノにになって行くのは藤原4兄弟〜北家南家等の競り合いがあって勢力伸長したモノですし、道長の場合も兄弟間の競り合いを最後に制した・・戦国時代の最後を飾った家康のようなものでその後直系世襲になると凋落して行きます。
徳川幕府も吉宗以降は直系相続にせずに傍系相続にしてどこかの藩政で成功している藩主を次期将軍につけるようなステムにしておけばよかった気がします。
その後の直系将軍は名ばかりで、マトモな政治が出来ない・・藩政経験のある松平定信などに実権が移って行ったのは仕方のないことです。
幕末最後の将軍(一橋)慶喜は直系ではない=成人していたし頭が切れたにしても、幕閣で家柄(御三卿の一橋家に養子に入りました)を背景に発言力があっただけ、小さな藩すらも経営したことがない・・実戦・・実務経験がなかったのが弱点でした。
ちなみに水戸徳川家で観念論が幅を利かしていたのは、参勤交代が許されず江戸に常駐する特殊な縛り(江戸定府義務→毎日登城しなければならない旗本同様の身分)があったから、国許での経営実務経験がないこと(平安時代の遥任の官のような立場)によるのかも知れません。
戦国大名のママの島津その他大名家では、家臣団も先祖伝来の自分の領地と直結したままですから、お城から帰れば農業をやる半農半士・・大身の場合自分の領地経営がありましたが、幕府旗本は房総半島の領地へ生涯に1〜2度行くか行かないか・・自分で領地経営したこともないのが普通で御家人同様の実質給料取り・・平家の公達みたいでした。
これが幕末・・国家緊急事態に足腰の弱った旗本が活躍出来なかった原因ですし、明治維新は下級武士・・生活に根ざしていた武士階級が担った原因でした。
慶喜の政治力に戻しますと、実践能力の裏付けがないところで発言力の後ろ盾である将軍職・権威喪失=大政奉還してみるとたちまち小御所会議で、してやられてあっという間に(大政奉還から小御所会議までの期間はホンのわずかでした)朝敵に追いやられてしまいました。
今回のセブンイレブンの再任拒否騒動を見ると、自分が元気なうちに後継者を天皇に早く着けて自分が上皇になって後見・睨みを利かせる・・自分が元気である以上次世代がまだ若く未熟・・結果的に上皇が権勢を振るった時代に戻ったような印象です。
ただし、セブンイレブンは元は内需型企業で国内で大成功してるだけであって、トヨタのような世界展開企業ではありませんでした。
・消費系は、元々内需型で満足していたので、海外展開を始めるようになって年数が浅く、元気印を海外子会社で武者修行させておくような余裕のある組織になっていないからかも知れません。
ただ、海外子会社から呼び戻すようなことは、危急存亡時限定であって、日常的業務としてはカリスマ経営者=船頭は2人要らないので普通の業績順調企業の場合、後継者としてイエスマンを指名するのが普通です。
そうである以上は、やらせてみると創造力に乏しいのは当然であって、鈴木氏の現社長への不満は、無い物ねだりの可能性あります。
まだ自分が現役のうちに隠退して影響力を行使するのは、世襲制の場合には概ね次期後継者が(親子の年齢差は大きい)若いので創業乱世を生き抜いて来たオヤの目から見て頼りない状態だからです。
オヤとしては自分が周囲に文句を言わせない力のあるうちに未熟な息子に実践経験させて試運転させてやりたいと言う親心から出ていることが多く・・それなりに合理性があります。
院政の先駆事例と思われる光明皇后の紫微中台(今で言う大宮御所ですが、後の院宣のような「紫微令」を発したことで光明子は前天皇ではないけれども事実上院政(院宣)の始まりではないか(今まで読んだ限りではそう言う意見が見つかりませんが・・)と私は思っています。
光明皇后が夫の聖武天皇の尻を叩いて事実上朝廷を牛耳っていたすごいやり手であったことは争いのないところですが、娘の孝謙天皇だったかがあまり頼りないから、目を光らせるために紫微中台を創設していたと見るべきでしょう。
少年事件で見ると、子供がしっかりしないからオヤが良い歳になった息子に一々小言を言う・・子供がうっとうしくなるのと似ています。
目を光らせていた光明皇后死亡後には、孝謙女帝は皇統を断絶させるかと言う日本史上空前絶後の大事件・・弓削の道鏡による天皇位簒奪未遂事件・・宇佐八幡の神託事件を起こしていますので、やはり元々しっかりしていなかったのでしょう。

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