高浜原発停止と司法権の限界1

原発事故の被害想定が過大であったかどうかは別として、そもそも国民の信任を受けない司法が、どの程度の確率の安全ならば良いかについて最終決定権があるのでしょうか?
地震予知は科学的合理性では不明の状態にある・・現在科学では何年も前から具体的な地震予知が出来ないことが世界の常識です。
100%確かではない事柄は世の中に有り余るほどありますが、それでも日々何かを決めて行くしかないのが現実社会です・・。
企業で言えば、設備投資リスクや企業買収や、国外工場進出のリスク不明でも一定の情報でやるかやらないかを決断するしかないのですが、その代わり失敗すれば決断したトップが責任をとるしかないのが政治責任と言うものです。
原発安全基準もどの程度の地震がいつ来るか全く不明なので、原発設置するべきか否かも工場進出同様の政治決断しかない分野です。
政治が決めた決定基準・・その道のプロ集団がしている安全基準や適合性判断を司法権が否定するのは憲法違反行為です。
革新系は頻りに政治運動で負けると憲法違反を叫びますが、本来政治で決めるべきことを司法で決めるべきだと裁判を仕掛けること自体が憲法違反を(ガードの甘い裁判官が一定割合でいるでしょうから、)誘発するための運動になります。
権限外の判断をして憲法違反するのは担当裁判官であって、仕掛ける弁護士の責任ではないとしても、しょっ中仕掛ければタマにドジな裁判官に引っかかると言う意味で違反を誘発する方にも相応の道義責任があります。
国家にとって重大な事柄を、本筋の訴訟手続でない簡易な仮処分で決めるとなれば、二重に権限逸脱の可能性があります。
上記のとおり慎重審理の本案訴訟の結果決めても司法の範囲外・・権限外の疑いがある上に、軽易迅速を旨とする仮処分手続で決定をするには慎重審理する時間を待てないほどの巨大な被害が起きることプラス緊急性認定が必要です。

民事保全法(平成元年十二月二十二日法律第九十一号)
(申立て及び疎明)
第十三条  保全命令の申立ては、その趣旨並びに保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を明らかにして、これをしなければならない。
2  保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。

上記保全の必要性がこれにあたります。
保全の必要性とは本格的訴訟手続による判決を待てないほどの緊急性と被害の大きさの掛け算です。
これまで被害想定の重要性を書いてきました・・・・昨日伊方原発再稼働にはコストがかかり過ぎるので断念するとのニュースが出ていましたが、過大に被害想定すると対策費用がこれに比例します・・産業を活かすも殺すもコスト次第・被害想定次第であることが明らかにされたと思います。
以下事案の緊急性認定に関心を移して行きます。
判例時報などで決定文が活字化するのは約半年後ですので、まだ決定理由を見ていませんので詳細不明ですが・・。
どこかネットに出ているかも知れませんが、私は仕事の合間にこのコラムを思いつきで書いているのでまだ見る暇がありません・・判例時報に出れば仕事の一環として読むヒマがあります。
高浜原発のある地元福井地裁の停止決定が(同地裁の別の部か高裁だったか記憶していませんが)最終的に否定されているのに、もっと遠い隣県の大津地裁の方が危険・・本案訴訟の結果を待てないほどの緊急性があると言う決定になったのが不思議です。
(ただし決定の違いが危険性の差であるとした場合です・・)
28年3月11日に医療事故のミス認定判断との比較で書きましたが、実害が起きた後の医療ミス判断は、いわゆる「後講釈」ですからそれほど難しくないし、司法判断に馴染まないとは思いません。
交通事故や予防接種などを見ても分るように、事故が起きた以上は余程のことがないと、過失なしと言う判決を受けるのは難しいことも国民が納得しています・・。
実際に死亡事故など実害が起きている場合、相応の補償か賠償して補填すべき必要性もあります。
しかし,事故が起きる前に道路交通法の基準・・あるいは建築基準法の基準・・飲食で言えば保健衛生基準等々が緩過ぎるかどうかの合理性を事故前に司法が判定して良いか・・しかも他の批判を許さないかのような即時効(仮処分)を認めて良いかは別問題です。
数学の公理のようにはっきりしている分野では専門家が最終決定する仕組みで良いのですが、上記のとおり専門家でも地震予知不可能である以上は最終的に政治が決めるべきです

民主党政権の体質と諫早矛盾裁判の両立2

諫早水門開閉に関する司法判断の矛盾は、以下の通り菅総理が周囲の反対を押しきって(ウイキペデイアの解説によると)「私が決めたことだ」と最高裁への上告をさせなかったことによります。
矛盾関係をそのまま放置するのは市民運動家出身総理の面目躍如と言うべきです。
親子劇場専用ホール設置署名運動の例を書きましたが、ガラガラのホールを作っていつでも安く借りられれば便利かも知れませんが、「赤字を誰が負担するか」と言う他方の視点を無視するのが市民運動家です。
以下法務省(訟務部)の主張?解説です。
http://www.moj.go.jp/shoumu/shoumukouhou/shoumu01_00050.html
訴訟の現状及び国側の主張
開門派漁業者らが,潮受堤防の締切りによる漁業被害を訴えた佐賀開門訴訟において,福岡高裁は,平成22年12月6日,国に対し,潮受堤防に設置された排水門の開門を命じました(「判決確定日から3年以内に,防災上やむを得ない場合を除き,5年間にわたって開門せよ」という旨の主文)。この判決に対し,国 が上告をしなかったため,この判決が確定することとなりました。
そして,開門派漁業者らは,この福岡高裁確定判決に基づき,平成25年12月,強制執行(間接強制)の申立てをしました。これに対し,国は,対策工事がで きていない状況では,開門すれば営農者らや住民らに被害が生じるため,開門を強制することはできないなどと主張して争いましたが,平成27年1月22日, 最高裁は,国による抗告を棄却し,「開門しない場合,1日45万円(1人につき1日当たり1万円)を支払え」という間接強制決定が確定しました(その 後,1日90万円(1人につき1日当たり2万円)に増額変更がされ,この判断も最高裁で確定しています。)
他方,開門反対派営農者らは,国に対し,開門した場合には被害が生じるなどとして,開門の差止めを求める訴えを提起し,長崎地裁は,平成25年11月12日,国に対し,開門の差止めを命じる仮処分決定をしました。
これにより,国は,福岡高裁確定判決に基づく開門義務と,長崎地裁仮処分決定に基づく開門禁止義務の相反する義務を負うことになりました。
さらに,開門反対派営農者らは,長崎地裁仮処分決定に基づき,保全執行の申立てをし,平成27年1月22日,「開門した場合,1日49万円を支払え」という間接強制決定が最高裁で確定しました(これについても,現在,長崎地裁に対し,間接強制金の増額変更の申立てがされています。)。
このように,現在,国としては,開門してもしなくても間接強制金の支払を強制されるという状況に置かれています。」

以下はウイキペデイアの記事です
https://ja.wikipedia.org

菅直人の上告見送り
菅直人はかねてより自民党が推進していた本事業を「無駄な公共事業」として強く批判しており[1]、政権を取る前にも市民運動家やTVカメラを伴って水門を訪れて水門をただちに開けるように要求するなどの行動を行っていた[1]。2009年9月民主党政権が誕生すると、民主党の検討委員会が「開門調査を行うことが適当」という見解を2010年4月にまとめた。2010年12月15日、内閣総理大臣に就任していた菅は、福岡高等裁判所の判決について上告を断念すると表明した[1][8]。これに対して長崎県中村法道知事は「国営事業として進められたのに一切相談・報告がなく、報道で初めて聞いた。大変遺憾だ」[1]として不快感を示した[9]。政府内でも福岡高裁判決はあまりにも一方的であるとして上告する意見が大勢であった[1]。諫早市市長の宮本明雄(当時)や仙谷由人官房長官(当時)や鹿野道彦農水相(当時)が菅を説得しようとしたが[1]、菅は「私が決断したことだ」と意見を変えず高裁判決を確定させた[1]。長崎県知事・諫早市市長・雲仙市長・地元商工団体、農業関係者は連名で菅に23項目の抗議の質問状を提出した[10]。

高浜原発で言えば、福井地裁と大津地裁で矛盾する仮処分が出た場合、(諫早訴訟と違って直ちに矛盾する訳ではありませんが・・論点次第です)最高裁までやっておけば結論が統一されます。
衆議院選挙無効訴訟の場合で言えば、ある高裁で無効判決が出た場合国が控訴しないで確定させて、その他の高裁で有効となった場合選挙の有効性が矛盾し、収拾がつかなくなります・・そこでそれぞれの高裁事件について上告して最高裁の統一見解を求めるのが責任ある立場です。
菅総理は敢えてこれを拒否してしまった結果、収拾のつかない状態に追いやってしまいました。
この後で政治と司法の関係を書いて行きますが、政治は無限に存在する時間軸・平面軸の利害(矛盾対立)を調整して統合して行く仕事であり、現在社会では民意・市場こそが神の手であると言う思想が支配的・・民主政体優位の時代です。
そして多様な利害調整は民意吸収の専門家である政治家→国家意思で行なうことになっています。
司法権はそう言う場ではない憲法の作り付けであるのに、政治の場で民意吸収・支持に負けた勢力が、政治の場外乱闘目的・・司法の場に戦いを移したことが矛盾判断の確定をさせてしまったと原因です。
司法は主体性がなく訴えのある限度しか裁判出来ない仕組みですから、仕掛ける方の支持者・内通者?がタマタマ政権交代で国側のトップになっていたときに、ある裁判所で国に不利な判決が出たときに客観資料の明白な読み間違いがあって上訴すれば明白に国が勝ちそうなときに、国の敗訴を確定させるために政権トップの判断で直ちにやめてしまえば、別の裁判所で逆の判決が出ても(・・その間に政権を失っても・)矛盾状態を維持出来ます。
ある会社が次期社長の息子相手に横領事件の裁判をしたときに裁判所の資料読み間違いで、間違って息子が勝ったときに、(福井地裁の仮処分は新聞報道によれば決定書き引用自体が専門家の意見を誤解しているミスがあったと言う報道がありました)控訴すればほぼ100%逆転出来る資料があるときに、次期社長になった親が控訴をやめさせたようなもので、一種の背任行為です。
このように政治は時間軸での一貫性やA県とB県あるいは、国際政治と矛盾しない(「少なくとも県外」の一貫性)等の統一性が要請されますが、政治が司法に頼ると矛盾状態が起きる「制度的保障がある)原因になります。
民主党政権は(諫早事件では開門派が最高裁では負けると分って?)敢えてこう言う選択をしたことになります。
総理が(党利党略の観点のみで)こう言うことをしたとすれば、国家運営責任者の自覚があったのでしょうか?
この後で書きますが大津地裁原発停止の仮処分決定も、高裁では負けると思ってすぐに控訴出来ない仮処分決定手続に敢えて?した(・・その間停止状態になることを狙った)疑いがないかをこの後で書いて行きます。
ここでは過大被害想定運動が原発反対運動や原発操業停止仮処分を発令する伏線として利用されている点を書くのが目的で、失政をどうするかのテーマではないので、この点は仮処分制度のテーマが終わった後に回します。

民主党政権の体質と諫早矛盾裁判の両立1

ここでは、民主党政治批判が目的ではありませんが、被害や対立を煽るだけ煽る政治やマスコミは何のためにやって来たかの視点で書いています。
沖縄の普天間基地移転問題は、騒音等の周辺住民被害解決のために,先ず大騒ぎがあって騒音や事故被害縮小のために一部海上移転の解決策が決まったものですが、そうすると今度は海の生物がどうのと言う反対運動が起き、それが解決すると「少なくとも県外へ」と言う実現不能な提案になりました。
この矛盾が露呈してやはり辺野古への移転が次善の策となると、今度は沖縄だけが本土の犠牲になっている・・沖縄知事が国連で民族自決権が無視されていることを訴えるなど沖縄県民は日本人ではないことを前提にした主張が始まり、中国が画策する沖縄の日本からの分離独立に繋げる公式発言をするようになってきました。
この過程の時間稼ぎとして司法闘争が始まったことになります。
(司法が政治の上位になるような司法権運用の合憲性・・政治と司法の憲法上の関係は後に書きます)
こうなって来ると基地被害を大きく訴えるのは(本質は反日でその防壁になっている)反米運動のための言いがかりでしかなく、民族分裂・・対立を煽り、「揉めさせることが目的」だったかのような印象を受けます。
被害は出来るだけ大きく主張した方が良いと言うスタンスは、被害者救済目的ではなく産業妨害・民族内対立を煽るには被害を誇張して主張すればその内に加害者も怒り出す・・対立激化させる意図によっていたことが分ります。
(放射能被害過大宣伝に応じて大仰に逃げた人との間で、地元民同士でも軋轢・不信感が生じています)
一般政治批判さえ許されない中国の支配下ないし従属化すれば、基地問題がなくなるのか?・・基地反対運動など全く出来ないから基地問題はなくなると言えますが、・・住民無視・蹂躙されるのが目に見えているのに基地被害を理由にする反政府運動で、中国の支援を当てにする運動を始めたのですから噴飯ものです。
民主党やマスコミの被害者救済運動は、昭和時代に中ソの公害や核実験を問題にしないでアメリカの核実験や日本企業の公害ばかり反対していた文化人の系譜を引いているようです。
沖縄を日本民族から切り離す運動を見ると「そこまで来たか!」と恐れる向きがありますが、逆に本音を出さざる得ないほど反日運動家に対する支持がなくなって来た・追いつめられて来たので外部勢力に頼る・・国連活動を始めたとも見られます。
(NGOを使って外部勢力を引き込む問題点は昨年末以来中断していますが、この後で書く予定です)
沖縄基地問題を騒いでいる勢力の本音が出て来たところで、沖縄県民がどちらをとるか・・彼らの煽動にのるか、沖縄県人の本音を本土の人がじっと見守っている状況になってきました。
一旦中国寄り意識・・どっち付かずの態度あるいは独立志向を明らかにした後で日本の方が有利となってすり寄って来ても、韓国に対する日本人の冷めてしまった気持ち同様に、(イザとなれば、信用出来ない民族として)千年の溝を作ってしまう分かれ道です。
沖縄県民が韓国レベルの智恵か本当に日本民族として残るに足る智恵があるかの見せ所です。
壱岐・対馬は元寇のときに現地住民は圧倒的勢力で攻め寄せた元軍に屈しなかった点で日本人は同一民族としての意識を更に高めています。
従来「何でも反対の社会党」と言われていましたが、民主党政権も何でも実現不能に持って行く・・国の政策停滞・・何も出来ない状態・・政府の弱体化を目的にして来たことが明らかになりました。
参院衆院のねじれ現象で何も決められない状態の「継続」こそは民主党の理想的政体だったでしょう。
あちこちで実現不可能なことを言っていた民主党が衆院で多数になってしまい、(同時性と継続性の両面で)一貫したことをするしかなくなるとどうして良いか分らなくなったのではないでしょうか。
政治の停滞・・何も決めない,しない・・させないことを目的にした政党が、政権獲得を目指すこと自体矛盾でした。
諫早干拓訴訟の結果、現出した矛盾状態の根源は民主党政権の目指していた開門方針・開門請求訴訟・・高裁勝訴判決(政府敗訴)が最高裁で負けそうな予想(政府勝訴予想)によって、敢えて従来政府方針との継続性を無視して上告せずに確定させてしまい・最高裁判断を回避したことが原因です。
政権交代したら何をしても良いのではなく、政権交代は政府の内部組織の問題に過ぎず、トップの方針が変わったとしても、政府自体は同一組織ですから継続性が必要です。
企業で言えば分り易いですが、社長が替わったからと言って前社長の決めた契約や約束を反古にすることは出来ません。
方針変更については、これまでの支援者と利害調整した上で和解すべきでしたが、姑息な手段・・一見裁判結果を尊重するかのような形式でありながら、実質は最高裁の判断を仰ぐのを拒否した・・菅総理が奇策を弄したことが矛盾した裁判所判断が確定してしまった原因です。
明日、法務省説明とウイキペデイア説明を紹介します。

原発被害想定基準9(過大想定=人災の背景)

規制→特定産業従事者だけの損害ではなく、生活禁止の制限を受ける地域住民も被害を受ける→巨額原油輸入のコスト負担する国民一般・・ひいては原子力産業消滅(東芝苦境の遠因にもなっていると思われます)→将来の国防不安を兼ねます。
過大規制による被害・・原発に頼る地域経済の壊滅や広域避難命令による生活破壊が、一般(地域)住民〜周辺県→国民一般に直接目に見えるように拡大されたことによって、被害推定が大きければ大っkきい程よいと言う安易な基準ではなく、公平・合理的に決める必要があると分ってきたと思われます。
それまではフッ素規制で書いたように各種規制は、特定業者の損害だけだったので、一般国民は自分に関係のない他人事ごと・・厳しければ厳しい程自分にはよいことだと他者への配慮を欠いた安易・無責任に考えて来たに過ぎません。
一種のいじめられっ子探し同様で、国民の方はいじめっ子の権力を握った「自分がマスコミの標的にさえされなければ良い」と言う自己中心思想にならされてしまい、一方的洪水報道がのさばってしまったと思われます。
マスコミによる国民教育効果の恐ろしさです。
マスコミ・・週刊誌は次々と苛める対象を見つけると集中砲火を浴びせる・・原発事故と慰安婦騒動が世界規模になったところで・・国民全部がいじめられっ子になったところで、限界を露呈したように思われます。
ただし、被害想定基準設定はマスコミの影響を受けたとは言え,当時の国民の信任を受けた政治が決めたもの→「自己中心・・・社会全般への影響を無視することが良いことだ」と無責任思想を煽る政権を選んだ結果ですから、国民の自己責任でもあります。
マスコミと思想的一体化している民主党政権の場合、沖縄普天間基地問題迷走の原因を作った「少なくとも県外へ」と言う一方の立場だけの主張・・あるいはヤンバダムの中止決定と継続への方針転換など見れば分るように、全ての分野で多様な利害を有する当事者の存在を視野に一切入れていなかったことが分ります。
被害があれば「可哀相」と言う視点ばかりで加害者に対する過大請求・・必要以上の苦痛を与える運動になっていた基礎です。
事業仕分け時に公開された議論の粗雑さを見れば分かりますが、多様な意見を吸収する気持ちがない・一種のつるし上げ政治で、党が決めた一方の立場だけ推進し、矛盾調整努力を始めから問題にしないのが民主党政権でした。
利害調整の必要性を無視した一方的主張・・全体的政策整合性を無視する・・その場限りの政策が基本で収拾がつかなくなったことが直ぐに判明しましたが・・利害調整を一切しない政治家って、そもそも政治と言えるのかの疑問があります。
元々専制権力とはそう言うもので、専制権力の意向による不利益を受ける方は完全無視し、天安門事件を見れば分るように抵抗すれば戦車で踏みつぶして平然としているような政体です。
天安門事件は国際的評判が悪かったので、最近では戦車出動をやめて・・秘密警察の活用・香港まで出向いて本土へ連れ去るなど思想統制に精出しています。
民主党政権は、政権党になった以上は全国の統治をする必要がある・ある県で都合の良いことを言っておいて、他方の県で矛盾主張するような使い分けは許されません。
民主党は利害調整の重要性に重きを置いていない政党・・一方の主張だけで政治をすることが政権担当してすぐに国民に分りました。
その象徴的事件として諫早の水門開閉に関する無責任な対応を紹介しておきます。
諫早の水門を巡る2つの矛盾する裁判所の判断が両立するようになったのも、民主党政権が従来の政府意見を変えるならば、(政権が変わっても組織として連続性があります)従来の支援者に対する十分な説明をして和解に持ち込むべきであったし、裁判所判断に従うならば、上告して最高裁の判断を求めるしかなかった筈です。
控訴しない→形式的には裁判所の判断を尊重する振りをしながら,結果的に最高裁の判断を避けた姑息なやり方が収拾のつかない矛盾状態にしてしまったのです。
政治と言うものは、利害対立・・矛盾関係を止揚してより良い解決を目指す努力をするべきものですが、民主党は「これを一切しない・・する能力がないと言うのでは失礼かも知れません。
実は能力はある・・バカなのではなく、意図的に日本民族が国際進歩に伍して行くの妨害し、内部的には一方的主張することによって、民族内対立を煽る・・一体感破壊目的で運動している高等戦術だと解した方が合理的な感じです。
水門を「開けろ」と言う判決と「開けるな」と言う両立出来ない現実がどうなるかですが、この矛盾の結果、国は開けることも閉めることもできません・・他方で「◯◯するまで一日いくらの賠償金を払え」と言う付随命令(間接強制)がついているので、地元対立と国の賠償金支払だけが続く変な解決?を目指していたことが分ります。
これでは地元対立を半永久的に放置する・・煽りっぱなしになって、諫早の干拓事業をどのように解決するべきかの国民的展望がたちません。
対立を止揚した解決ならば地元の対立も収まり「雨降って地固まる」平和な社会になりますが、対立を煽りっぱなし・・日々賠償金をとられっぱなしでは・却ってしこりが長引きます。
乱暴な改革は良くない・・漸進的改革が日本民族の世界に誇る智恵ですが、それと矛盾した意見を煽るだけ煽って、相手の傷口に延々と塩を刷り込むような状態を固定するのとはちがいます。

原発被害想定基準8(人災と事故被害3)

今になると民主党政権が世界の科学基準を無視して、何のために(立ち退き強制する範囲を広げ過ぎる)無茶に厳しい基準を決めたのか謎です。
この非常識に厳しい基準設定によって多くの原発被害者?が生じていることが明らかです。
仮に政府の決めた許容放射能許容基準が子供の場合には合理的であるとした場合でも、1ミリシーベルト基準超でどの程度の身体被害を想定したかの検証も必要です。
例えば1ミリシーベルト越えで20年後に足の先がかゆくなる程度か、虫歯になり易いのか、内蔵がどうなるのか、生命の危険があるかなどによって避難程度が変わってきます。
足がかゆくなったり虫歯になり易い程度ならば、自宅を棄てて遠くへ避難したい人はいないでしょう。
数十年後にもしかして命に別状があるとしても、60〜70歳を越えた人にとってはどうせその頃には何らかの病気で死ぬので、その間住み慣れた自宅で好きな仕事していた方が良いと言う人の方が多いでしょう。
「1ミリの場合と2ミリシーベルトの被曝の場合の違い、「2ミリシーベルト超では何年後にこの程度の病気や障害になります」「1ミリシーベルト超では何年後にこの程度の症状」とその違いを開示すれば、「じゃあ1ミリシーベルトの地域まで逃げるか」と人それぞれに避難すべき距離の判断も出来ます。
これまで書いて来たように(私の理解によれば)元々放射能被害があるかどうかすら分っていないのに被害を過大に強調するために過大な規制をしたから、5年経過後の今でも合理的基準がどうであるか発表出来ないないままになっていると想定されます。
まして放射能被曝蓄積・・数十年後の放射能蓄積は中高年齢者には、関係がない・・ある程度生活にマイナスがあるにしても避難するマイナスの方が大き過ぎなかったかの検証が必須です。
昨日書いたように、(原爆そのものの直截被害は明らかですが・・)広島,長崎のデータを見る限り、その後の放射能被曝の実害が未だにはっきりしていません。
福島の場合、現地に残して来た牛は現地の草を食べて水をのみ・・マスコミ宣伝どおりとすれば、内部被曝も激しい筈ですが、今になって生き証人?として検査しても内部被曝がどうやら解消している・・蓄積する一方ではないらしいことが分ってきました。
https://motion-gallery.net/projects/hibaku-ushi
2015年9月現在、旧警戒区域の中には700頭あまりの被ばく牛が生きています。伝染する口蹄疫とは違い、近寄っても何の影響もありません。現在は国 は、殺処分に応じない農家に対し、圏外には持ち出さない、出荷させない、繁殖はさせないという条件で生かすことをやっと容認しました。研究者の手によっ て、被ばくした牛であっても3か月間から半年間、きれいな水と汚染されていない餌を食べ続けることで、体内の放射性物質(セシウム)は95%以上排出さ れ、その肉は国の安全基準である100ベクレル/kgを大きく下回ることがデータとして検証されました。・・」

この点はマスコミにとっては面白くない事実なので、無視のようです。
100歩譲って、かりに放射能汚染の実害があるとした場合を考えてみましょう。
たとえば、80歳の人が、このまま放置するともしかすると20年後には半身不随になるかもしれないと医学的に分って場合でも・・今手術すると死亡確率が6〜7割と言う場合に、今から命がけの手術する人がいるでしょうか?
まして放射能被曝の実害がまるで分っていないのに7〜8〜90台の高齢者や重病人等いつ死ぬか不明の病人まで、強制避難させたのは「暴挙」としか良いようのない失政です。
茨城と福島県境界付近居住の私の学生時代の趣味のクラブの後輩からの通信によると、透析をしていたらしいですが、こう言う患者にとって透析すべき病院が避難してしまうなど、避難生活によるマイナスの方が大きい印象です。
民主党政権が事前予測するには時間がなかったとかいろんな事情があるしょうが、5年経過した今では客観的調査が可能ですから、本当は避難の必要がなかった人が何人でその内何人が避難したために死亡したのかなどデータ化・・検証作業するべきです。
「被害想定は過大であればあるほど良い」と言う(規制される方の権利を無視する)偏った人権派の主張が、今回被害想定を過大にすると規制による被害を受ける立場が一般国民に広がったことによって冷静に見る必要が意識されるようになった筈です。
原発被害を強調したい現地住民が、その結果自分自身が規制を受ける方に回る皮肉・・に目覚めたでしょう。
自分さえ良ければ良いと言う戦後はびこった「自己中心の」矛盾が明らかになったのが原発被害想定です。

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