観念論の非妥当性・・たとえば、金利動向で・あるいは消費税率変更で誰が損をし得をするか・・法人税軽減や特定分野の補助金や税の減免は、法の下の平等に反するかなど全て憲法問題ですが、その実態把握と必要性判断には人がどのように行動するか・・経済全体に及ぼす影響の大きさを実務を知らない哲学者や憲法学者の意見を参考にしようと言う(バカな)人は今では皆無に近いでしょう。
経済その他分野ごとの実務家・業界団体や専門家の意見・・加工食品・外食を軽減率から除外すると、外食産業→サービス業の盛衰にも係わり、ひいてはサービス業従事者のの多い低所得層の職場がどうなるか・・消費経済で成り立っている先進国経済がどうなるかなど、モノゴトには具体的な意見が必要ですから、抽象論しか知らない憲法学者の出番がないと考えるのが常識です。
「弱者にしわ寄せするな」と言う単純スローガンだけで解決出来るものではありません。
観念論の意義に戻りますと、「殺生するな」と言う理念しか知らずに具体的政治をしようとすれば、実務との整合がとれなくて、その結果綱吉の「生類憐みの令」になってしまいました。
赤穂浪士の裁定で荻生徂徠が意見を述べたことが有名ですが、儒学者=哲学者が具体的事件の裁定にどう言う効能を発揮出来たのかと言うところです。
次に論客となった新井白石は、中国古典の原理論を展開し、「貨幣改鋳は悪」(今で言えば異次元金融緩和政策の効果を無視した「悪」と発想に繋がるでしょうう・・。)言う政策を展開し国民は困りました。
観念論は単純なので分りよい・・「駄目なものは駄目」と言う元社会党党首の土井たか子氏のスローガンが有名になりました・新井白石の政治に国民が困りましたし、国民は原理論者に懲り懲りした経験を経て、享保の改革・・吉宗の実務家重視政治に移行して現在に至っています。
最近では、沖縄の基地移転先を「少なくとも県外に!と言う実務無視の民主党の公約が有名です。
実現可能性のない公約に乗る県民のレベルもレベルです。
夫婦別姓問題や非嫡出子の相続権なども憲法学者が議論するよりは、非嫡出子の比率その他の統計的情報、家事問題の専門家や実務をやっている弁護士等の意見の方が合理的です。
尊厳死や臓器移植の問題もその道のプロの意見が合理的ですし、憲法学者だからと言って現場の実情を知らないで何を言えるのか理解不能です。
表現の自由で言えば、猥褻性が争われたチャタレー事件でも、憲法の勉強さえしていれば、文学作品の価値やどの程度の性描写を猥褻と言うべきかの基準が分るものではありません。
通信傍受も通信の秘密・・憲法学者よりは、通信の秘密を何故必要とするようになったかの歴史の造詣が重要ですし、現在の通信技術の専門家・・権力の暴走をどうやって防止出来るかなど・・やテロ対策の専門家の意見が有用でしょう。
秘密保護法も先進諸外国で制定されているのですから、諸外国でどう言う人権侵害が起きているのか、起きていないとした場合、どう言う歯止めがあるのかなどその道の専門家の報告等に基づく地道な議論が必須です。
観念的に近代法の原理違反と言うだけでは、意味不明であることを書いてきました。
共謀罪も刑事訴訟の専門家やテロ対策専門家の意見が必須です。
いろんな分野の議論の蓄積結果・分野ごとの法律が出来上がっているし、その集大成の社会総意の思想的宣言が憲法になっているのであって、各論を知らない総花的憲法学者ってどう言う存在意義があるのか不明です。
せいぜい過去のスローガンを知っていると言う歴史学者的意味しかない・・今後の日本はどうあるべきかの意見を述べる場合、(欧米ではこうだと言う留学経験を述べるだけで自慢になる時代なら意味があったでしょうが・・)世界最先端社会になっている我が国で実務をやっている人よりも(欧米に詳しい?と言うだけで)優れた意見があるとは思えません。
学生の頃にすごく気に入っていた言葉に「無用の用」言う熟語がありますが、今や我が国の憲法学は役に立たないだけではなく、社会に害を及ぼす傾向があることから、今や老害並みの学問分野ではないかと思われます。
ところで憲法内容が不都合ならば、「憲法改正をすれば良いじゃないか」と言う意見が最もらしく提唱されています。
憲法改正はそんなに簡単に出来るでしょうか?
憲法改正論が戦後レジームに対する挑戦として、メリカが反対していなくとも、・・例えば普通の国内問題・・夫婦別姓問題でも、誰かえらい人がこれが良いと言って、イキナリ変更するようなものではありません。
何十年もの議論の経過で社会意識=憲法意識が変化して行く・・これこそが、先進社会における憲法改正のありようです。