憲法学は独立の学問と言えるかどうかすら、(政治学の一分野?あるいは各法律の一分野?)怪しいと思う人が増えているでしょう。
戦後アメリカがアメリカ製の憲法を強制する必要から「憲法学者」と言うアメリカ思想の伝道師を養成してこれが戦後ハバを利かしていたに過ぎないように思えます。
アメリカとしては日本占領時にアメリカが意図するように日本の法制度を完成するのは無理があるので、社会価値の基本である民法改正や農地解放あるいは教育勅語など、大急ぎで旧価値観解体を急ぎましたが、これを国民一般に浸透させるためにてっぺんの憲法学者の養成・・非武装論者や教育界の改造に取り組んで来たように見えます。
この尖兵・伝道者・・宣教師としての憲法学者や教員が養成されたのです。
・・如何に日本民族が劣っているかの教育に精出していましたし、(日本人は中学生レベルと言う有名な宣伝がでたのもこのころです)体型まで日本人の醜さはホッテントット人並みと言うマスコミ報道が・・昭和30年代後半私の高校生だったか大学生だったかの頃にはやっていました。
兎も角てっぺんの憲法からアメリカ式価値観を植え付けて行く方法として先ずは、憲法学者と言う宣教師を養成したように見えます。
朝鮮戦争が始まり、米ソ冷戦が激化して日本を自分の軍事力に組み込む必要が出て来ると、アメリカの意向で?日本の再軍備が始まり、憲法9条との矛盾を解決するために「統治行為論」が必要になって来ると、純粋培養した憲法学者や日教組が非武装論・・憲法9条をたてに中国ソ連寄りの行動をするようになって来て(左派の砦になってしまった)アメリカにとっても邪魔になってきました。
この辺はソ連抵抗勢力としてアフガンで養成したテロ組織・アルカイダグループが、ソ連崩壊後アメリカでテロをするようになったのと同じで、アメリカが力を入れて養成していた日教組と憲法学者が反米組織として最後の砦になって、残ってしまった印象です。
民法その他実務に根ざした法学系は、殆ど英米法の影響を受けませんでした。
実際日本社会の方がアメリカよりも進んだ社会ですから、数千年単位で遅れているアメリカモデルが日本社会に浸透出来る筈がありません・・・次第に日本の実態に根ざした学問になって行ったのと比較すると観念論に終始出来る憲法論や社会から遊離した観念に固まっていても子供の教育と関係がない・・小中学生はモンク言えない・・強制ですから、私立に行かない限り父兄に教師の選択権がないことから、日教組に根強く残ったのは偶然ではありません。
この後で書くように最近相次いでいる家事関係の憲法違反の最高裁判決の内容を見ると・・社会実態の変動に基づく実質的な憲法改正ですが・・これを主導して来たのは、憲法学者ではなく実務家の社会実態変動を基礎にした粘り強い運動が実を結んでいるものです。
以下(長くなり過ぎるので引用は20日のコラムになります)で非嫡出子相続分差別に対する違憲判決の詳細を紹介します。
これによると戦後の長い間の社会実態の変化やこれに合わせた戸籍規定の変更・・政府による改正案作成の経過などによる緩慢な?周辺整備の進捗具合、あるいは、過去の合憲判決の中身の変遷等を丹念に跡づけた結果、遅くとも平成◯◯年ころには、(それまでは合憲であったが)非嫡出子差別が許容されない社会意識になったと言う認定・・これによるとその時期を期して憲法が変更されたことになる・・判決ですので、煩を厭わずにお読み下さい。
要は我が国は何事も丁寧に・・観念論だけ決めるようなイキナリ乱暴なことをしない・・社会実態変化に即して修正して行く社会であることを知るべきです。
韓国では、先進国で良いとなれば、国情を無視して大幅改正していく乱暴な社会ですが・・後進国は製造設備なども一足飛びに最新技術の向上を誘致出来ますが、・・法と言うものが国民意識の上に成立していると言う意識がまだ成立していない・・エリートと庶民の意識格差が激しい・・庶民は黙って従えば良いという意識社会だから出来ることです。
憲法は国民のための憲法であり、異民族が押し付けるべきものではないと言う原理論から言えば、社会実態が数十年単位で変わって行くのに合わせて憲法解釈も徐々に変わって行くべきです。
そうなると憲法はドラスチックな憲法改正によるのではなく、判例変更に委ねるのが、合理的で国民投票による憲法改正と言う荒療治をやるのは革命的動乱時に限る(・・アラブ諸国のように数十年単位で社会が大混乱しますので・・結果的に数十年かけて徐々に運用を変えて行く方が合理的)べきでしょう。