特に尖閣諸島問題は、机上の空理空論のための議論ではなく、目の前に発生している現実に対応すべき必要性から見れば、数十年以上かかる憲法改正→アメリカの占領政治における憲法制定過程・ひいては東京裁判や日米戦争の根本否定に連なる議論に火をつける・・今でも右翼系は問題にしています・・ことになりかねないことですから、そうしたリスクを踏まえて決着をつけるには、アメリカの国際影響力の消長を見極めながら慎重に対応して行くしかないことが明らかです。
要は薄皮を剥ぐように徐々にやって行くしかない分野です。
この政治的決着を図ったのが有名な砂川事件最高裁判決で、既に、このコラムで紹介しましたが・・いわゆる「統治行為」理論でした。
高度な政治判断を要することについては、「司法権は介入しない」と言う原理を宣言したものです。
今このコラムの大改造中のため、過去の検索が出来ないので、判決文自体を紹介しておきましょう。
以下は同事件判決の一部抜粋です。
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件
昭和34年(あ)七710号
同12月16日大法廷判決
「・・・・ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となっている場合であると否とにかかわらないのである。」
上記のように高度な国際情勢判断を基礎にした政治判断の是非について、高度な政治判断をする訓練を受けていない司法権・・ひいては法律学者が最終決定するのは国益に反すると言う価値判断です。
集団自衛権に関する今夏の安保法制について、政府が既に憲法論は決着済みとして砂川事件判例を持ち出しているのは、この意味で正確であり正しい引用ですし、逆にこれを正確に報道しないで、憲法学者が狭い視野で言い募る視野狭窄的意見ばかり紹介しているマスコミの方が実態をねじ曲げています。
既に社会党でさえも認めているように政治的且つ憲法論としては、統治行為論によって、法律家が意見を言う権利がないことで決着されているのですから、この分野・・集団自衛権の可否に関する専門家の意見が必要とすれば、法律家ではなく、国際政治学者の専門分野ですが、何故かマスコミは国際政治専門家の意見をまるで報道しようとしませんでした。
政策ごとにその道の専門家の意見を参考にするのは合理的ですが、それでも経済学者等の意見そのもので決める必要はありません・・政治は参酌するだけでいいのです。
まして、その都度、憲法違反かどうかを先ず議論してその決着がつくまで金融政策や税制を決められないと言うのでは、何事も進みません。
例えば、金融政策に関しては、経済学者の意見を参考にするのが普通ですが、金利下げが庶民の財産権侵害になるかどうか・・消費税が弱者に影響が大きいから法の下の平等に反するかなど、憲法違反かどうかを憲法学者が議論して憲法学者の意見で決めていい訳がありません。
憲法学者は具体的政策の専門家ではありません。
政治の基本姿勢のあり方を哲学者や高層の意見を拝聴するのは有用かも知れませんが、具体的な政治の最高決定権を哲学者や高僧の判断に委ねるのは合理的ではありません。
テロ犯に銃で応戦したり、上陸して来る侵略軍を撃退するのは、殺生禁止に反するかと?高僧に聞いているようなものです。
まして憲法学者は、高僧等の知恵者の集まりではありません。
憲法学者は「もはや用済み」として国内で決着されている(空中論争をしていると現実の必要に間に合わないのが狙いです・・憲法論の決着まで何も出来ないのでは・・政策論争で負けている方が、結果的に何でも反対して時間引き延ばしに利用出来ますので「何でも反対」の社会党や左翼系文化人が憲法論が好きでしたが、社会党ですら自衛隊違憲論を変更していることを22日のコラムで紹介します)にも拘らず、今頃亡霊のように出て来て、「先ずは、憲法改正してからにしろ」と言う意見では目先に迫っている現実をどうするかの議論にはなりません。
憲法論争を先にすべきであると言う論争方式自体も、上記砂川事件の田中耕太郎長官の補足意見で批判されています。
集団自衛権に関する憲法論は、砂川事件で勝負がついていることの蒸し返しですし、こんなバカなことばかり今でも言っているので、憲法学者をどこでも相手にしなくなっているのです。
ソモソモ憲法学者って何でしょうか?