尖閣諸島問題は、自主防衛権があると言う時代になってからの領土要求ですから、強大な武力を持つ中国でも日本軍の抵抗を前提すると、安易に占領出来ないで現在に至っています。
李承晩ライン設定や竹島占領時に自主防衛出来ると言う国論・準備があれば、竹島占領はなかったことになります。
早くから、きちんと反論出来る状態であれば韓国の慰安婦問題も違った展開になっていたでしょうし、却って日韓関係がこんなに悪化しなかったでしょう。
韓国もロシアも占領してしまったものの、大して価値のない島の占領を自分の政権では解除出来ないために・・負の遺産のために今更日本と仲良く出来ずに、困っている状態です。
今となっては、ロシアも中韓も日本の高度技術による協力が欲しくてすりよって来ていますが、日本としては、北朝鮮やロシアに対しては、不法占領した島を返さない限り、拉致事件解決しないかぎり・・主犯の処罰・引き渡しのない限り仲良く出来ないと言う立場を堅持していれば良いことです。
韓国に対しては、竹島を返し、慰安婦像を撤去し、反日教育をやめない限り韓国を応援しないと言う嫌韓論・国論が一般化しています。
憲法のあり方に戻りますと、あらゆる人間にとって自分が殺されるような危害を受けても、自己防衛すら許されないと言う法制度があるとすれば、そんな法制度は人権侵害の極みであって、人権を重視する現在社会の法として合理的に認められる余地がありません。
命すら守る権利がないならば、どんな無理・非人道的要求でも聞かなければ簡単に殺されてしまうので、結局どんな要求でも聞くしかないと言う制度ですから、正に奴隷を法制度化したようなものになります。
アメリカは正に黒人に対して動物同様の扱いをして来たのですが、それの非人道性を国際社会に訴えていた日本民族を、「白人支配に楯突くけしからん民族だ・・懲らしめのために黒人同様の地位に貶めしよう」としていた可能性が濃厚です。
大分前に占領政策を紹介しましたが、アメリカはポツダム宣言に反して日本の産業を根こそぎ奪い、工業力としては鍋釜程度の身の回り品の生産以外は認めない・・当時存在していた各種工業機械を奪ってアジア諸国へ搬出を命じていました。
マスコミはアメリカの悪逆非道ぶりを抹殺するために戦後日本の飛行機生産禁止程度しか報道しませんが、全ての工業生産を禁止してしまい、純粋農業国・・江戸時代程度へ逆もどりすることを命じていたのです。
この政策と憲法条項を見れば、黒人奴隷の抵抗権を奪ってしまい動物のような扱いをして来た恐るべき政治と、植民地民族に近代産業を持たせない隷属化政策と、同じであることを知るべきです。
タマタマ朝鮮戦争が起こっていなければ日本は戦前の東南アジアの植民地同様の貧困農業国に陥れられていたでしょうし、今の技術力の芽が摘まれていたに違いありません。
朝鮮戦争の結果、米軍需品の修理設備等必要になった・・・・と言うことで工業設備の廃棄が途中で止まりましたが、それでも飛行機だけは禁止されたままでした。
アメリカの意を受けた東大法学部では、日本を隷属化させるための憲法を金科玉条にして教育をしてきましたが、次第にこの矛盾があらわになってきました。
すなわち、侵略を受けても国民が次々と拿捕されたり殺されても、自衛権の行使すら許されない憲法では、国民の総意による「合理的」憲法とは言えなくなってしまう・・異民族に押し付けられた違法な?憲法だと言う批判に耐えられなくなって来たし、これを認めないとアメリカ占領政治の極悪非道ぶりが白日の下に曝される議論が始まるのを恐れたので、アメリカも黙認せざるを得なくなったことになります。
遂に憲法を合理化するためにもともと「自衛のための軍は保有出来る意味だった」と言う解釈が一般化してきました。
(常識にとらわれないのが専門家の価値だと言う意識の強い・・憲法学者の世界では、なお自衛隊違憲論・・非武装論が強いようですが・・。)
解釈合憲と言う法技術がありますが、憲法自体が、「国民ための憲法」と言う意義に反していると言う非難を免れるために、憲法9条の明文に反して「自衛のための軍備は持てる」「交戦権はある」と言う「合理的」解釈が行なわれてきました。
この意味では日本の憲法学者は・国内世論や憲法の実効的解釈論とすれば、決着がついていて国内の誰も(後記のとおり既に「何でも反対の・・と言われていた社会党でさえ自衛隊合憲を認めているのです・・)支持しない解釈論に今なお依っていることになりますから、この偏った憲法学者グループが集団自衛権が憲法違反だと全員名を連ねても、もともと政治的に意味のない・社会で孤立したグループ全員の意見でしかないのです。
社会で孤立しているグループが仮に100人集まって反対の意見表明しても、社会的には何の意味もないのに、有り難がってマスコミが大報道しています。
もしも憲法を字義どおりに解釈するならば、ソモソモ民族自立を否定する憲法の有効性の議論に戻るしかないのですが、これをやるとアメリカを巻き込んだ大問題に発展します。
これを避けるための大人の智恵として、自主防衛出来ると言う解釈合憲にして来た歴史を未だに憲法学者はそろって・・異論が成立しないで否定しているのが不思議です。
後記のように社会党でさえ自主防衛・自衛隊合憲論に変わっているのに、学問である以上いろんな意見がある筈の憲法学会では、何故社会の要請に応える意見が発表する人が一人もないのか?何故異論がないのか不思議に思う人が多いでしょうが、・・大先生に異論を挟むと地方大学等への就職口の紹介がない・・仲間はずれにされるのが怖いので、学問の自由が学会内ではないのかも知れません。
われわれ弁護士や裁判官になるための司法試験も、確立している通説に違った論文を書かないと合格しませんが、なってしまえば受験勉強時のオーソリテイの意見に同調する必要性はありません。
憲法学者や自民党でも石破氏のように・・自衛のための軍備や集団自衛権を認めるには憲法改正で対応するべきだと言う意見は一見理が通っているようでいて、「ないものねだり」・・日本とアメリカを正面から激突させる目的であり、10年や15年の短期間に実現不可能な要求・・「その間日本は無防備で周辺国のやりたい放題にさせろ」と言うに等しいものです。
アメリカは、尖閣諸島等問題では中国領になると太平洋への出口を与えることになるので、アメリカの利害に直結することから日本応援するが、戦犯を祭る靖国参拝には露骨に不快感を示す・慰安婦問題や南京虐殺では、なお中立を装って、中韓の支持を続けたりと言う使い分けに徹しているのですが、これは朝鮮戦争に対して日本を利用出来る範囲で再工業化や、アメリカにとても抵抗出来るレベルではない程度の再軍備を認めたのと同じやり方です。
アメリカにとっては日本を失うほど苛める気はない(利用したい)が、あまり強くならないように適度に世界中を敵に回すようにあちこちの國を使って日本の地位を貶めるように仕向けるのが基本政策です。
アメリカの軸足を徐々にどの方向に動かせるかは、日米力関係の変化次第ですから、時間をかけてじっくりやって行くしかない・・アメリカが如何に酷いかと悲憤慷慨しても解決になりません。
この意味では今後なお数十年以上かけてじっくりやって行くしかないのですから、性急に「イヤなら憲法改正しろ」と言う意見は、国民が自主的に作ったものではない・・アメリカに赤恥をかかせることになるので、アメリカの意向を無視出来ないことが分っていてどうせ出来ないだろうと言う立場で要求しているのです。
憲法学者の論法は、1800〜1900年ころに黒人奴隷に対して「奴隷がイヤならば、反対すれば良いだろう」と言うのに似ています。
無茶な条約によって、住みなれた故地を追われたアメリカインディアンに対してモンクあるならば、その条約を破棄すれば良いじゃないかと言うのも同じ論法です。
政治は力関係で成り立っているので、イヤなら改正すればいいと言う訳に行きません。
日本は国際政治上アメリカの意向を無視して自由奔放に動けないのが政治の実態です。
日本は国際政治上アメリカの意向を無視して自由奔放に動けないのが政治の実態です。
零戦・・最高水準の飛行機を作る技術を持っていた我が国が、アメリカの意向を恐れて、戦後70年経ってようやくホンダジェットや三菱重工が旅客機を作れるようになった事実を見ても、如何に政治力学が重要かが分るしょう。