弁護士大増員の影響(弁護士会費負担)2

弁護士大量増員の影響は、生粋の弁護士よりは大学教授や判検事退官後弁護士に転進する人の方こそ大きな影響を受けるようになって来ている印象です。
大増員で弁護士全体の経済レベル水位が下がって来ると、多様な階層で構成されている弁護士の世界では、元々細々と経営していた弱者の懐を直撃して行きます。
このために司法修習終了直後の新規登録者に限定して(収入の高低に関わらない)一定年数(数年かな?)会費減免制度が始まっています。
しかし、苦しいのは若手ばかりではありません。
若年者の経済苦境ばかり焦点を当てていますが、一般的に富士山の裾野のような形態・・限界的低収入者の方が数が大きいとすれば、その数は膨大になっている筈です。
若年でも、大手その他の事務所へきちんと就職出来ている者にとっては、若年だからと言って必ずしも生活が苦しい訳ではありません。
苦しいのは就職出来なかった人や劣悪条件で就職せざるをなくなった若年者であり、年間約2000人合格ー判検事任官者=約1800人の新人が供給されている数から言えば本当に苦しいのは1〜2割程度の少数でしょう。
しかも大量供給政策が始まってから一種の過当競争がすぐに始まり、その洗礼下で新人経験した若手のコスト度外視的サービス方式・・弱者に優しいと言えばそれまでですし、それ以前の弁護士は敷居が高過ぎただけだとも言えますが・・いずれにせよ大増員前の弁護士からすれば過当競争的サービスが今や主流化し始めています。
「そんなサービスまでしなければいけないのか可哀相に・・」と言う時代は終わって、過当競争下で参入した弁護士が弁護人口の過半になって来ました。
サービス過剰かどうかは一概に言えませんが、サービスが多い方が消費者よいことは間違いがないので、利用者の立場で言えばサービス競争が激しいこと自体悪いことではありません。
従来型弁護士業務・・悪く言えば動きが悪い横着な態度の中高年以上の弁護士の方が、中高年から言えばサービス過剰の若手に競争原理上負ける立場であって、若手の方が強い立場に入れ替わりつつあります。
それ以外に、この10年くらい法律の改廃が激しくなって来たのですが、新法令の定着率は若手には叶いません・・即ち若手のスキルの方が一枚上手になりつつある点も重要です。
こんな訳で競争上逆転が始まることは改正前から分っていたのですが、我々はその効果が出始める頃には隠退(60〜65歳前後で実際に隠退しなくともその日食えれば良いので)のころだから「逃げ切れる」と言う認識でした。
今の40台は直ぐ数年下の後輩が過当競争的弁護士が参入して来た当時20代後半から30歳になった程度だったので、旧来型弁護にそれほど馴染んでいない段階で過当競争が始まったので、相応の適応を果たしているのが普通です。
ところが今の50台以上は過去のやり方に10年以上も馴染んでいたし、一定の顧客も確保出来ていたので当時の新人のように直ぐに影響を受けていません。
その分時代適応力が鈍っていますので過当競争には弱いでしょう・・他方でまだ隠退には早過ぎるので大変な状態になりつつある筈です。
元気なときにある程度の収入の人が高齢化して来て収入半減でも何とかやって行ける思っていた場合、競争激化によって(単価下落)4分の1になった場合、生活設計が大きく狂ってきます。
まして中高年代の稼ぎ時にギリギリの収入になると将来設計が厳しくなります。
新人が法科大学院の学費等を使っていて資金的にマイナスから始まる悲惨さが言われていますが、同じことが働き盛りのときに蓄積出来ない現役弁護士にも言える時代がきています。
弁護士収入に関してはいろんな統計がありますが、自己申告による調査結果よりは、日弁連の年金基金加入者率が低迷していることに注意したい・・国民年金だけしか掛けていないで老後どうするつもりか・・に驚くばかりです。
サラリーマン場合、年金基金に加入していなくとも厚生年金分の上乗せがあるのに弁護士はそれがない・・老後のための準備が出来ていない会員が多い実態が分ります。
最低の老後準備とも言える基金加入さえ出来ないほど困窮している人が多いのかな?と想像しています。

弁護士大増員の影響(弁護士会費負担の脅威)1

弁護士会の単位が都道府県単位になっているのは、タマタマ弁護士法が出来たときにあった行政単位を利用しただけですから、県単位で構成する必要性を再検討すべき時期がきているように思います。
今は千葉県内登録だけでも弁護士は約700人もいるのですから、県に1つと言うのではなく、政党要件同様に一定以上・・たとえば100人以上に達すれば別の会を設立出来るようにすべきだと言う意見が出て来るような気がします。
※当然のことながら「公益事業を一切しなくても良いのか」などいろんな要件議論が必要ですが・・。
地域限定せずに関東1円どこに住んでいても(政党のように)一定数に達すれば独立の会を設立出来るようにしても良いでしょう。
弁護士の関心の違い・・ひいては利害関係も地域差よりは、どのような事件を共通にやっているかの方が大きくなっています。
政治活動の是非と関係なく、元々強制加入制度自体が、近年の弁護士大幅増員・・若手弁護士や高齢化した弁護士・中高年層の限界的収入層の収入減・低下によって揺らぎ始めて行きます。
弁護士登録しない・法曹有資格者構想が議論されるようになって来たのも、このような実態があるからでしょう。
弁護士大増員以降これまで若手弁護士の生活苦ばかり注目が集まっていましたが、高齢会員も苦しくなっている様子です。
社会の生活水準が落ちると構成員の中で弱者に先ず影響が出るのと同じで、弁護士大増員によって経済的影響を受けるのは、若手だけではありません。
社会の場合、高齢者は労働収入が減ってもその代わり年金制度が充実していますが、弁護士の場合、高齢会員向けの収入システムはありません。
せいぜい後記の会費免除制度くらいでしょうか?
高齢会員や中高年会員は自己の収入減を恥ずかしくていえないからか、会費免除などを大きな声で主張していませんが、日弁連会員の登録抹消情報を見ていると最近自発的に廃業する(高齢会員と思われる人)が目につくようになっています。
また会費未納で懲戒処分を受けている中高年会員も少しずつ増えて来ているように思えます。
いわゆる不祥事・・非弁提携などを起こす会員も、高齢者に多くなっています。
この種の事件はミスが原因ではなく、経済困窮がほぼ100%の原因ですから、困窮度の指標とも言えます。
10〜15年以上前までは、裁判官・検事等の定年退職後の仕事として、弁護士登録する人が普通でした。
定年退官者は、基本的には年金で普通のサラリーマン以上?の生活が出来るので、会員登録しておいて、老後の余技のように「会費支払程度の収入があれば良いか』と弁護士会に加入している方が多かったと思います。
大増員前には月に1〜2回って来る国選弁護受任程度の弁護活動をして行けば良いかと言う意識が普通でしたが、最近では若手会員が増えて国選その他公的配点の取り合い状態になっているので、公的な仕事は年に1〜2件回って来るかどうかになって思惑が狂ってしまったと思われます。
何の収入もないまま年間60〜70万円前後もする会費を払うのでは、定年後の名誉料としては高過ぎるので、定年退官→登録後数年程度でやめてしまう例が出て来たと思うと、この関係に敏感に反応したらしく、この数年では退官した知り合いが弁護士登録したと言う挨拶が少なくなりました。
弁護士激増問題はひとり弁護士会の問題に留まらず、判事・検事にとっても、現職のときに考えていた定年後の老後設計を大きく狂わせつつあるようです。
ここ10数年來弁護士会が弁護士大増員で大騒ぎして来たのに対して、裁判所や検察庁は自分のところは採用を殆ど増やさずにいて・・(成績上位・上澄みの採用で良いので、新規採用者のレベルダウンの心配がありません)裁判所・検察庁を構成する判検事は自分に関係ないと高見の見物をしているイメージでした。

府県単位の時代不適合

県単位の衆議院や参議院の選挙区割が今になって問題になっているように、当時合理的であった区割りが人口動態の変化や交通通信機能の飛躍的発展の結果、実態に合わなくなって来た点では似ています。
日本は連邦制のアメリカの州のように、県そのものに歴史的意味・・利害同質性がありません。
中央集権下の統治に便利なように町村制の上に設定した行政区域の枠組みでしかありませんから、規模等が時代に合わなくなり都合が悪くなれば合体・変更してもいいことです。
中央の威令が届くように・・行政単位として使い勝手の良い規模にしていた設定目的自体から、弁護士会や選挙区などいろんな基礎単位とするのに便利・合理性があったと言えます。
明治以降の地方制度の連載で紹介したように、藩政の基礎的地域にそのままダブルのは西国の大大名家の領域くらいで、その他は小刻みな大名領地でしたので、今の県単位は行政の都合で切り分けたに過ぎず、歴史的共有価値観がありません。
廃藩置県と学校で習うので、如何にもそのときに今の都道府県になったかのような印象ですが、明治初めの廃藩置県は、07/24/05「明治4年ころからの地方組織3(群馬県の場合)」前後で連載しましたが、旧大名家領地をそのまま県と言い換えただけでした。
ですから、(千葉県の場合・大名家領がほとんどなかったので)廃藩置県で24県にもなったようです。)飛び地だらけであったこともそのころの連載で紹介しました。
これらの飛び地を切り離したりして、何回も改編を繰り返して今の都道府県の形になっただけですから、歴史的にもそれほど長い利害共有・一体感の経験がありません。
明治以降の地方制度の歴史は町村単位・・これは千年単位の人的つながりがありますので、(大区小区制がうまく行かないなど)編成替えやムラ役人利用など試行錯誤の繰り返しでしたが、県に付いては市町村を監督し政府命令を行き渡らせための地方出先機関的性格だったので、殆ど地域性がなく、中央政府の一方的な決定で行なわれて来た状態だったと言う私の理解です。
(今でも、市長村の政治は身近で分りよいですが、県議会って何をしているのか(・・広域調整・政府の出先機関向きのが仕事かな?)良く分らない印象になっている原因です)
この結果、長野県のように北信(信越線沿線)と南信(中央線沿線)地域の気質の違いなどの例があちこちにあります。
千葉県の地形で見ると昔は水運が物流の基礎でしたから、川の両側が共通文化圏でしたので江戸川の両端が葛飾でしたし、利根川の両岸・・今で言えば銚子とその対岸は1つの文化圏でした。
道路で言えば、水戸街道(常磐線)沿いと下総街道(総武線)沿いでは文化圏が違いますが、1つの千葉県です。
現在の地方制度確立期に中央から派遣した役人の管轄行政区域明瞭化のためには河川で仕切った方が簡単なので、今では江戸川を挟んで東京都葛西地区と千葉の葛飾郡に分かれ、利根川を挟んで茨城県(神津町)と千葉県銚子市に分かれています。
多摩川が県境になっているのも同様ですし、この種の意見を以前書きました。
今、中東やアフリカで問題になっている国境線と民族分布が合っていないのも宗主国の支配管轄区域で決めたことによる問題の日本版ですが、日本の場合、民族分布ほどの違いがないのと、物流等が水運から鉄道や車社会になって来ると川を隔てた交流が減って来たので、明治までの文化圏の同質性や違いを殆どのひとが気にしていません。
現在の地方制度が確立し始めた頃には、既に鉄道網の発達が始まっていて中央集権化の進行の過程でもあったので、ちょっとした才能のある人は皆中央に出て行く時代が始まっていました。
以後県単位の閉鎖経済・・融合同質化よりは、全国画一化・中央への進出過程であったので、県独自の個性・気質がそれほど進んだ訳ではありません。
06/08/07「個人の解放8(道州制と能力別社会1)」で引用した「「近来世界各国通信之時勢ニ相成候テハ専ラ全国之力ヲ平均シ 皇国御保護之目途不被為立候テハ不相叶」あい叶わずというところから、「専ラ全国之力ヲ平均シ」ようと言う目的で、これまで国土の均衡ある発展を目ざしてきたのです。
それどころか、優秀な順に中央に出て行ってしまうことから、地方の疲弊・画一化が進んでしまったことを、0/02/03「地方自治と人材3(憲法38)」で連載しました。
日本の場合、県単位の独自性はそれほどないので、今になると県単位の国政代表選出にこだわる必要性がありません。
県単位の地域利害代表が必要なのではありませんが、代議士がみんな東京にいるのでは全国に目配りが出来ない・・全国の実態が分らないでしょうから、ある程度地域選出が必要と言う程度の意味ではないでしょうか?
道州制は大き過ぎますが、紀伊半島全域・四国全域とか、近畿圏とか、関東地域・東海地域、北陸とか、いわゆる◯◯地方単位程度の代表でいいような感じです。

日弁連と政治8(弁護士自治破壊リスク5)

弁護士会執行部の行動があまり行き過ぎると(今行き過ぎていると言う意見を書いているのではなく徐々に行き過ぎるようになると・・と言う仮定の議論です・)・・独占のない健全な市場競争下では、不買・客離れに発展するのと同様に、多数派の横暴に対して脱退気運が盛り上がって来るので、脱退を防ぐために相応の抑制機能が働きますが、(弁護士である限り)脱退が法的に禁止されていると、この最後のブレーキが利きません。
言わば、1党独裁体制下に国民を縛り付けている国家の国民同様になります。
権力規制=裁判では政治活動の是非が不問にされるとしても、政治活動が活発になり過ぎると世間からの批判も起きて来るでしょうし、こういうことが続くと会の公式意見と合わないグループが、会・組織とは別の独自組織・・「◯◯を考える会、◯◯を実現する会」を作る動きが出てくるのが普通です。
この辺が第二組合が出来難い・・いやなら脱退すれば良いし、新規加入が減って行く一般の労働組合や同好会とは違う点でしょう。
少数意見者がグループ結成をするようになると、会の政治運動を牛耳っているグループが強制的に徴収した会費を利用して政治運動しているのに対して、少数意見グループは自費で運動しなければならない・コスト負担の不利益がある上に、自分たちの思想に合わないどころか、自分の意見に対する反対運動のために自分の納付したお金を使われることに納得出来なくなりますので、会費納入に抵抗するようになります。
会費納入に抵抗して会費を払わないと懲戒処分を受けることから、反対運動するしか方法がありません。
強制加入団体とは、会費強制徴収権・・国の場合税金徴収権・・があることと同義であることが分ります。
租税滞納程度では国外追放されませんが・・弁護士の場合、会員資格=弁護士資格がなくなる点で大きな違いがあります。
・・いくら反対運動しても少数派である限り否決されますが、その運動の広がりに反応して多数派が政治活動を自制するようになれば大人の関係です。
「いくら反対しても否決すれば良いのだ」と言う強硬な姿勢を多数派が貫くと、少数派は我慢出来なくなって、外部勢力に頼ることになって来る→外部政治勢力を巻き込んで強制加入方式の否定論=法改正論の盛り上がりへつながり、弁護士自治弱体化に繋がる危険があります。
これが諸外国で国外勢力の応援を得て頻発する反政府運動・内戦やゲリラ・テロ活動の図式です。
政権が強行策をとれば取るほどテロが激化するのはこのためですが、我が国では、古代から敗者の言い分を良く聞く社会ですからこんな大人げないことになったことはありませんし、(明治維新も外国勢力の介入を防いで解決しました)まして弁護士会は大人の集まりの筈です。
ただ、モノゴトには作用反作用の関係があって、世論が特定思考様式を受入れなくなるとこの支持者が世論に歩み寄れば良いのですが、危機感から従来より一層主張が先鋭化し、活発化して行く傾向がありますから要注意です。
(妥協しない人材だけ残って柔軟タイプが脱落して行くのかな?)
政治活動が許されるかの議論の1つとして、政治活動の程度問題があります。
会費を使い、会の名で行動する程度であって、「集会や街頭行動等への参加強制しないのだから・受忍限度じゃないか」と言うのも、程度問題の一種でしょう。
ただ弁護士大量増員によって収入レベルが下がって来て、高齢者会員その他会費負担のウエートが上って来る時代には、参加強制しないで「会費を使うくらい良いじゃないか」とは言えない時代が近いうちに来ると思います。
大きく分類すれば、執行部意見に賛成するグループと反対するグループが両端にあって、意見は是是非で右でも左でも、どちらに使おうとも構わない人から、政治運動するための会費を払うのはイヤだと言うグループ(会費値下げ要求)の4つに分かれるのでしょうか?
この先弁護士の収入減少が続き、世知辛くなる一方とすれば、「会費の使い方などどうでもいいや」と言う中間層が減って行くように思われます。
他方で世論の傾向に反発する最後のよりどころとして政治運動を活発化して行くと中間層の反発も大きくなります。
行き着くところ「強制加入制を撤廃すべきだ」と言う意見、またはどこかの会に加入するべきだと言う強制加入制を残すならば、府県ごとに1つしかないのではなく、「一定数が集まればいくつでも府県内に自由に設立出来るようにしろ」と言う政治家を巻き込んだ運動が出て来るでしょう。
あるいは「関東のどこの会に入っても良いようにしてくれ」と言う案も選択肢になります。
国政選挙では今の県単位選挙区割りが合理性を失っているように、都道府県別に1つの単位会を強制するのは実態に合わなくなって来たように思われます。
私が弁護士になったときに千葉県弁護士会の会員数は90人台から漸く100人突破したものですが、今では750人弱になっています。
もっと地方の県では当時数十人規模が普通でしたし、今でも100人前後から未満の県がいくつもあります。
まして弁護士法が出来た戦後直後には千葉県全部で数十人いたかいないかだった時代でしょうから、こう言う時代には、自治と言っても一定規模がないと自治能力に疑問符が付くし、5〜6人規模の会が乱立すると発言力がなくなる心配があったでしょう。
何人規模以上が必要かの議論よりは、県単位と言う切り方が問題解決に合理的だったと思われます。

日弁連と政治7(弁護士自治破壊リスク4)

日弁連や単位会が裁判所(権力)の自己抑制を良いことにして、政府のお墨付きがあるかのように振る舞うのは間違いです。
政府権力は弁護士会に自治権があるから何をしても良いと言うのではなく、自治権がなくてもマスコミにむやみに干渉しません・家庭に法律は滅多に入りませんし・いろんな場面で謙抑的行動するのが権力と言うものです。
これを逆用して際限なく・自制心なく特定勢力に偏った政治活動をするようになって来ると、少数意見弁護士には不満がたまってきます。
少数意見だから無視すれば良いと言うスタンスで、しかも強制加入のために脱退する自由がない・・一種の独裁政権にとらわれている国民のような関係です。
独裁政治がイヤなら国民は国外逃亡すれば良いと言われても、仕事を棄てて海外逃亡すれば生活苦が待っているので、国外逃亡出来る人は滅多にいませんし、弁護士も弁護士会の政治意見とあわないならばやめたら良いだろうと言われても、イキナリ別の仕事で食って行ける人は滅多にいません。
独裁政権が専断政治を続けると、海外逃亡よりは政権打倒運動が起きて来るように、弁護士内部から弁護士自治はいらないとは言わないまでも・・分派活動が出て来るリスクがないかの心配をしています。
町内会で言えば、会長や役員が暴走すれば会費を払わなくなるでしょうが、会費の強制徴収方式はこのような暴走を阻止し難い性質を持っている点が、制度的弱点です。
2015-2-6「マスコミの役割・・情報紹介業3」で民放と違いNHKの場合、強制徴収権があるのでブレーキが利き難いと書いたのと同じ現象です。
そもそも強制徴収制度・強制加入制度が何故あるかと言えば、戦後イキナリ弁護士自治制度・・権力の干渉を許さない制度を創設しても強制加入性にしないと分裂を繰り返して組織を維持出来なくなる可能性がある・・一種の補助的制度だったと思われます。
アラブの春以降書いてきましたが、民主主義と言い、言論の自由があればうまく行くとは限らない・・新興国では国民レベル・能力に応じて民主化して行く必要があると何回も書いてきました。
チトーやリークアンユーその他大政治家があってまとまって来た国々がいくらもあるのです。
自治を守るための会費強制徴収権が、(不満な人が会費を払わない・・抵抗する権利を封じていることから・・脱退による対外的分派行動を起こせない面では、組織維持にはいいことですが・)逆に会内民主主義・一体感を阻害してしまうリスクになりかねません。
民主主義とは多数決で良いのだから多数派が何に金を使おうと勝手だと言う意見もあるでしょうが、究極の自由な意見開陳権はイザとなれば脱退の自由があってこそ保障されるものです。 
どんな組織でも、あまり脱退が簡単ですと離合集散ばかりではやって行けないので一定の絞りが必要ですが、要はどの程度の絞りが妥当かと言う問題になってきます。
(世の中の組織で・・夫婦でさえ離婚権があります・・完全否定は弁護士会くらいではないでしょうか?)
政党の場合、脱退は法的には自由としても、選挙資金上の不利を乗り越えなければならない・・(政党交付金の比重が上がっているので基準日をにらんだ年末の分裂・新党結成が普通になっています・・外に、国民の支持を受けない脱退は次の選挙で落ちてしまう洗礼が待っているので簡単には脱退・分派行動が出来ません。
この点株式会社の場合、お金目的で集まっただけの組織ですから、企業経営方針が気に入らなければ、上場企業の場合、自己保有株式を市場で売り払えば良いし、譲渡禁止会社の場合でも、会社に対して適正価格での買い取り請求を出来ます。

会社法(平成十七年七月二十六日法律第八十六号)

(反対株主の株式買取請求)
第116条 次の各号に掲げる場合には、反対株主は、株式会社に対し、自己の有する当該各号に定める株式を公正な価格で買い取ることを請求することができる。
一 その発行する全部の株式の内容として第107条第1項第1号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 全部の株式
二 ある種類の株式の内容として第108条第1項第4号又は第7号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 第111条第2項各号に規定する株式
三 以下省略

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