えん罪と証拠開示1

大阪地検の証拠改ざん事件は、検事のシナリオが客観証拠にあわないことが分ったこと・・その証拠を実は被告人側が握っていたことが重要です。
大阪地検の証拠改ざん事件の歴史的意義は、供述・自白よりも客観証拠で勝負が決まる・・しかもその証拠共有の重要性が明らかになったことではないでしょうか?
えん罪事件の多くが被告人に有利な証拠が再審事件開始まで提出されないで倉庫に眠っていた事例が多いのですが、その視点で見ればその悪弊が露骨に出て来たに過ぎません。
大阪地検の場合、被告人に有利な証拠を隠匿していたのではなく無罪になる証拠を有罪にするために積極的改ざんまでしたことが、国民にショックを与えたに過ぎません。
元々被告人保有証拠であり、しかも本人が頭脳明晰だったことから、これがタマタマ証明されてしまったのですが、被告人を有罪にするには矛盾する証拠があるのに被告人が知らないことを良いことにしてこれを開示しないで、頰っ被りしたまま裁判を続けて有罪判決を獲得して来たことも犯罪的である点では本質的には同じです。
長年の証拠隠匿行為(証明されていませんがこの体質)の弊害が積もり積もって、検察の正義感を蝕んでしまった結果証拠改ざんまでやってしまったと評価すべきでしょう。
だから大ニュースになったのですが、上記のとおり被告人に有利な証拠があるのを知りながらこれを倉庫に眠らせておくのも根っこは同じではないでしょうか?
この種不正を正すことがこの事件の教訓であるべきですから、取り調べを可視化しても客観証拠になるべき帳簿やデータの改ざんを防げません。
この事件の事後処理として、取り調べの録音録画が中心テーマ(マスコミ報道だけかも知れませんが・・)になっているのが不思議です。
証拠改ざん行為の再発防止に必要な議論は、証拠管理等の厳密化・改ざんを防ぐためには押収と同時にコピーを被疑者関係者や弁護人に交付するなどの早期の証拠開示ではないでしょうか?
現在押収品目録が交付されますが、その中身はいろいろですから(例えば日記帳10冊と書いてあってもその内容が不明ですし書いた本人でもきっちり4〜5年分記憶していることは稀です)目録だけでは内容の改ざんを防げません。
この事件で直視し議論すべきは、有罪にするには矛盾する証拠があるのにこれを改ざんしてまで事件を押し進めようとした・・無罪と分っている被疑者を無理に勾留し続けて人権侵害を続けていて無理に犯罪者に仕立てようとしていた検察庁全体の不正義・犯罪的体質です。
従来のえん罪の議論は捜査機関も無実を有罪と誤解して起訴していたことを前提にしていますが、大阪地検の改ざん事件は無罪になる証拠をねつ造して有罪にしてしまおうとした事件です。
(改ざんしなくとも)少なくとも不利な証拠があることが分った時点から、逮捕監禁継続自体が違法であったことになり、重大な事件です。
違法な監禁を続けることが許されるならば暴力団の監禁事件と本質が変わりません・・。
権力犯罪の巣窟が体質改善しないままで、巨悪を追及している組織と言うのでは、ギャグみたいになりませんか?
最も重要な検察の体質改善がどうなったのかについて、マスコミが報じないで(少しは報じているかも知れませんが、連続しての掘り下げ記事がないしオザナリです)どこまで録画するかなどの可視化議論ばかりにマスコミ報道が矮小化されているのが不思議です。
ただし、私はもう歳(トシ)なので、公判前整理手続に関与していませんので詳しくは分りませんが、マスコミが報じないだけで、実際には、裁判員裁判手続の開始に関連して公判前整理手続が充実して、従来に比べて証拠開示がかなり進展して来ていることは確かです。
刑事裁判の公正化は、証拠開示次第にかかっているといえます。
ローラー作戦と言う言葉がありますが、大事件があると捜査機関は網羅的にダンボール箱でごっそり持って行ってしまう状態のニュースを見聞きした人が多いでしょう。
誘拐その他の一般事件でも事件発生後の周辺聞き込み、その他の捜査情報は人海戦術で大量に集められます。
この中から、検事に都合の良い証拠だけで裁判するのでは、被告人に有利なデータが提出された証拠に偶然紛れ込んでいたときに、その矛盾を追及するような例外的場合しか戦えません。
仮に周辺聞き込み情報や押収した資料全部弁護側に開示されるようになっても、そもそも倉庫一杯の資料を「勝手に見てくれ」と言われても、弁護側には人手も時間もなくシラミつぶしに見る時間がないのが普通です。
録画・録音全部・たとえば合計500〜600時間分開示されると却って困ってしまうのと同じです。
情報過多はないに等しい・・昔から「過ぎたるはお及ばざるがごとし」と言います。
捜査機関は最初に資料を根こそぎ捜査機関が持って行き、大量の人員を投入して綿密にチェック出来るのに対して、弁護人は、多くて2〜3人で共同弁護するくらいが関の山ですから、有利な証拠を見いだすのは至難の業です。
この格差をどうするかが重要ですが、私自身今のところ、こうすれば良いと言う「解」を持ち合わせていません。
さしあたり考えられるのは、科学捜査を進めて本当の意味での立証責任の転換が必要ではないかと言うことです。
痴漢事件で言えば、被告人が被害者周辺で手の届くところにいた5〜6人の一人だと言うことと、被害者がこの人に違いないと言う程度ではなく、夢かも知れませんが、触ったらどう言う痕跡が手指に残るなどの科学の発達を期待したいものです。
無実の推定があるとは言うものの、実務では検事によるある程度の立証で事実上立証責任が転換されてしまって、被告人が弁解しなければならない状態に追い込まれているのが普通です。
その一つ1つには相応に理由があるのですが、その基準線をホンのちょっとずらすだけでも大分変わって来るでしょう。

 証拠法則と科学技術6(自白→弁明権へ)

自白するようになってからの録画を見ても、多くの被疑者は、「済みません反省しました・・刑事さんさんどう言えば良いのですか?」聞いて刑事から、教えられたとおりの供述をすらすら始めるのが普通ですから、その段階の録画をいくら見ても不思議な点がある筈がありません。
自白に転じた被疑者は、従来から「検事調べに行ったらこういうのだぞ!」違ったことを言うと俺がおこられ、勾留が長引いてしまうからドジするなよ!」と担当刑事に言い含められて検事の前に連れて行かれるのが普通でした。
この段階が刑事調べ室に入ってからの録画録音に早まるだけで他方、刑事弁護人の労力が圧倒的に多くなります。
録画録音が開示されているのに大したことがないだろうと弁護人が目を通さないで弁護をやっていれば、職務怠慢・懲戒リスクに見舞われます。
えん罪防止のために、全てに神経を研ぎすまして弁護するには、あまりにも種々雑多で(約1ヶ月かけてみないと見切れないような)膨大な資料を提示されると却って有効な弁護活動が出来なくなる逆張り効果にならないか心配です。
捜査期間は半年以上かけて大勢のチームが内偵して資料を読み込んでから立件逮捕するのですが、弁護側は逮捕されてから頼まれるので、そもそも事件概要すら把握するのに時間がかかります。
それから段ボール箱トラック1台分もあるような証拠を開示されて半年前後にわたる質問のやり取りの録画を開示されて「勝手に見て下さい」と言われても、半年分見るのに半年かかる(録画や録音は飛ばし読み出来ません)理屈です。
勾留期間20日間内に一人、二人の弁護人が選任されても、勾留されている場所への面会するための往復数時間をとられること(・・面会しての本人との打ち合わせでも本人が手持ち資料を持っていないので、本人の記憶による口頭だけの説明になるので大変です)などとても太刀打ち出来ません。
資料の写しが手に入ってからでも本人が見れば自分が作ったものなので、何ページに書いてあったかを忘れていてもあちこちパラパラとめくって探せますが、ガラス・格子越しないので、こちらが言われた部分をめくって探しながらの打ちあわせでは効率がすごく悪いのです。
裁判になってからも公判準備期日までに膨大な時間が必要ですが、警察や検察のように大勢の専従ではなく、弁護人はいろんな事件を平行して受任していないと事務所維持出来ないので、かかり切りになる時間が少な過ぎます。
取り調べ可視化議論は、自白の重要性を変える努力ではなく、自白の重要性をそのままにして今も時代遅れの?議論が進んでいると言えるでしょう。
・・もしかして可視化した以上は、信用性が高まる・・お墨付きになって、もっと自白を重視する運用になるのが心配です。
必要なことは自白に頼らない客観証拠に関する科学進歩・収集管理・証拠の改ざんを防ぐためにの管理合理化の議論ではないでしょうか?
12月6日にニューヨーク市警の例を書きましたが、今後有罪認定するには客観証拠に限り、被告人の供述は有利に使うときだけ採用すると言う逆の運用に変えて行く努力が必要です。
実際に我が国でも行政処罰では、この運用でやっていて、非処分者が言い分を聞いて欲しいときだけ弁明出来る仕組みです。
スピード違反等による免許停止その他の行政処分は、弁明したい人だけ来てくださいと言う告知・聴聞制度になっていることを知っている方が多いでしょう。

行政手続法
(平成五年十一月十二日法律第八十八号)

第三章 不利益処分
  第一節 通則(第十二条―第十四条)
  第二節 聴聞(第十五条―第二十八条)
  第三節 弁明の機会の付与(第二十九条―第三十一条)

条文は長いので省略しますが、身近に経験した方も多いし、目次だけ見ても制度骨子が分るでしょう。
弁明の機会の付与」とあるように、「チャンスを与えます」と言うだけで、自認行為を必要とはしていません。
今後自白は弁明する権利だけにして、有罪認定証拠に使わない・・使っては行けないようにした方が合理的です。

証拠法則と科学技術5(自白重視5)

実際には、人は弱い者で、いろんな状況下で刑事に迎合してやってもいないことを言えば、刑が軽くなるかと思ったりして妥協してしまう傾向があります。
平成26年12月6日の日経朝刊第一面の春秋欄には、この機微を書いています。
曰く、江戸時代、辣腕の吟味与力がある日、自分の下男に言いがかりで罪をなすり付けて試してみたところ、下男は最初否認していたがその内に罪を認めてしまったのにショックを受けて、辞職し隠居したと言う話が書かれています。
(国立公文書館で開催中の「罪と罰展」で「知った」と書いていますが、何を読んだのか出典を書いていないので、どう言う公式記録にあったのか、誰かのフィクション・・解説だったのか明らかではありません。)
良く知られているところでは、痴漢疑いで逮捕されたサラリーマンが半年近く拘束されて裁判で争っていると会社に知られてクビになってしまうことから、認めれば罰金程度ですぐに出られると言われると刑事に迎合して認めてしまうリスクがあります。
多くのえん罪事件は「素直に認めれば大した結果にならないから・・」と言う刑事の誘導に負けてしまい、やってもいない自白(刑事の描くストーリーにあわせて述べる・・自白をしてしまうことが圧倒的に多いのです。
補強証拠さえあれば良いと言う近代法の証拠法則では、この種のえん罪を防げません。
歴史と同様に事実はいろんな矛盾証拠(事実)その他で成り立っていますから、論者に都合の良い事実だけ拾い出せば一応一貫した筋立てにあう証拠もそろっています。
刑事の想定するスジ建てにあう事実・証拠だけ開示し提出すれば、矛盾はなくなりますし、裁判所は「自白が一貫していて補強証拠とも合うし自白が信用出来るとなってしまいます。
問題は大阪地検の証拠改ざん事件は、矛盾・両立しない証拠があったことから、検事がデータを改ざんしたい誘惑に駆られた結果の事件です。
パソコンなどを駆使した事件の場合、自分の作った物ですから、ここにこう言う記録をしてあった筈などと覚えています・・これが検事による改ざんがバレる原因となり、検事の命取りになりました。
従来型型実務では、矛盾証拠が滅多にある訳がありません。
満員電車内での痴漢事件のように、被害者の背後にいた5〜6人が全員痴漢する可能性があって、誰もが矛盾証拠を出せない場合が殆どです。
ところが残り全員がその場を離れていて最早特定出来ない状態で、タマタマ一人だけ標的にされてアリバイや絶対出来なかった位置関係など矛盾証拠を出せと言われても偶然背が高過ぎたり・・右手不自由だったりなどの特殊事情がない限り・・中肉中背の平均的な人の場合、反論しようがないのが普通です。
こう言う場合、裁判所は補強証拠がないと言うのではなく、(被害者が「この人に違いない」と断言する程度で?)被害者があえて噓を言う必要性がないなどと言う変な論理で有罪と認めてしまうのですから怖いものです。
こう言う運用が「やっていなくとも早く認めて罰金にして貰おう」とする自白者が輩出する土壌です。
話を戻しますと、数年前に発生した大阪地検特捜部の記録改ざん事件以来、捜査手続改革に関して流行になっている取り調べ可視化問題は、証拠としての自白の重要性を前提に自白取得過程を録音録画しよう(「しゃべらないといつまでも出られないようにしてやるからな!」とかの脅しや拷問がなかった証拠のために)と言うだけです。
全面可視化は望ましい事は確かですが、何人もの刑事が交代で調べた延べ何百時間に及ぶ取り調べ過程全般を仮に録画しているとした場合、その同じ時間弁護士は録画をチェックしなければならない、1回見るだけでも取り調べに要したのと同じ時間かかります。
ビデオ録画は書物のように斜め読みのように早送りしていたのでは、ビデオが警察に都合良く編集しているのかどうかを見破ることは出来ません。
まして気になるところを巻き戻して(他の供述や帳簿等と付き合わせてみるには)何回も見直したりすれば、取り調べ時間の何倍も時間を取られます。
録画を見たり聞いたするのが、弁護業務の全てではなく、その他膨大な資料の読み込み証拠のチェックや面会に行っての打ち合わせ時間などを考えれば、天文学的時間を要することになります。

証拠法則と科学技術4

本人同意なしの防犯カメラや録音はプライバシー侵害の不利益があるとしても、大きな人権侵害・自白を求める追及の弊害・・長期拘束やえん罪のリスクに比べて、公道等でのカメラによるプライバシー侵害被害とのどちらを重んじるべきかの利益考量の問題です。
専門家は「新技術にはこう言う問題があります」と問題提起するのは有用ですが、その情報提供に基づいて利益衡量・・どちらを我慢すべきかは、専門家の役割ではなく、国民や政治分野で決めて行くべきこと・・政治問題ではないでしょうか?
私が知っている限りでも、ストーブ・冷蔵庫や炊飯器やテレビが出たときに、この種の反対論がいつもありました。
電子レンジやパソコン操作には電磁波だったかの影響があるので、妊婦にはどうだとか、労働環境としては一定時間で離れる必要があるなどいろいろ反対論が宣伝されていたことを記憶している人が多いでしょう。
エアコンは身体に悪いから出来るだけ・・と言う意見が普通だったことを記憶している人が多いと思います。
つい最近の議論では、電気自動車が発達するとエンジン音がしないので、車が近づくのが分り難いから危険だと言う反対意見もまことしやかに言われていました。
何でもケチを付ける気になればこう言うことも言えるのか!と感心させられましたが・・・。
専門家は何でも一応言っておく必要があると言うことでしょうか?
車は音がするものと言う習慣は、この4〜50年の経験で身に付いたに過ぎませんから、音がしないとなればまたこれに馴れればいいことですから、車に対するこの種の反対意見はあっという間に廃れたように思います。
科学捜査の未発達な時代で黙秘権のないときには、狡い人を免れさせないためにあの手この手の説得努力が嵩じて自白を慫慂するようになり、トキには悪用して徐々に脅迫や嫌がらせに留まらず拷問等に発展して行きました。
科学捜査の未発達は捜査機関の能力不足ではなく、社会全体の科学技術の発展に負うところが大きい・・12月2日に紹介したように20世紀末まで脳科学が発達せずあるいはDNA解明ができなかったのは、捜査機関の責任ではなく、政治制度は社会全体のインフラによることの一場面です。
自白重視が却って自白さえあれば良いと言う逆方向に発展し、本来の証拠収集技術の発展を阻害し制度を歪めてしまった面もあります。
この反省から近代刑法では自白だけでは、証拠不足とされるようになりました。
近代刑法・・この結果である現憲法も、昨日紹介したように拷問禁止するだけではなく、自白だけでは有罪にしないで、「補強」証拠を求めるようになっただけであって、現在も自白中心・主たる証拠扱いの精神は変わっていません。

刑事訴訟法

第三百二十条  第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。
第三百二十二条  被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる。但し、被告人に不利益な事実の承認を内容とする書面は、その承認が自白でない場合においても、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、これを証拠とすることができない。
○2  被告人の公判準備又は公判期日における供述を録取した書面は、その供述が任意にされたものであると認めるときに限り、これを証拠とすることができる。

刑訴法320条は伝聞調書の原則禁止と言う原理で、被告人以外の人の供述書は(弁護人が同意しない限り)原則として証拠に出来ないのですが、322条で被告人の不利益承認供述=自白は任意性に疑いがない限り証拠に出来ると言う原則です。
人は、自ら不利益なことを言う筈がないから、自分で不利益なことを言う=自白するならば確かだろうと言う自白重視原理の表明です。

証拠法則と科学技術3(自白重視3)

客観証拠が充実して来れば、事件当時の半年〜1年以上前のおぼろげな記憶による当事者の思いつき的供述の真偽究明よりは、(記憶違いではないかなどと前後供述の矛盾追及などよりも)提出されたビデオやパソコンの記録やデータの読み取り方その他のデータ相互の矛盾追及などの信用性を争うのが、弁護士の中心的仕事になってきます。
大阪地検の証拠改ざん事件は、このチェック過程で生じたものです。
いろんな民事事件で現場写真や録音テープ・メール等が証拠提出されることがありますが、写真やテープは証拠にならないと言って争うのではなく、「この写真が現場写真としてはこの家が写っていないはおかしい」「この表情・動作からこのように読み取るべきだ」など、内容で争うべきことです。
たまに法律相談で「メールや録音などは証拠にならないですよね!」と(ネットに書いてあったと言って自分の意見が正しいと言う前提で強制的に?)同意を求めて来る人がいますが、「一般論ではなく前後の事情その他具体的内容による」と答えています。
ただし、刑事事件では証明力以前に証拠能力と言う関門がありますので、刑事件の相談ならば一応検討する意味がありますが、一般的にこう言う相談は浮気のやり取りがメールに残っていて、これが配偶者に抑えられた場合、証拠にされるかの相談が圧倒的です・・民事では証拠能力と言う関門がありません。
防犯カメラの設置に反対する動き・・論文を11月8日に紹介したことがありますが、この運動主体が「自白に頼るな」と主張するグループである弁護士会と重なるのが不思議です。
プライバシー保護を理由にいろんな客観証拠のデータ化に反対・または反対論を学ぶための集会をしている・・「証拠収集反対論2(防犯カメラ1)」 November 8, 2014で紹介した論文は、「■九州弁護士会連合会主催「監視カメラとプライバシー」シンポジウム 2004年10月http://www.meinohamalaw.com/activity01/5.htmから見た論文を読んだ印象を書いたものですので、関心のある方は上記にアクセスして原典に当たって下さい。
・・その大会で防犯カメラ設置反対決議したものではないとしても、こう言う講演依頼をして集会を開催していること自体が主催者の意図・体質を表しています。
このような研修集会をするならば、防犯カメラの有用性を主張する学者ああるいは捜査関係者にも講演してもらい、双方の意見を戦わせて会員が公平に判断出来るような集会にすべきです。
一方の立場に有利な講演をしてそれに基づいて防犯カメラが社会に害があることばかり強調する集会運営して行くのでは、防犯カメラと言う客観証拠の発達を阻止したい・・反対するためにあら探しの研修集会をしているように国民が思う・・誤解?するのではないでしょうか?
憲法9条を考える会と言うような趣旨の集会案内を良く見かけますが、双方または複数の意見を聞いてみるのではなく、一方的な意見ばかり聞かされるのが普通です。
弁護士団体が偏った意見の集団ではなく、法制度をよりよくして行くためにいろんな研修をして行くのは良いことだと思っていますが、反対意見の講演ばかりしていて「何でも反対集団」と言う評価が定着していた元社会党のようになってしまうと、マイナス・・本当に良い意見も通り難くなる心配をしています。
11月30日日経新聞朝刊17Pには、脳指紋の研究が進んでいて「未来の科学捜査」と言う見出しで、将来は、無意識でも脳に痕跡が残る・・過去に脳が見たり経験した事柄が科学的に判別出来るようになりそうだと言うサイエンス記事が大きく出ています。
これらも、将来現実化して来ると技術の不確実性・・信頼性が100%でないことを理由に(「専門家による)採用反対論が大きな声になるように思えます。
スピード違反自動検出機器(オービス)も、たまには間違いがありますが、それでもその誤差を自覚して運用すれば良いのであって、その有用性は明らかで、今は定着しています。
技術には当然欠陥や誤作動があり得るので裁判では、万分の1の欠陥でも当該事件になかったか厳密に検証して行くべきですが、それとは別に各種機器や科学検査の否定運動・・防犯カメラのように設置自体反対になって来ると、刑事弁護の立場からの主張としては意味不明です。
ただし、公益と人権(プライバシー)侵害の兼ね合いと言う批判は勿論ありますが、新技術が出ると先ずは反対する材料がないかと言う視点が先にあるような印象を受ける人が多いのではないかが心配です。

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