いろいろな反対運動・・高速道路敷設や空港建設反対運動、電子レンジやパソコンは危険だと言う主張が社会の発展に何程か寄与した事があるでしょうか。
現在で言えば、マイナンバー法反対や防犯カメラやDNAやGPSなどの利用反対が、日本で何を新たに生み出すための運動でしょうか?
このごろは何か反対するには、何でも?プライバシー侵害の主張が多くなりました。
本来反対運動は国民に身近な危険を訴える方が効果が高い筈ですが、プライバシー侵害リスクと言えばかなりの新政策に反対出来て便利ですが、それだけに被害イメージが抽象的過ぎて分り難い・・危機感がピンと来ない人の方が多いのではないでしょうか?
ベネッセ情報漏洩その他時々大型漏洩事故が起きるとマスコミでは大騒ぎですが、具体的プライバシー被害事件が起きたとは聞いたことがありません。
ベネッセ情報漏洩事件みたいなことが起きたらどうするのだ?と言う質問を良く受けますが、困るのはベネッセなど情報を盗まれた業者の方であって、漏洩された個人・顧客が困ったと言う話は聞きません。
顧客名簿が流れたとかテストの成績情報を失ったとかしょっ中報道されて関係者が陳謝していますが、それで実際に困った生徒などの具体的事例を聞きません。
困っているのはマスコミに陳謝させられている人たちでしかないような印象です。
子供を持つ母親は心配しているのに「お前は知らないからバカだ」と言われればそれまでですが、何となく、マスコミが大騒ぎ・・煽り過ぎているのではないでしょうか?
国民のプライバシー意識を育成する教育精神でやっているのかも知れませんし、マイナンバー法反対の布石として長年かけて国民意識を高めて来たたのかも知れまません。
マイナンバー法反対も不思議儀な議論で、善良な国民が何故政府に自己の口座番号が統一的に把握されるのがいけないのか不思議です。
これに先立つグリーンカード論議の頃には、脱税者や違法資金隠しの擁護のような議論が堂々とまかり通っていましたが、この10〜15年くらいでは、さすがに脱税者・違法資金隠匿保護を正面から擁護するような議論は影を潜めました。
10年くらいでは、「プライバシーが政府に把握されるのはどうの・・」と言う訳の分らない議論になっていましたが、これでは迫力がないとなったらしく、この数年では、「情報が漏れたらどうするのだ!と言う反対論が中心になっています。
しかし以前書きましたが、元々年金番号や保険番号などそれぞれ別々にあった番号を統一しようと言うだけですから、何がいけないのか不明です。
数十年かけての議論で、あちこちにに散在している預金や取引口座の名寄せをして、生活保護不正受給その他の不正を防ぐのが何故悪いのかの議論が全くありません。
この統一処理・・名寄せによってもっとも困るのは、巨額違法資金を動かしている違法集団(暴力団など)やいろんな通称名義で預金している在日系だと噂されています。
いろんな分野で反対する名目がなくなって来ると、プライバシー侵害を主張するような傾向にみえますが、思い過ごしでしょうか?
ビッグデータの活用は社会の発展に意味があることは確かですが、それもプライバシー侵害のリスクをどうするかの議論が始まっています。
戦後「昔陸軍今総評」と言うフレーズがはやりましたが、現在的に直すと「昔公害・今プライバシー・格差」と言うところでしょうか?
プライバシーと言うブランドっぽい聞き慣れない権利を宣伝されると、国民は何か有り難い権利のような気分になって、これが侵害されたら大変かもしれないと不安に思うような印象操作を狙っているのでしょうか。
きちんとしたブレーキがあってこそ、車もスピードアップ出来る側面があります。
プライバシー権の確立が大事なこととしても、それは、言わば社会発展のブレーキ役でしかなく発展的方向での貢献とは言えません。
ブレーキ役ならば車そのものの存在に反対するのは間違いですし、何回も書いているように法律専門家は、マイナンバー法や防犯カメラの運用を(暴走しないようにブレーキ役として)チェックしてより良くして行けば良いことです。
旧来の革新系政党や弁護士会の主張は、どう言う意図であったかは不明としても、客観的結果から見ると、全て新技術が生まれる都度、口実を見つけ出しては利用に制約・・ブレーキ役を果たして来たことになります。
この結果、唯一公害防止技術発展では貢献しましたが、その他分野では発展阻害団体としか見えない・・見るべき成果がなかったようにおもわれます。
早過ぎる発展・社会変化は、人心安定にマイナスであるから、発展阻止勢力の存在があってちょうど良かったと言う見方も出来ますが・・・。
再軍備反対論があったからこの程度の抑制された軍備になっていて、世界から信頼されていると言えますし、ものは考えようです。