非武装論者=護憲論者が、後生大事にしている憲法は日本人の先祖がよく考えて作ったものでははなく、アメリカが占領政策の延長として強制したものです。
日本侵略希望を事実上表明しているのは、中韓両国ですが、非武装論は戦わずして(これが平和論の中核です)侵略して来る勢力・・中韓の支配に入った方が、民族が独立しているよりも国民は幸せと主張していることになるのでしょうか?
武装と同盟必要論は、異民族支配に入った場合の悲惨さを心配して民族の代表選手・・戦士が少し血を流してでも、背後の民族・家族の安全平和を守ろうとする考えです。
一定の防衛力を維持して戦うこの意気込みがあってこそ主権・民族自決を守ろうとしているのですが、これは国際的に普通に認められた心情です。
世界中で民族の独立など無駄なことだ・・戦うくらいならば異民族に支配された方が幸福と言う意見は聞いたことがありません。
そこそこの軍備を備えて、侵略を阻止する努力とこれをしない結果の違い・・どちらが本当に民族として幸せになれるかこそを、基礎から議論しておく必要があります。
どうやって平和を守るかの論争自体は空論であってあまり意味がありません。
戦わずして相手の支配下に入れば戦争を防げ・平和?を守れることは確かですが、戦ってでも民族独立を守り抜くのとどちらが日本民族にとって良いかの議論が先決的重要です。
平和を守るために中韓の主張する歴史観をそのまま受入れて、戦わずして中韓の支配下に入ったら戦争は起きないでしょうが、その結果どうなるでしょうか?
「お前らの先祖はこんな悪いことをした」と毎日でっち上げた事実?を強要されて認めさせられて、懺悔・謝罪するしかない生活が待っているのでしょうか?
仕方なしに認めるとそれを理由に更に酷い目に遭う・・地獄のような日々が待っている・・。
毎日責められて謝罪させられ続ける・・。
「お前らの先祖はこんな悪いことしたのだから、謝罪が足りない・・一日に何回か鞭で打たれても仕方が無い・・この程度のイジメや拷問を受けるのは当然」
だとする状態が、日常化することを想像するとぞっとしませんか?
普通、こう言う生活になること期待している人はいない筈ですから、こう言う結果を熱望している勢力とは、本当の日本人か?と誤解?したくなる人が増えるのが普通ではないでしょうか?
最近ヘイトスピーチ批判が起きていますが、根底に本当の日本人が日本の軍国主義化を心配しているのか、疑問に思う人が増えたからではないでしょうか?
マスコミや文化人は何かあると直ぐに「世界ではこうなっている・国連ではこうだ」と錦の御旗のように主張するのに、非武装が良いかどうか、特定秘密保護法や集団自衛権の議論になると「憲法に書いてある」「知る権利が侵される」」と言う一点張りで、特定秘密保護法は外国ではどうなっているのか、世界の中で軍備のない国があるのか、軍事同盟すれば軍国主義国家になると言う世界常識があるのかなどのテーマになると、外国でどうなっていると言う意見が全くなくなります。
「国民の理解を得られない」と勝手にマスコミが世論がこうだと決めてしまい、世論誘導をする傾向があります。
何が正しいか・何が日本民族にとって好ましいかの議論からそっくり逃げています。
政治運動である以上は憲法論ではなく、その意見を貫徹するとどの意見が日本民族・国家に好ましい結果をもたらすかの基準で議論すべきです。
以上書いて来たのは、私の個人意見・感想であって家の周りを泥棒が窺っていても、戸締まりしないで寝ていれば良いと言う人もいるかも知れません。
戸締まり不要論を実行してどうなることを期待しているのかを堂々
明白に主張して欲しいのです。
具体的結果になると、中韓との膨大複雑な貿易や政治文化的関係解決の思惑もあり、国際関係への波及効果等々があるので、どの程度まで対決すべきかについても複雑な利害考量の必要性があって、・・まさにその道の専門家である政治家の出番です。
国際関係は戸締まり論だけで決めて良い訳ではありませんから、警察関係やSECOM等の人だけが発言力がある訳でもありません。