非武装平和論・違憲論者も国家防衛・集団自衛権は主権国家に必須の権利であることを否定していないにも拘らず(世界でこれを全面否定する国や機関はどこにもありませんし、自衛権を否定する学者も知りません)日本に限って、「憲法で決めてあるから」これを認められないと言うのですから、論理も何もあったものではありません。
「悪法も法なり」と言う論法です。
悪法も、民主的手続で決めた以上は、法改正するまではこれに従うしかないと言う意味でしょうが、悪法か否かの議論すらしてはいけないというものではありません。
法改正の是非について議論さえ許されないのでは、法改正のチャンスさえなくなってしまいます・・。
国民が現行法に不満でも、法改正出来ない国では民主国家と言えないので、こういう国や社会の法は正当性がありません。
2014/09/13「国民主権と護憲論の矛盾2」前後の連載で憲法改正手続法の制定に長い間反対していた勢力は、実質的に国民主権否定論者であると言う意見を書きました。
非武装論者の理由とするところは、(占領軍が日本支配の恒久化のために作った)「憲法に書いてあるから」と言う以外の意見を聞いたことがありません。
日本を非武装非同盟・・世界でどこにも応援してくれる国がない孤立国家にしてしまって、どのように民族自立を守って行くかについての意見も、聞いたことすらありません。
占領軍が今の憲法を強制したものであれ、自主憲法であれ、今の周辺事情下で日本に適合した良い制度と言うならば、その政策効果として、如何に日本のために良い効果をもたらすことになるかの正当性を堂々と主張すべきです。
中韓による日本の軍国主義化の懸念に呼応して集団自衛権は「周辺国に警戒感を呼び起こす」からと言う程度の意見をたまに聞きますが、これも噴飯ものです。
アメリカの兵器供給に頼っている日本が独自に軍国主義化出来る訳がないのですから、に言わばこじつけ主張しているだけです。
日米安保や集団自衛権との関連で言えば、日本がアメリカとの条約で縛られている限り、日本は独自の兵器製造も出来ないし、一定期間分の兵器しかないので(戦闘機1機も作れないので、戦争で落としあいになると補給が続きません)補給がない限り戦争を継続出来ません。
アメリカの了解なしには日本独自の戦争など、どこの国とも出来ないように手足を縛られている関係ですから、アメリカとの同盟関係がある方が周辺国にとって安心な筈です。
非武装論者は、非武装で国・民族自決を守れるか否かに関しては(憲法に書いてあるから憲法を守れと言うだけで)沈黙を守ったままです。
彼ら非武装論者も非武装のままでは、国を守れないことを認めるしかないので、非武装政策の効果については何も言えないのではないでしょうか?
非武装では、民族を守れないことが世界の常識であるからこそ、14日に紹介したように国連憲章でも自衛権や共同防衛権を明記しているのです。
またこの国連憲章に対して「自衛権などなくても自国を守れる」「自衛権を主権国家が持つのはけしからん」と言う批判論の存在をついぞ聞いたことがありません。
とすると、非武装論者・集団自衛権否定論者は憲法に書いてある以上は、結果がどうなろうとも当否についての議論を一切する必要がない・・、何も考えずこれを守るべきだと言う無責任な意見になると思われますが如何でしょうか?
その落ち着く先は、
「日本に限って(アメリカに強制された)憲法がある以上は、(アメリカがいなくなれば)他国に侵略されても仕方がない。」
と言う結果を期待しているように見えます。
反米闘争は主権回復のためではなく、別の支配者を呼び込むためにやっていたとすれば、日本人のための政治運動なのかを問わればなりません。
左翼=反米→主権回復運動ではなかったのです。
日本民族を隷属化させたままの支配者変更運動でしかなかったとすれば、アメリカによる日本半永久的隷属化政策の遺鉢を継いでいることになります。
アメリカの作った戦後秩序(=日本隷属化固定政策)に挑戦しそうになると世界の孤児になるとか、ナチスの反省を見習えと猛然と反対するのはこの意味では一貫した流れです。