非武装平和論4と民族自決1(戦争と平和1)

フィリッピンやベトナムの場合、危険になっても警備をしないのではなく、米軍の駐留を求めたり日本から警備艇購入の動きなどしているように危険が迫れば警備を強化するのが世界の常識です。
周辺が危険になったから警備をやめましょうと言う国は世界中でひとつもないでしょう。
日本左翼文化人の主張する非武装平和論は周辺国が軍備増強中・しかも侵略意図をあらわにしている状況下で、「自分だけが無防備になります」と言う宣言ですから、現実的ではありません。
民主党政権時代に鳩山元総理が、温暖化対策で日本だけが一方的にCO2大幅削減宣言して、世間を驚かせましたが(日本だけ突出して高負担すると国際競争に負けてしまいます)これと同じノリです。
最近憲法9条をノーベル平和賞候補に登録申し込みし、ノーベル賞受賞運動を始めたと言う文書が私の事務所に回って来ています。
世界中が非武装・・相互軍縮なら意味がありますが、日本だけがノー天気なことをしていることについて「おめでたいね!」とほめてもらおうとしているのでしょうか?
相手が喧嘩を売って来ていて実力行使に励んでいる状況で、仲良くさえすれば平和を保てると言う非武装論は、慰安婦問題や教科書問題や領土問題で、噓でも何でも相手の言うとおりにすべきと言う立場と(支持勢力が一致しています)連なります。
そもそも戦争と平和はどう言う関係でしょうか?
相手の侵略を受けて立つかどうかがその分かれ目であって、受けて立てば戦争ですが、戦わずして屈服すれば平和ですが、そのかわり長い苦難の歴史が待っています。
本来の平和とは相互の相手の尊厳を認めあって、緊張関係のもとで大人の付き合いをすることを平和と言うのではないでしょうか?
相手が侵略して来ればそのとおり戦わずして隷従し、一方的な歴史認識を押し付けられて、これを認めない限りいたぶり続けられ、仕方なしに認めればこんな悪いことしたのだからこの程度のイジメは受けて当然と言うような関係・・相手の言いなり・隷属化する関係に入るのを平和と言うのでしょうか?
「中韓も国家主義的主張や反日教育を弱めるから」と言うならば、EU等と同じような前向きな関係で互恵関係です。
相手が強く要求する・・相手が軍備増強し、領海侵犯を繰り返し、相手が反日教育に邁進するときに、これに連れて日本も軍備増強し相手の歴史認識に反発していると、いつぶつかって喧嘩にならないとも限らないので、危険なことも確かです。
だからと言って、日本だけが「対中韓関係で軍備縮小して・・日本がやってもいない悪事を相手がでっち上げて主張すれば、「その都度全部認めて謝罪し続けます」と言うのでは、あまりにも一方的過ぎます。
これをまさに隷従と言うのです。
相手が領空に近づくとすぐにスクランブル発進するのが普通ですが、これをやると衝突の危険があるから、そのスクランブルをやめろと言えば、相手の制空区域がその分広がり更に日本に近づいて威嚇し始めます。
これを繰り返していたのでは、日本支配地域が縮小する一方で、キリがなく最後は日本が占領されて属国化しない限り終わりがありません。
何も争う必要がない・・平和裏に属国化したら良いじゃないかと言うのが非武装平和論でしょうが、いじめっ子の言いなりになっていれば、民族に平和=安らぎが来る訳ではありません。
日本人がもしも中韓の支配下に入れば、彼らは際限なくでっち上げ歴史教育をして日本人に対するイジメを繰り返すことが目に見えています。
非武装論者の言う「平和」とは「戦わずして異民族支配下に入れば、戦争は起きない」と言う意味とすれば、それはそのとおり完全な戦争放棄論です。
戦わずして中韓の支配下に入れば、確かに戦争そのものは防げます。
慰安婦問題も南京虐殺も全て中韓の言うとおり認め、仏像を盗まれても文句言わずにいれば、論争は起きません。
これを目出たいと言うかどうかの違いです。
自衛必要論者と、非武装平和論者の違いは、民族の尊厳維持・・日本人だと言うだけでしょっ中イジメを受ける・・中国では改革開放前には残留孤児は「鬼っ子」と呼ばれて苛められてきました・・ような環境におくのがいいかどうかの思想に根本的違いがあることがわかります。
チベットやウイグル人へ厳しい弾圧を見ても分ります。

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