集団自衛権=相互助け合いを阻止すベキ・・侵略行為に抵抗する必要がないので、現状放置すべしと言う意見を基礎にする勢力は、結果的に何を意図しているのでしょうか?
学校のテストとは違い、政治運動である以上はそれなりの結果目的がある筈です。
中国の侵略行為が着々と進みつつある中で、この現状を検証して議論する必要がないと言う立場の目指すところは、中国の好きなようにさせておく・・放置するべきだという意見の別表現と見るべきでしょう。
解釈変更を許さないという入り口論は、中国的支配社会の実現が理想の実現であるとまでは、積極的に(コミンテルン礼賛のような)主張を出来ないまでも、結果的に中国にやりたい放題させておくべきだという思想を基礎にしているように見えます。
いわゆる日本の文化人は(コミンテルン→世界全体の共産化を目指したソ連時代のように)中国による侵略行為の正当化・・・・支配下に入った異民族に対する過酷な弾圧の容認・・正当化の主張がいまのところ出来ていません。
鉄のカーテンも竹のカーテンもなくなり、ソ連や中国に招かれた特殊左翼文化人だけしかソ連や中国社会を知ることが出来ない時代が終わると、あちらは天国のような社会だと嘘の報告をできなくなりました。
呼吸すら思うように出来ない中国の酷い公害の現状(これが全ての中国的正義の象徴でしょう)が、日本国民一般に直接知られるようになったからです。
中国が理想の国で正義だという主張が出来なくなったからか、中国支持者が現状検証の議論に入るの拒み、解釈変更が許されないという入り口の観念論で勝負していると推測されます。
4〜5日前の国会での集団自衛権に関する安倍総理の演説や質疑に関連して5月29日日経新聞朝刊3ページでは政党別分類表が掲載されていました。
これによると、集団自衛権行使自体に反対しているのは共産党や社民党だけで、その他政党は慎重論の政党(公明党や民主党、結いの党)でも、内容の吟味に入っている・・現行で許される実際の幅を広げたら足りるのか、解釈変更が必要かなど全て行使すべき内容次第・・即ち現状の検証が前提になります・・という政党ばかりです。
解釈変更自体が違憲であるかのような入口論調ばかり(私の周辺にそう言う人多いというだけでした)見ていたので、「変な社会になっているなあ!と心配していましたが、こう言う観念論に固執している政党が限定されていて、政治家の多くが現実直視していることを知って安心しました。
解釈変更自体が許されないから、現状認識や集団自衛権の内容・程度に関する議論をする必要がないと言う意見を主張する人々は、中国による日本を含めた周辺国侵略を座視すべきだと言う結果に繋がります。
彼らの思想的基礎は非武装国家論でしょうが、これは一時期超大国アメリカの庇護下にあったから可能であったに過ぎず、どんな状況でも妥当する論理ではありません。
(アメリカの庇護下で)夏にオーバーが不要であったとしても、冬になっても(アメリカの警察力が低下した場合)何故オーバーや外套を(自衛)着る必要がないかの説明がありません。
非武装でよい、世界に冠たる平和憲法を守れと言う論理は、アメリカの警察力が低下した現在「尖閣諸島を中国が欲しいならばどうぞ」と言う姿勢になりますが、これでは次々と中国の要求が広がり侵略範囲が広がることは、目に見えています。
・・日本が中国にドンドン侵略されても放置していて抵抗しなくて良いし、周辺国が困っても放置すれば良いという意見は、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」)にしがみついていることになります。
中国が憲法の予定する公正で信義の国だというのが解釈変更違憲論者の基礎意識になるのでしょうが、中国のやり方が信義を守り公正な国だと開けっ放しで寝てると、目が覚めたら自分の家が強盗集団に占拠されている・・日本人が全部中国支配下に入ることを甘受すべきだということになるのでしょうか?
現在中国支配下に入っているウイグル族のような目に遭う・・直ぐではないとしても徐々に日本語が禁止されて漢語を話せないと就職出来ない社会が理想ということになり兼ねません。
集団自衛権の議論自体許さないという意見は、周辺国と助け合わなくとも良いと言う結果になりますから、周辺国が中国支配下に入るのを放置することになるのでしょう。
犯罪から身を守るには近隣との助け合いが必要ですが、国の存立も同じで、日本を守るには周辺国との助け合いが重要です。