戦争と国力疲弊3(植民地争奪戦争)

生産効率の格差が商品販売競争反映し、この競争に負ける方は個人で言えば倒産・路頭に迷う最貧階層に転落ですし、国家全体で言えば被支配国への転落となります。
国内産業維持・競争力を身につけるために輸入制限等になるのが普通ですが、欧米から見れば、輸入禁止されないように単なる市場から、植民地支配へ移行して行きました。
後発国による輸入制限措置等に絡んで言いがかりをつけて・・自国商人保護等の名目で軍の駐留をし、問題が起きるとそれを口実に戦争をして行ったのです。
この極端な例がアヘン戦争でした。
戦後ナセルによるスエズ運河国有化にケチを付けて、英仏連合軍がスエズに侵攻したのもこの一種でしょう。
幕末日本の場合、強硬な輸入制限や外国人排斥をすると軍事介入される口実にされることから、植民地支配を免れるための妥協の産物として関税自主権や刑事裁判権を持たない通商条約を飲まざるを得ませんでした・・。
これが国辱ものとして井伊大老の暗殺・・明治維新に連なるのですが、明治以降国力増進に伴って不平等条約改正交渉が悲願となって、これに邁進していたのもその文脈で理解可能です。
戦後独立の代償として憲法9条で自主防衛権を放棄させられたのも同じ論理ですから、(押し付け憲法が国辱ものと言われていますが、戦争に負けて押し付けられたこと自体は論理必然です。)国力増進に従ってこの解釈変更を試みる・自主憲法制定論が悲願になっているのも、明治の条約改正が悲願だったのと同根です。
自主憲法制定まで行くのは対アメリカで無理があるとしても、憲法解釈変更は条約改正と違い・・相手の同意が要りませんので内部決断で足りますが、事実上アメリカの同意が必要です。
いわゆる戦後レジームの見直しになるので、アメリカを中心に反発がありこれを中国や韓国が利用して騒ぐからです。
植民地になると関税や国内産業保護のための各種政策が出来なくなり、国内産業・産品を守れないことから、際限なく国内産業が衰退・・支配国からの輸入品に叶わないので既存産業は倒産ばかりで被支配国の経営者・・伝統文化を維持するべき余裕のある人が壊滅して行きます。
これが被植民地と先進国の経済・文化格差が巨大になってしまった原因です。
中国が戦後支配地の異民族・・モンゴル族などに対して文字の読める人をほぼ皆殺しにしたと言われていますが、(ポルポトの大虐殺は中共の指導の基に行なわれたので中国の残虐なやり方が世界中に知られるようになりました)こんな性急なことをしなくても、数世代支配を続ければ地元文化の維持者がいなくなって結果的に民族文化がほぼ消滅し、文字の読める人が殆どいなくなってしまいます。
地元産業が壊滅すると文化を担う豊かな人材も減り、生活レベルが下がり続けます。
千葉県を見ていると私が昭和40年代に千葉に来たときには地場産業資本家が結構いましたが、いくつも合った地元百貨店が次々とつぶれあるいは三越などの傘下に入り、車その他あらゆる分野で大手傘下に入ったと思ったら短期間グループ企業の社長でしたが大方は直ぐに吸収されてなくなってしまい、大手の直属営業所や支店になって行きます。
これでは地元トップが支店長という転勤族サラリーマンばかりですから、地元で高級品を消費する層が激減します。
千葉に来たばかりの頃には地元に数カ所のレストランやスーパーを保有する人やちょっとした事業をしている人など経営者がいっぱいいました。
彼らは小なりと言えども経営者ですから、相応に料亭で芸を覚えたり、(私も若手の頃には芸者さんがゲイを演じてくれる地元料亭に一緒に連れられて行ったことがあります。
彼らは地元紳士としてヨットや外車を買ったり、立派な屋敷を構えたりそれなりの楽しみをしていました。
それがソゴウや三越など大手になって、ビルは立派になったのですが、オーナー経営者が一人もいなくて雇われ店長ばかりの社会になると、地元文化を維持することが出来なくなります。
私の自宅周辺は比較的大きな屋敷のある地域でしたが、今では大きな屋敷を維持できずに殆ど全部マンションに変わりました。

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