東京電力が無意味な自然尊重みたいなイメージ広告を朝日新聞等に一面借りきりで巨額支出していることから、東電に対する批判が抑えられて来たことが原発事故後に明るみに出ました。
(広告出稿等の)金の力次第でドンドン宣伝する大手マスコミの誘導に従って一見自己判断をしているかのように誤解した有権者が投票するのと、候補者を直接知っている地元有力者のナマの声を信用して代議士を選択するのとどちらが本当に民主的かの議論が必要でしょう。
有力者による候補者の取捨選択の意見は、・・有力者の個人的な利害を隠して良いように説明するなどマイナス面がありますが・・聞いてる方がその有力者と地元で日常接してる関係から,説明する有力者個人人格をどこまで信用するかのチェックが出来るメリットがあります。
「あの人が推してるのでは胡散臭いからやめよう」と言う逆の評価も出来ます。
農業団体が推している・・共産党が推してればこう言う思想の人だろうと分りますし,このために政党隠しも行なわれることがあります。
これに対してマスメデイアの場合、一般大衆にはマスメデイアの編集者とは何の接点もないし、しかも一見中立っぽく報道するので却って国民は知らず知らずのうちに一定方向へ誘導されてしまうリスクがあります。
麻生総理現職当時の歪んだ顔や第一次安倍政権時の総理の頼りなさそうな面ばかりアップする手法です。
人間である以上は自信に満ちた顔をするときも困った顔をするときもあるでしょうが,中立っぽい報道が困った顔ばかり発表すると国民はこんな頼りない総理では困るとイメージづけられます
普通選挙は,ネットが発達した今でもなお概ねマスコミによるスクリーンを経た選挙だったとも言えます。
マスメデイア選挙の方が民主的だともてはやすのは、マスメデイアによる自己礼賛ではないでしょうか?
有力者に頼まれると断り難いのに対して、マスコミ宣伝による影響力の場合、受け身とは言え形式上自己判断である点が洗練されているということでしょうか?
露骨な汚職と政治献金の違い、強制と自主規制の違いのようなものでしょうか?
アメリカの大統領選挙は政策にもよるものの、結果から見れば資金力によって決まると言われていますので、戦国時代に収入力が5万石の大名と50万石の大名では、勝敗が概ね決まっていたのと結果から見れば本質的差がないことになります。
政策によると言っても成長戦略が必要というのは誰でも同じですし、介護の充実年金財政の解決の必要,保育所の充実も総花的主張ではみんな似たような主張で差異がありません。
マスコミがどんなに煽っても駄目なものは駄目で、マニフェストや人気によって資金力の差を逆転出来ることが稀にあるので、やはり個々人が最終的に決める権利があるのは重要だと言えるかも知れません。
しかしこの程度のことならば、戦国時代にも桶狭間の戦いのように資金力(総合軍事力)に劣る方が稀に勝つことがありますので,本質的な差とは言えません。
ココで書いているのは原則的な傾向を書いているものであって、モノゴトには例外があることはいつもお断りしているとおりです。
韓国や中国がアメリカで膨大な予算を使って広告宣伝・ロビー活動して史実を180度ねじ曲げても兎も角議会の多数さえとれば良いという運動が成り立っているのは、絶対的な正義か否かを問題にせずに,多数派工作すれば良いと言う社会・・これを受入れるアメリカ社会レベルにあります。
民主主義的価値観の共有と言っても正義不正義を問題にせずに,多数派支配を認めるという意味でしかないのです。
相手の陰口ばかり言っている人の方が日本社会では逆に信用を失うのが普通ですが、欧米や中韓ではそうではなく,嘘でも何でも宣伝に努めればみんながそう思うようになる・・多数さえ占めれば何をしても良いという社会です。
多数さえ占めれば「正義不正義にかかわらず」何をしても良いというのでは、専制権力が一旦権力を得れば何をしても良いと言うのと根本は同じです。
これまで書いて来たように専制権力に限らず、全て権力はそのときの多数派の支持で成立したものである点では今の民主国家と同じですから、一旦(正当に)得た権力で何をして良いかの道義心・高潔さの有無程度で、権力の持続的正統性が計られるべきです。