文化受容力と国民レベル4

江戸時代に文楽や歌舞伎、浮き世絵が盛んになり俳句が盛んになって、端唄小唄の師匠でさえこれを職業として食って行け、相撲興行や落語寄席等が維持出来たのはそれを維持するに足るファンがそこにいたことの証拠です。
オリンピックやサッカーのワールドカップ、ディズニーランド等の運営を順調にやっていけるのは、真に豊かな国に限られるのは、外国からの少数の客よりは地元民の大量集客・リピーター確保の成否に左右されるからです。
中国の新幹線もリピーターがいないと維持出来ないので、一時的にサクラに切符を配って乗客を確保する国威発揚形式では続きません。
その地の人・民衆がどれだけ自発的に集まって各種の興業・イベントを(自分の金で)支えているかが、その国の民度レベルを計るには重要です。
奥の細道を支えたのは、行く先々で芭蕉を宗匠として迎え入れて歓待し、(勿論相応の謝礼を支払います)句会を催すに足る・文化人が多くいて、しかも財力があったことを表しています。
現代でも有名美術展等は大都会でしか開催出来ませんが、奥の細道のすごさは、華やかな都会だけを歩いたのではなく、農村(田舎)から農村(田舎)への旅でありながら、農村地帯でも相応のファンや財力があって、点と点を繋いだ旅が出来たことにあります。
古代の孔子孟子の旅は、各地君主が顧客でしたし、言わばコンサル業者でした。
中国歴代の漢詩文は科挙制度と結びついて成り立っていただけで日本のように万葉集の時代から庶民が文化を受容して下支えして来たものではありません。
文化人がひとたび官界から浪人してしまえば杜甫のように食いはぐれの人生しかなく、これの受入れ下地がなかったのです。
日本の大老酒井家の次男酒井抱一が絵師になっても食って行けたし、芭蕉も武士をやめて俳人で独立しています。
西洋の芸術家・・ミケランジェロその他の芸術家は王侯貴族のパトロンがあって成り立っていたのですが、日本の絵師・茶道・華道や踊りその他芸術家は特定パトロンがなくとも民間需要で家業としてやってやって行けた社会です。
平賀源内や剣術家も独立して道場主で食って行くなど、世間・懐が大きかったのです.
江戸時代日本のすごさは、庶民大衆(江戸の豪商・中間層だけではなく)が各種文化を楽しんでいた・・担い手であったことにあります。
浮世絵や錦絵その他が、木版画によって大量に印刷が出来たことは、それだけ購買層が広く需要が盛んであったことになります。
今浮世絵の展覧会が盛んであることと、浮世絵が今の社会で支持されているかは別問題ですし、各地のお祭りが盛んでもその経済基盤が観光収入(他地域から来た)によるのであれば、その地域の力ではありません。
中国の韓愈など有名人の碑文などを見に行く観光客が多くいても、その碑のあるところの今の民衆が漢詩文に優れている訳でもありません。
これに比べて我が国では、今でも俳句や川柳人口が多いのは、ご同慶の至りです。
過去の遺物が多くあれば良いのではなく、その遺物・・貴重な歴史経験を活かして現在人がどれだけ文化的なレベルを維持しているかこそが重要です。
我が国では古くからの絵巻物や絵草紙類・・浮世絵その他の普及が今のアニメや漫画・コミックの隆盛に繋がっていることが明らかです。
江戸時代の細工物の優秀さが、現在の精密工業の隆盛に繋がっていますし、江戸時代の洗練された美意識が現在の洗練された日本人に繋がっています。
そのまた基礎には美しい自然があるでしょう。
東京のように現在進行形の文化最先端事象を見たくて来る人・・あるいは現在最先端社会の基礎となる過去の歴史を知りたくて来る人が多いのは意味があります・・。
トヨタ自動車等の現役世界企業の工場見学も意味がありますが、現在とあまり繋がらない過去の遺跡だけを売り物・見せ物にしても意味がありません。
いわゆるお上りさんが来る町は意味があるし健全ですが、過去の栄光だけを見に来る人にぶら下がって生きて行く社会は不健全です。
南米の遺跡やピラミッド見物などはマサにその典型ですし、中国地域の長い歴史も王朝交代の都度断絶して来たので、石碑があっても歴史文化が民衆に共同体験されていないために現在人と無関係にペルーの遺跡同様に遺物として存在しているだけです。

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