クリスマス・イヴ(天皇誕生日)

今年もクリスマス・イヴになりました。
今年は24日夕方から東京地裁の事件が入っているので、24日夕方からのデパ地下での買い物の楽しみを享受出来ません。
そこで直前21〜23日の連休をクリスマス休暇になったつもりで先に楽しんでおくことにしました。
まして23日は天皇誕生日でもあります・・本来このための国民の祝日ですから、あわせて楽しむ?お祝いすることにしました。
日本ではキリスト教徒の宗教上の祭りではないことから、私にとって厳密に24日でなくとも何の支障もありません。
23日早めにデパ地下に行くとそれなりに客が多かったですが、例年の24日に比べると買うたびに並ぶ必要がなく、(品定めをして一巡してからイザ買おうとすると売り切れという心配もなく)落ち着いて買い物が出来て満足でした。
私も高齢化のせいで大量に食べる楽しみがなくなったので、準備等の過程を楽しむしかないようになっています。
デパ地下でみると、今年は小ぶりのケーキやオードブルが主流のようでした。
旅行や名所旧跡めぐりもそうですが、その道行きを楽しむのが日本文化の神髄ですからその延長と思えば良いことです。
街の造りも、西洋では道路は通過するための設備ですが、日本は昔から、歩きながら商家や塀の造りなどを眺めて楽しむ習慣です。
江戸時代から東海道53次の弥次喜多道中記や、広重の浮世絵などが版刷りで大量に売れて来た下地です。
伊勢神宮そのものよりも道中の楽しみを描いてヒットしているのです。
伊勢神宮も本殿自体は大した建物ではないのですが、参道を歩いて行くその道行きに価値があります。
各地のお祭りでも、約1年かけたお祭りの準備自体が楽しいというのも同じでしょう。
ココ⒉〜3週間のことですが、年齢の所為か風邪気味のせいか不明でしたが、かなり食欲というか胃の許容量・・消化能力が落ちて来たことを痛感するようになりました。
「見た目に若いだろう」という変な自己過信が身体の内部から異議申し立てを受けている感じです。
「年寄りの冷や水」と古来から言われていますが、私の場合、頑健なタイプではない御陰で身体が先に教えてくれるので、いつも年齢相応に生活スタイルを変えて来られてあり難いことです。
年齢相応に筋肉・スジが固くなっていることが(ホンの短時間でも庭先で草花の植えかえなどやっている直ぐに腰が痛くなって、しかも治るのに時間がかかる)よく分ります。
部分的に若者の真似をするとバランスが悪くて転んだり、つまづいたりいろんなリスクに直面しそうです。
駅に向かうときもスジが固くなっているから歩くスピードを落とした方が良いのかなと、早めに家を出て意識的に対応してみると直ぐにゆっくり歩くのが身に付いたのには驚きました。
秋の終わりころに都内青山で食事した後に娘の買い物のために麻布辺りのお店を探してやっと目当てのお店に着いたときに、歩いて疲れた感じがしたので、店の前に通りかかったバスに乗って新橋に出たことがあります。
高齢者優先席に取りあえず座って,「高齢者が来れば立てば良いか」と娘に言ったら、「お父さん立派な高齢者だよ!」と言われてしまい「そうか!」と自覚したばかりです。
自分では「年寄りではない」と無意識に思っていましたが、古稀を過ぎて年齢的・外形的にも立派な年寄りの仲間であることを自覚するようになりました。
以来、ちょっと歩いて疲れるということは、運動量のセーブ→エネルギー摂取量も少なくて良い筈・・食べるのも控え目にして胃に負担をかけないようにしていると、あっという間に胃がしぼんだらしく、(ココ数週間風邪気味になっているせいなのか原因不明ですが・・)食べたくとも多く食べられなくなりました。
身体がいろんな面での規模縮小を要求していたのに、気が付かなかっただけのようです。
今年からは、クリスマスのご馳走も(量を縮小し)準備を楽しみ、目で楽しむのを基本に変えました。
言わば今年末は高齢化仕様元年というところです。
私ごとはこのくらいにして天皇誕生日祝いとして一言書き添えます。
「戦時中から戦後廃墟からの復興〜平成と激動の80年間・・「価値観の変動する大変な時代を生きて来られたのだなあ!」という感慨・共感(私は80年も生きていませんが一部共感)がひとしおです。
お疲れさまでした。
我々庶民・下々は生きるための変化対応中心(・・無我夢中で対応していれば良かったの)ですが、陛下の場合は、食うのには困らない代わりに価値観の大変動にあわせるご苦労があったでしょう。
ご苦労を偲び、末永く御健康であらせられることを祈念する次第です。

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