民意に基づく政治13(信頼の重要性3)

長期的視点で信義に基づく行為の積み重ねて友好国を多くして行き、それでも駄目かどうかは神に委ねる・・飽くまで正しいことをして行くという日本人個々人が古代から守っている生き方を政府も企業もして行けば良いのです。
タイやマレーシアが(中国よりは日本のインフラ支援を受けたいが中国が米を買ってくれると言うとそちらに頼まざるを得ないから・・と相談を持ちかけられたのは、彼らも苦し紛れのお願いでしょう。
日本は出来ることと出来ないことを分けて・・しかも工夫次第で出来ることは出来るだけ協力して行く(商社機能を使って世界の他所の国に転売出来ないかなど)という精神の実行にとどめるのが必要です。
実際に中国や韓国の穀物輸入の大多数は、日本の商社がアメリカなどから買い付けて日本商社経由で輸入していると言われています。
タイやマレーシアの要望が国際商品相場での購入を打診しているのならば、日本が商社を利用して転売可能価格で応じても良いことです。
仮にタイ米やマレーシアのゴムを国際相場より1〜2割高く買ってくれというのでは、そもそも等価交換の取引を拒否している・・インフラ整備費を1〜2割値切っているのと同じことですから、その値段で日本がやれるかどうかを判断すれば良いことです。
国民の信に基づく政治は、信用に基礎をおく商道徳の基礎であり、国民同士が信用しあう平和な社会の基礎です。
逆から見れば、国民同士・・商人同士・・消費者が商人を信用する基礎があってこそ、政府も、国民の信頼を基礎に成立するしかない・・民意を大事にする自覚が生まれるのでしょう。
信用とは将来の約束が守られることですから、(お金の貸し借りを信用というのは将来の返済約束を信用するからです)個々人間の信用・信頼関係が成立しない社会では、即物的・ゲンキン・・守銭奴的な生き方が基本になります。
商取引の場では相手が信用出来ないので掛け売りではなく現金取引しか出来ない・・長い付き合い/系列よりはその場その場で有利な相手と取引し,人間関係では相手が弱ってればこれをチャンスと叩くばかりで助け合わない・政治面では目に見える権力の強制しか効力を持たない・・捕まらなければ悪事を働くのに抵抗がない・・犯罪多発・道義のない社会です。
ここで・・民主主義の可能性に戻ります。
民主主義政治とは、国民の信頼に立脚する政治運営のことですから、社会に幅広い信頼関係が成立していないと政治スローガンだけで運営出来るものではありません。
商人が勝手に顧客を信頼すると言って店頭や道ばたに商品をおいておくと、通りがかりの人が黙って持って行く社会では、こんなことは出来ません。
あちこちの後進国で政権運営に対する不満で暴動を起こして、独裁権力等を打倒した場合、中国のように繰り返し新たな王朝・共産党政権のような強権政治に戻れば秩序が安定しますが、これを民主化暴動と定義すると無理が出ます。
信頼関係のない社会では、イザみんなの意見でやってみると信頼の基礎がないし、政治経験が乏しいので社会が大混乱になります。
 「みんなの意見を聞いていたらうまく行かない」
と気がついて軍事政権〜独裁に戻るか・・精々選任手続き(任期付)だけ民主的手続きとし、後は韓国のように一定期間一任して文句言えない制度に戻る国が普通です。
これが世界の主流・大多数だからと言って、民主主義でうまく行っている国まで、一緒に独裁や軍事政権に戻る必要があるでしょうか?
夢のような恋愛を諦めて、程々で諦めて結婚するようになったからと言って,本当に恋愛結婚ででうまく行っている人に対してまで、身分社会時代のように恋愛結婚を禁止する必要がないのと同様です。
民族・同胞意識の成熟していない国が世界で多いからと言って、同胞意識の強い安定した社会をバカにして、異民族を無制限に招き入れて砂粒のような何が起きるか分らない危険な社会の真似をする必要はありません。
我が国のように他人間でも、(落とし物をすれば必ず戻る社会・・みんなが約束を守る社会)お互いが信頼して生きて行ける社会の方が、みんな幸せです。
この信頼感は縄文時代の古代から、ずっと一緒に住んで来たし、今後もずっと一緒で逃げも隠れもしない同胞という安心感があってこそ成り立っているものです。
ちょっと具合が悪い・危険だからと言って簡単に逃げて行かないで、みんなで力を合わせて地域をもり立てようとする信頼感・・この超長期の運命共同体意識が信頼の基礎です。

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