民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)

コマメな転任・政権交代は新規職務に慣れるまでの期間ロスがありますが、ロス程度ならば徐々に担当者が入れ替わって民意を徐々に反映する仕組みのメリットの方が大きいでしょう。
我々弁護士会でも会長任期は1年ですが、前任者の行なっていた企画の継続発展と少しばかり新しいことを色 付けする程度の微修正ですから、それで不都合がありません。
会社の課長も部長も支店長も1年ごとに引っ越すのは大変でしょうから、引っ越しを伴う転勤は数年単位が普通でしょうが、仮に1〜2年ごとの移動があっても企業活動に支障を来たすことはありません。
裁判官その他公務員の転勤の場合も、担当が変われば少しは流れが変わることがありますが、大きな変化はありません。
固定した任期制で長期間フリーハンドを与えるよりは、小刻みに民意を反映して行く日本式の方が民主主義政治としては合理的です。
任期制は終身大統領制やその延長になり易い世襲制の否定から生まれた発想ですが、その代わり任期保障がその間の民意軽視許容を内包した制度設計になっています。
政権交代の効果に戻りますと、アメリカのように官僚機構を含めて大幅な人事異動を伴う政権交代・・あるいは今回(7月3日)のエジプトの政変のように、イスラム原理主義政治か世俗重視かと大きな政策方向の変換を前提にした政権交代が世界の主流です。
日本は古代から衆議に基づいて政治をして行く社会ですから、担当者が誰になってもそのときの国民の大方の意見を無視出来ませんので、方向性はそんなに変わりません。
政権交代があると大きく方向性が変わるのが日本以外の世界では普通ですが、これを日本の政権交代に当てはめて論じるのは大間違いです。
日本の総理がしょっ中変わると信用がなくなると、嘆くマスコミは世界標準と違う日本政治の現実を理解していないのです。
(外国マスコミの受け売りばかりではなく、現実の日本理解をさせるためにマスコミ人や文化人を「国内留学」させる必要があるでしょう)
マスコミや文化人は欧米や世界で普通である強力なリーダーシップ発揮(政治家が民意による政治ではなく自己の信念によって、国民を一定方向へ導く)を前提にした政治家像を基準に、日本の政治家は指導力がないと嘆いたり、こんなにコロコロ総理が変わると世界で相手にされないと頻りに主張して日本駄目論を展開していますが、前提が間違っています。
むしろ同じ国なのに政権担当者が変わる都度政策の基本方針や意見が180度変わる国の方が安心して交際出来ない・・・カントリーリスクが高く継続的交際が難しい・・その点「日本は政変があっても政策の継続性があって良いぞ!」という真っ当な主張を海外に向けて発信して行くべきです。
選挙の都度「どんな政権になっても代り映えしない」と有権者を登場させてしゃべらせるマイナス評価報道が多いのですが、日本では時々刻々に変わって行く民意を政治が間断なく吸収しているからこそ、政権が変わってもそれほど大きく変更する余地が少ないのですから、これこそが日本民族の宝です。
(各種産業製品や事業モデル分野で微修正・改善が得意なのも根っこが同じです)
時々刻々に変わる国民の意見を吸収して行う柔軟な政治体制が可能であるためには・・世界的に見て国民レベルの高い成熟社会に限定されるでしょう。
(自己主張ばかりで、公のために妥協する訓練の出来ていない場合一々民意を聞いていたのではまとまりません)
後進国その他大方の国で(世襲制を民選にしてこれを更に任期で縛る程度で我慢するの)は、民主化しても日本のように一々の政策に国民の意思を反映するところまで、一気に民主化することが出来ないのが普通です。
生まれによって政権担当者が決まるのではなく、選任するときだけ民主的手続きにする程度で我慢して選任後は一定期間独裁的権限を振るえる大統領制を採用している国が多いのは、(しょっ中民意を反映する本来の民主主義だと国論が分裂して無茶苦茶になってしまうリスクが大きいためで)民族レベルの違いによります。
ちなみにウイキペデイアで議院内閣制を検索してみると

  (ロ)議院内閣制を採用している国

 ①立憲君主制の国…イギリス、カナダ、オーストラリア、オランダ、デンマークなど

 ②象徴的大統領の国…ドイツ、イタリア、オーストリアなど

となっています。」

議院内閣制が可能なのは、民度が高く、政情の安定した一定の国だけであることが分ります。

民意に基づく政治3(大統領制と議院内閣制2)

固定した任期制→大統領は政策決定を一任されている制度設計ですと、この間に民意を反映しないで一方的な政治を行うことによる国民のフラストレーションが蓄積して行きます。
韓国では、政権・求心力維持のためにこれまでの歴代大統領は政権末期になると反日意識を煽る形が常態化して来たのが軍事政権から韓国民主化以降の対日感情悪化の歴史でした。
これに対して国民の意向がモロに影響する仕組みにした結果、短命政権の連続でどうにもならなかったのが、戦後のフランス(ド・ゴールによる第五共和制成立以前)やイタリアでした。
日本の政権がしょっ中信任を問われることになっている・・その結果数年平均で政権担当者が変わるのは、制度的には議院内閣制によるものですが、古代から衆議に従って決めて来た長い歴史を背景にしています。
日本の政権がいつも国民の信任に曝されている例では、第一次安倍政権も就任後の参院選敗北が退陣の引き金でしたし、民主党の鳩山政権も成立約半年後の参院選の敗北が退陣に繋がりました。
今回の第二次安倍政権で言えば、昨年暮れに成立してこの7月には参院選で信任を問われます・・今回は勝つでしょうが・・。
日本の政権は短命で恥ずかしいと欧米かぶれのマスコミによって揶揄されますが、このようにしょっ中民意による信任が問われる政体こそが、本来民意に従う政治としては究極理想の姿です。
しかも総理がしょっ中変わっても混乱なく政治が行われて来た面では、世界でも驚異的安定社会と評価すべきです。
日本の政治家は自分の思想を押し付け導く指導者ではなく、民意のまとめ役だからです。
社会の実態が日々変化していて、国民の意思は日々徐々に変わって行くのが当然ですし、政治家が敏感にこれを反映して政治をして行くのがそれこそ民主主義の極意です。
政権担当供給源が同じ組織の場合、如何に民意に敏感でも一定の方向性を変えられない・・硬直性が避けられませんので、だからこそ開国・近代化しかないと言う方向性が国論として一致していたのに明治維新が起きたのです。
民主党も自民党も経済成長が必要・・原子力被曝から国民を守る必要等方向は一致していても、ときには政権交代が必要なのです。
日本のように数年単位で政権担当者が変わって行くのは、方法論的微修正をするための時代即応性があってフレキシブルで良いことです。
政権担当者が(民意よりは)自分で決めた方向へ国民をぐいぐい引っ張って行く強力なリーダーシップを前提にする日本以外の国々の政治の場合、1年〜数年ごとにリーダーが変わるのでは、その都度180度向かって行く方向が違ったりするので、政策の継続性がなく右往左往して混乱するイメージ・マイナス評価になります。
日本のように政治家が方向付けするのではなく、時々刻々に変わって行く大方(国民)の意見をソンタクしながら政治をして行く社会では、母集団が同じですから、選出される政治家が変わっても政治方向がそれほど大きく変わることはありません。
任期が数年刻みでも1年刻みでも実はそんなに大きなブレが生じないどころか、逆に期間が短いために大胆な方向転換出来ない(点が危惧される)社会になっていて、世界の常識(政権交代すると継続性がなくなる心配)とは真逆の効果が生じています。
大きな改革には4〜5年でもどうかな?というくらい我が国では時間がかかるのですが、2〜3年で政権を引き継いで行くと次の人は「前任者の政策を継続します」と言っても、熱意が違うので尻すぼみになり勝ちです。
長期政権でないと大胆な改革・・変革が出来ない社会ですから、日本は世界とは逆バージョンです。
世界ではエジプトの7月3日の軍事クーデターの例を見ても、1年ごとにイスラム原理主義か世俗主義方向か?と政権が変わる都度大きく変わるのが普通ですが、日本は逆にくるくる変わると、却って大きな変革・方向性の変化の出来ない社会・安定社会です。
短命政権が何故世界の信頼を失うのか、日本以外の世界の実態・・政権交代=大幅方向性変更を前提にした欧米の価値観を受け売りしている日本マスコミの現実理解能力を疑います。

民意に基づく政治2(大統領制と議院内閣制1)

日本を除く世界中では、トップは兎も角命令するものであって、下々は命令の妥当性など何も考えずに黙々と従うしかないと言う意識で何千年もやって来た点はどこの国でも殆ど同じです。
アメリカだって、大統領を選ぶことが出来るだけであって選んだ後はフォーローザ・リーダー・・・・政治に口出しせずに、決めたことは守って行くだけです。
日本を除く世界中で騒乱状態にならず何とかなっている国は西欧のいくつかを除けばすべからく大統領制・・任せたら後は強力な権力を与えて自由度を高める外、任期も長くしているのが普通です。
韓国の例を見ても分るように任期終了間際の1年から半年前くらいから、政権運営能力が揺らいでどうにもならなくなって、最後(李大統領は半年から1年前には支持率20%と言われていました)には失脚する形で終わるのが普通であることを参考にしても良いでしょう。
もしも日本のようにしょっ中政権の信任を問われる仕組みですと、韓国のように我欲の主張の激しい社会では数ヶ月ごとに政権交代になってしまう・・その都度方針転換では大混乱社会になってしまう可能性があったでしょう。
その点で、韓国人の民度を前提にして、任期5年制にしてこの間一々民意に従わなくて良いと決めたのは合理的です。
韓国では長期・5年の任期制によって、この間だけ強制的に権力の安定が保たれているに過ぎません。
任期が長いと言うことは、その間(極論すれば)民意を無視して政治が出来る保障を与えているということですから、大統領の考える思い切った改革(反対派の意向など無視・軽視して)が直ぐに実行出来ます。
任期制の上に何回でも再選可能な制度にすると、事実上終身制みたいになって硬直性が極まっても民意の反映が出来ないので不満が発火点に達してしまうリスクがあり、騒乱による政権転覆・・革命のリスクが生じます。
革命が起きること自体が政治体制・・民度の未熟さの現れですから、革命の成果を自慢するのは恥ずかしいことです。
大体世の中で自慢することほど・・見方を変えればみっともないことが多いこともあって・・恥ずかしいことはありません。
韓国では大権一任の結果、かなり多数(例えば反対論が4割も会っても)を占める意見でも、全く無視して果断に政策実行出来る代わりに・・農業の思い切った自由化や大企業優遇策等々で勤労者が疲弊するなどで切り捨てられた勢力の大きな不満を抱えています。
大統領再選がないので、任期が事実上の終身制ではありませんが(専制制しか知らない結果、たった5年間しかない任期中の支持さえ維持出来ないほど民意を汲み取るのが苦手な国民性です・・)運営が拙劣ですから、再選の危険を心配するどころではありません。
国民の気持ちが移ろうのに対して長過ぎる任期によって政権が守られている矛盾が吹き出るので、政権末期ころには支持率急低下・低迷となることの繰り返しでした。
この繰り返しを見ると、制度的には任期が長過ぎることに問題があることが分ります。
大統領大権と固定任期制は表裏の関係になります。
アメリカの場合には二回限りの再選があるので、任期中は一任されているので大権行使出来るとしても、再選を意識して民意を無視ないし軽視した思い切った政策実施が出来ないブレーキが働くことになります。
韓国だって、与党が連続して政権を握るためには与党不利な政策を採用出来ない筈ですが、極端な政治をしてしまうのは、権力を握れば何をしても良いという長い歴史経験とこの裏返しですが民意を汲み取る能力の欠如に尽きるでしょう。
与野党どちらが政権を取ってもいつも直ぐに支持率急落になるのは、元々専制政治制で人民を家畜のように扱って来た歴史から、民意を汲み取る能力が欠如していることによります。

民意に基づく政治1

June 6, 2013「モラール破壊11(根っからの民主政体の国・日本)」や2013/07/03「反日教育3(親日意識2)」で少し書き始めていたテーマに戻ります。
ボトムアップ政治に慣れていない国・・庶民が家畜のように何千年単位で扱われて来た社会では、庶民が政治に参加した経験・能力がないのでイキナリ民意に基づく政治と言い出しても民主主義的政治運営が難しいのが当然です。
小学生や中学生が親に反発して家を飛び出してもうまく行かないのと同じです。
この場合、もがいているうちに不良になってしまう・・国で言えばテロ国家になって収拾のつかなくなる例・・もいますが、大方は周りが面倒見たりしているうちに一定年数で大人になって行くので何とかなりますが、民族としての経験不足の場合、5年や10年でどうなるものではありません。
韓国や中国は、この苦しみの最中なので政権維持のために対外的に(言い易い日本相手に)無茶苦茶を主張しているしかない状態であると理解出来ます。
自由恋愛も同様ですが、身分その他の格式に縛られた結婚形式の殻を破って自由な恋愛をしたい自由人が増えて来て、我が国では花街を舞台にした(義理人情の板挟み・近松の浄瑠璃がそもそもこの種のテーマでしたし、しかも庶民が対象・・・、シェークスピアも王侯貴族が主人公ですからかなり早い展開です)歌舞伎のテーマになり、西欧では近代文学の大テーマになりました。
しかし、実際に自由に恋愛出来るほどの主体的人格を確立出来る人は滅多にいないのが現実です。
親や周囲が紹介する仕組み・・お見合い結婚がなくなって、「自由恋愛でどうぞ」と言われてもその能力のない人が大多数です。
夢のような恋愛結婚をしたいと夢見る人が増えると、大多数の女性は現実の結婚に不満を抱くようになります。
その結果、離婚も増えるし晩婚化・独身化が進むと言えるでしょうか?
アラブ諸国では民主化を夢見て騒乱を起こして政権を倒すまでは良いのですが、実際には古代から一方的に命令されるだけで衆議でやって来た経験がない・・運営能力のない民族が殆どですから、自由な意見を言い出したら収拾がつかなくなり、待っているのは混沌しかありません。
何十年か混沌を繰り返して、結果的に強力な指導者待望・・強権的に命令されて動く社会・・独裁政権に戻る民族の方が多いのかも知れません。
これまで中韓両国では専制制の政治しか知らないので、人民には自前の道徳律が身に付かなかったと書いてきました。
自前の道徳律のない社会では、公正な意見を戦わすことは不可能です。
この辺は政治経験の有無という意味でも同じで、ボトムアップ政治の経験のない国としてはアラブや中南米諸国等と共通の問題点かも知れません。
あまりにも抑圧されて来た民族では自分の意見を言えるとなれば、正しい線を乗り越えてその何倍でも言えるだけ言ってみるという声を大にして言うことしか知りません。
これでは単に百家争鳴状態にしかならないので、政治がまとまる訳がありません。
中南米で軍事政権が続いたのは、公正な意見を言う習慣がない・・民族の経験不足によるものでしたし、ロシア革命や中共の一党独裁もこの面から見れば皆同じです。
政治に関して意見を言った経験がないから能力が身に付かなかっただけではなく、元々公正な意見を言う道徳律の低い・・ない社会では、意見を聞いていると我欲を主張するばかりで収拾がつかない・・無理だったから、下々の意見を聞く習慣が生まれなかったのかも知れません。
家庭で言えば、訳の分らない幼児の意見を聞いていろんな生活上の決定をしていられないのと同じです。
民主主義の手本のように言われるフランスでも、市民革命・・政治参加権を有産階級に制限していたにもかかわらず、革命以降ジャコバンの恐怖政治とナポレオン帝政〜第二帝政とその間の混乱の繰り返しでしたし、戦後も20年前後不安定政治の繰り返しでしたが、ド・ゴール将軍の強力な権力(民主的に選ばれた一種の軍政)の下で、所謂第五共和制(結果的に大統領任期の長期化・権限の大幅拡大)になって漸く落ち着いたに過ぎませんでした。
ド・ゴールの登場とフランス政局安定については、10年以上も前の12/10/02「民主主義とは、2」で書きました。
ドイツは鉄血宰相と言われたビスマルクが統治し、第一次世界大戦敗戦後ワイマール憲法によって世界一の民主主義制度を導入し法的には民主化しましたが、結局はまとまらずナチスなど強力な指導者を必要とする社会が続いていました。

民族意識3(敵前逃亡)

ところで経済成長時に都会に出て行って過疎化を進めた人たちと、自然災害に恐れをなして故郷を棄てた人々の間にどのような差があるのでしょうか?
結果は似ていますが、一方は故郷の人から養い切れないから都会に出て就職するように追い出されたような人々・・・残ったのは農家の跡取りであって出て行ったのは言うならば弱者であって故郷から押し出された方でした。
だからこそイザとなれば故郷に帰る権利が戦前にあったし、満州等へ出て行った人たちも戻るべき故郷があったのです。
戦後も同じように二三男は集団就職で都会に押し出されたのですが、超高度成長が続いた結果、実は追い出してみたら地元に残って有利だった筈の長男の方が成長から取り残されてしまったという逆の結果が生じたに過ぎません。
今回の災害で(非難命令にしたがって已むなく出た人は別ですが)率先して逃げ出した人たちは、郷土の苦難に対して力を合わせて立ち向かおうとするときに、これに協力しないで自分だけ安全圏に逃げ出す行為ですから、蒙古襲来に対して真っ先に故郷を棄てて逃げ出したような行為になります。
蒙古軍を撃退してから「やれやれ良かったね」と戻って来たら、残って戦っていた人たちがどう思うかと言うことです。
(それぞれに子供を抱えて心配だから・・などいろいろ言い分がありますが・・ここでは結果を書いているだけです)
歌舞伎役者の海老蔵がペットボトルを買い占めたりして福岡まで逃げていたというニュースがありましたが、かれは元々暴力事件の被害者になったり素行的にレベルの低い話題の多い人ですが、国民的スターになろうかと言う人間が真っ先に逃げ出しているなどは、取り返しのつかない汚点をまた1つ着けてしまいました。
彼は暴力を振るわれたチンピラ相手に「俺は黙っていても一定の年になれば、人間国宝になれる家柄だ」と威張っていたそうですが、何十年か後に具体的選考時になれば、今回逃げ回っていたことが大きなマイナス点になるでしょう。
こんなのがこれからの歌舞伎界のスターというのでは、何となくイヤになりますが、数日後には、東京高裁の事件のついでに新装なった歌舞伎座に歌舞伎を見に行く予定ですが、彼の芝居を観に行く訳ではありません。
元民主党党首の小沢氏が、大震災時には実は遠くに逃げていて地元に寄り付かなかったと妻からの離縁状の暴露形式でネットニュースを賑わしていましたが、その後妻からの追加発言もないし、離婚事件に発展しているというニュースも流れないところを見ると単なる怪文書だったのかも知れません。
それにしても地元の苦難を放置して自分が真っ先に逃げていたというニュースのインパクトは甚大なものがありました。
このニュースあるいは怪文書の御陰で、彼の政治生命は100分の1くらいに縮まったのではないでしょうか?
彼がどんなに選挙運動をしようとも、どんな立派な政策を掲げようとも先ずこのとき自分はどこにいてどのように地元復興に尽力していたかを説明出来ない限り、地元民の一旦離れた心は戻らないでしょう。
政治は政策次第とは言うものの、その前提として民族愛・・自分は命を棄てても民族を守ると言う気構えがないと話にならないのが我が国の心です。
この心構えはリーダー一人ではなく兵士の末まで徹底していますので日本の兵は強い・・劣勢になっても絶対に総崩れせずに最後まで戦う気力を失わないのです。
末端の兵士まで、銃後の家族・・ひいては民族を守る意識で敗戦になる直前まで逃亡せずに特攻に志願して死んで行ったのです。
こう言う国柄で政治家たらんとする者・・昔で言えば大将・部隊長になるべき者が真っ先に敵前で逃げるようでは大将が勤まる訳がありません。
6月9日ころに原発事故で命を張って頑張った吉田昌郎元所長が食道がんのためになくなったと報じられていました。
彼の訃報に対して国民の関心が強いのは、彼が民族を守るために身命を賭して現場で頑張ってくれた(・・当然その下で一緒に戦った多くの無名の部下もいますが・・)その心意気に対する民族としての感謝の心です。
日本では自己保身のために政治・・外国批判をやっていると見られたら最後、政治生命が終わりになる国ですから、中韓・北朝鮮政治家のレベルの低さに驚くのですが、あちらとこちらでは政治家になるべき基準が違うのですから仕方がありません。
我欲の強い人が政治家になったり経営者になる社会では、成功すれば成功を誇示するために大きな屋敷を構えて敷地内に信号機を着けるようなことをして自己満足する社会になります。
日本では世の中の人とためになりたいという信念でないと企業活動に成功しても誰も尊敬しません。

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