現行法では、行政への国民の関与については以下条文を紹介しますが、いずれも既に行政が(不作為を含めて)決定した行為を後日争うものばかりです。
(裁判・訴訟制度はすべからくそう言うものです。)
前向き参画の制度がない・・法制度が遅れていることがこれでも分ります。
行政事件訴訟法(昭和三十七年五月十六日法律第百三十九号)
(抗告訴訟)
第三条 この法律において「抗告訴訟」とは、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟をいう。
(当事者訴訟)
第四条 この法律において「当事者訴訟」とは、当事者間の法律関係を確認し又は形成する処分又は裁決に関する訴訟で法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの及び公法上の法律関係に関する確認の訴えその他の公法上の法律関係に関する訴訟をいう。
(民衆訴訟)
第五条 この法律において「民衆訴訟」とは、国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格その他自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起するものをいう。
(機関訴訟)
第六条 この法律において「機関訴訟」とは、国又は公共団体の機関相互間における権限の存否又はその行使に関する紛争についての訴訟をいう。
近年の規制緩和政策に関連して、今後は事前規制ではなく事後に不都合があれば裁判で争う方式にするというのが、新しい思潮であるかの如く宣伝されています。
しかし、何もかも規制をなくして事件が起きてから損害賠償を請求すれば良いというのでは、あまりにも粗雑な社会になって、現実的ではありません。
全て規制をなくすという主張ではないのは当然ですが、規制・・予めのルールが少なければ少ないほど良いという主張を煎じ詰めればの話です。
一定の合理的な細かな規制が前もって存在すればそれを基準にみんな行動すれば済むし、(建築基準や保健衛生基準等々)それに反しているかどうか・・あるいは規制自体の有効性等を争う方が裁判も省エネです。
逆に規制出来るものは出来るだけ微に入り細にわたって出来ている方が合理的です。
交通事故で言えば予めスピードや信号機、一時停止義務,追い越し禁止区間などを細かく規制していれば、どちらが規制に反していた否かの事実の当てはめで過失割合が簡単に決まってきますが、速度規制や一時停止等の規制が決まっていない状態で事故が起きたときに、どちらの過失が大きいか、一々手探りで審査して行く必要が起きて効率が悪くなります。
(信号機がなくて一時停止の標識がない交差点の事故の場合、どちらが優先道路かを決めるために双方の道路幅を測るなどその都度無駄な作業が必要ですが、信号機や一時停止標識があれば簡単に決着がつきます。)
建築紛争でも、素人が鉄筋の量や柱が少なくて危険だと争うには(どの程度なら危険なのかの基準が不明瞭で、その都度いろんな学者の意見・・鑑定等が必要になりますが、鉄骨の使用基準が基準法で決まっていれば、基準法に違反しているか否かだけで簡単に勝負がつきます
その他全ての紛争は予め細かく基準が決まっている方が訴訟社会になっても争点が簡単になります。
事前規制を出来るだけやめて事後規制社会にして行くというスローガンで始まった小泉改革は、本来は時代の進運に反した思想です。
粗雑なアメリカ由来の訴訟社会にするのが正しいというだけで、恰も進んだ考えであるかのように誤ってマスコミが宣伝して来たことになります。
訴訟社会とは、ルールがはっきりない・・作れない低レベル社会に必要になる社会システムであって、進んだ社会ではむしろ例外減少と言うべきです。
高レベル・・日本のように高度な合意のある社会では、基準がきめ細かく分っていればどちらがその基準どおりにやったか否かだけが争点になって専門家がそれほど多く要りません。
事前に細かく基準が決まっていれば、訴訟が少ない社会となります。
基準自体が大雑把でアヤフヤですとリーガルセンスに長けた達人が必要になって、事前の法律相談が必要ですし、裁判をやってみないと分らないので紛争が多くなります。
基準が整備されていても社会の変化によって規則や制度自体の合理性が失われているのに、基準の改定が遅れているときにその狭間で起きた事件だけが、基準の合理性を争って是正を求める裁判になります。
もしも、その訴訟の結果既存のルールが違法と決まれば、直ぐにルールを改めて行くので、それが一種の代表訴訟となって新たなルールになって行く社会になります。
一人一人がバラバラと裁判しなくとも基準自体を誰かが代表して争えば良いので、訴訟がホンの少しで済みます。
我が国では訴訟が少ないのは権利意識が遅れているからだと文化人が言いますが、実際には、むしろ微に要り細にわたって社会的に細かくルールが(明文がないとしても価値観が安定しているので暗黙の合意が成立する社会でした)決まっている社会だったから、これ(常識)に従っていれば良いし、これに反すればムラ社会から相手にされない社会だったからです。
企業内の人間関係あるいは企業間でも暗黙のルールがあって、それに従って交渉等をしているのが普通です。