雇われ社長でも一旦社長になるとオーナー社長が君臨していた過去の習慣(・・オーナー企業の場合、毎朝支店や工場ごとで行なわれるミーティングの上位機関的・・執行の意思伝達機関の位置づけ)を引き継ぐ傾向があるので、取締役会議がイエスマンばかりになり勝ちですから、近年社外取締役導入による議論の活性化・ブレーキ役・ガバナンスが期待されるようになりました。
社外取締役制度は、行政庁内部で一応出来上がった意見について、我々弁護士や学者・経済界代表等がいろんな審議会等委員となって、外部の意見を取り入れるようになったのと似ています。
そもそも会社であれ行政庁であれ、全て執行機関としては執行命令の貫徹の必要性から、上命下服の原理・体質が本質です。
執行機関の実務を担当する中で優秀なものを抜擢して順次課長〜部長〜局長〜重役に選任して行くシステムで内は、上命下服の原理・体質からして対等者間を前提にする自由な意見を戦わせることを期待することに矛盾があります。
我が国の戦国大名でさえ軍議が機能していたのは、上杉その他の戦国大名の例を見ても分るように、対等な地元諸豪族の支持・連合で成り立っている集合体であったからです。
徳川幕府の政治を見ても老中の合議が成り立ったのは、老中同士は対等な同輩関係にあったことによります。
10万石の大名と3〜6〜8万石の大名の格差があっても、戦場に出れば指揮命令関係になく、それぞれの配下軍団に対して独立の指揮命令をし,自分より格上の大名と功を競い合う関係です。
勿論上杉謙信傘下に馳せ参じた越後の諸豪族も大きな軍略には従いますが、それぞれの持ち場で戦闘するにはそれぞれの諸豪族の自由な裁量・命令でその配下が動くものです。
旧憲法下で総理が首班と言われ、同輩間の会議の主宰者程度での地位でしかなかったのと、徳川家老中筆頭とは本質が同じです。
(老中筆頭は気に入らない他の老中の罷免権がない点が、そこが新憲法下の総理とは本質的に違っていますが、成り立ち・歴史を書いています)
欧米その他世界標準に比べて、日本は政治の世界ではトップに指導力・・ぐいぐい引っ張って行く歴史がなくて指導力不足が言われ、企業社会や行政分野では逆に健全な議論不足が言われています。
ガリバー旅行記では、いろんな架空の国が書かれている中で、唯一日本だけが実在する国として記載されていますが、そこでは日本のことを西洋ではあり得ない・・逆さまの基準が通用する国として表現されているとおり、いろんな分野で世界標準と逆・・大幅に違っているのが古代からの日本列島の有りようです。