壬午事変3(騒乱の功罪2)

韓国や北朝鮮が頻りに威嚇的言動を繰り返しているのも惨めな話ですが、自分たちは何かあると直ぐにいきり立つことのマイナス効果を知らないのですから哀れです。
・・相手はその野蛮さに驚いて黙ってしまうのは、相手を尊敬しているからではなく、自分に対する低評価に繋がっていることに気づかないから格好良いことと思ってやっているのでしょう。
壬午事変(1882)で、進展する開化勢力に対抗するには旧勢力は民衆騒乱を演出すれば効果があると味を占めたので、以後この種のデモを中国は繰り返すようになった(文化大革命・紅衛兵運動も権力・黒幕による演出・反革命運動という意味ではこの一種です)のではないでしょうか?
壬午事変(1882)では朝鮮政府及び袁世凱の軍は外国公使である日本外交団を保護せず放置したので、日本公使一行は多数の駐在日本人の死者を出しながらあちこち逃げ惑った結果最終的に偶然?通りかかった英国測量船に引き上げられて一命を取り留めました。
もしかしたら、英国は日本とは比較にならない諜報網を有しているので、予め袁世凱や大院君の陰謀を察知して現地に船を回していた可能性があります。
(と言うよりは大衆動員ですので誰でも予測出来ていた筈ですが・・日本は当然政府軍が公使館を守る筈と信頼していてこう言う結果になったのです・・読みが甘いということです)
昨年の中国の反日暴動の場合も、前から分っていましたが、まさか中国政府が焼き討ちまでやらせるとは予想していなかったのと同様です。
ニューヨークの9・11事件でもあれだけのビルなのに,被害者にはアメリカ金融界の大物や政界の有名人が一人もいない・・被害者はみずほ銀行など日本人中心というのはどうも解せない話です。
ビル崩落の状況が老朽ビルの爆破破壊とそっくり同じ状況で崩れて行ったこともあって、米政権との出来レース・・偶然としては出来過ぎなので事前情報があった・・日本人だけが知らなかったと言うのが真相ではないかと疑われています。
日本は昔も今も情報戦には弱い・・第二次世界大戦時に限らず今では韓国や中国にあることないこと良いように宣伝されっぱなしですが、我が国では武士の魂として情報収集程度までは何とかなるとしても積極的にでっち上げた嘘まで宣伝するのは潔くないと考えるので、こうした虚報合戦には不向きです。
イギリスはロシア南下政策(不凍港獲得願望)を食い止めるためには、清朝の存在は当てにならない(朝鮮がいずれロシア支配下になる)と見て日本の朝鮮進出を陰で応援していた(あるいは英国発企画・思想に日本が知らぬ間に洗脳されていた?)可能性があります。
この騒乱の結果大量の日本人死傷者を出した結果に対して、今の政府とは違い当時の日本政府は当然毅然として責任追及を求めます。
(イギリスがバックにあって強気に出られたのでしょうか?)
袁世凱としては大院君を捉えたという名目で天津へ逃がしてうまくやったつもりだったでしょうが、目の前に駐留している清朝軍が暴徒を鎮圧したり、日本公使等外交団を保護しないで放置していたのですから、これでは実際に朝鮮が清朝の実効支配下にあることを列強に示せなかったことになります。
この事件後の日朝交渉の結果、朝鮮政府・袁世凱も日本人保護のために日本軍の駐留を認めざるを得なくなってしまい、朝鮮においては日清両軍の並立状態となり却って清朝の独占支配が揺らぎ始めました。
壬午事変以降、この種の官製騒乱で味を占めたのか?この後で清朝本土でも(外国軍の介入を招くマイナス面を考えずに)騒乱が頻発しましたが、清朝政府が外国人を保護出来なかったことから、結果的に西洋列強による自国民保護の名目で清朝支配下の本土に各国軍が駐留を始めることになります。
(政府は自分の非力を補うためにデモや騒乱を煽動をしているのですから、外国企業等を保護する気はなかったでしょう)

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