TPPと主権5(国民の需要)

国際標準化の進行に関しては大企業のごり押し・要請によるのではなく、国民の便宜に応える形で発展して来た側面があり、大企業が規模拡大・海外展開出来たのはニーズに適応してきた結果ではないでしょうか?
人の移動が活発化したことによって広域化・世界標準化が進んで来た結果、これに適応出来た企業が大規模化出来たと見るべきかも知れません。
商人は自己利益のために共通化を期待して来た面もあるでしょうが、それよりは消費者の広域移動のニーズに適応して来た結果の方が大きいように思います。
(製造業が出て行くと、関連下請けや金融・サービス業も現地進出するのは出て行った企業のニーズに応じるためです)
法律家も海外進出企業の需要に応じられる人だけが国際化出来るのであって、国際化したいから国際化した人がいたとしてもそれは例外です。
世界中で国民の移動拡大が常態化している現在では、製品に限らずいろんな分野で世界標準化が要請されています。
海外でも使える携帯や各種カード類の利用・・スポーツのルール、観光施設も世界標準でないと困りますし、(タオルくらいは最低あると思って行くでしょう)工業製品でも医薬品や食品あるいは公害規制・会計基準や税制その他いろんな分野で規制が画一化する=国際標準化が期待されています。
(日常的に服薬・所持している医薬品が入国先の許可薬品でないという理由で空港で没収されるのでは困ります)
商人は域内で成功すると域外に進出したい欲望が強いことも事実ですが、それだけではなく、消費者のニーズに報いたい欲求もまた本質的にもっていて、この本能こそがが商売成功の秘訣です。
農家基準で言えば、「自分たちは田舎者でお人好しだが、都会の人は信用出来ない」という言い方を子どもの頃に耳にタコが出来るほど聞かされましたが、実は逆です。
商人・・商工業の基礎をなす職人・特に我が国の職人は人のためになること・・良いもの物を作るのを生き甲斐・誇りにしている人が多いことを、日米半導体協定によって腕の振るい場がなくなって優秀な職人が韓国台湾へ逃げてしまった事例を2013/03/06「円安効果の限界3(アメリカの場合1)」で紹介しました。
職人に基礎を置く商工業者はいつも消費者の便利を考えて役立ちたいと思って、日夜商品開発努力をしています。
その努力の結果、海外に行っても使える携帯や金融商品カード類の開発に繋がっています。
ニーズのあるところに新商品やサービスが生まれるのですから、これを国ごとに違う規制を主権の名の下に墨守して国際商品化するのを妨害するのは感心しません。
明治維新・日本列島統一によって300諸候の領域内の警察権や統治権が失われましたが、これによって国民は移動の自由その他すごく便利になりました。
300諸侯時代には各地の方言や固有文化が今よりも色濃く残っていましたが、国語として次第に統一化され、各地の芸能などは保存対象になっていて、現役色がなくなっています。
主権維持・固有文化の維持の主張は尤もな主張のようですが、今でも300諸候ごとに別の法律や交通法規で生きて行く方がよかったとは、殆ど誰も思っていないでしょう。
各藩が、廃藩置県で県となり、更に統廃合されて今の地方自治体になったのですが、地方自治体に格下げされてもどこも文句を言いませんでした。
各大名家でどのような政治をしようとも自由であったとは言っても、事実上徳川家の決めた基準に準じて政治をしていたので、幕末ころには今の地方自治体程度の裁量行政しかしていなかったことによります。
吉宗が命じて大岡越前守が編纂した判例集積集である「御定書」については12/16/03「公事方御定書1(刑法4)(江戸時代の裁判機構1)」以下で連載をしたことがありますが、これは元々徳川家の内規で外部秘だったのですが、いつの間にか各藩に写しが出回るようになってこれを参考に各地で裁判していたことをどこかで書いたと思います。
この実績があったので、明治新政府が各地に裁判所を設けても直ぐにきちんと運用出来たのです。
人の移動・交流が交通・通信機関の発達もあって広域化・頻繁化する一方ですし、(民族混在を望みませんが)交流や広域移動・海外の商品が簡単に手に入ること自体は人が豊かに生きるには良いことです。
主権維持・固有文化を守れという超保守の情緒的訴えや観念的要求で、あるいは強者の論理は許せないという進歩的知識人の好きなスローガンで、広域化に伴う世界標準化の進展をぶちこわそうとするのは、産業革命時に起きたラッダイト(機械ブチこわし)運動同様に時代錯誤の恐れはないでしょうか?
新自由主義反対や超保守行動は、根を同じくする左翼右翼共通の行動形態のように見ます。

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