最低レベル競争の有用性(入会資格)2

ちなみに古くから、弁護士が高齢化した場合や病気療養中の場合、会費免除申請して認められる制度がありましたが、自分が高齢化して収入がなくなって来たら会費免除申請を出すのは(自動的に認められそうですが)問題があるのではないかと大分前に思案したことがあります。
会費も払えないということはそれだけの仕事ができない・・客も能力を認めないということだから、弁護士として仕事を続けるのはおかしいのじゃないか・・高齢が原因であろうと若くて病気であろうと、会費支払が負担ということはともかくその間弁護士実務遂行能力が不足していることに相違ないことです。
弁護士職務能力のない人が弁護士を名乗って仕事をしていると、能力を越えた事件受任をして不祥事・ミスをしてしまうリスクが大きくなります。
未就職でも高齢化でも、原因如何にかかわらず長期間会費をまともに払えない人はその期間中の実務能力もそれ相応に低下しているのではないか・・ひいては弁護過誤その他問題が生じて来ないかを心配しています。
(これは自分が高齢化して実力が落ちた場合・・どの辺で隠退すべきかを心配して考えていたときのことです)
長年キチンと仕事をして来た弁護士に対する処遇としては、それまでの功労を認めるとしても、高齢化によって会費を払えない以上は能力が落ちているのだから(自分を守るためにも・・)受任してはいけない・・せいぜい名誉弁護士というような別の資格が正しいのではないか・・「元弁護士」で良いのじゃないかなどと大分前に考えたことがありますが、まだ考えがまとまっていません。
若い頃に如何に有能な弁護士であったとしても高齢化して会費を払えない程度になれば、実力も落ちているのだからミスを犯さないように(懲戒事件を起こさなくとも事前に)実務をする能力を否定する退会システムが必要になります。
他方で数十年以上きちんと会務に貢献して来た人は、元弁護士として会のサロン等をに出入りしたり情報を得る権利程度で良いのではないか・・と考えられます。
私の考えがまとまっていないうちに、(自分のことではなく)新入会員の一定期間会費一部免除政策が始まりました。
ちなみに、交通事故や脳内出血等で臨時に入院・病気療養中の臨時的な会費免除は、弁護士資格を維持したままでも入院・療養期間中仕事をしませんから、能力に余ってミスを起こさないでしょうし、病気療養中の人からその間会費を徴収しなくとも(相互扶助の精神だけで処理出来ます)原則として問題がありません。
会の入会資格付与・退会基準は可哀想かどうかの問題と同時に実務能力の査定・・合格の証でもある訳ですから、双方の視点が重要です。
可哀想だと言う視点と実務能力付与基準の双方を満足させるには、、一旦入会させて会の情報やスキルアップの研修を受ける資格を与える必要を満たし、(それと実務資格を与えるのは別問題ですので)将来的には半人前としての資格を創設して、会費を一人前に払えない間は独立受任を禁止するなどの方策(今のところ思いつきですが・・・)が考えられます。
一律に数年間弁護士補にするのではなく(就職していてボス弁の指導のある場合その他能力差がありますから・・)一人前に働けるようになれば会費一部免除を辞退して数ヶ月〜一定期間継続納付後に効力が生じるようにすれば良いことでその人の自主性に委ねるのが合理的です。
半人前の資格創設は法律改正事項ですが、会内ルールとして会費減免の条件として共同受任を義務づけるのは可能な感じがします。
現在でも指導担当弁護士指定制度がありますが、(私もその指導者になっていますが・・)相談されないと何をしているか分らないので、実質的に機能しているとは思えません。
実務能力と資金力は関係がないという意見もあるでしょうが、顧客から見た信用維持は、支払能力・・経済力が大きな指標である点については、不動産業界では宅地建物取引主任資格を試験で得ても、一定の保証金を積む能力のない業者は営業出来ないようになっていますし、旅行業法その他殆ど全ての業法はこうした仕組みですから、信用保持のためには一定の経済力を必要とする法意識が現在社会では普通ではないでしょうか?

宅地建物取引業法
(昭和二十七年六月十日法律第百七十六号)
(事務所新設の場合の営業保証金)
第二十六条  宅地建物取引業者は、事業の開始後新たに事務所を設置したとき(第七条第一項各号の一に該当する場合において事務所の増設があつたときを含むものとする。)は、当該事務所につき前条第二項の政令で定める額の営業保証金を供託しなければならない。

弁護士の場合、顧客から巨額の資金を預かることが多いにも拘らずこうした規制がなかったのは、資格試験としての司法試験が厳しくて合格=職業能力充実(お金に困る人は滅多にない・・不祥事は高齢化によるジリ貧の場合が中心でした)という実態があったからです。
大量合格時代→資格と職業能力が乖離する時代が来た以上は、逆に入会=職業能力審査をもっと厳格化すべきではないでしょうか?
職業能力審査はペーパーテストではなく、就職出来るかどうかにかからせるのが合理的です。
就職試験は結構シビアーで全人格的能力を問われることは必定で、これに通らない人の能力は平均以下とすれば、平均以下人が数年以上に及ぶ先輩弁護士の下積みとしての実務訓練を受けることすらなしにイキナリ独立開業するのはなおさら問題です。
新人に対する会費減免制度は支払能力不足を理由とするものですが、きちんと就職出来ていればそんな心配が要らないことからすれば、まさに即独・軒弁救済策・奨励策となります。
これを正面から主張し過ぎると弁護士会は参入障壁を作っているという批判が怖いので逆に緩めているのでしょうが、この辺の政治的判断がよく分らないので、私は弁護士会のこの種の政策に反対をしていませんが、(実際せっかく合格しているのに就職の出来ない人は気の毒ですし・・・)長期的には弁護士の信用力低下にならないか心配しています。
「武士は食わねど高楊枝」と揶揄されていた徳川時代の武士はお金を扱う部署に殆ど関係していなかったことで何とかなっていました。
弁護士が食うのに困るようでは先行き人材供給レベルが限られて来るし、不祥事が起き易いし、不祥事が起きないまでも会費を払うのに苦労しているような弁護士が多くなると後見人等で総財産を託す人が不安になるのは目に見えています。

最低レベル競争の有用性(入会資格)1

上から10〜20段階の国民がいた場合、暴動の主役になる階層は最低とその次レベルの人が中心でその他の階層の人は実は冷めているのが普通です。
最低レベル者はどこの国にも一定数いますし、殆どの国では最低辺レベルは似たようなものですから、その中の更に質の悪いのが政府の煽動や大災害等何かチャンスがあるとこの機会に乗じて暴動略奪が起きるのが普通です。
学校ならば、一定レベル以上でないと入学を認めなければいいし、企業でも会員制組織でも一定レベル以上を採用・入会資格(事後的には欠格事由)にすれば良いので最低レベルの底上げが簡単です。
話が変わりますが、若手弁護士の就職難対策として若手会員の入会金や会費等の負担を軽くする動きが盛んですが、入会資格基準を引き下げるのは単に可哀想という次元を越えています。
会員になるための最低資格である資格試験合格と会員資格とは本質的に違います。
新入会員特典は会費を払うのすら困るような弁護士・・一定レベル以下でも、仲間と認める入会資格レベルの引き下げの意味を持っています。
せっかく試験に合格したのに就職もできないために弁護士資格を得られないのは可哀想だという意見は尤もですが、既存会員が病気等で臨時に困っているなら相互扶助のレベルですが、就職し損なっている人で会費を払うのが困難でも会員になれる=弁護士業を出来るようにすることは、(オンザジョブトレーニング不能効果もあって)入会資格レベルを引き下げることに他なりません。
結果的に弁護士レベルの引き下げ誘導となるので、相互扶助とは本質が違うのではないでしょうか?
資格試験に合格しただけでは、もしも採用されればその仕事をする資格があるというだけです。
調理師・理髪師免許でも、あるいは国民は一定年齢になれば国会議員や総理になれる資格があるだけであって、採用され、あるいは当選しなければその職に付けないのが、全てに共通する原理です。
これまで資格試験である司法試験合格基準が厳しくて採用試験とほぼ同じだったので、資格取得と職業能力の違いが明白でなかったのですが、大量合格化・資格試験のレベルを引き下げて行く以上は、職業能力・会員資格のハードルをより厳格化するべきであって逆に引き下げるのは大問題ではないでしょうか?
合格者増に併せて入会資格を引き下げて行くのでは、弁護士の信用維持にとって将来大変なことになり兼ねません。
この心配から今後倫理教育に精出すのが日弁連の方針ですが、「お金を使い込むのが行けない」という教育をいくらしても(お金を使い込んだらいけないくらい教育を受けなくとも誰でも知ってます)経済力が引き合わないと不祥事が起き易くなるのは火を見るより明らかです。
(経済力が指標になる点は・・未就職者は結局能力が低いのではないかと言う後記代議士の見方が表している外に、その後の訓練を受ける機会が少ないことから余計に実力差がつきます)
劣化した弁護士資格付与を認めると将来弁護士の信用がガタ落ちになるリスクを抱えてしまいます。
品格維持はお金・経済力だけが基準ではないと言う反論があるでしょうが、試験合格者に対してそれ以上再試験をするのも困難ですので、客の大金を預かることの多い弁護士業には一定の品格維持のためにする一定の経済力維持が必須の要件のように思われます。
昨年末の衆議院選挙に当選した弁護士から、政策秘書にいい人がいないかと聞かれたときに「いくらでも就職出来ない修習修了者がいるんじゃないの?」と言うと彼は、「いやあ先生、就職出来ないのはそれだけのことがありますよ・・使い物になる訳がないでしょう・・」と言われてしまいました。
お金の多寡と人格・能力は違うという形式論が幅を利かしていますが、法律用語として、「信用とは経済力」のことであると02/03/09「政府・公共団体の破綻2」その他で以前紹介したことがあります。
お金がないのはいろんな事情があるでしょうが、(タマタマ病気で能力発揮出来ないとしても、そのときには臨時ですが能力がないことになります・・)結果として実力の総合結果である点は同じですから、就職出来ない・・会費を払うのが大変という人に弁護士資格を優遇して与える必要があるかは考えものです。

政府と国民の違い(中国人との付き合い方)2

日本のマスコミ・学者はアメリカや中国等の政治決断は戦略的で素晴らしいといつも賞賛して来たのですが、(裏から言えば日本には戦略性がないという批判です)欧米や中韓のやっている戦略性とは日本人から言えば、子供でも分るような見え透いた短絡的レベル主張に過ぎません。
日本では子どもみたいな底の浅い主張をするのは1000年以上前に卒業したやり方ですから、「恥ずかしくってそんな子どもっぽいことを主張出来ませんよ」と言うべきレベルです。
あるいは欧米では自己主張をはっきり言うのが素晴らしい(はっきり主張しない日本人は劣ってる)と耳にタコができる程マスコミで刷り込まれ、学校で習って育ちましたが、同じことです。
日本では「俺が俺が・・」と出しゃばるのはハシタナイという価値観の社会ですし、これで良いのです。
中国や韓国の昨年夏の行動・・日本は震災で力を落としているし、他方中国は(虚偽としてもともかく統計上の表向き)漸くGDPで日本を追い抜いたので、待ちかねていたこのチャンスとばかりに尖閣諸島、南沙諸島その他の主張を一斉にし始めたというのでは、あまりにも単純・見え透いていて低レベル過ぎます。
このシリーズで書きたいのは、米中韓各政府は政府としての社会経験不足で小児というよりも政府樹立後日が浅過ぎて乳幼児的行動・判断しか出来ないのですが、国民は必ずしもそうではないのではないか?という印象を書いて行きます。
政府のレベルが低いからと言って、相手の国民を同じようにバカにしてはいけないということです。
昨年夏以降の対日暴動によって中国内の日系企業は年末に掛けて軒並み減産ですが、だからと言って直ちに現地従業員を解雇したり休ませたりしないで、空いた時間で工場の工程等改善の勉強会をしたりして給与をちゃんと払っているようです。
あるいは販売急減で生産余力の出た分、東南アジアでの生産品を中国に移管して東南アジアに輸出して何とか従業員の雇用を維持して行く計画を発表しています。
短絡的に考えれば、この際ドンドン中国から脱出しないまでも「日本製品ボイコット運動の結果売れないんだから仕方ないだろう」と生産を縮小して「中国従業員が困れば良い」という仕返し的発想になり勝ちです。
これをしないで逆に東南アジアから生産移管までして操業維持したのでは、中国政府の思うつぼではないかという意見もあるでしょう。
この種意見は中韓政府と同レベルの仕返し論理でしかなく、1000年以上の経験差のある大人である日本人が取るべき行動ではなく、ここは悠々とその上を行くべきです。
これを実践しているのが日本企業人の偉いところで、多くの企業は仕返し的行動に出ないで、逆に現地従業員が生活に困らないようにいろいろと工夫している様子です。
その誠実さに感じて、どこの日系企業でも従業員自身は一緒に日系企業をもり立てようと熱心であって、日本企業の苦しみに乗じた反日言動をしていない様子です。
このように中国の国民レベルは、政府行動レベルに比べて結構高いことが分りますから、日本企業も負けてはいられません。
(中韓政府レベルに合わせて、日本政府や企業も行動基準を落とすとこちらもレベルが下がります)
日本社会の場合、政府や何かの組織の代表者になると個人的無責任発言をして来た人もイキナリ慎重な発言や行動に切り替える能力があります。
すなわち、個人よりも組織の代表者になった方が大人の行動をとる社会でした。
こういう訓練を長く受けて来た日本から遠くの中国や韓国政府の言動を見ると中韓両政府要人の発言や行動レベルが低過ぎる(子供っぽすぎる)ので、国家的・組織的責任のない個々の国民行動基準は、もっと低いのではないかと誤解し勝ちです。
暴動等があると政府レベルと国民は同じではないかと思い勝ちですが、どこの国でも暴動に参加するのは国民の最低レベルの人たちが中心であることをみの逃がしてはなりません。
上から10段階の国民がいた場合最低レベルの人が暴動の主役になるとしてもその他の人は実は冷めているのが普通です。

政府と国民の違い(中国人との付き合い方)1

ここで、がらっと方向性の違った意見を書きます。
年金赤字のテーマを始めた4〜5日前まで、中韓等の民族性を政府と一体のもの・・政府より個人は劣ることを前提にして書いてきました。
2012年10月25日の終わりに少し書いていたことですが、(その続きのつもりで書いていたのですが、間にいろんな意見コラムが入ってしまいました)政府と国民とは違うのではないかという疑問について、忘れてしまいそうなのでここから書いて行きます。
戦後中国の日本批判は、日本国民が悪いのではなく、日本軍国主義が悪かったのだと使い分けてきました。
日本に関しては、同胞意識が強いのでこの分断作戦はあたっていませんので軋轢が生じていることをMarch 12, 2012「構造変化と格差30(苦しいときこそ結束を!)」その他で書いてきました。
しかし米中韓あるいは世界中の国々では、国家と国民は全く別人格ではないかという疑問があったので10月25日に少しだけ書いていたのですが、その辺に十分触れないままここまで来てしまったので、この辺でまとめて検討しておきます。
中韓両国では異民族支配が多かったし専制君主制でしたので、政府というものを全く信用していないし政府も国民を大事にする気持ちがハナからありません。
しかし、米中韓に住んでいるそれぞれの国民はあるときにイキナリ湧いて生まれて来た訳ではなく、ホモサピエンスとして日本人同様に何千年、万年の歴史経験がある点は同じです。
他方で、彼らの構成する政府は、政府としての歴史が浅く人類史の発展段階から見れば乳幼児期段階にあって何かあると乳幼児的短絡対応しか出来ない・・マトモに冷静対応が出来ない・このために大人の対応が出来ないだけではないかという疑問です。
政府レベルを基準に民族の資質を論じるのは間違っていないかという疑問を抱きになりながら、話題がドンドンずれてしまいました。
人間個々人にとってはそれぞれどこの国に住んでいる人でも何万、何千年の歴史経験がある点は同じです。
(数百年前にイキナリ湧いて来た人はいないでしょう)
民族としてどのような歴史経過を経て来たかの違いはありますが、国家という組織の歴史経験とは違うという視点です。
歴史の浅いと言われるアメリカ合衆国のアメリカ人も、2百数十年前に初めて湧いて来たのではなく同じくホモサピエンスの始まりから生まれ変わり生まれ変わりして遺伝子が続いて来た点は日本人も中国人も皆同じです。
このように個々人としての歴史経験の古さは世界中どこの人も実際には同じで、個々人の経験が違うだけです。
誰もが同じように古くから繋がっているし、経験年数も同じですから、民族の歴史経験によってはしっかりしているし信義を重んじる重要性も知っている筈ですが、組織の歴史・政府経営経験となると成立後歴史が浅い国ではイキナリ幼児っぽくなってしまうのではないでしょうか?
政府になると短絡的に暴力に走ったり見え透いた嘘をついたり、大人・・紳士なら言わないような悪態をついたりするのは、政府樹立の歴史が浅く発展段階的に見れば幼児段階にあるからではないかと言う疑問です。
このコラムの書き始めの頃(約10年前)から日本とアメリカでは千年単位の知能・社会経験差があるのではないかと何回もあちこちに書いてきましたが、政府の成立時間差で見ればまさにそれくらいの比例差があります。
日本は壬申の乱以降(それ以前のことははっきりしたことが分らないとしても少なくとも・・)連綿と万世一系の天皇政府が続いているのに対し、中華人民共和国 は1949年建国、大韓民国は1948年成立、アメリカ合衆国建国宣言は1776年ですから、おおむね彼らの行動の短絡的行動レベルは政府存続期間の長さに比例していると考えられます。

次世代と年金赤字5

運営責任から目をそらすために世代間扶養だったと言い出せば、後に続く現役の納付者数と納付額次第になりますから、解決策としては現役納付者を増やす・あるいは納付期間を長くするしかないので必然的に高齢者雇用延長政策にシフトして行かざるを得ません。
若者は非正規雇用が多いので就労機会を増やしても社会保険加入率が低い上に掛け金額が少ないのに対し、高齢者雇用延長は大企業中心の政策ですから、ほぼ正規雇用中心に労働者が増えますから年金納付者・額が増えるメリットを狙ったことになります。
しかし、雇用期間延長=納付期間長期化すればその分高齢者への年金支給額を増やさないと延長納付者が納得しない(加入者は掛け金を多く掛けた分支給が増えるのが楽しみです)でしょうから、却って支給総額が膨らみます。
我が国では世代間ワークシェアーこそが最重要課題なのに、年金運営ミスを棚上げにして納付者数不足に原因を求める=少子高齢化に原因を求める政策では、却って若者の職場が縮小してしまうことについても、これまで定年延長問題その他のテーマで01/08/03「ゆとり生活 2」01/07/10「終身雇用制2→若者就職難2」何回も書きました。
繰り返しになりますが、仮に年間100万人ずつ定年退職し100万人ずつ新卒が参入し(総労働人口一定・出入り均衡)且つ労働需要が前年比変化のない超安定社会を前提にすると、55定年を60歳に延長するために毎年1歳ずつ退職年齢を繰り下げて行くと、新卒が毎年100万人・100%就職し損なう計算になります。
わが国で実際に新卒が100%就職不能にならなかったのは、企業の定年延長が60歳定年に到達するまで5年間ではなく20年ほどかかったことと、ある程度雇用拡大があったこととマダラに定年延長が進んで来たことによります。
労働需要が一定・労働人口も一定の場合を仮定すると、定年5年延長を20年かけて完成した場合、毎年新卒の4分の1ずつ就職し損なう計算になります。
経済成長中ならば職場はいくらでも拡大しますが、今のように海外展開加速によって職場が減少中の場合、既得権者の定年延長政策をとると若者・新規参入者にとってはダブルで就職難が発生します。
2月1日の日経新聞夕刊には、総務省2月1日付き発表による記事が出ていますが、(製造業の海外展開の進行により)、製造業従事者は12年12月の就業者は前年同月比35万人も減少し、1000万人(998万人)割れになったと報道されています。
1992年10月の1603万人がピークで、以降一貫して減少し続けてついに1000万人を割ったとのことです。
建設労働者も14万人減となりサービス業などの比重が上がっています。
総就業者数を見ますと前年同月比38万人減の6228万人ということです。
製造業が減っているだけではなく、サービス業を含めて総数でも減って来ているということでしょう。
雇用数が一定でも定年退職時期を60歳から65歳に伸ばして行くと、若者の新規参入枠がその同数分少なくなるのに、職場減少局面ではなおさら大問題です。
年金の運営責任回避のためにへりくつをこね回しているうちに、窮余の策として定年延長を画策しているのですが、却って若者を腐らせてしまう政策になっています。
筋の通らないことをやる・・「無理が通れば道理が引っ込む」と言いますが、年金政策のミスを認めないで付け回ししているから弱者の若者が行き場をなくしてしまうリスク・・日本の将来へのリスクを広げることになってしまいました。
物事は責任逃れのために、嘘で塗り固めるとロクな結果にならない・・矛盾がドンドン拡大して行くばかりであるといつも書いているとおりです。
社会保険や年金赤字は、運用責任を明らかにして、どこに原因があったのかはっきりさせた上で別途抜本的に解決すべきです。
関係のない少子高齢化・・更には年金赤字(高齢者は原則として一杯資産を持っているので心配してやる必要がありません・資産のない人だけ考えれば良いことです)などにかまけて誤摩化している暇はありません。
ともかく今の緊急課題は次世代を元気にすること・・年金資金不足は、年金制度内で責任を取るべきは取って解決することが必要で、責任問題をうやむやにするために若者の職場を減らす方向での解決を図るべきではありません。
雇用問題を年金の後始末に使わないで労働問題はその範囲内で考えることが必要です。
以前から書いていますが、仮に一定数の失業が必須とした場合、若者を失業させるのと高齢者を失業させるのとどちらが社会の発展性にプラスになるか大きなマイナスになるかの視点で考えるべきです。

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