大晦日

今日は大晦日・・クリスマス・イヴのコラムで、今年はいつの間にか年末になってしまったと書きましたが、そうは言っても年末・大晦日が実際に来れば感慨もひとしおです。
やはり1年の終わりとなれば、来し方(行く末)を思い起こす気持ちになる人が多いでしょう。
今年の1年間は皆様にとって、どんな1年だったのでしょうか?
私にとっては、日々基礎体力・食欲の衰えを実感するような1年でした。
1ヶ月ほど前の京都旅行に際しては、駅ではエレベーターが有るとそれに意識的に乗ったり地下鉄では意識的に座るようになりました。
(後で分ったことですが、この頃軽い風邪を引いていたらしく最近はまた元気です)
それまではエレベーターなど待ってるヒマがあったら歩いた方が早い意識でしたし、短時間乗る地下鉄などは座るかどうかは気分次第という無意識の状態でしたが・・。
庭仕事をして腰が疲れても、う〜んと伸ばしているとその場で直ったのが直り難くなったり、昨年までに比べてワンランク厚着したくなったりと、何かとこれまでとは違う感じをこの半年程で受けるようになりました。
レストランで食事しても、女性用程度の食事でもお腹いっぱいになって苦しくなったり・・・胃袋の許容量も小さくなってきました。
大晦日の次ぎに来る慣例の初詣も、ここ数年は真夜中に家を出るのは寒く感じるようになったからか、何となく出不精になってしまい、日が出て少しは暖かくなる昼間に切り替えています。
高齢化とは出不精の謂いでもあるでしょう。
約1ヶ月前に京都へ紅葉を楽しむために行ってきましたが、(京都ばかり行っている訳に行かないし)「2〜3年に1回京都へ行くペースだと今後何回も行かないうちに80代・・年を取ってしまうと石段を上るのが面倒になってしまうのだなあ!」と思って驚きました。
今回は天竜寺の裏にある大河内山荘の雰囲気が優しくて気に入りましたが、これも80代になると上がったり下がったりがきつくなるし、嵯峨野をテクテクと歩いていられなくなるでしょう。
足腰は元気だが、おもしろ半分に人力車に乗るのと、歩くのが疲れるから人力車に乗るしかないのとでは大きな違いがあります。
金閣寺や仁和寺その他の有名寺院も毎回行っても仕方ないので、6〜8年に一回となりますが、そうすると金閣寺や青蓮院などにはあと何回行けるかな?となります。
これまでの旅行では、仕事の都合で行くチャンスがあるかどうかだけを基準に(地方の仕事があるとそのついでに旅行して回るやり方)国内あちこちデタラメに行っていましたが、これからあと何回行けるかというつもりで旅行する必要がありそうです。
若い頃に読んだいろんな本では、人生は短いから寸時も惜しんで生きて行かねばならないとか、いつ死んでも良いように生きている偉人の生き方を読みましたが、そう言うものか・・と言うだけで、偉い人の話であって自分には何か遠い世界・・どこか他人のことでした。
大病を患って生命の大切さを知るともいいますが、高齢化すると食が細くなるなど具体的に生命の終わりが見えて来るので、逆に生命の大切さが分って来るのでしょう。
今年は、これまで無限に時間があるように思っていた自分に・・思えばこれまで若い者の気分で(その内年を取ることを理屈では知っていても、他人のことだと気にしていなかったのです)生きて来たことに改めて気付かされた1年でした。
そろそろ人生の終わりとは言わないまでも下り坂に向けて、哲学的模索が必要な年代にさしかかったようです。
昔から老人は信心深くなるように見えましたが、私のようなノー天気・凡人でさえも生命の終わりを、身近なものとして意識せざるを得ない世代の入り口にさしかかって来た1年でした。
観光地に戻しますと日本あちこちでは、一回行けば充分な所も多いのでそう言う所は「今後何回・・」と心配する必要がありません。
東京地裁で裁判があるときには、その都度(平均月1回ですが・・)妻と一緒に都内で時間の合ういろんな演劇等を見ていますが、これだって無数にチャンスがあるような気でいましたが、今後は回数にすればあまり残っていない感じです。
東京地裁、あるいは日弁連その他の仕事で東京に出たついでに、東京にいる末娘と待ち合わせてその辺で食事したりしていますが、これも後何回・・と考えると意外に少ないのに驚きます。
現役を引退した場合を想定すれば、わざわざ東京まで(と言っても特急で僅か30分ですが・・)演劇や催し物を見るためだけに出掛けるかな?となると疑問です。
寒い所(あるいは暑い所)を出掛けなくとも「家で妻に入れてもらったお茶をゆっくり飲んでいる方が良いや・・」となりそうです。
出不精になるとは言い換えれば、ゆっくりしていること自体をゆったりと味わうことが出来る歳になることだとも言えるでしょうか?
私の好きな漢詩(若い頃に読んだものですが、老境の醍醐味かな?と思って記憶していたもの)にこういうのがあります。
    
     夜雨寄北   (夜雨北に寄す)

  君問帰期未有期  君 帰期を問えども未だ期有らず
  巴山夜雨漲秋池  巴山夜雨 秋池に漲る
  何当共剪西窓燭  いつかまさに共に西窓の燭を切(剪)りて
  却話巴山夜雨時  却って巴山夜雨の時を話すべき
        李商隠(812〜858)

巴蜀に単身赴任している所へ妻=(北)から「いつになったら帰って来られるのか?」の問い合わせに対する返書の詩ですが、(今有名な巴蜀の長雨を見ていますよ)「まだ帰れませんがいつになったら家に帰って、西向きの窓に向かった部屋でろうそくの芯を切りながらゆっくりと巴蜀の長雨のことをあなたに話せる日が来るのだろう」という返事の詩です。
私は正面の意味だけでなく、老夫婦でゆっくりした時間の流れる空間描写(西窓の燭を切(剪)りて・・)を気に入っています。
来年からの10年と言わず20年ばかりは、老年期(私の心情的にはまだ熟年期のつもり)に入ったことを自覚しながら、ほどほどの健康を維持してゆったりした人生を楽しみたいと思っています。
この1年のご愛読ありがとう御座いました。
来年も大手マスコミの偏った意見に対する批判を中心にした勝手な意見を書き連ねて行きますので、よろしくお願いします。
来年は、皆様にとってよいオトシでありますように!

全否定・プロパガンダ文化と交際の仕方4

陰で悪口ばかり子供に教え込んでいるような狡い隣の人・・国々とつき合うのは出来るだけやめる・・時候のあいさつ程度にどどめる・・つき合っていればロクなことがないので縮小して行くのが合理的です。
第二次世界大戦も日本が中国にかかわり過ぎたこと・・アメリカによる対中国機会均等要求から始まったものでした。
日本が中国と関わりを強めるとその邪魔をしたくなるのが、100年来のアメリカの基本的立場ではないでしょうか?
触らぬ神に祟りなしとも言います。
中国への企業進出は、中国政府支援による暴動リスクによるだけではなく、妬み深いアメリカの意向もあるし、深入りせずにいい加減なところでとどめておくのが賢明です。
有り難いことにネット発達によって、日本孤立化を策して来た米英支配の世界メデイアの世論形成力が低下することが見込まれています。
今後は中韓のように人の陰口ばかり教育したり、日本その他の国のマスコミを裏で買収して虚偽宣伝をしている国の方が、長い間には世界で孤立して行くことになるでしょう。
虚偽の教育ばかりしていると、上が上ならば、下も下というワケで国民が以心伝心でいろんな方面で嘘八嘘でも繰り返しを言いつのれば良い・・良いものがあれば盗めば良いという日常生活態度になりがちです。
最近の例で言えば韓国の楽曲等のネットのヒット数で世界有数・・何億ヒットにもなるそうですが、CDの売上では僅か数万枚という例がいくらでも出ています。
ワンタッチで数十万単位のヒット数を記録出来るような装置を利用して、いろんな分野で世界で人気ナンバーワンをあちこちで偽装している韓国系の策謀が今や世界の常識になっています。
CDその他の実売数が、(これも自分たちで大量入手して安く頒布しているようですが、このやり方は限度があるので結果が知れています)本当の人気でしょう。
あらゆる分野でこう言う操作をしては、世界のヒット数ナンバーワンと自己満足している不思議な国です。
ただし、ブランドイメージ・虚偽のイメージ植え付け成功によって家電製品等の広告に有名化した韓国俳優を起用したり出来るので、結果的に売り込みに成功している面もあるようです。
最近アメリカで判明した現代自動車の燃費偽装表示問題は、こうした思考回路・行動様式で成功して来たものの、いつかは虚偽はバレル・虚偽は続かない結果が出た・・氷山の一角と言うべきでしょう。
中国のGDPの操作疑惑では電力の増減傾向と合わないことが4〜5年前に批判されたので、一時的に統計発表をやめていましたが、最近では政府発表に合うように操作されたと思われる統計を再度出すようになっているようです。
最近では電力統計等が操作されているので、当てにならなくなりましたが、政府統計ではない物流(・・港湾在庫の積み上がりなど目に見えます)が前年比大幅減なのに何故7%も成長していることになるのだ?と疑問が出ています。
このように嘘はどこからかバレるものですが、韓国の場合はネットの悪用が既に世界的に評判になっています。
どんな商売でも同じですが、1回良い思い・・楽して儲けることを覚えると企業精神が蝕まれてしまい結果的にマイナスになるのが普通です。
ここ2〜30年グロ−バル化の波に乗って韓国を具体体に知らない世界中に対して、政府挙げてのイメージ戦略・・と言えば聞こえが良いですが、虚偽報道のしまくり・・マスコミの作り上げたイメージで成功してきましたが、今後は世界中で個々人と直接接する機会が増えて来ると、身近で見聞きする具体的な人格が重要になります。
その結果、マスコミの作り上げたイメージではなく韓国人や中国人の具体的人間像が知られるようにになって、人の物を簡単に盗む・嘘ばっかり・怒りっぽい・汚い・うるさい等々のマイナスイメージが、現実に作られつつあります。
中国政府は浅ましくも国連の場でさえも日本が尖閣諸島を盗んだと口を極めて非難していますが、こう言う浅ましく野蛮な態度自体が世界中で嫌われる材料になり始めていることにまだ気づいていないのです。
英米メデイアが牛耳る時代が終わり、具体的人間観察・商品比較となって来る時代が来れば、世界中の人が日本人と中国人や韓国人のどちらを信じるかで見れば勝負は明らかです。
自分で努力しないで人の成果を盗んでいるのはどこの国が多いか、世界中で泥棒の多い国は日本と中国どちらですか?と問えば、あるいは歴史認識と威張っているが自国歴史を想像で語っている人が多いのはどこの国か?と言えば、日本は中国や韓国を引き離して圧倒的に信用されていることが明白です。
グローバル・ネット時代では、米英系マスメデイアが作り上げた虚像(米英の真似をして虚偽宣伝に熱を上げて来た中韓の日本批判)よりも、具体的な国民個々人が世界各国で作り上げていく人格像が重要になるでしょう。
 これで今年の社会問題等に関するコラムは終わりです。
明日からは大晦日と正月のコラムになります。
正月明けには、中韓との交際の仕方・・度し難く見える中韓ではあるけれども、我が国とは違い中韓においては政府と国民は別ではないかという・・10月25日に少し書き掛けてそのままになっている別の視点から考えて行きたいと思っています。

悪しき隣人との交際4

クリスマス・イヴとその関連コラムで観光立国批判・国境問題に話題が移って来たので、中断していた2012-12-23「 悪しき隣人との交際3」の続きに戻ります。
中国としては、甘く見ている日本だけを標的に攻撃してみて、失敗しても何とでもなると思ってやったつもりでしょう。
全世界の外国資本を攻撃したのでは世界を敵に回すことになるので、これを避けて一点集中攻撃から始めるのが合理的ですが、相手が日本なら戦前の仕返しだと言えばどうにでもなるし、アメリカや西欧も黙認・・背後で応援するという冷徹な読みが中国にはあると思われます。
これまで書いて来たように戦前の機会均等要求→世界大戦の要因になったように・・最近では中国市場で一人勝ち的な様相になっている日本の存在を欧米は苦々しく思っている筈です。
実は日本攻撃から始める準備は、江沢民が主席に就任して以来周到に準備して来たことです。
江沢民が就任後のアメリカ訪問時にアメリカの戦勝記念碑か何かに献花して対日戦争協力関係を忘れないという演説をしたことがあります。
このときに江沢民は日本の中国進出に対しては、今は必要だから投資させているがその内に投資した資産を投げ出して逃げざるを得ないように、叩き出してやるから・・とアメリカに約束していた可能性があります。
これまで中国と蜜月状態で協力して来た日本は、この突然の演説には非常に驚きましたが、そのとき以来中国では江沢民による日本非難の国内教育を着々と始めていて、今ではこの教育で育った世代が成人しています。
当時直ぐに日本を叩き出すには、中国の経済力がひ弱なために政治と経済は別と使い分けて日本に対して投資を呼びかけて深入りさせて来ました。
深入りすればするほど日本に対する攻撃の効果が高くなる・・レアアース供給の9割を中国に頼っていた日本を狙い撃ちに、レアアースの禁輸をイキナリ始めたのはその手始めでした。
江沢民の演説は、アメリカに対する戦時中と戦後の「密約を忘れるな」という意思表示であり、アメリカは多分今も忘れていないというエールの交換をしたことを公式に表明するための重要な転換点であり、セレモニーだったことになります。
中国が開放政策採用によって共産主義を事実上放棄したので、(名目上の共産主義温存とは政治的には独裁を維持するだけの意味でしかないでしょう)戦後共産主義封じ込め政策で米中が敵対していたことをやめて、戦前の協力関係に戻ることの確認でした。
・・裏返せば伸び過ぎた日本を叩くために戦前同様に再び対日共同戦線に戻ると言うアメリカのメッセージとして米中両国で演出をしたものでした。
日本はこれには驚いたものの、誠実に協力していれば悪いようにならないという日本流の解釈でその後もなおも経済協力を惜しまないで来ました。
中国としては日本の投資残高が大きくなればなるほど日本の撤退は巨額損失になる(自国にとっては技術移転になるメリットが大きい)ので、イザとなれば脅かし易くなる取引材料ですから、いくらでも奨励します。
江沢民→胡政権はこれ以来何十年もかけて反日教育に精出しているのに、日本はこれをやめてくれるように申し出を全くしないまま・・中止と引き換えに経済協力するという程度の要求もしないまま、無償で植林事業をするなど言われるままに資金や技術協力だけして来ました。
今回の尖閣諸島問題で紛争中にもかかわらず、何らの要求もなしに今年も中国向け円借款を中止しないで援助することに決めたと大分前に報道されていました。
こう言う政府の弱腰態度は韓国に対しても同じで、今回の竹島騒動でも仲直りするならば、「既成事実そのまま認めるのではない」(韓国側による何らかの譲歩・・構築した施設の撤去)「反日教育をやめさせることを条件にすべきだ」という以前からの私の主張になっています。
日本は中韓との仲直りをするならば、少なくとも「反日教育をやめろ」くらいの主張はすべきです。
反日教育をそのまま黙認していて表面だけ仲直りしても、反日教育で次世代〜更に次の世代までが育ってしまうのでは、両国の親善にとって取り返しがつきません。
その場だけ仲直りすれば良いとして来た歴代自民党政権の対応が、相手が悪過ぎて大失敗だったと思います。
今の中国人や韓国人の大半が反日教育で育っていますので、心から日本のありもしない残虐行為を刷り込まれた人ばかりになっています。
こんな教育をしている所でいくら日本人が現地で献身的無償協力をしても、その裏で反日教育に精出しているのでは何にもならない筈です。
ただし、12月22日に書いたように日本にとっては民族感情問題を中心に政治をして行くのは無駄です。
安倍自民党総裁が選挙前公約にかかわらず、大勝後に中韓を刺激しない政策を選択しているのは正しいことですが、これ以上深入りするための弱腰外交では国民感情が許せないでしょう。
悪しき隣人とは深入りすれば仲良くなるのではなく、むしろ関係悪化の禍根を拡大するだけですから、日本古来からの法に従って、(喧嘩で勝つよりも)悪しき隣人とはなるべく交際を減らして行く方が合理的です。
だからと言って右翼のようにいきり立つのでは子供の喧嘩レベルですから、投資の段階的縮小・・関係縮小のためには、主張はきちんとして行きながら「まあまあ・・」といって宥めておく大人の外交が必要です。

観光立国と生活レベルの低下4

企業本社があれば、全世界の収益の集中したものが税として国や自治体に入りますが、宗教団体の場合、上納金や拝観料は税にはならず、(古都税だったか大論争がありました)周辺の飲食店や切符きり等で働く人の個人所得を基準にした住民税しか入りませんが、個々人が学生アルバイト・非正規雇用中心の場合彼らからの税・・社会保険負担はあまり期待出来ません。
12月21日の日経夕刊には三菱商事の中核事業である4割の売上を占める金属事業部門を別会社にして、その本社をシンガポールに設立すると書いてあったことを、22日のコラムで紹介しました。
本社部門約400人らしいですが、法人税や400人分の所得税等が日本に追々入らなくなるだけではなく、400人の高額雇用が失われる・これを目当てにする間接雇用も大きく損なわれる大事件です。
12月21日に中国高官の裸官などを書きましたが、個人と違い経済的利益を目的とする企業が立地上有利な国の国籍を選ぶのを非難出来ません。
これまで本社・本部の取り合いは都道府県間の競争でしかなく、東京1極集中の弊害は地方交付税・地方優先の公共工事などの形で再分配が行われていました。
国際間になると再分配が期待出来ないので、本社の奪い合いは壮絶な国際競争・・辺境の離島や国境地域の領土分取り合戦以上に重要な現在の戦争です。
戦時でいえば、精鋭部隊一個連隊が敵軍に引き抜かれた(敵に寝返った)ような打撃がありますが、これに対する政治の反応はあまり報じられていません。
国境付近は概して僻地で何もない所・・経済価値の乏しいところが殆どですから、足で歩く時代の安全保障には1kmでも2kmでも国境が遠いに越したことがありませんでしたが、ミサイルや航空機中心の時代にはそれほどの意味がありません。
尖閣諸島周辺に資源があると言っても、日本からは遠過ぎて採算が取れないからどこの企業も及び腰になっていたのですから、その資源で何人の労務者等を養える(コスト上マイナスでは意味がありません)かという冷静な計算が必要です。
右翼がいきり立っているのは、4〜500年前の古い陣取り合戦の郷愁によるものです。
ちなみに、足で歩く日本の戦国時代でも支配領域境界から本拠地までの距離は援軍が来るまでの時間稼ぎ・・・・あるいは本拠地や準本拠地が奇襲攻撃を受けないようにする一種の情報伝達基地・捨てコマでしかありませんでした。
本軍自体に大きな戦力差があるときには、武田家の滅亡時や後北条氏の滅亡あるいは明治維新時の会津鶴ヶ城の落城を見れば分るように、領域境に援軍を送ることも出来ず、本拠地に迫る敵の大軍(織田徳川連合軍の攻撃や豊臣・徳川勢の小田原攻め自体は早くから武田側や北条側に伝わっていたし、戊辰戦争での官軍の攻撃も前から分っていました)を数時間や1日〜数日単位で引き延ばすだけの意味しかありませんでした。
戦力差が大きい場合、途中の小さな拠点など無視して進んでも背後を脅かされる心配がないので、順番に攻略する必要すらなく、時間稼ぎにもなりません。
今では国際紛争激化が数年前から進んで来た上での実力行使ですから、その前から報道その他であらかた戦端が開かれる予定が分る上に、戦闘開始直前・・国交断絶後でも敵の動きは人工衛星その他で予め十分に分ります。
奇襲攻撃があるとしても、今はロケット・ミサイル・航空機中心ですから、国境線から順に・・例えば尖閣諸島から順に占領して沖縄に攻め寄せて来る訳ではありません。
国際紛争に勝つには、国力を維持し高めることが先決であって国境地帯を寸土も譲れないと息巻いていても、イザというときには何の役にも立ちません。
むしろ遠隔地に小さな防衛拠点(数十人規模)を作るとイザというときに敵の大規模攻撃を受けるとその守備隊(程度では守り切れないので)の全滅を予定することになり、被害が甚大になるリスクがあります。
緊急時には全滅を避けて敵の攻撃前に引き上げることになると、何のために平常時から経費を掛けて守備隊をおいて来たのか?お笑いとなり兼ねません。
平常時から長期的施設を作って常駐するとなれば、維持経費として無駄な出費が長期的に垂れ流しとなり国力が消耗するマイナスの方が大きいでしょう。

観光立国と生活レベルの低下3

本社ビル経費を賄うために(京都の天竜寺など有名寺院のように)本社幹部の占有比率が下がって現場化を進める・・本社ビルの9割を飲食店・売店や物販やエステ店などに貸すようになるとどうでしょう?
本社ビルで働く人の多く(9割以上)がサービス業で占めるようになれば、その所得水準に合わせて本社ビル関係者・通勤圏内の住宅街の平均生活レベルが長期的には下がって行きます。
しかも入場料収入では、本山のフロー収入としては収支均衡あるいは僅かに黒字かも知れませんが、本体の立派な伽藍自体の建て替えなどの基本収入にはなり得ないでしょう。
工場設備や高速道路の収入が日々の従業員の給与や仕入れ経費で消えて行くと補修や建て替え費用が出てきません。
本社ビルを物販やサービス業に貸して本社ビルの維持費の穴埋めに使っても何十年後のビル建て替え資金までは蓄積出来ませんので古びて行く一方です。
その点では京都の庶民の多くが切符切り等観光サービス関連の仕事をしていては、自宅の建て替えが出来ず、戦前からの古い家にそのまま住み続けているしかないのと、お寺本体・総本山の現場化による結果は同じことになります。
観光立国とは、観光産業に従事する人の比率を上げることになりますが、タクシー運転手や入場料チケット販売や安全確認作業あるいはホテル受け付け、ベッドメーキング・掃除等、観光施設維持管理する人等が主体の人口構成の社会を作ろうとしていることになります。
この種業務従事者は失業者ではないですが、この種の職業では親譲りの家をそのまま使い続けてその日その日の生活して行くのが漸くで、古くなった家の建て替えをするまでの資金が出来ない人が中心の社会になり勝ちです。
観光に頼るようになったことで多くの人口を維持出来るかも知れませんが、京都等ではもの凄く古い家にまだ住み続ける人が多くなっている原因ではないでしょうか?
観光産業がなければ自宅を建て替える収入のある人だけが京都に残って、観光産業従事者分の人口が減ってしまったかも知れませんが、その分スリム・筋肉質な社会になって全体の水準が落ち込まなかったと思われます。
人口が多ければ良いというものではない・・少子化を進めるべきだという普段からの意見の繰り返しですが、観光業従事者を増やすよりはそうした人を出来るだけ少なくした方がその地域のレベル・・一人当たり収入が上がります。
放置すれば人口流出するとしても、それに対する対策はきちんとした産業を育てることであって、それが出来ないならば人口減も仕方のないことではないでしょうか?
家庭で考えても、外に働きに出る人を減らして家事労働者比率をふやしていると生活を維持できなくなるなります。
家事労働分野・・社会全体でいえば介護などに限らずサービス分野従事者比率を極力減らすのが筋です。(洗濯機や電化製品の例で分るように)機械化などによりサービス内容の充実を図るのは必要ですが、人口構成上従事者比率を減らすべきだということです)
ベニスやローマ等イタリアの街並は古い家ばかりで、これを自慢している傾向・うらやましがっている人もいますが、ベニスでゴンドラを漕いでいたり観光客に土産物を売る人が中心では、市街が汚くなる一方で時代に適応した新市街への改築が進まず街のレベルが低下する一方でしょう。
私の自宅はJR千葉駅から徒歩圏内ですから、大きな屋敷を次の世代が維持出来なくなるとこれを売却して、相応の収入のある人に入れ替わったり、分割して分譲住宅に変わって行きます。
ちなみに戦争で燃えなかったから京都では古い家が多いのかと漠然と思っている人が多いかと思います。
しかし関東では住宅やビルなど戦後今までに大方2〜3回も建て替えている社会であることから言えば、京都や大阪では文化財でもない一般庶民住宅が何故戦前からの古いままなのかということについて社会問題になっていないことがおかしいのです。
京都では観光産業従事者や学生が多くなっているから、こうなってしまったのではないでしょうか?
ここで話がずれるような感じですが、大学誘致問題に話題が飛びます。
大学都市が良い街造りになると期待して大学誘致を期待している人が多いですが、これは過去と前提が変わっているのに気づかずに今に当てはめる誤りです。
ここ3〜40年ばかりの傾向で言えば、今や学生はエリートではないしお金持ちの子供ばかりでもなく、むしろ貧しい人・アルバイターなど親の乏しい仕送りでギリギリ最低生活をしているのが普通ですから、経済基準では社会的弱者の方が多くなっています。
今や大学誘致=経済的弱者集団の誘致ですから、これをしても大学所在地の経済レベルが上がることはありません。
神戸の震災の犠牲者に学生が多かったことが報道されましたが、学生は親に負担をかけないように劣悪な木造密集地帯のアパートでも嫌わずに住む傾向がある(体力があることにもよります)ことをそのときに印象づけられたものです。
ちなみに、給費制がなくなったばかりの今の司法修習生も似たような傾向・・親としては大学院までの出費がやっとでこれ以上資金を出し続けるのを縮小したい人が多く、学生よりも貧困になってきました。
地方過疎地に大学が出来たばかりのときに若者人口が一時的に増えるので、学生向きのアパートの新築その他で一時的に地域の消費が増えるでしょうが、一人当たり消費水準は現場労働系若者(彼らは数十万の収入をほぼ全部使い切っていますが、親の仕送りに頼る学生は数万円の小遣いを使うのがやっとです)よりも少ない・・経済的に見れば最弱者ですから、彼らをターゲットにして商売していたのでは地元経済は貧困化のスパイラルに陥ります。
彼ら学生は課税対象ですらないので、1円の納税もしていないでしょう。
教員等従業員の納税者が若干増えますが、非課税の学生数に比すれば、ホンの何%でしかありません。
納税しない人口比率が増えるので、地方自治体は人口増に比例して水道その他インフラ整備分を無償あるいは低廉で提供し続けることになる点では、観光客がトイレや公共施設を無償で使ってゴミ等を捨てて帰るのと似ています。
京都は観光産業ばかりではなく文教都市として多くの大学がありますが、彼らは最低生活をしている人が多く、しかも(切符切りなどアルバイトをしても)税金を納めないので京都府や市としては、長期的にはかなりの持ち出しになっている筈です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC