強国は・・何をしても良い・・どんな違法行為をしても国連は懲罰しない・・何らの制裁も受けない現行世界秩序は、武力の有無・強弱程度を前提に国際秩序・正義の基準を作っていることになります。
日本とドイツの戦争行為を違法視して米英仏が主導して戦前秩序を批判して作った筈の国連が、結局は国際連盟以上に武力中心の国連秩序を構築をして自分たちが支配者に居座ったのですから、そのこと自体で日本に対する軍国主義批判は矛盾していることになります。
ちなみに日本の場合、軍部の政治進出を非難されていますが、歴史上(ローマのカイザルの例に始まり)どこの国でも戦時下では軍部に一任するのが原則です。
戦後秩序に関しては、ソ連による北方領土の占領と竹島占領は、戦後の実力行使ですが、国連は何もしてくれませんでしたし、日本に対しては国際政治道義を守れというばかりです。
現在の世界秩序はその根底が武力原理によって成り立っていることが、上記の例や戦後中国によるチベット占領やソ連によるチェコやポーランドでの大々的弾圧の黙認等でも明らかですし、一旦中国の支配下に入ると中国による非人道的支配に如何に多くのチベット人が焼身自殺しようとも、世界は黙っているだけです。
アメリカや常任理事国(中国のチベット占領やソ連時代のチェコやポーランドへの侵攻など)による理不尽な武力行使を誰も止められない現実が続いたからこそ、小国でも核兵器さえ持てば同じ立場になれる・・あるいはチベットのような悲惨な目に遭わないで済むという気運が生じてしまいました。
国内政治でも同じで、政権が不当なことをしていれば反抗する者が出てきますし、これに対してむやみに弾圧すると、抵抗勢力が生まれて彼らも武器を持つようになります。
日本が江戸時代あるいは明治以降も平和で安全な社会でいられたのは、為政者が無茶をしないで来たからです。
(女性が夜道を歩いていて何の心配もない安全な社会は江戸時代に始まったものではありません・・義経物語で有名な金売り吉次が商人数で金の運搬をしていた例でも明らかなように、・・仮に物語は当てにならないとしても、女性の旅行記である更級日記でも分るように、平安時代の昔から安全な道中は保障されていて・西洋やアラブのように軍隊的隊商を組む必要のない社会でした。)
為政者や強者が相手が弱いと思って無茶をしない社会では、下々まで自衛のための武器を必要としません。
これが秀吉の刀狩りが成功し、現在に連なる平和・安全社会を作って来た社会的基礎です。
上は下々を気に配って経営する伝統は企業文化としても健全に引き継がれていますから、戦後何でも欧米の真似をして・・あるいは企業経営者や支配者は悪い者の集まりだというアメリカの宣伝教育(欧米ではそれが普通なのでしょうが・・・)に乗せられて(横文字を縦書きにすれば進歩的文化人という風潮もあって)ストライキが流行りました。
しかし日本の企業経営者のスタンスが欧米とは根本的に違うのですから、「相手が黙ってればいくら搾取しても弾圧しても良い」と言う欧米経営者・植民地支配のやり方を(学校教育・・経営者は悪者的養育)前提にしたストライキをしても意味がないことが分って来て、社会が落ち着くに従って労働争議は減ってきました。
(これに連れて共産党や社会党の支持者が減ってきましたが、日本国民の政治意識が低いのではなく、何周回も欧米よりも社会意識が先を行っているという私の意見の根拠です)
欧米の真似をして日本でも同じような非人道的な弾圧・搾取があった筈だという想像から「カムイ伝」など戦後多く書かれていますが、日本の一揆と言っても平和的なもので皆殺しになるような全面戦闘行為はありませんでした。
大衆動員して集団直訴すると農民の責任者が処罰されるものの、同時に治世不行き届きの廉(かど)でその大名家も取りつぶしになるのが普通でしたので、一揆をするという脅しで大体解決していたのですから、歴史事実に反した創作です。
むしろ旗本などの領主がムラ役人連名の「今年はこれだけ」という「お達し」をされて、これを受け取ってあるいはもう少しの増額要求の交渉をするなどして漸く生活していたもので、どちらかと言えば居候みたいな弱い立場だったことが分ってきました。
最高権力者である将軍吉宗でさえ、年貢の比率を農民代表との取引で決めるしかなかったの(この交渉が大変だったことが知られています)ですから、大名家も同じように年貢比率は地元代表との話し合いで決めるしかなかったように思われます。