マニフェスト(選挙公約)の重み2

公約違反と言っても選挙時に公約したことを実現すべく努力したが反対意見が多くて実現出来ないのなら、力及ばずということで民主主義制度の存続自体の問題ではありません。
普天間基地移転先として「少なくとも県外へ」と言った鳩山代表の主張が、巨大なアメリカの壁に弾き飛ばされて実現出来なかったのは、公約違反ではなく実現出来ないことを主張したという意味の失点・・政治能力がお粗末として評価されることでしかありません。
消費税増税の問題は、当時の鳩山民主党代表の選挙演説で4年間は消費税増税しないと明言しています。
(民主党のマニフェストでは消費税増税に全く触れておらず、財源は無駄の削除で捻出するという主張でした・・その結果政権を取ると事業仕分けなどに精出したのは記憶に新しい所です。)
事業仕分けの結果財源不足を全部賄うまでは行かなかったと批判されているとしても、ともかくこれは公約に従って精一杯頑張ったこと・・自民党では出来なかったことをやっているので国民の期待に応えことにはなっているでしょう。
野田総理に変わると「消費税増税に政治生命をかける」と公言したまでは良いとしても、増税の可否について選挙で「信」を問わないまま野党と談合して多数の力で法律化することが許されるのでしょうか?
自民党は時期をはっきりしないまでも、消費税増税路線を明示していましたが、民主党は4年間増税しないと選挙で主張して政権を取っているのであって、(そのために選挙戦では増税反対→財源論が大きな争点になっていて無駄の削除論・・事業仕分けに発展したのです)野田総理はその選挙の結果政権党になった党首に過ぎません。
「政治生命をかけるべき」ハードルは消費税増税の可否を問う選挙をしても敗戦を恐れないで敢然と正義のために向かって行くことこそ、政治生命をかけるに値する行動です。
選挙で負けるのを恐れて野党との談合で増税法案を通そうとするのでは、「政治生命をかける」と大見得を切ったことにはなりません。
政治生命をかけると言う言葉のまやかしです。
正義のために生命を失う危険を顧みないで危機に立ち向かうことこそ勇者であって、卑劣な手段で結果を求めるために政治生命をかける(歴史に汚名を残すために頑張る)のは、国語辞典にはない新しい用法でしょう。
マスコミは増税実現を賞賛している方向ですが・・(おだてて突っ走らせて民主党を駄目にするほめ殺し戦法かな?)もしもこういう政党(談合に応じた自民党・公明党も含めて)の存在が許されれば、信頼によって成り立っている代議制民主主義制度は崩壊してしまいます。
党として4年間は増税しないと約束して選挙に勝った以上は、野田総理が「消費税増税実現に政治生命をかける」と言ったとしてもその正しい意味はせいぜい
「消費税増税を目指して党内世論を変えて行きたい・・そのために党内で孤立して政治生命を失っても良いという第一弾の意味であり、党内世論変更に成功したらその時点で第二段階として党として正々堂々増税を公約に掲げて新たに選挙で「信」を問いたい」
「それで敗れても政治家の本望だ」
と言うところまでが、本来の代議制民主主義下での「政治生命をかける」べき行動原理です。
ところがこれらをすっ飛ばして・・選挙での主張を一回もせずに多数を握っている国会で野党と談合の上、多数決で増税法案を可決してしまうのは、数さえ多ければ何をしてもいいという最悪な政治行動となります。
こういう卑劣な行為結果に「政治生命をかける」と言うのは「政治生命をかける」意味に対する冒涜・おこがましいにも程があるし、代議制民主主義の原理を根本から覆す卑劣な行為です。
民主主義制度が現在社会では普遍的正義とされていて、これの不十分な中国や北朝鮮を常に批判しているのがマスコミですし、争乱=多数の殺傷事件が起きても(リビヤやチュ二ジュアやエジプトなど枚挙にイトマがありません)民主化運動であれば無制限に賞賛しているのが現在マスコミ界の現状です。
民主主義社会とは結果さえ良ければ手順がどうでもいい(軍事独裁でも何でもいい)のではなく、民意に添う手順・・選挙による民意に従う行為をしているか否かに最大の価値を置く社会です。
今回の公約違反と談合行為→民主主義の根本原理に反する行為を賞賛して、他方で「手順がおかしい」と批判する勢力を陰に陽におとしめる報道ばかりしているマスコミは、どのような価値基準を持っているのでしょうか?

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