高度化努力を際限なく続けてその結果際限なく円高になるのを繰り返して行っても、いつかは力尽きる時が来ることは防げません。
ただ、例えば日本が年に1割の高度化努力に成功していたのが、8%〜6%〜4%と順次成果が小さくなって行くとした場合、前年比ゼロ%になった時点で海外競争に負けてしまうかと言うとそうとは言い切れません。
相手の方も生活水準上昇による賃上げ率の上昇があるので、適当なところで日本に対して追いつく力が尽きることもあります。
韓国や台湾がそれで、一定程度まで日本に追いついていましたが、最近その差がこれ以上縮まらくなっている感じです。
中国もその内一定以上に生活水準が上がったところで、ピークを打つ可能性があります。
学業の成績上昇の変化を例あるいはマラソン走者を例にに考えるとよく分ります。
全く勉強しなかった子供があるときに目覚めて勉強を始めると各科目平均20点台から始めた場合当初は急激に伸びますが、その勢いで際限なく伸びるのではなく、子の資質次第で50点台で上昇率が鈍り60〜70点くらいで打ち止めになったりします。
他方元々60〜70点台だった子も負けずに努力すると少しずつ上昇するのですが、20点台から40点台に上がる子に比べて60点台の子が5〜10点でも上げるのは大変です。
このように低水準から始めた子供よりも、元々の上級者の方が上昇率が低いのは当然です。
あるいはある人が1km先に走っていた後で次の人がスタートを切れば、先に走っている方は疲れているのでスピードが落ちていることから最初の数百〜1kmメートルは距離が縮まるでしょうが、一定距離を走った後はその走者の能力次第で同じ能力ならば、1kmの差に戻ってしまうし、逆に開くことさえあります。
(日本の高度成長は明治維新以降の技術力の蓄積の上に始まっているので、中国や韓国とはスタート台の違いも重要です)
この勢いの良い初期段階を見て新興国は今にも日本に追いつき追い越すかのような単純な妄想を抱いて高慢になり、日本のマスコミも「大変だ」と騒ぐ傾向がありますが、物事の発展段階のルールを知らない幼稚な議論に過ぎません。
このように新興国も一定水準以降は技術力・生産性の向上率が下がって先進国の上昇率と肩を並べることになったり、(追いつかない内に同じ上昇率になると差が縮まりません)あるいは止まって下降曲線になる国もあります。
相撲で言えば勢い良く昇進していた力士が幕内上位になると足踏みし、その内下がり始める力士の方が多いのとを想起しても良いでしょう。
最終的には遅れて目覚めて勢い良く上昇し始めた国がどこまで先進国に追いつけるか、どの段階で息切れするか、追い越せるかについては、日本人の資質と競合国の資質の差に落ち着くでしょう。
今のところ急上昇中の新興国の上昇率に賃上げが追いつかないので、先進国との賃金格差が大きすぎるのですが、最終的には資質差の範囲内に人件費の差が縮まって漸く安定することになります。
(画期的発明がなく)同じような製品の競争を続けている限り、日本も60→70→80→90点台になるとそれ以上技術力の向上は難しくなるので、どこかで打ち止めあるいは上昇率低下に見舞われることがあり得るでしょう。
日本が仮に95点で上昇率が頭打ちになり、韓国が85点、中国が80点でそれぞれ頭打ちになるとしたら、その時点での賃金格差がこの点数差と一致していれば国際競争力が均衡することになります。
(歴史を見ると一見停滞しているようでも少しずつ進歩して来たことは間違いがないようですから、何時の時代でも少しずつ進歩し続けるのですが華々しく目立たないだけですので、進歩が停止するのではなく上昇率が低下するだけです。)