2月16日に最高裁判所の判例を紹介しましたが、憲法25条の規定があるからと言って、国民が直接一定の給付を請求する権利があるのではなく、国会で具体的な法を制定して初めて具体的な権利になるに過ぎません。
憲法
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
生活保護その他福祉関連の権利は、国会の法制定・・すなわちみんなの意思でどの程度まで援助すべきかのコンセンサスがあってこそ、具体化する権利です。
仮に働けない人でも、何らかの原因・事情でお金が入って巨額のお金を持っている場合に、(例えば子供の死亡で生命保険金が1000万円・損害金が数千万円以上入っても)働けないという理由だけで、別途生活保護費を請求出来るとすれば、そんなことは許されないと思うのが普通の考えでしょう・・・・・。
これが給与や物品を販売した代金などであれば、その権利者が数千万円以上お金・預金を持っていても働いた以上は給与を貰い、あるいは商品を売った以上は売り主がお金持ちでも販売代金を受領する権利があるし、貸したものは返してもらう権利があることに誰も違和感を持たないでしょう。
このように同じく権利とは言っても、持っている意味内容が違います。
しかし各種福祉受給者にとっては一旦支給されるようになったお金は、既得権のように思ってしまう人が多いようです。
その後に働けるようになったり、誰からか貰ったお金はその分上乗せ生活する権利がある・・減らされるなら働いたら損・・と誤解しそうな勢いです。
大震災・津波等の被害に対する寄付金を生活保護費から控除したら大きな批判になったのですが、「働いたら損」「臨時収入は別計算にすべき・」と言う意識が今では普通・・・常識になっているのでしょうか。
失業保険受給期間中や生活保護受給者では「働いたら損」という意識がかなり広まっているのは分りますが、それでも大っぴらに主張出来る性質のものではありませんでした。
今回のマスコミによる騒動は、大っぴらな主張を許す・・権利に昇格させる契機になるのでしょうか?
一旦生活保護に転落すると這い上がる意欲がなくなってしまうと言われていますが、誤った観念・・権利意識を過剰に植え付けるマスコミ報道・人権派のアッピールが盛んだからではないでしょうか?
(誤解のないように再度書きますと、前回・2月16日に書いたように一旦制定されたら違法な不支給に対しては裁判上主張出来る「権利」であることを、ここで否定しているのではなく、権利の性質が違うということです。)