貿易赤字下の円高1

輸出入を全体として見ると収支が貿易黒字になっている・・その結果円高になったときに、その円相場では大量生産型産業が国内に生き残れなくなって行くのは嘆かわしいことではありません。
昨日書いた比喩的利益率の分布によれば、輸入によるマイナス分も加重平均した結果の貿易黒字による円相場で生き残れない業界は、わが国の輸出産業の平均的利益率以下になっていることになります。
・・即ちもっと効率の良い産業が別に多く発展していることの証(あかし)であり、日本の輸出産業の平均コスト以下に決まる円相場でも生き残れない企業は、既に我が国の平均利益率以下の産業になっているアカシでもあります。
平均能力以下の産業は退出して行き、より効率の良い(利益率の高い)分野に労働力や資源を集中すべきです。
この種の話は元々景気不景気の話と同様であって、不景気で売れないと嘆く人と同じです。
その業種がゼロになったなら別ですが、建築でいえば、前年比5%着工が減っただけならば、(車の売上でも同じです)「腕の悪い職人から仕事が減るのであって、腕のいい人の仕事は減らないでしょう」と言うのが私の持論です。
不景気を嘆くのは自分が業界の最下位の仕事しか出来ていないからヒマになったら真っ先に仕事を切られるに過ぎないことを自白しているのと同じです。
大学の入学定員が5%減って厳しいという人は、最下位入学を志しているようなもので、そんな人は入学出来ても授業について行くのが大変なだけですし、やっと卒業出来てもマトモな仕事にも就けないでしょう。
やっと最下位で就職しても真っ先に首を切られたり窓際族になったりして、居づらくなります。
ただし、上記の原理は、貿易黒字による円高になった場合のことであり・・我が国は昨年3月11日の大震災までは貿易黒字が続いていたことを前提に書いています。
もしも大震災以降燃料の大量輸入等で貿易赤字が定着して来たとすれば、大晦日のコラムでも少し書きましたが話は別です。
貿易赤字になっている・・総合的競争力がマイナスになってしまったにも拘らずに、その他の理由・・高金利のために円が上がったり、所得収支や移転収支の黒字のために円が上がっているときには、既に産業の競争力がなくなっているのに更に円が上がり続けると悲惨な結果になります。
我が国は巨額の貿易黒字が続いていたにもかかわらず、低金利による円キャリー取引、海外投資促進による資金流出で、(今回の円高局面でも海外M&Aの盛行で巨額資金が流出し円高圧力を和らげている側面があります)円高になるのを長期間阻止して来たのですが、経済実態(国際競争力があるのにハンデイを付けていた)に反していたことの裏返しの結果が始まろうとしています。
逆の動き・・すなわち過去に逆張りして来た咎めが出て貿易赤字・競争力がなくなってから円が上がり始めると大変です。

構造変化と格差14(部品高度化2)

ところで、我が国でも高度化対応に成功していない企業も勿論あります。
(この間労働人口は大幅に減って来ているのですが)国内総生産がジリジリと増えていて貿易黒字が長年続いているので、全体としては高度化が成功している筈というだけであって、部分的には適応出来ず事業縮小になっている企業も沢山あります。
無限の事象の中からどの事実を拾い出すかによって歴史の意見が変わるように現在の現象もマスコミが恣意的に困った業者ばかり取り出せば、日本は大変な状態となります。
結局はトータルの総生産の増減や収支で見るのが正確でしょう。
例えば同じ繊維系でも三井財閥系列の大東紡をネットでみると、現在の株価は何と僅か60円台に下がっていて、本体の従業員数は50人台しかいません。
(古い企業なので都心の一等地に不動産があって不動産収入で生き残っている感じです)
同社は日本経済の主力が繊維から電機に移行する時代・・40年前からこれと言った新製品・新技術を創出出来なかったのではないでしょうか。
製鉄、造船・重工業分野、電機系もみな同じで、造船・新幹線・原発等の組み立て施行は韓国や中国に譲ってもその核心技術・部品は日本からの輸出で成り立っていたり、テレビや冷蔵庫などを国内で造れなくなっても、多くの国内工場はその部品等の輸出で生き残っていますし、うまく転換出来ず消えて行った企業も多くあります。
人件費の安さにつられて、早くから海外進出した企業は当初こそ大成功しましたが、同業他社が同じように海外進出すると、結局は内部蓄積した技術力のない企業の多くは淘汰されて行きました。
(消えて行ったいろいろな会社がありましたが、私が宇都宮にいた頃近くに工場のあった「アイワ」(最後はソニーに吸収されてなくなりました・・・もその一つだったかな?)
生き残れるか否かは目先が利くかどうかではなく、技術力の差にかかっています。
ある場所の立地に目を付けてラーメンやその他の店を始めると最初は成功するのですが、場所が良いと競合店がひしめいてきます。
そうなると結局生き残れるかどうかはその店の味・腕次第・・・腕が悪ければ草分けかどうかは関係がありません。
技術力を高めた変身成功の結果、日本の産業が高効率化していることが更に貿易黒字を維持することになり、ひいては円高を押し進め、他方で総生産に占めるエネルギー効率が世界最高水準になっている原因でもあるでしょう。
今後効率化が進み円高がさら進めば、さしもの自動車業界も高度化に適合して生き残れる企業と生き残れない企業に分かれる・・これまでの衰退産業と同じような経路を辿ることになるのですが、これは発展段階に関する避けられないルールだとすれば、大変だと騒いだり驚いていても解決にはなりません。
為替相場=円相場は突出して儲けている産業の競争力だけで決まるのではなく、利益率2〜3%から5〜6%のようにちょっとしか儲けていない企業や、2〜3割の高利益率の企業やすでにマイナスになって輸入している分野(原油や鉄鉱石など資源系あるいは食料系は元々から輸入です)を総平均して、国の貿易収支が黒字になった度合いで決まるものですから、突出して儲けている企業にとっては、平均値以下の基準で上がった分には、なお十分な利益が出る仕組みです。
円が1割上がると苦しいのは数%から1割程度の利益率・・すれすれで輸出している企業であり、15%の利益率の企業は円がⅠ割上がってもなお利益が出ます。

構造変化と格差13(部品高度化1)

私事ですが、最近7年ぶりに眼鏡を造り替えて昨日貰って来たところ 顔の輪郭がはっきり見えるのに驚くとともに、人並みに顔のしわが増えて皮膚のツヤが衰えているのにも気づきました。
昨日のコラム最後に書いたように、まだ若いと思っているのは自分一人であったことが客観的に明らかになったこの一日でした。
不思議なことですが、「最近風邪を引かないし健康になったな・・」と実感した途端に風邪を引くなど、健康に関する意識は何故か真逆になることが多い傾向があります。
おごった気持ちが油断を招くのか、ちょうど病の兆候が忍び寄っていてこれを本能的に感じた結果、普段気にしない健康に関心が向いて、「最近体調がいいな・・」と意識に上って来るのかも知れません。
風邪に限らず何らかの異変が出て気づく前に、風邪その他の病因が進行していることが多いものです。
とは言え、皮膚のツヤが年齢相応になっているのが分った程度で、今のところこれと言った病気もなく元気に新年を迎えました。
ここで、正月特別コラムを終わりにして昨年12月30日までの通常コラムの続きに戻ります。
2011-12-30日のコラムで炭素繊維で有名な東レを例に書きましたが、同じ業界であった倉敷の大原美術館関連で私のような素人にも有名なクラレ(倉紡)がどうなっているかをデータでみてみましょう。
同社ホームページで売上高利益率の推移をグラフでみると高度成長期は売上ばかり伸びて利益率は低下の一方で、シェアーばかり競う時代であったこと・・今の韓国や中国みたいな状況だったことが分ります。
1980年代以降現在まで売上高はほぼ横ばいでそれほど伸びていないのに、利益率はドンドン伸びて2003年度当期利益額(単位不明ですが数値だけ比較すると)が8,051に対して、2007年度(リーマンショック前)では22,412に約3倍弱増加しています。
1980年〜85年頃の売上高は2007年頃とほぼ同じですが、売上高利益額は、2007年ではほぼ倍増になっています。
過去に売上高が2倍あって利益が同じ場合、薄利多売・・多くの生産をしていたこと・・多くの雇用を吸収していたことが分り、20年以上経過して売上高がほぼ同じなのに利益率が2倍になっている場合、雇用比率が下がっていること・・製品の高度化転換・高収益化が進んでいると推定されます。
上記の例はホンの一例であってそれ以外に多くの分野で我が国は産業高度化に成功した結果、国内総生産の落ち込みもなく(バブル崩壊後も漸増していたことを既に紹介しました・・気になる方はご自分で国内総生産の推移をネットで調べてみて下さい)、国全体の貿易黒字がなお続いていたことから、(蓄積した分だけ円が上がる道理です)リーマンショック以降急激に円高が進み、これについて行けない多くの業種で淘汰が進んでいます。
ちなみに、リーマンショック、ニクソンショック・あるいはギリシャ危機などと天災のごとく言いますが、本来の経済現象の変化に合わせて生じるべき変化を政治的その他の事情で人工的に無理にせき止めていた咎めが出た(ダムの決壊に類する)ときに、このように表現しているに過ぎません。
地殻変動のひずみが一定量を超えると大地震が起きるのに似ています。
リーマンショック以降の経済の大きなうねりは、長期にわたるアメリカの赤字累積・紙幣の乱発に対するひずみの是正作用が連続して起きているに過ぎませんし、・・我が国の円高も長期にわたる黒字にも拘らず超低金利の結果円キャリー取引を通じた円の流出によって円安を演出していた咎めが出た・・アメリカも欧州も低金利になると同じ金利ならば、黒字国の円が過去に上がるべきだったのに正当に上がっていなかった分まで上がる(下がるべき国は下がる)のは当然です。
ショックとは調整過程の始まりに(気づかなかった人が)ショックを受けていることであり、実際に起きているマイナスを塞き止めて来たダム(ごまかしが効かなくなった)決壊が目前に迫った下流の地域の危機を言うマスコミ用語です。
円高ショックと最近言わないのは、国民が経済実態・円の実力を前からよく知っていたからショックでも何でもないからです。

発電所の消費地立地4(コンパクト化3)

消費地である東京に製鉄や発電所を立地しないのは、汚いものや危険な公害型産業を遠くへ追いやる意識が底流にあるからではないでしょうか。
安全性に問題がないならば、(原発は別としても火力発電所くらいは)東京の消費量から言えば、各区に1基くらいずつの大型発電所あるいは東京湾岸エリアに千葉にある火力発電所程度の大きさのものをいくつかまとめて造っても良い筈です。
東京のど真ん中に造ることによって送電ロスが減り、身近に生活する都民の厳しい意識が、より安全で効率の良い発電所(CO2排出削減努力)に変えて行けます。
民主党以前の政府や電力業界が主張していたように本当に原発が安全ならば、大量消費地に近い東京湾岸に多数立地するのが合理的です。
都内に立地する気が全くない・・こんなことを主張するのは狂気の沙汰と思う人が多いとすれば、誰も安全神話など信じていないし科学技術の発展を誰も信じていないことになります。
June 11, 2011「巨額交付金と事前準備3」前後からJune30 2011「交付金の分配」までの連載で、地元では巨額の交付金を得ていたので、危険性があることを前提にした損害賠償の前渡し金だったのではないかと書きましたが、都内に原発を造るなんて論外だという意見が普通だとすれば、過疎地への原発交付金は、やはり危険手当だったのではないかとなります。
電気の場合、利用場所において操作が簡便になりクリ−ンになったのでツイ誤解しがちですが、遠くでエネルギー変換出来るようになったことによって、目の前から見えなくなって危険性のごまかしが利いているだけではないでしょうか?
(蜂蜜はうまいが蜂から蜜をとる作業は危険です)
産業革命以降原産地と消費地との距離を離して行きさえすれば、消費者にとっては安全になる仕組みが考案され・すなわち輸送コスト安+鮮度維持技術の発達によります・・アフリカ沖のマグロの刺身を東京で食べられる時代です・・安全になった錯覚が生じていたのですが、今回の原発事故によって、危険なものをどんなに遠くへ持って行っても放射能汚染は地球規模の問題ですから、ごまかしが利かなくなりました。
今後は距離で何とかするのではなく、規模のスモール化と管理技術を磨いて行くしかないでしょう。
極小化・・今の火力発電所の一基当たりの規模を1000分の1程度にすれば事故があっても大したことがないでしょうし、燃料も原油そのまま使わないで爆発し難いように別のものに変換してから使うなど工夫が発達します。
原発もウラン自体を別のものに加工して原発で使う段階で事故があっても安全化するなどの工夫が発達するべきでしょう。
電気の場合スイッチオン・オフが瞬時に出来るのは利用場所においてだけであって、発電現場ではスイッチで瞬時に発電したり瞬時に停止出来ない・・一旦止めたら再運転するのは大変なことから見ても象徴的です。
(原子炉はどのようにして廃炉するかすら分っていないのに、発電だけ始めてしまったようです)
これからは、危険なもの汚いものを遠くの見えないところに持って行って安全になったように錯覚して安心しているのではなく、如何に制御して安全化し、且つコンパクトにして身近においても安全にするかの工夫・技術開発が望まれます。
我が国の清潔度・感性の高さは世界一級ですが、これは1月2日に炭火の利用例で書いたように古くから、使用の場と造る場をウマく切り分ける技術が発達していたからです。
現在ウオッシュレットが発達してからのトイレのクリ−ン化はやはり世界に冠たるものですが、これなどもわが国の分離の成功例でしょう。
今では身近・台所の隣にトイレがあっても、汚いと思う人は滅多にいないでしょう。
かと言って家の裏で汲取業者一人が汚物を処理しているのではなく、今は下水を通じて流れて行き、各自治体ごとの週末処理場でも機械化しているので、担当者が汚い非衛生な目に遭っている訳ではありません。
台所のクリーン化・コンパクト化はガス、水道、電気の発達とゴミ処理技術の発達に負うところが大きいでしょう。
小金井市長がゴミ処理問題で引責辞職せざるを得なくなった事例でも明らかなように、クリーン化は自前で後始末までしてこそ完結出来ます。
電力も東京都等大消費地が自前で発電すべきであり、電気は消費地生産の方向で管理技術を磨いて行くことが、これからの主要課題であり、(今のところ電力はすべての産業の文明化の基礎ですから・・)この解決が国際競争力の維持に繋がると思われます。
この問題はまだまだ書きたいけれども、大災害に負けずに奮起して欲しい正月特別番組としてはここで一旦終わりにして、(このコラムは前日・6日に書いて翌午前零時にオープンしていますので)明日から年末(12月30日)までのテーマに戻ります。
ちなみに私の事務所は例年通り1月6日から仕事始めですが、仕事に出れば初日から晩まで来客予定が詰まっていました。
昨年地元老人会から相続問題の講演・解説を頼まれて、ウイークデイは仕事の予定が一杯なので困ると言ったところ、町内の役員としては私がとっくに隠退していると思っていたらしく(土日の方が家族団らんのために時間を取れないからウイークデイの方が良いと思っていたようです)、こちらが逆に驚いてしまったことがあります。
私はまだまだ50代くらいの気分で仕事をバリバリしているつもりですが・・・・まだ若いと思っているのは自分だけかも知れません。

発電所の消費地立地3(コンパクト化2)

産業発展の歴史はすべての分野での小型化競争の歴史でもありますので、先ず発電部門で日本が超小型化競争・・効率化競争に入ることが重要です。
独占(九電力体制)維持のために電力業界ではそんな研究はしたくないでしょうから、今の九電力体制のままでは望み薄ですが・・我が国はものを小さくして行く技術特性のある国民性ですので、この分野の競争にまじめに取り組めば必ずや世界に先駆けた開発に成功して有力な輸出商品になる筈です。
また電気関連はすべての利便設備の基礎ですから、基礎技術が他国よりも早く進化すればそれだけいろんな業種での競争が有利になります。
いきなり今の大型発電所と同効率で、各家庭で使う程度の発電機の小型化までは無理でも、大型ビル4〜5個あるいは数街区規模に供給する程度の中型火力発電所の効率化を工夫出来れば、送電ロスや送電線の建設や維持コストが殆どなくなります。
また、発電所が細かく大量に分散していれば、1カ所の事故があってもその影響は限定的ですし、網の目のようにある隣接発電所からの融通で間に合わせられるので補完性も優れています。
一カ所の事故で大規模な停電が起きる心配がなく、災害やテロに対する安全性も優れています。
ところで、今のところ大型発電所しか効率上造れないとする意見が正しいとしても、(電力会社の独占維持のために発電装置小型化の研究開発費が出ないとすれば、日本にとって不幸なことです)送電ロスをなくし、テロその他の災害ダメージを少なくするには各消費地ごとに大型発電所を分散するのが合理的です。
福島原発では6号機までもあって更に増設する予定で今回の事故になったのですが、1基当たり一定規模の大型発電が必要なことと、一カ所に6〜10号機までも集中して造る必要性とは一致しません。
せいぜい1号機だけよりは集中管理出来て(所長が一人で済むなど)管理コストが安くなる程度でしょう。
管理費合理化程度ならば、送電ロスや膨大な送電網の維持管理費との損得の外に、一カ所がパーになると大規模停電になるリスク等と比較すれば、危機管理上から見ても分散立地する方が合理的です。
10号機まで集中すれば一カ所の警備で済みますが、その一カ所からの送電延長距離が伸びるので長大化した一カ所でもテロに遭うと全部停まってしまうリスクがあって、長大な線に沿った警備や保守維持に苦しむことになります。
超高圧線は山奥・稜線を利用しているので、警備の車が巡回するには不向きで歩いて巡回するしかないのですが、毎日1回も巡回し切れないでしょうし、巡回の合間を縫ってテロリストが潜伏して破壊するのは簡単です。
道らしい道がない場所ばかりなので、破壊されてから修復に駆けつけるにも(資材の搬入にも重機を使えないなど)日数を要します。
火力発電所も同じで、大型化の必要性だけから首都圏の需要を、千葉や神奈川県の大規模火力発電所ですべて賄う必要まではないでしょう。
仮に今のところ大型発電機しか効率が悪くて造れないとしても、最大消費地である東京都区内(輸入原油や石炭に頼る・・大量の海水を使うとしても東京にも海岸がありますよ)に全く発電所を造らないことの説明にはなりません。

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