危険と隣合わせ2(メリット)

生活利便設備は、利便性が求められる以上は身近に・・何時でも利用出来ることが求められますが、一般的にうるさい、汚い、臭い、危険と隣り合わせのものが多いのが難点です。
トイレも、近くに欲しいものですが、その分汚い、臭い、非衛生(御不浄という人もいました)の問題がありました。
料理は出来たてがウマいので台所設備は、食べる場所・客を接待する場所に近いに越したことがありませんが、魚を煮たり焼けば臭いがするし、煙が出て煤けて座敷が汚くなる外、魚の腹わたその他食品残りの腐敗臭があるなど大変です。
火は暖をとり料理し、照明のために必要ですが、むやみに燃やせば危ないし煙たい・・これを何とかするために換気扇や排水設備が工夫されて、コンパクト化した調理場となって利用者との距離が近づきました。
(私の一家は東京大空襲で丸焼けになって疎開先の田舎で育ったのですが、子供の頃には井戸から釣瓶で水を汲んでいて瓶(みずかめ)などに蓄えて使用するし、排水が良くなくてドブが普通で「どぶさらえ」がイヤな仕事の1つでした)
燃料も薪や石炭などが近くにあれば便利ですが、家の中が片付きません。
私の育った地域では、台所部分は居室部分から切り離しているのが普通でした。
燃え盛る火のそばにいれば暖かいが危険です。
召使いも近くにいれば便利で安全ですが、召使いでもいれば気を使う・プライバシーが守れないなど出来ればこちらに用があるトキだけ直ぐ来て欲しいものです。
親しい人と気が向けば直ぐに話したいが、しょっ中自分の声の聴こえるところに親しい人が何十人もいるのもうっとうしいものですし、相手にも都合があります。
このようにすべて便利なものは近くにおきたいけれども、出来れば遠ざけたい矛盾した関係です。
矛盾した欲望があるところにこそ、社会改革・商機・・工夫の余地が大きいのです。
矛盾の多くを解決したのが、電気の発明による電灯・電波(電話やテレビ)に始まり現在のIT機器の活用ですし、あらゆる分野でのコンパクト化でしょう。
(電池の小型化=高性能化と各部品の省エネ化が大きな役割を果たしています)
電気はクリーンエネルギーと言われますが、トータルでは化石燃料を燃やして発電するとき100%電気化出来ないことよるエネルギーロス及び送電ロスが生じるマイナスが大きいでしょう。
クリーンなのは、使う場所において煙(CO2)や熱が出ない意味では正しいでしょう。
公害防止技術の未発達の時代には、工場地帯での石炭火力発電所は大量の煤煙等が集中的に発生していました。
家庭で天ぷらを上げれば臭いし油が飛び散って大変ですが、総菜工場で一日中天ぷらを揚げて配送すれば家庭では綺麗に出来上がったものを食べられる(その分冷えます・・運送時間の短縮や保存の工夫)のと同じです。
石炭の場合黒煙が目立つ割に大した被害がありませんでしたが、石油の場合黒煙ではないので見た目では対したことがないにも拘らず、健康被害が大きくなります。
(放射能の場合、臭いもないしもっとこの関係が大きくなります)
日本では古くから炭火を利用して御殿や座敷で利用することが発達しましたが、これは石炭を燃やして電気に変換するのと化学原理は違いますが、別の場所で別のものに造り直してコンパクト化して運搬して来る考え方は同じです。
炭にすると燃え広がる危険性がなく、管理し易い上にクリーンでした。
枕草子でも「いとつきづきし・・」と表現されているように、平安時代の御所では既に炭火を利用してました。
(ここまでは高校時代に習った古文の記憶ですが、今ネットで調べてみると日本では愛媛県の洞窟から約30万年前の木炭が発見されているようです)
世界中で我が国のように燃える火を屋内で安全に使えるように炭に置き換えて日常的に利用していた国があるでしょうか?
炭火自体は古代からどこの地域でも自然発生的にその存在を知り人工的に造る方法を工夫して行った筈ですが、その後生活面でどのように拘って来たか・文化の発展にどのように寄与したかについては、枕草子に類するような外国の古い文献まで知りませんので分りません。
私が知っている一般的知識では、西洋のストーブはライオンを檻に入れるようなものでしかなく、炭のように別の燃料にしたものではありません。
木造和紙障子や襖の燃え易い構造・・弱点でもあったのですが、この弱点が却って木材を炭火へ変換させた原動力だったことになります。
クリーンエネルギー利用の発達が、わが国固有の和室・茶室等の清潔な固有文化を育てたことになります。
(薪を直に燃やす囲炉裏や西洋式のストーブでは、畳の生活は無理でしょうし、茶道が発達出来たか・・)
電気は配線だけで足りるので、炭火よりもさらに取扱が簡便でしかも場所をとりません。
(大分前からお茶室でも電気炉が幅を利かしています)
芸術家の陶器製造現場でも薪を燃やす登り窯から、管理の簡便性から石油系に移行しているところがいくらもあります。
電気は火のついた炭や料理のように物理的運搬の必要がなく、しかも送電ロスはあるものの遠くでも近くでも品質(料理は時間の経過で味が劣化しますが)は同じです。
電気は照明用として当初は画期的でしたが、その後熱源としても使われるようになり、電波を通したテレビ等の情報伝達、近年ではITの発達で、万能的に多用途化されてきました。
電機系は遠隔操作出来て身近に物を置かなくとも良いメリットとコンパク化に成功したことによって身近におけるようになったことでしょう。
(大きかった電話機がコンパクト化してポケットに入るようになりました)

危険と隣合わせ1(メリット)

生活利便性のあるものは役に立つものであればあるほど、汚かったり危険性が高いものです。
薬のない頃に砂糖水を飲ませる程度と違い今の医薬品は効き目が強い代わりに誤って処方すると危険ですし、また副作用が強いので管理して利用する必要があります。
フグはうまいけれども厳重な調理が必要ですし、車も飛行機の便利な分自転車よりも危険ですし排ガスも多く出します。
昔から必需品でも汚いものや危険なものは、危険性を前提として出来るだけ遠くに追いやって目に触れないようにする・・馬は必要であるが馬糞だらけの馬小屋は殿様の御殿から遠く離れたところに配置する・・便所も必要だが少しでも離れたところ造ってありました。
明治の始め、鉄道の駅も歩ける最大のところまで遠いところに造るものでしたし、飛行場は今でもかなり離れています。
権力中枢の裁判所やお城を基準に見ると東京も大阪(城主のいなかった大阪や甲府は裁判所が基準です)もあるいは小さな町である佐倉でも足利でもみんな歩いて15〜20分前後に駅があります。
(昔の人は歩くのが早かったので10分以内かな?)
鉱工業生産も必要ではあるが汚いし危険だから、貴顯の住居地から遠く離れた場所で営むものでした。
必要なものは身近におきたいものですが、危険や悪臭・騒音等と隣り合わせのために、如何に安全に管理して最大限近づけるかが人類の智恵の見せ所です。
石炭・石油が必要・・それならば近い方が便利ですが、首都の真ん中に「ぼた山」があり、炭坑夫が王宮の隣で生活しているところはないでしょう。
石炭石油は僻地で都会が出来た後に取れるようになったからでもありますが、それならば取れるところに消費地を持って行く・政治の中心が移って行っても良い筈です。
アメリカで言えばボストンやニューヨーク等の中枢部とシカゴ等の大工業地帯は飛行機で移動するくらい離れていますので、工業地帯に住む人と政治の中枢にいる人や企業経営者とは違った世界に住む関係でした。
病院関係も近ければ便利ですが、伝染を恐れて隔離が原則で、都市部で共存するようになったのは、まだ数十年くらいでしょうか。
(元々郊外にあったのが都市の拡大で市中心部近くなった例が多いでしょうが・・・)
我が国の場合も外国に倣って出来るだけ工業地帯をエリート向けの高級住宅街から離すように努力していましたが、一般の工業地帯で言えば、川崎から東京都心までの距離は数十キロメートルしかなく戦後出来た千葉の臨海工業地帯でも東京都心から60km前後です。
原発が一般の工業地帯よりも遠く離れているようでも、福島原発から東京まで僅か約200キロメートルしか離れていません。
これが茨城の原発(東海村の原研)になると僅か100km前後しかありません。
危険な物は遠く離しておくべきだと言う選択自体は正しいのですが、為政者・経営者が安全地帯にいる結果、危険回避に向けた切迫感が薄まることになります。
為政者・経営者が危険と隣り合わせにいないと、慈善事業的発想で労働者(及び工場近くに住む家族)が劣悪な環境で働くのは可哀想だからという上から目線での改革しか出来ません。
チェルノブイリのようにモスクワから遠く離れた場所の場合、指導部の緊迫感が緩くなりがちです。
ロシアでは石棺で覆ったまま放りっぱなしですが、我が国で一日も早い除染や、廃炉に必死なのは近距離にみんな住んでいるからです。
チェルノブイリの放射能汚染図で見ると半径600kメートルまでしか同心円は出ていませんが、その外側にあるモスクワまでの距離は、図上約700キロメートル前後もありそうです。
狭い国土の我が国では、遠く離れたところに工場地帯を造ったつもりでも諸外国とはまるで距離が違います。
上記のように高級住宅街も外国に比べればほぼ隣接地・工業地帯内と言える場所にありますので、上下挙げて公害・大気汚染や水質悪化に対する感度が良かったことが幸いして公害対策が進んだのでしょう。
川崎や千葉からですと一般工場の煤煙でも風向き次第で都心に汚れた空気がマトモに吹き寄せますので、昭和40年代から問題になった公害問題は、公害反対運動・・革新勢力だけの関心事ではなく企業経営者や政権側も(自分の妻子が被害を受けるので)放置出来なくなったのです。
ちなみに千葉川鉄公害訴訟は1975(昭和50)年に提起されたものですが、大気汚染問題は首都圏全体の関心事になっていたのです。
四日市喘息は川鉄に先立つ公害でしたが、首都圏での上記訴訟提起のインパクトは大きかったので、これ以降・政府・企業側は、工場は汚い・うるさい・臭いものという開き直り・・工場の近くに住む方が悪いというような発想を切り替えます。
公害発生は我が国特有ではなく(世界中似たようなレベルの工場が操業していましたので)イギリスのスモッグ例でも明らかなように世界中同じようにあったのですが、工業適地と住居適地が同じ地域にある我が国特有の弱点が却って新たな展開を目指すようになれた原因です。
工業用地を遠くへ持って行く発想を諦めて、工業発展と健康な生活との共存を目指すように・・脱硫技術その他公害防止技術が発達したのが幸いし、我が国は世界に冠たる公害防止・環境技術を発展させられました。
鉱工業の公害対策だけではなく、密集した都会地でのビル取り壊しが多いことから、その方面の工夫も進んでいて今では大した騒音や埃を立てずに歩行者が多く歩いている直ぐそばでも大した危険性なしに行われるようになっています。
(何百万人も毎日利用しながらの東京駅の改築計画の見事さを見て下さい)
今回の原発事故を1つの教訓として原発や大規模化学工場等と共存のための智恵を結集して行くべきでしょうし、そうした努力をしてこそ世界に誇れる技術立国へ再度進んで行けます。
危険だからやめたというだけでは、智恵がないし発展性もありません。
マゼランやコロンブスの大航海もすべて未知の危険に挑戦してこそ成功したものですし、その他新技術の開発はすべてその傾向があります。

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