ジェンダー論2

以下ジェンダー論の基礎になっている男子が経済支配権を牛耳るようになった経緯を推論して行きます。
女性だけの古代集落・ドングリなど採集段階では女性だけで間に合っていたのでしょうが、集団間の争いが起きて来ると臨時に用心棒が必要になったものと思われます。
映画「7人の侍」(この場合は男がいたのですが戦闘力がないので武士が雇われたのですが・・・)のように頼んだところ、オスが常駐するようになって居座ってしまった・乗っ取ってしまった結果の正当化論だと言うのが私の推論です。
ドングリを拾って生活する時代から稲作の始まり頃までは女性集団でまにあっていたのですが、その内集団間の争いが起きると戦闘員としての男子が必要になり、戒厳令下に似た軍事緊張状態が続いているうちに軍事支配権・内部統制権を獲得して行きます。
現在のように民主化が進んでも、イザ戦争になれば軍事戦略優先ですから、すべての内政に優先して執行される・・軍事政権化することを防げません。
この期間が50年も100年も続けば、一時的に政権運営を任されていたに過ぎない軍事政権の司令官が、国主のように振る舞うようになるのは洋の東西を問わないところです。
軍政府は本来は一時的なもので平和になれば戒厳令を解除して軍政を返上すべきですが、これが恒常化して幕府政治になってしまったのが鎌倉以来の政治でした。
幕府政治が確立して天皇権力が名目的になって行ったようなことが古代卑弥呼(例えばこの頃という意味で代表名詞に使っているだけです)の時代に起きたように思われます。
象徴的な国家の大事については卑弥呼に伺いをたてるとは言え、実務権力は次第に弟の男子に移って行った流れが見えます。
(地域小集団であるムラでも存亡に拘る重要事項では巫女のお告げが重視されましたし、国難に遭遇した幕末に朝廷に裁可を求めたのは同じ流れです。)
これを小型化した家庭で言えば、奥さんを「おカミさん」と言い・・我が国では重要な決断をしなければならないとき(転勤や「次、君が社長を引き受けてくれないか」と言われたときなど・・)には、「妻と相談して返事します」と応えるのが一般的慣習です)この歴史があるからでしょう。
我が国では「家は女性のもの」という牢固とした観念があって、男が威張っていてもどんなに立派な人物であっても、奥様に家に置いてもらっているような居候的性格をもっているのはこうした歴史・・オスが後からやって来て乗っ取った歴史があるからです。
どこの世界でも王権の樹立・集団統制には軍事力が必要ですし、軍政権を握る男が経済運営権をも牛耳るようになっていた事実の辻褄合わせ・正当化論を庶民に及ぼしているに過ぎないでしょう。
言わば、集団・民族の危機に際して活躍した将軍・軍事政権がいつまでも民主政権(元は女性集団の自治でした・ローマで言えば共和制)に権力を返還しないで来たことの正当化論を、小型化して庶民の夫による家政掌握権に及ぼしたものです。
ちなみに平安朝は軍事政権でないかのように誤解しがちですが、元はと言えば大和王権は軍事力で成立したことについて誰も争わない事実でしょう。
これを取り巻く大貴族も元はと言えば王権成立時に功のあった諸豪族(これも同じくその地域を軍事力で統一していた軍事政権)が後に爵位(これは現在用語であって当時は官位)を貰って貴族(当時は公卿)と言うようになっただけです。
代を重ねて行くうちに自らの武力がなくなって行ったので貴族は軍人ではないかのような印象で語られていますが、これは武門の棟梁であるべき足利氏が北山文化や東山文化を生み出し、戦国大名の勝ち組が徳川将軍家となりこれに功のあった地域軍事政権の子孫の大名や上級武士層が実質武士性を失って貴族化(インテリ化?松平不昧公など)して行き、明治維新は下級武士の活躍に譲ったのと同じです。

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