原発事故と今後の見通し1

昨日書きましたように、これ以上の原子炉事故の悪化を阻止出来そうな雰囲気(今のところ気分だけすが・・)になって来たのは嬉しい限りです。
20日の報道によると5号機と6号機は午前7時現在で、既に(電気が通じて)冷却装置が動いていて、燃料プールの温度が37・1度まで下がったと報道されています。
(非常用発電装置が動き出しているとも報じられています)
燃料貯蔵プール問題が順次解決して行けば、今後は本来の危機である格納容器自体への対応ですが、あちこちで火を噴いているような同時多発対応から格納容器への対応に集中出来るようになったのは一歩前進です。
又、20日夕方の報道では2号機の大本の電源まで電気が繋がったようです。
今後は中央制御室に電気を繋いで、機器のチェックして作動すれば炉心内部の状況をもっと正確に把握出来るようになり、順次格納炉自体の冷却装置の改善に向けて進められるようになるでしょう。
これら報道が正確であることは、20日の千葉県の放射能数値(1時間ごとの数値が発表されています)でも、事故前の通常数値と全く変わらないデータであることでも裏付けられます。
さしあたり一息ついたことは確かですが、少し落ち着いたこの辺で政府はどのような方針でどのようにしようとしているかの分りやすい説明が必要です。
このまま冷やしながら、電機工事を進めて仮にモーターその他壊れている物の取り替えを進めた結果、冷却装置が作動が出来たとしてもこれまで海水を注入してしまったことが障害になって新たな問題が起きないのか、起きた場合どう出来るのかなどの最後までの見通しや計画を説明して欲しいものです。
あるいはどの段階で行き詰まると、どのような被害が想定されるのか少しでも先に行っての炉心爆発が起きた場合との違いがあるのか、(単に先送りしているだけか・・先送りが却って悪い結果になることもあるのか)あるとしたらどの段階で行き詰まったらどうなる、その次の段階だったらどうなると言う段階や時期ごとの違いなども教えて欲しいものです。
従来の机上のシュミレーションではとっくに駄目になっている筈でしょうが、ともかく関係者は必死に頑張ってここまで持ちこたえています。
火事場の馬鹿力と言うように、机上の議論では考えられない新たな解決策が生まれることもあるので、その辺を織り込んだ解説をしてくれれば良いのです。
政府・関係者は死にものぐるいで対応してる最中で忙しいので、この辺の解説はむしろマスコミを通じた学者・専門家の出番でしょう。
正論を述べる学者がマスコミで呼ばれないならば、今では私のように自分のブログでいくらでも発表出来る筈ですが、これが少ないのは、原子力系の学者は政府や東京電力などの企業・現場と深く結びついているので、(弁護士のように自由業ではないので・・)自由な意見を書けないのでしょうか?
少なくともアメリカの意見を解説し、日本の実行している行動との違いを分りやすく説明することくらいは専門家の責任でしょう。
国民はどちらを正しいとするかの判断を自分で出来ないまでも、安全対策としては一番大きなリスクを主張する方向で行動したり、予め備え(心構え)をしておきたい人が多い筈です。
それがパニックに繋がるリスクがあるので政府や学者は、アメリカや諸外国の意見をまるで紹介しないのでしょうか?
ネットで世界中の意見が公開されている時代ですが、日本人は英語を理解出来ない人が多いので、少なくとも主要国のマスコミ報道くらいは自動的に翻訳して報道してくれる公的システムが必要です。
自動的でない現状では、日本のマスコミが都合の良い意見だけ翻訳するので、一見世界の意見を紹介されているようでいて実は世界で流通している意見がまるで分らないことになってしまいます。
中国人や韓国人などのブログ報道でも、「これだけの被害でも落ち着いている日本人は偉い」と言うような日本人の耳に心地よいものだけ翻訳報道している嫌いがあって本当のところ(想定被害を知らされていないからぼんやりしているだけだと言う意見もあるでしょうが)が分りません。
反日運動が激しい時はそういう意見や行動ばかり拡大報道される点も問題ですが・それは別に書いたことがあります。
実際に諸外国が取っている対策が、本当の諸外国の意見だと言うことでしょうが、諸外国の行動を見て日本人が真似をしなければならないのでは悲しいです。
本来自分のことは当事者が一番良く知っていなければならないのに、関係のない遠くの人の方がよく知っていてその真似をして右往左往しなければならないのではおかしいでしょう。
きっちりと情報が行き渡り、それでも日本人が泰然としているのならそれはそれで立派なことです。

決死隊(下克上)

18日のコラムで決死隊がいないのかと言う嘆き節の意見を書きましたが、3月20日20時32分配信の読売オンラインニュースでは、
東京電力の社員と協力会社社員合計160人の決死隊が高圧線のケーブル敷設作業に取り組み・・地震や津波あるいはその後の爆発等による障害物を取り除きながら進んで行きついに2号機のケーブルに繋がったとの報道がありました。
この作業は、6号機にたどり着いた現場作業員が暗闇の中(停電中なので、建家の中は真っ暗です)手探りで機器を探りながら手回しで発電機をまわした後で発電機に電線を繋いだところ発電機がうなりを上げて動き出したとのことです。
この電力を使って6号機に隣接している5号機の残留熱除去系ポンプが動き出し、同日午前5時に起動し、使用済み核燃料貯蔵プールの水温が低下し始めたそうです。
この報道と脈絡がはっきりしないのですが、結論として2号機にもケーブルが繋がり、通電に向け、作業員の奮闘が続いているとのことです。
電源さえ入れば万歳と簡単に言えることではありませんが、停電したことがすべての始まりだったのですから、ともかく一縷の望みが繋がったことは確かです。
ただ、16時の官房長官記者会見ではこれが全く出ていませんので、(消防車による放水効果・・ある程度の成功によって水温が下がっていると言う趣旨の説明でした)読売ニュースが後で誤報として訂正されるものかどうかは今のところ分りせん。
20時32分の読売報道の方が官房長官の記者会見より時間的に後・・新しいとは言え、記事内容が20日午前5時のことですから、16時の記者会見前に朗報として官邸には即時・直後に入っていた筈ですが、政府としては隠さなければならない不都合な真実ではないのに、これが何故記者会見で発表されなかったかの疑問です。
また23時16分の同ニュースでは、東京消防庁が当初の機械に頼る方針を変更して人力でホースを延長する戦略に変更し、3号機両側からそれぞれ3台ずつに200人体制で臨み、(当然計測班もあります)で放水した結果プールに水を命中させて直後に放射線を計ったところ現場の放射線濃度がほぼゼロに下がっていたとの報告でした。
以上のように現場が奮起して身の危険を顧みずに頑張ってくれている・・決死隊志願者ががいることが嬉しいのですが、決死の覚悟で働いている現場作業員には国家最高の栄誉をあたえ末永く顕彰する外、名誉だけではなく現実の褒賞(一生食えるだけ以上の)を与えるべきです。
消防庁の活躍は別としてこれが民間・・しかも東電の下請け中心の部隊(でないかと推測しているだけで今は根拠がありません)とは情けない次第ですが、日本の歴史はいつも現場、現場へ下りて行く繰り返しでしたので驚くにはあたりません。
東電や原子力保安院のトップクラスの記者会見を見ていても、私たち素人から見ていてもおそらく天下り役人ばかりで実態・・現場のことは何も分らないで記者会見をしているのではないかとの疑いを持って歯がゆく見ていた人が多いのではないでしょうか?
しかし、現場力の強さ・・そのエネルギーが貴族社会から武士の政権となり、更に戦国時代の下克上を経て明治維新は下級武士によって担われたものであり、我が国特異の連続性・・絶えざる社会構造の前進の基礎になっていることについては、11/12/03「世襲と競争社会1」その他のコラムで書いたことがあります。
維新以降は企業や役人の世界も現場がやはり強い・・官僚であれば主任から課長クラスまで、トヨタであってもその他の企業であっても中枢部門は何も出来ない・・現場こそが会社を鍛えているのが現状です。
消防庁は日々現場で頑張っているからこそ、いざと言う時に底力を発揮出来たのでしょう。
私は、現場力の強さこそ日本の世界に誇れる強みだと思っていますし、私自身その考えで最後まで弁護士業務も現役主義を貫くつもりです・・偉そうに決裁するだけみたいなことは嫌い・・そんな方向には不向きな能力でもありますが・・自分が担当する事件はどんな小さな事件も始めから最後まで自分でやっています。
ですから、民主党政権になってからの事業仕分けの公開作業で、局長クラスの幹部の無能力さが話題になりましたし、東電や原子力保安院の幹部が無能そうでも別に驚きません。
その内下請け現場が力を持って、(下克上同様に)大手企業と入れ替わって行けば、良いことです。
歴史上正規軍が無能力化して行き、傭兵や下請けに頼るようになると国がおしまいですが、(幕末も、徳川旗本がまるで役に立たず、会津と新撰組に頼っていたのがその象徴です)自衛隊の場合、みんな公務員で臆病者ばかりになって役立たずになるとどうすれば良いのでしょうか?
そうなれば、役に立たない正規自衛隊員を縮小して行き、傭兵・・下請けを増やすしかないでしょうか。

自衛隊の任務(自衛隊法1)

 
昨日は不勉強のまま自衛隊の不甲斐なさについて印象を中心に書いてしまいました。
今日は少し反省して、泥縄式ですが、そもそも自衛隊の任務を知らなかったし、私だけではなく知らない方も多いと思いますので、ここで条文を見て勉強しておきましょう。
第3条記載の通り法律上の主たる任務は侵略=外敵撃退であって、動物や機械設備の故障や細菌の侵略を予定していないでしょうから、人間だけを相手にする前提の組織にしているようです。
自衛隊員は人間相手なら死んでもかまわない・・といって勇敢に戦える(と言う意識があると信じていますが・・・)が、放射能や機械相手では士気が高まらない原因がここにあります。
自衛隊法83条の3で原子力災害出動が規定されていますが、第3条記載の任務には書かれていないのに出動が出来ると言う奇妙な法システムです。
要請があっても「出来る」と言うだけで出動しなければならないとはなっていません。
出動しても違法ではないと言う消極的意味があるだけで(任務規定にないことですから)派遣した時に何をするかも書いていないのです。
戦前の軍に対する反感から自衛隊に対する不信感ばかりが先に立って、出来ないことを強調する精神で法全体が出来ていて、ところどころ出動を解禁するするような法律形式で、するべき任務・義務の書いていない法律です。
派遣「出来る」としか書いていないこの法形式から見ると、要請によって出動した以上は自衛隊が何をしても良い・・軍の行動を制限出来ないと言う万能だった戦前の軍をイメージしているようです。
出動出来るチャンスばかりに目を向けずに、派遣要請があったときには以下の事項に限りすることが出来、しなければならないと言う具体的な権利義務条項の整備が必要です。
要請に対して派遣した後は、何をするかはそのときの自衛隊の気分次第・・国民世論に反したことは出来ないだろう式のあやふやな法律では困ります。
56条では、怖いから嫌だと言うわがままが許されないことになっていますが、83条の出動では主役ではなく「支援」となっているので、言われたらやる程度の応援ですから、主役としての責任感も湧きにくいし、士気が高まらない恐れがあります。
そうとすれば、自衛隊が片手間仕事をするのではなく原子力の防災を主目的として命がけで戦う機関・組織・・昨日も書きましたが、任務目的別の独立の組織が必要な時代がきているのでしょう。
海軍、陸軍、空軍と別分野が出来て来たように原子力被害は侵略に匹敵する大被害ですから、命がけで守るべき対原子力隊ないし災害防災隊と言う分野があっても良い筈です。
(仮称)災害防災隊になれば当然するべき任務も特定されるし「何をしても良いし、しなくとも自衛隊の勝手」と言う今の法律とは大分違ってきます。
自衛隊のように実力を持って行動すべき存在に関しては、するべき範囲を明確にした法律が必要です。

自衛隊法
(昭和二十九年六月九日法律第百六十五号)

(自衛隊の任務)
第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
2  自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
一  我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
二  国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動
3  陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。
(職務遂行の義務)
第五十六条  隊員は、法令に従い、誠実にその職務を遂行するものとし、職務上の危険若しくは責任を回避し、又は上官の許可を受けないで職務を離れてはならない。
(上官の命令に服従する義務)
第五十七条  隊員は、その職務の遂行に当つては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない。
(災害派遣)
第八十三条  都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。
2  防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。
3  庁舎、営舎その他の防衛省の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。
4  第一項の要請の手続は、政令で定める。
5  第一項から第三項までの規定は、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律第二条第四項 に規定する武力攻撃災害及び同法第百八十三条 において準用する同法第十四条第一項 に規定する緊急対処事態における災害については、適用しない。
(地震防災派遣)
第八十三条の二  防衛大臣は、大規模地震対策特別措置法 (昭和五十三年法律第七十三号)第十一条第一項 に規定する地震災害警戒本部長から同法第十三条第二項 の規定による要請があつた場合には、部隊等を支援のため派遣することができる。
(原子力災害派遣)
第八十三条の三  防衛大臣は、原子力災害対策特別措置法 (平成十一年法律第百五十六号)第十七条第一項 に規定する原子力災害対策本部長から同法第二十条第四項 の規定による要請があつた場合には、部隊等を支援のため派遣することができる。

原発事故防止と自衛隊・警察の役割

昨日の原発問題では警察の高圧ホースによる放水と自衛隊の空中からの冷却水の投下が報じられていました。
驚いたのは警察のホースの水は届かないほど遠くからだったので何の役にも立たなかったことと、自衛隊も高空からおそるおそるの行動でたった4回でやめてしまいました。
自衛隊はその後地上からの放水を試みたそうです。
警察も軍隊も(自衛隊は軍ではないと言う主張もありますが・・・)少しでも危険のあるものには近づかないと言う姿勢で徹底している報道に驚いているのですが、自衛隊がこれで良いのでしょうか?
国家の命運がかかっているような時に決死隊・・というか自分の生命の危険を顧みずに飛び込むのが軍の任務ではないのでしょうか?
自衛隊員が20万人近くいると思うのですが、その中でヘリコプターを操縦する人と水を落とす人の合計5人〜10人・・命を捨ててでも戦える人が5人〜10人もいないと言うことでしょうか?
あるいは「ここは国家の安全を守る瀬戸際だ、国家のために命を捨ててでも頑張ってくれ」と部下に言える上官が一人もいないし、部下の方も「俺に任せてくれ必ず期待に応えます」と言う兵が一人もないと言うことでしょう。
今時そんな浪花節みたいなことがある訳がないと言うのが世間相場でしょうが・・・。
そうすると、敵の鉄砲玉の届くリスクのあるところへの出動は命じられない・・少しでも危険のあるところへは行きたくない軍や兵士は、存在意義がないように思えます。
極端な意見かもしれませんが、危険な場所に身を捨てて飛び込んで行ってでも1億の国民のためにネジを締めてくる・・爆発物を処理してくるなどの行動をする・決死の行動を出来る人が一人もいない軍隊・・そういう思想教育で良いのでしょうか?
水を放水する距離を少しでも近づけば成功率が高まるのに、一般人が避難している程度の放射能プラスアルファを浴びるのさえいやがって遠くからおそるおそる放水して「届きませんでした」では驚くばかりです。
もっと近づけば健康に害があると言うだけで、死ぬ訳でもないのですから(原爆の直接被害者・・防護服などないですよ・・でさえ何十年後に白血病やガンになる確率が上がったと言うだけです)、死をすら恐れない軍隊のイメージとは大分かけ離れていませんか?
昨日は自らの危険を顧みずに頑張っている(だろうと想像して)現場の努力をたたえたコラムを書いたばかりですが、こんな報道を見ていると誰も決死の覚悟でやっていないことが明らかになりました。
直ちに命に危険があると言うのではなく、健康に僅かの影響がある・それも可能性がある程度のことすら命じられない軍の上官、命じられても「怖いよ〜」とへっぴり腰で戦うような軍隊や警察の存在意義について驚いているのですが、今では驚く方が異常でしょうか?
多くの国民の生命健康を守るためにちょっとしたリスクも拒否するような兵士・・あるいは僅かな危険にさらすことすらを命じられないような上官・軍隊など存在意義があるのでしょうか?
今回冷却用の海水注入をどうしてもっと早くからやらないのか、爆発するまで何故手を拱いていたのかの疑問を持っている人が多い筈です。
爆発してからだから危険が多く、しかも効果が限られていて、ついには注入自体ができなくなってしまったのす。
海水注入をすれば良いのが分っていたが、注入すると原発は永久に使えなくなるのを恐れていたのでしょうが、時間の経過で爆発するのが分っているのに爆発する前に「オレがその批判を受ける」と思い切って注入を決断出来る人材がいないので爆発まで放置していたのです。
少しでもリスクのある決断を出来る人材がいない・・・・停電事故の発生段階で冷却出来ないで放置していれば過熱するのが分っていたのに爆発するまで海水注入を決断することが出来ない決断力のなさ・・次の大きな事態発生までリスクのある対処方法をとれないで対処方法を繰り返し小出しにして行くことが次々と事故を大きくして行った原因です。
3月15〜16日に書いたように計画停電による大混乱も関係者がすべての分野で少しのリスクも取りたがらない体質が大混乱を招いているのです。
自衛隊の存在意義に戻しますと軍隊・兵士は、国民を守るために自分の命を的にして戦うためにあるんだとばかり思っていました。(考えが古いかな?)
日本の軍隊は、自分が安全なときだけ戦う・・少しでも怪我をするリスクがある時には戦わない・・自分よりも相手が圧倒的に弱いときだけ戦うために存在しているのでしょうか?
あるいは、相手をやっつける快感のあるときは自分の命の危険を顧みないが、相手をやっつけるのではなく、危険な場所に飛び込んで行って揺るんだネジを締めて大爆発を直前で食い止めることや、あるいは今回のように普通の人よりも多くの放射能を浴びてでも、大事故を防いで国家や背後の国民の危険を除去するようなことには僅かなリスクも負いたくないと言う価値観の違いでしょうか?
自衛隊・国防軍と言うのは、誰から何を守る団体だったかの疑問です。
敵の軍隊と戦うだけで国民の敵全部に対応するのではない・・放射能や地震から国民を守る義務まではないと言えばそれまでかもしれません。
目的別だと言うのでしょうが、今時外国の軍隊がマトモに攻めてくることは滅多にないのですから、今回のように原子力の危機・・ひいては多くの国民の生命安全が脅かされている時に決死の覚悟で防衛する別の軍隊が必要です。
本来背後の家族や国民を守るために自分の生命の危険を顧みないと言う点では共通な筈ですが、今回の行動を見ていると、相手をやっつける可能性のあるときは快感があるので危険を恐れないが、放射能と言う大敵を鎮圧するために命を落とすどころかちょっとした放射能を浴びるのもいやと言うことになります。
そうなると軍隊に入る人・・職業軍人は、やっつける相手・・人間がいないとリスクを負えないと言うことですから、単に喧嘩好き・乱暴な素質を利用して愛国心のためと美化して税金で食っているだけになります。
仙石前官房長官が自衛隊を「暴力装置」と国会で発言して物議をかもしましたが、国民を守るためなら命を惜しまないのではなく、単に人間を相手にするときだけ・・平たく言えば喧嘩するなら命を惜しまないと言うだけでは、暴力団あるいは暴力団の用心棒と変わりません。

原子力発電のリスク

今回の福島第1原子力発電所の危機に関しては、国民すべてが文字通り固唾をのんでいるところですが、関係者の懸命の努力にも拘らず、刻々と新たな被害の進行が進んでいます。
次々と出てくる新たな展開によくもまあこんなに次々と問題が起きるものだと思うと同時に、関係者が背後の国民・国家のために自らの危険を顧みず献身的努力を続けてくれていることに敬意を表さずにはいられません。
私個人のことでこのような事態に巻き込まれた場合を想像すると、これほど次々と不具合が発生すると「もう駄目じゃないか」とくじけてしまいそうな感じですが、彼ら関係者は背後にいる多くの国民生命・安全の危機・国土の荒廃がかかっているので、そんなことは言ってられない意気込みで出来ることは何でもしようとする姿勢で頑張ってくれているのだと思います。
今回の大地震については地震による揺れ自体の被害は原発に限らず民家でも大したことがない・・今ではどこでも耐震構造になっているので、よほど古い家は別として地震だけで家が壊れるようなことは殆どないようですが、今回の大被害は津波の被害によるものが中心です。
原発の場合も何重もの安全対策は地震による揺れに対してのみ用意していて、津波被害を全く想定していなかったことが今回の大事故発生の要因です。
後からの批判は簡単ですから言い難いことですが、海の近くに設置していてしかもこの数十年ちょっとした地震のたびに津波があるかないかなど気象庁がしょっ中放送していたのにですから、原発の方で津波被害を全く想定していなかったとすれば、理解不能な楽観主義の集団だったと言えます。
海に近ければ津波被害は避けられないかと言うとそうではありません。
我が国は海に接近している山が多いのでいくらでも高台がありますが、高台に設置すると冷却用海水の取水能力・・例えば30メートルも揚力するには大変な機器やパイプが必要で、これの破損のリスクがあります。
地盤全体を高くするよりは原子力機器の周辺を高さ30メートルほど厚さ10メートルほどの頑丈なコンクリートの塀で囲っておくのが一番コストのかからない方法です。
(周辺では・あるいは激甚被害のあったであった三陸地方でも)普通のビルでも窓が破れているくらいでビル自体が津波で倒壊していません)
この方法の場合津波以外の想定外のリスクがあった場合、同じ場所にあるので一緒に被害を受けることは今回と同じです。
想定外(何があるか分らないことが起きるのがリスク管理であるとすれば)の被害を避けるには、バックアップ体制の工夫が必要です。
同じ場所にいくつ補完機器をおいていても、想定外の現象に対する同時被害を避けられないので少なくとも環境の違うところ・・高低差を設けたり、地盤の違うところに設置する外、即応出来る程度の30〜40km前後の距離を置いてバックアップ機器を用意しておけば今回のような事故に即応出来た筈です。
その場合、道路寸断にも備えて、いくつものルートも用意してく必要があるでしょう。
話によれば、事故の基本・始まりは自家発電機器が冠水してしまって使えなくなったことですが、臨時に持って来た機器では電源やパイプの繋ぎ方などうまく合わなかった大変な作業だともっともらしく言うのですが、(現場の努力に関しては多とするのですが・・)始めから予備機器を用意しておけばそうした問題も前もって解決しておけた・・つなぎ口を一定にしてカチット差し込めば終わるようにしておけるのです。
そもそも自家発電電力の場合、遠くに設置しておいても電線さえ繋げば良いのですから、大規模な機器の輸送すら不要で大したコストではありません。
思いつきに過ぎませんので実施には詳細な詰めがいるとしても、それほどコストのかかることではないにも拘らず、準備がなかったのはこうした発想・議論が全くなかったと言うことでしょう。
「備えあれば憂いなし」・・の格言の通りですし、この逆に「備えなければ大慌て」となるのは当然です。
大慌てで一生懸命やっている姿をみると、頭が下がる・・尊いように見えますが、それは現場の人たちがよく頑張っている・・尊いだけで計画立案すべき首脳陣の責任発想の貧弱責任は大きいのではないでしょうか?
原子力のようにひとたびことが起きると国家の存亡に拘るような大事故になるのですから、こうした意見が仮にあれば無視されなかった筈です。
予備の機器を環境の違うところに何種類か用意しておく気持ち・・意見がこれまで全く起きなかったのかも、不思議です。
私がいろんな委員会に行って思うのは、いつも金太郎あめみたいな決まりきった意見を言う人が幅を利かしていて、議論はその精密化の方向が多いのです。
私のような変わった意見を言うと変な顔をして受け入れて貰えない・・雑駁すぎるからでもありますが・・・ことです。
決まりきった誰でも受け入れるような意見を言う人ばかり集まって、その精密化・・・これが日本人の得意とするところです・・を10人〜15人集まって議論しているのは、言うならば下位の技術屋集団に過ぎません。
こういう委員会が多すぎるから、津波被害を考える必要がないのかの質問すら誰からも出ない結果になっていたのではないでしょうか。
いろんな委員会の人材構成を変えて風変わりな人も入れるようにして行かないと、日本はいろんな方面で対応出来なくなってしまう・・国家の基本的な運営を発想の豊かな他国の人材に委ねて下請けしか出来ないことになりませんか?
芸術家もそうですが岡本太郎のような人材が少なく、精密化の腕を競っているような芸術家が多すぎませんか?

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