家の制度3と戸主の能力

    

明治民法で確立した本籍地を基本とする人民管理・・家の制度は、前回まで書いたように何の実効性もなかったことから見ると何のために創設したのか不明です。
その結果から眺めると、戸籍制度の創設・充実・完成との関連で自動的に・・付随的に出来上がったに過ぎないけれども、保守反動層をなだめる効果があるので、(実効性がないので何の実害もない)作っておいて損はない程度の制度だったような印象です。
明治政府は都市住民の管理もしたくなったので、明治4年の太政官布告以来、江戸時代のように出て行った次男三男や弟妹を郷里の実家では無宿者扱い・・すなわち除籍出来なくなったのですが、無宿者として除籍しないで郷里の戸籍に残す以上は広がりすぎる一家の定義・・が必要になったに過ぎません。
元々庶民が出て行った者を除籍して無宿者にしていたのは連座責任を免れる目的だったので、無宿者にするのを禁止して家族の一員として残すことを強制した見返りに親族共同体の一員としての連座責任は解除されましたが、大家族の一員とする以上は何らかの統率権が必要です。
一家意識を高め統率を期待しながらも、2月11日頃まで書いて来たようにその見返りに扶養義務が法定されてしまいました。
家父長制度の創設は、扶養義務に見合う指導権・口出し権があると言う意味合いがあったでしょう。
戸主の権限が強化され、その見返りに扶養義務があるとされてもイキナリ大地主になった訳ではないばかりか,単独相続であることも江戸時代までと同じです。
それまで分割相続であったのが明治民法で単独に変わったのなら,その見返りに弟妹を養う義務の法定は合理的ですが、江戸時代にも単独相続が法定されていなかっただけで,事実上のルールでしたから,明治になっていきなり無宿者・・無関係にするのを禁止されて,しかもイザとなったら扶養しろと言われても,それだけの裏付けがありません。
もともと自分の直系家族を養うのにぎりぎりの最小生活単位(多くは水呑百姓です)の農地を江戸時代同様に相続するだけのことで、弟妹の面倒を見るために特に農地が拡大したり、政府から補助金が出た訳でもないのに義務だけ明記されたのです。
長男が田舎のわずかな農地を家督相続しても、明治になってイキナリ単位面積当たり収量が上がった訳ではなく、弟妹とその家族全部の生活を見るのは元々無理だから都会に押し出していました。
これを江戸時代には無宿者にして人別帳(今の戸籍あるいは住民登録)から抹消して法的にいない事にしてしまい、人間として最低の義務である(・・死者を悼む気持ちは儒教に限らずどんな宗教世界でも同じでしょう・・)死体引き取りの義務さえを免れていたのですから、生きているうちに生活全般の扶養義務を長男=戸主に課した明治の家制度は無理な制度設計だったことになります。
農家収入だけでは養って行けないから弟妹が都会に出て働いていたのですから、「困ったら何時でも帰って来いよ」の論理自体矛盾です。
実際には中堅農家=自作農以下では(どこの国でも同じでしょう・・)一所帯(直系家族)で生活するのが漸くであって、相続した農地で2所帯も3所帯も養える筈がありません。
この理は現在の都市生活者でも同じで、ちょっとくらい(大手企業の役員になっても)出世した程度では並の昇進をした同僚より少し豊かな生活が出来る程度に過ぎず(一定規模以上の経営者以外には)直系家族以外に養える人は稀でしょう。
今回の地震被害者の親族でも,短期間の同居は可能でも半永久的に一方的に養うので不可能なことです。
一家の農地を世代交代の度に2〜3戸に分割していたのでは食べて行けない・・共倒れになってしまうから、新田開発が停まった後の江戸期を通して長子あるいは姉、末子が単独相続していて、婿や嫁に行かない弟妹は結婚せずに家に残っている場合「厄介」と呼ばれていた(独立の所帯を持てなかった)のですから当たり前です。 
都市化・貨幣経済化が進むと世襲財産の比率が下がってくることを、September 14, 2010「農業社会の遺産価値」〜September 16, 2010「高齢者と社会(ご恩と奉公)」前後までのコラムで紹介しました。
世襲した財産価値(近郊農家で農地の売値が仮に上がっても、同じ面積での収量が上がる訳ではないので家族を養う能力)が目減りする一方・・むしろインフレの継続で農地を世襲した一家の方が生活が苦しくなる一方でしたから、戸主(そのほとんどが農家承継者です)として観念的な権威だけ強くされても何のメリットもありません。
家の制度が昔からあるかのように誤解している人がほとんどでしょうが、明治の民法・戸籍法成立までは、家にある弟妹とは文字どおり具体的な家・建物に同居している弟妹(厄介・居候)のことでした。
これが明治民法では「家にある」と言っても戸籍に載っていると言う意味に広がってしまったのです。

住民登録制度4(戸籍制度5)

原発問題の行く末を気にすればきりがない・・心配の種は尽きないのですが、まさか関東圏が壊滅することはないだろうと言う根拠のない楽観的希望に基づきこの辺で一旦休憩し書き溜めのある普段のコラムに戻ります。
(ここのところ,仕事も忙しく帰ってから夜書くには少し疲れたので・・土日頃に余裕が出たら大地震災害・原発問題を連載します)
話が寄留にそれていましたが、国民管理のために何故住民登録から入らず戸籍制度充実が先行して来たかの歴史探求に戻します。
戸籍制度としてはMarch 7, 2011「宗門改めから戸籍整備4」の続きになります。
寄留=ランなど胞子系に擬してみても一応そこで根を生やすところまで行った場合ですが、江戸時代に定職の当てもなく江戸に流入した方にしてみれば、寄留ほどの安定性がある場合とそこまで行かない仮住まい程度の2種類があったのでしょう。
ですから、氏素性を聞かれれば現にいる場所ではなく、どこそこ(実家)の何の誰兵衛と言うしかなかった筈ですし、政府の方も居場所で特定するのではなく出身地で特定していたのでしょう。
古くは熊谷の次郎直実、江戸時代初期の「宮本村の武蔵」と言う表示が続いていたのです。
出身地と名前を言えば、そこの地元に行けば親兄弟が誰でその次男〜3男と特定出来る仕組みだったのですが、なまじ現に寝泊まりしている場所で特定するのでは安定性がなくて特定不能だった実態があったからです。
言わば、今の住所概念がまだなくて、(住所概念が出来たのは明治19年の内務省令当たりからのようですが、今のところこの条文を見ていないので正確には知りません)親元以外の場所には今で言う居所あるいは寄留している(臨時にそこにいる場所)くらいでしかなかったのです。
制度的には、住民登録制の不十分さが戸籍制度を充実させ、ひいては観念的な家の制度創設に繋がったシステム的原動力でもあったことになります。
住民登録制度創設の前提としての居住の安定性が江戸時代には確立しておらず、明治の初め頃にはその状態が続いていた・・March 5, 2011「寄留地2(太政官布告)」で紹介したように「寄留」まで行ってるかどうか程度の把握しか出来なかったこと大きな原因だったでしょう。
以前にも書きましたが、江戸時代の町民とは長屋住まいの人たちのことではなく、自分の家屋敷を持つ人のことだったのですが、明治になると借家人も登録する必要が生まれて来たことによります。
明治の初め頃には東京大阪にいる元の無宿者を登録するための特定には、「どこそこ出身の誰それ」と言う方式しかなかったので、本籍制度(朝鮮では本貫が重視されて来たのも同じ意味でしょう)が必要になったと思われます。
古くは熊谷の次郎直実、宮本村の武蔵と名乗る程度の意識・・どこそこの出身と言う長年経験して来た帰属意識を延長した制度と言えます。
三河屋、越後屋の屋号等が発達したのも起源は同じです。
こうした発想の伝統は今でも大相撲では健在で、どこそこ出身と言う名乗りが今でも続けられていますが、これからは意味のないしきたりになって行く筈です。
紳士録などは未だに本籍地が重要事項として記載されていますが、今時の本籍地は結婚に際して適当に届けるだけであまり意味がありませんので、これにこだわってる意識は、50年以上の時代遅れの制度と言えますし、だれもマトモに利用していないでしょう。
現在ではどこの会社のどういう人か(職業)が相手特定の基準であって、親がどこの人かは関係ありませんし、誰も気にしていません。
ただし本籍と言っても、最初の壬申戸籍では(まだ家の制度が構想されていない時代でしたので)現住所を基本に戸籍を作っていたので、都会に出て行った人の元の住所・・多くは親の住所と一致と言う意味でしかなかったことを今年の2月22日に本を引用して紹介しました。
すなわち、後に家の制度に結びついて大げさになって行きますが、本籍の登録自体は戸籍制度の出来た時に親が定住していた場所を書いたに過ぎないのです。
都会での職が安定し、定住が一般的になって行った外に住民登録制度が充実して行けば、本籍(親の住所)など無意味になって来たのですから,実用面から言えば不要にして行くべきだったでしょう。

原発事故と今後の見通し4(情報開示1)

原発事故が起きてしまった以上は当面挙国一致で頑張るしかないとは言え、小出しの希望的な政府発表ばかりが続いているのに反して実態は悪化の一途です。
既に農産物に高濃度の放射能汚染が次々と明るみに出,しかも原発から40キロ圏の大槌町では自然界の1630倍ものセシュームが土壌から検出され,東京では水道水からヨウ素が出たと言います。
土壌汚染が長引き、広がれば半永久的に農作物は作れなくなる土地になってしまうリスクがあります。
一時的な汚染なのか,これからも継続的に汚染が広がり続けるのかが分らず不気味な状態です。
この先、最悪の事態になってもっと広範囲に土壌汚染が広がり,しかも継続的になると栃木、群馬方面の土壌・・水源地から出てくる利根川水系の水道水は,半永久的に飲めなくなった場合,東京圏は壊滅です。
膨大な海水の連日放水_・・垂れ流しが続いている海域の汚染は当然の筈ですから,既に周辺海域の水産物は測定さえすればほぼ壊滅ではないでしょうか?
国内データを秘匿していても海外では日本海域の魚介類の輸入禁止に動いています。
消防等による大規模な放水体制の続行にも拘らず毎日のようなあちこちの原発何号機から黒煙あるいは焦げで茶色の煙が立ち上ったりしています。
この煙が自然に収まったりしているのも不思議ですが,さしあたり順次電源復興が緒につき始めている面もあり,他方で上記のような悪い結果がいろいろで出て来てるので,今の状態が良い方に向かっているのか悪い方に向かっているかすら分りません。
国民が安心出来るようにするには,「冷静な対応」を呼び掛けるだけではなく,きめ細かな情報公開が必要ですが,ことが重大すぎたからか、当初から政府の歯切れが悪い・・あえて小出しにしている傾向があって、全体像が見えにくいことが残念です。
アメリカの提案がどのようなものであったのか・・これが外交機密とは思えませんが,どうして公開しないのでしょうか?
全体像をどうしようとしているのか明らかではなく,何の見通しもなく出たとこ勝負で最善を尽くしているような印象ですから、海外の立場では危険きわまりないと言う印象になっているのでしょう。
ドイツその他の西洋諸国では大使館さえ大阪へ避難したりしています。
これを過剰避難と言うべきか否かですが、日本政府の情報公開不足が国際的な不信感を助長していることは確かでしょう。
情報公開とは政府の都合の良い説明のことではなく,原発周辺に多数設置した機器のデータそのものの具体的な数値を淡々とネットで手軽に(自動的に)入手出来るように公開するべきです。
更に政府が採用している手順を説明し、これを実行すればどうなる予定か,その予定が不確定で5種類あったとしたらそれぞれの結果予測としてAの場合にはこう対応するBの場合にはこう対応するCの場合には・・・と説明して、専門家の批判を仰ぐべきです。
公開されたきめ細かな数値や、していることの正確な説明さえあれば,それを基に専門家による多様な解説や予測が可能です。
政府の予測・説明は、そのデータ解析による解説の一つでしかない立場に戻すべきです。
何kmまでの退避命令を出すべきかは政治判断ですが、その他の客観的事実については官房長官が連日数回も記者会見する必要がない筈です。
日本中が政府発表に一喜一憂する現状自体が、(しかも不都合なことが起きた結果の釈明中心ではげんなりします)客観的数値の未公表・秘匿体質・・政府によるデータ独占の弊害を証明しています。
官房長官が頑張っていることは評価しますが、現状公開は事務的に先ずやるべきことであって,事務発表すべきことを政治家に委ねているのは,政治判断でゆがめる・潤色を意味していますから,本来筋違いの感じです。
データ公開が不十分な結果,当事者の国民が正確な実情を知ることが出来ず,実害を大して受けない海外の人の方が正確な情報が入手出来て詳しいのでは、自由な世論を形成出来ない後進国・独裁国家並みです。
これでは実態の分らない海外の人が日本から逃げ出し,日本製品の輸入制限に動くのは当然です。

原発事故と今後の見通し3

日本の場合は、地球の自転の関係で大陸からの西風(冬は北西、夏は南西)が中心で、たまに台風が発生すると例外的に南から吹き付けるくらいが基本的な風向きですから、(真西風の場合100%太平洋に流れます)真北や北東の風は滅多にないので、(あっても1日中強い風が吹く訳でもありません)福島県の西や南方面は基本的には被害があまりない印象ですし、関東方面に来る確率が低いことが分ります。
北風が年に10数回あるいは北東の風が年に10数回あったくらいでは、(寒い北風の強い日には風にさらされて長い時間外で立っている人は少ないでしょう)「3レム」単位の差では何の問題もないことが明らかです。
ところでいつか頑張りきれない時・・破綻が来るとしても無駄な抵抗だからと言って即時廃炉した場合と日本政府判断のように出来るだけ引き延ばすことの是非をここで考えてみます。
何時の時点で破綻がきても結果としての被害総額が同じ場合を想定すると,地震直後の大混乱中にイキナリ80kmまで避難を命じると市民生活に及ぼす影響が甚大でしかも大混乱するでしょうから、先ずは3km〜10kmから初めて徐々に拡大して30kmまでの屋内退避・避難命令にして様子を見たのは妥当な政治判断のような気がします。
ましてアメリカ大使館の勧告でも,これが仮に1年間の総量であるとするならば,Ⅰ〜2ヶ月後にゆっくり避難しても間に合います。
そもそも長引いて結局駄目になった場合と即時廃炉の場合との被害差がもしも同じならば国民が徐々に覚悟をして行くべき時間があった方が良いに決まっています。
地震発生直後でインフラの復旧出来ない即時(たとえば3日以内に)に80kmまでの緊急避難命令を出した場合と、3km単位から徐々に拡大して行った政府判断は・・仮に今後最悪に近づいた時点で今の30kmから80kmに追加命令を出すのと比較すれば、国民の混乱・被害が最小限に出来た功績が大きいと思われます。
12日経過した今でさえアメリカ大使館の想定しているような大規模な放射能汚染が始まっていないのですが、今になるとかなり時間が経過しているので周辺のインフラも復旧していて避難するにも(道路が使えるし)即時避難に比べれば比較にならないほど楽です。
そのうえ、震災時の第一次避難者がイキナリ遠くへ避難するのは大変ですので、普通は徒歩圏内プラスアルファが・・地元小学校の体育館等が原則です。
時間の経過で車移動が可能になって新潟や埼玉等関東等への遠距離再避難が続いていますので、域内人口が徐々に減少していることと、30km超付近の人も怖いので徐々に自主的避難をし始めているので、時間稼ぎをしているうちに心その他の準備が整いしかも緊急避難対象者が減ってくるメリットが大きいと思われます。
日米の見解に差があって事態が複雑になっているのですが、アメリカの姿勢は、電力系統が駄目になった時点で、一定時間内に廃炉処分をして行くべきだと言う割り切った考えだったのでしょうし、日本は出来るだけ頑張ってみたいと言う違いのようです。
アメリカに言わせれば、同型の機種が世界にゴマンとあって、・・シュミレーションがゴマンと出来上がっているので、こうなったら一刻も早く手仕舞いすれば被害が少なくて済むと言うことでしょうし、日本の場合、対アメリカ戦で負けるのが分っていても原爆が落ちるまで竹槍戦法で最後まで戦ってきたことからも分るように最後まで死力を尽くしたい国民性です。
初期段階でアメリカが即時廃炉を前提に協力申し出があったことに対し、(詳しい内容は分りません)管政権がこれを断ったようですが、上記の政治判断の妥当性と最後まで頑張り抜きたいメンタリティから日本人としては管政権の判断を理解出来る人が多いでしょう。
メンタリテイは別として、この判断の妥当性の有無は、長引かせて廃炉するのと即時廃炉とで被害(放射能関連)の出方にどういう違いがあるか、あったかにかかってきます。
独裁国家でもないのに、報道管制でもあるかのように国内マスコミ報道では、アメリカの提案内容がまるで紹介されていないのが気がかりです。
どう言う提案があって、どういう理由で管政権が断ったと言う報道・・議論が普通あるべきですが、今回まるでないのが不自然と言えば不自然です。
よほど政権に不都合な真実があって公開討論されたくないからでしょうか?
ここ数日来、CNNやBBCのライヴ報道をネットで見ようとしたらいきなりノンエリアとなって繋がらなくなったとも言います。
これが長期化すると多くの人が気づき始めて問題になってくるでしょう。
まさか中国のように通信妨害を政府がしているとは思えませんが・・しているとしたら、この非常時が終わった時点で大変な議論になるべきでしょう・。
永久に通信妨害し続けられないので直ぐに露見する筈です。
どうしてマスコミがまるで報道しないのか、質問すらしないのかが疑問ですが、アメリカの提案では、急速冷却が出来る資材(ホーサン)と装置があって、それを利用すれば直ぐ冷却出来て、そこにチェルノブイリのようにコンクリ固めの作業にはいれたと言うものらしいです。
アメリカ方式の場合は建屋の爆発も起きないで終わったので、今のような放射能漏れ事態は起きようがなかったと言うことらしいのです。
もしもそうだとすれば、これをどういう根拠で管政権が即座に断って、海水で冷やす方針を取ったのか不明ですが、公開の議論が封じられているので、素人には不明です。
どうせ廃棄するしかないものなら簡略な方法の方がリスクが少ないのですが、管政権では廃棄しないで延命出来ると事態を誤って読んだから断ったとすれば、その根拠の合理性がこの後で問われるでしょう。
あるいはアメリカ方式の方が、被害が大きいと読んだのでしょうか?
仮に同じ被害と推定した場合、(アメリカ式の場合も同じく即時に大きな被害を出すとした場合、)避難を長引かせて各種準備した方が良いことになります。
ともかく結果が同じなら頑張れるところまでは頑張ってみようとする姿勢は、蒙古襲来当時に彼我の戦力差で勝ち目がないと分っていても頑張り、第二次世界大戦末期に最後まで竹槍戦法や特攻隊が頑張ったのと同じです。
先の大戦でも日本はもう駄目だと言って海外へ逃げた人がいなかったし、今回も日本を逃げ出す人はいないでしょう。
仮に最悪事態が起きた時の放射の被害が,アメリカ方式でも同じだったとしても、直ぐにコンクリで固めるのに比べて海水をじゃぶじゃぶと放水すると同じ量だけ海に流れていることになって、その海域の海が汚染される問題だけ被害が大きくなるとも言えますが、放水した海水の行方を詳しくは知りません
・・燃料プールに入った水は蒸発して行くだけで海に放流することがないのかもしれませんし・・。
今後周辺海水汚染が大問題になって来たときに,誰がこんな無茶な対応を決めたのだと言う議論が起きてくるでしょう。
もしも最初から急速冷却していれば大爆発が起きなかったとすれば,管政権の判断誤りが今回の大事故を引き起こしたことになる・・人災であったとしても、ここまで来た以上はともかく死力を尽くして頑張るしかないのは確かです。
責任問題はその後のこととして、当面はマスコミも黙っているのでしょうか?

原発事故と今後の見通し2

アメリカのニュースと言っても、結局は大変なことになると言うだけで、私の知りたい・・どうなればどの放射性物質がどれだけ出るなどの何種類かのシュミレーション・・具体性・データ化したシュミレーションがありません。(私が知らないだけです)
日本の学者は(直ぐには問題がないとか冷静にと言うだけで)一切発表しませんので,国民は,今後政府が何をしたら原子炉が今後どうなる(何が改善出来て何が改善出来ないのか失敗したらどうなるなど)のか,どうなったらどういう結果になるのかの何種類ものシュミレーションが知らされていないで,大変なことになるかも知れないと言うばかりなので、不安を抱いているのです。
在日アメリカ大使館の発表した避難ゾーンの同心円の図解を見ますと、現在出ている放射能ではなく、最悪の事態が生じたとした場合の避難命令のようです。
その想定でも半径20(32km)マイルで13レム、30マイルで11レム、40マイルで10レム、50マイルでも同じ10レムとなっていて、50マイルと20マイルの差が3レムです。
これをみると、半径80km(50マイル)まで避難を命じない日本政府の決断自体は裁量の範囲内のイメージです。
外国人滞在者・旅行者は身が軽いので、大事を取って80kmまで近づかないのが合理的ですが、居住している人にとっては生活・仕事を捨てての緊急避難は大変なことですから、その発令基準が違うのは当然です。
ちなみにレムを日本で使っているシーベルトの単位に置き換えると1レムは10ミリシーベルトですから、10レムは100ミリシーベルトのことになります。
3レムの差は30ミリシーベルト分、多く放射能を浴びると言うことです。
1時間当たり自然界に存在する放射能の数値が2.4マイクロシーベルト毎時(これを年間に直すと21024マイクロ)21ミリシーベルトになります。
これが健康に害のない範囲とすれば,3レム=30ミリシーベルトですから,これがもしも1時間当たりの数値とすれば,3レムだけで自然界の1、5倍の放射能を意味することになります。
自然界の何倍までが害のない範囲かがよく分りません。
ネットで見ると50ミリシーベルト毎時が一般人の退避基準として,日本の原子力委員会で定めているようです。
ただし、最近数値が出るたびに政府が基準を緩めて改定しているので,現在ネットで見られる基準自体、何時定めたものかによって信頼性が変わってきます。
この50ミリシーベルトの基準でも5レム=50ミリシーベルトの範囲以上は退避基準に該当します。
アメリカ大使館の図解では半径80kmで10レム=100ミリシーベルトと予想しているのですから、この基準で言えばもっと広範囲に避難する必要があることになります。
何故アメリカの方が緩い基準を利用してるのかが分りません。
同盟国日本への配慮と言うことで,公式には避難命令を出さないが,自分でこれを見て逃げなさいと言うことでしょうか?
結局はこの真偽はアメリカの予想数値通りに放射能が広がるのか、この予想数値が過大かの問題に行き着きます。
諸外国やアメリカ人の方ではアメリカの予想数値図の方が信用されているので,諸外国人の日本離れが進んで、成田空港へのり着陸させ嫌がる人が増えているのでしょう。
結局は近隣数値の正確且つ迅速な開示こそが不安心理を和らげることになると思いますが,政府の情報開示はむしろ疑心暗鬼を誘うような方向になっているのが問題です。
アメリカ大使館の発表図形とその影響の相関表を見ると・40レムから10レムまで同じ括りで血液(ブラッド)への影響(エフエクト)があるとなっていて、40レムと10レムの影響差がどのくらいあるのかさえ(少ない方が良いと言う直感的なイメージに留まり)具体的に分りません。
まして、その間の3レム差になると、どのような差が生じるのかがまるで分らない感じです。
元々基準値は・・例えば残留農薬や放射性物質の数値は一回でも取り込んだらそのような障害が起きる危険と言うのではなく、1年間取り続ける場合の数値ではないでしょうか。
正確な知識がなく恐縮ですが、現場で短時間に放射能を浴びる場合には最大限としてこれ以上は危険と言う基準が必要でしょうが、一般生活者相手の基準の考え方としては一定期間取り続ける場合か、一定期間内の累積総量のどちらかになっているはずです。
この基準がはっきりしないのです。
食品の場合1年間食べ続けた場合のことでしょうが、ホーレンソーだって,年間とは言うものの毎日ホーレンソーを1kグラム食べる人はいないので,4〜5日又は1週間に一回食べる計算で年間摂取量と言うのかもしれません。
(平均消費量を基準にしているので,そこに裁量の幅があり間接的です)
同じくシーベルトの場合、1年間浴び続けると言う意味か、例えば一日に5分間づつ毎日と言う意味か、あるいは10分ずつ1年間と言う意味かその基準(平均的行動基準をどこに取っているのか)が私には分っていません。
世界の自然界にある放射線量平均が2、4マイクロシーベルト毎時とすれば,毎時2、4前後であれば良いことになります。
(ただし、この基準も24時間被爆し続けていた場合だけなのか、家の中にいた場合や、車の中などはその何割に計算するのかなど詳しいことが分りません)
千葉の1時間ごとの放射線量が毎日ネットで公開されていますが、3月20日あたりまでは、0、033マイクロ前後で安定していましたが、21日から2倍くらいになり22日夕方にはついに単位が一つ上がって0、10〜0、11まで上がってきました。
これが毎日続いて行くのかと言うところですが,タマタマ北東の風の日だったことによるのか、あるいは報道されていないものの昨日特別な事態が原発で起きていたことによるのかが不明です。
ただ周辺のシーベルト数を見ると22日には、宮城等北側の県では,昨日までと違って、これまでの千葉などのように事故前の通常値に戻っているので,風向き次第であることが分ります。
日本では,年間を通じて原則として西風を基本として冬は北西夏は南西の風が普通ですので北東の風はむしろ例外です。
また一定量超えれば、短時間で危険ですがその二重の基準の使い分けがよく分っていません。
私自身消化不良ですが、その内こうした情報も具体的に出てくるようになるでしょう。
仮に24時間×365日の基準であるとすれば、半径30kmと80kmの差である3レムの差と言っても風向きが一定ではなくその日によって方向性がいろいろですし、一日中外にいる人は稀ですから、この「レム」で一日中・あるいは1年間浴び続ける人はいないことなります。
アメリカ大使館が在日米人に避難勧告している13レムとか10レムの基準自体が,1時間、一日、一ヶ月あるいは年間累積数値を言うのかさえ分りません。
よく見直してみたのですが時間当たりかどうかのその単位を書いていないので,一見大変な数値のようですが(センセーショナルです)これが1年間の累積数値の予測とすれば大したことではありません。
(もしも僅か1時間,1日や2日で浴びる数値であるとすれば、予め危険を避けるための避難基準としては危険すぎますから,多分1年間の累積数値でしょう。
仮に年間累積数とすれば、1時間当たりに直すと13レム=130ミリシーベルト÷365÷24=0、014840・・ミリシーベルト=14、84マイクロシーベルト毎時になります。
退避基準の50ミリシーベルトに達するには,140日かかります。
もしもアメリカ政府の意見通りの放射能汚染が即日生じているとしても,これだけの余裕があるのなら,前もってある程度心構えをさせておいてから、Ⅰ〜2ヶ月経過後の避難命令で十分な気がします。
安全だと嘘を言うのはルール違反ですが,客観的危険を公開して,ある程度危険が迫るまでは自主判断に委ね一定期間経過後に退避行動を勧告,更には命令と順を追って行っても(徒歩の退避者は滅多にないので)退避に要する数日くらいの被爆ではそれほどの危険はないことになります。

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