区と言えば今では東京23区や、政令指定都市内の行政区の専売特許みたいな印象ですが、特別な政策目的達成に合わせて人工的に作った区域と言う意味がその始まりでしょう。
東京都や政令市の区は特殊目的限定ではなく一般行政区域として存在しているのですが、これは自然発生的な政治単位・・集落とは違います。
小さすぎる集落を行政目的に合わせていくつか併合して区にしたのと同じ考えで、大きくなり過ぎた東京市街を管理しやすくするために人工的に区切ったのですから、その本質は同じです。
今でも残る選挙区や学区等は元々は特別な制度目的に応じて形成されて来たし、今でも歴史的要因を少しは加味しますが、基本的には行政管理しやすいように人口数で割り切って行く点は同じです。
東京23区に議会がありますが、政令市の区は行政の便宜のために区割りした地域センター同様で、区長は市長によって任命される下級吏員でしかありません。
区と言う漢字の意味は区切る・区分けする・・自然発生的な地域ではなく、自然にあるいは既に存在するものを人為的に細かく区切ることですから、当然それには区切る必要性・・目的があることになります。
一体のものを事業・施策目的に合わせて、必要な規模・区域に区切って行くのが区制の意味です。
従来の日本は各地各藩の連合体であって、・・幕府は戦国大名の筆頭としてヘゲモニーを握っていただけで、地域の意見を聞いてやって行く仕組みでしたが、明治政府は国のあり方として国は連合体の積み上げではなく一体である・一体化するべき思想を前提に、一体化すると大きくなりすぎる内部を区切って行く方式を考えていたのです。
これに一番近い・・地方ごとに政治主体のないのが専制君主制の中国や朝鮮の政体ですが、それでは進歩がないので絶対王制・ナポレオン帝政の歴史があるフランスに範を取ろうとしていたのです。
村八分に関連して村の意味を後に別に書いて行く予定ですが、我が国の「むら」は自然発生的なムレから来た言葉でしょうから、明治政府は中央集権国家に変革して行くためには、国内の地方行政組織が自然発生的集落の連合体では具合が悪いと思っていたようです。
自然発生的な集落では、意思決定が全員参加の寄り合い形式で決まり、ここで決まった内容・・地元意見の積み上げでその地域全体の方向性が決まって行くのが基本的思考様式ですから、上からの号令をしても各集落の納得を得る手順では行き届くのに時間がかかりすぎる上に集落の規模もマチマチですから、国家統一的施策の迅速な貫徹には無理があります。
いわゆる啓蒙的立憲君主制・中央集権国家制には不向きと考えたのでしょう。
実際、地方自治制に戻った現在では、何をするにも時間がかり過ぎて、世界の潮流に遅れを取るようになっています。
この点、元々王朝制の歴史しかない韓国では、何事も決断・実行が迅速です。
これは民主主義かどうかの違いではなく、草の根の寄り合いによる合議から積み上げて行く歴史があるかどうかの違いです。
中央集権国家化・・区制に戻しますと・・・明治初期にはフランス行政区域制度に範を取って今後は各地域を行政単位として再編成・区分けしようとして、郡町村制を一旦廃して合理的な大区小区制にしようとする思想が政府の主流でした。
歴史要因を無視して数字だけで割り切って行く方式を視覚的比喩すれば、・・複雑な日本庭園を、ベルサイユ宮殿やヨーロッパの幾何学的な庭園に作り替えてしまおうとするようなものです。
これを合理化と言うかどうかは別として、戸籍整備・義務教育制度構築を急いでいた政府は、さしあたり戸籍整備用の区と学区制から始めたともいえます。