世代間協力(非正規雇用)

 

中高年層の若者に対する放任姿勢・・悪く言えば突き放しが、現在の若者の就職難・非正規雇用等の地位不安定を招いている・・あるいは次世代が元気をなくしている基礎になっているのかも知れません。
鶏と卵の関係に似ていて、若者・次世代・息子や娘が頼りないので60代になっても生活を支えるために仕事を辞められない人が一杯いるでしょう。
子供が自立する能力もないのに親の意見を聞かなくなって久しいので、親も指導するのが面倒になっている面があります。
若者が親孝行をしなくなった・・・あるいは非正規雇用等で親世代を養うどころではなくなったことと親が子供の世話にならない代わりにいつまでも働く・・若者の面倒を見ないことになった面もあります。
老後の世話をしてくれないなら、簡単に仕事を譲れない・・中高年者が現役にしがみつく・・簡単に隠退しない傾向が出るのは当然の流れと言えます。
いつまでも中高年者が現役にしがみつくとその分若者の仕事の場が減少しますので、若者が非正規雇用・・生活不安定・・生活苦になります。
経済規模が同じ場合、中高年の定年を1年延長すれば、中高年1年分労働者数の隠退余地分の新卒採用職場が失われる理ですが、国内雇用が縮小傾向のここ20年では若者の正規雇用現場が両側から攻められて急激に縮小してしまったのです。
このたぐいの意見は、これまで何回も書いて来ました。
非正規雇用を禁止・抑圧すれば解決する問題ではなく、社会構造をどうすべきかの問題です。
この傾向を放置していると、若者や弱者にとって各種社会的サービス(職業訓練も含まれるでしょう)・・あるいは法的サービスを受けるチャンスが縮小し、結果的にいろんな分野で正義が行われなくなりますので、社会的に放置出来ません。
我々法律の世界で言えば、従来からある財団法人扶助協会・・・民間団体の力に余って来たので、政府資金による司法支援センターが数年前に発足したのは、こうした社会背景の変化があるからです。
親や周辺がお金を出し惜しむ分、税で吸い上げて政府が公平な基準で支給すれば、親にお金があるかどうか個人的人脈の有無に関係ないのが公平な制度と言えるのかも知れませんが、何事も税でやれば良いと言う風土もおかしなものものです。
お金を儲けた人も「十分税を払ってるのだから、税でやってくれオレは知らんよ」と、困った人がいても手助けしない冷たい社会にしてしまうのはおかしなものです。
自宅前の道路掃除もどこもかしこもみんな税でやるべきだと言うのが現在の風潮ですが、これでは個人がいざと言うときのために人脈を作り上げ、あるいは貯蓄するなどの動機が薄れてしまいます。
税で完全に搾り取る方向ばかりではなく、その代わり個人が税を払った後にも何か公益的なことに貢献するような社会の方がゆるみがあって・・個人個人も優しくなって良い感じです。
アメリカのように、個人が寄付したりして民間団体が運営するような風土も必要です。
寄付と税制のあり方については、10/25/03「教育改革21・・・・・寄付と所得税法1( 税制の直接民主主義5)」以下で連載した後あちこちで書いていますが、私は税制の強化・・大きな政府よりは寄付制度を充実してくべきだと言う意見です。

個人の自由と周辺援助

 

こうした考え方・・親や周辺は関係ないとする風潮に変化した結果、刑事事件はほぼ100%国選になり(窃盗や傷害事件を起こす本人に金がないのが普通ですから、自分で弁護士を依頼するお金はありません)離婚その他も(乳幼児を抱えた若年者の場合フローの収支にいっぱいで男女ともに資金力・蓄積がないのが普通です)から、お金のない若い人はどこに相談して良いのか困ってしまいます。
昭和年代までは子世代が困れば親が、親に資力のない場合叔父叔母が世話し、あるいは雇い主が弁護士のところに連れて来たのですが、こうした親族あるいは周辺助け合い風土が消滅してしまう社会はどんな風景でしょうか?
中高年者でも2〜30万円の一時的なお金を出さねばならない時に、これすら用意出来ない困窮者がいます。
これは言うならば人生競争の敗者に限定されるでしょうが、世代別に見ると若年層の場合、将来のエリートでもほとんどの場合まだまとまった資金の蓄積がないでしょうから、ちょっと困ると(将来のエリート候補生が傷害事件など不祥事を起こすことは滅多にないでしょうが・・・)
いろんなことに関して相談出来ない・・・例えばお金に困れば親や親戚に相談出来ず、サラ金に走るしかない時代が来たと言うことです。
昭和50年代から消費者金融が爆発的に広がった背景でもあるでしょう。
結婚相手も就職先も自分で探すしかないし・・・年齢に応じた智恵が必要な分野は今でも多くありますが、こうした年長者知恵者の協力を得難い時代です。
(その分、周りに聞かなくとも良いようにネット検索が発達しましたが・・・ネットだけでは、就職情報も結婚情報も上っ面しか分らないのが原則です)
若者全般及びその他世代の弱者が周辺から援助を受けにくくなって来る・・・・逆から言えば、若者の独立性が高まったと言うことですが、恋愛自由や思想表現の自由の恩恵を受けるのはそれを使いこなせる能力のある優秀な人だけだと繰り返しこのコラムで書いて来ました・・・。
みんながみんな自由にやれるだけの能力が高まっていれば良いのですが・・・自分で何もかもやれる能力のない人(これが大半でしょう)にとっては、「あんたの勝手だよ・・」と放り出されるのは不幸な話です・・法的あるいは各種サービスから取り残される時代が来たことになります。
若者が得た自由に対応する能力がないことが多いのに、親世代や成功者が「今の若い人には口出し出来ないから」と言う口実の元に若い人が困っていても周りで援助してやる習慣がなくなってしまい、放っておけば良いとする・・言わば中高年層が地位相応の社会的責務を果たしていない時代になった感じです。

親世代の関与と養育料

 
  

若年離婚の場合、若年者には分与すべき財産蓄積が少ないのは昔から同じですが、昭和50年代中頃までは、離婚に際してたとえば私が解決した事例では将来の養育料の前払いとして800万円を払って貰い、今後一切関係なくする和解をしたことがありますが、このような事例・・親が解決金を出すことが多かったのです。
養育料請求も将来の夫の収入だけが頼りでは、不安定になるのは昔から同じで、そのために夫の実家から一時金で、前払いして貰って解決していたのです。
若年者に不祥事(刑事事件や借金)があると親世代がまとまった資金を出して解決することが多かったので一時金の財産分与に将来の扶養料を含ませる余地のある時代でした。
今でも夫の親が資産家の場合、離婚請求する奥さんから、親に出してもらえないのかと言う人が結構多いのはこうした習慣のDNAによるのでしょう。
実際今年の春に離婚した夫婦の場合、夫が離婚後もマンションローンを支払い続ける約束をしましたが、これは表面上夫の親は出て来ませんが、親の援助がバックにあることが前提でしたから、法的には請求こそ出来ませんが、実際的には結婚相手の実家の経済力は今でも無視出来ません。
親世代にとって子供夫婦がは離婚しても自分の孫ですから、孫のためにいろいろしてやりたいのは人情です。
親世代がいろんな分野で解決金を出す習慣がなくなったのは、サラ金事件が多くなった頃から親と子は経済的には関係がないとする法律通りの解決が(弁護士の主導によるものですが・・・)多くなったことに由来します。
その頃には親や伯父さんが子供(と言っても成人ですが・・・)を連れて来て弁護士相談に来るのが普通でした。
心配している両親や叔父・叔母に対して、弁護士の方はサラ金支払金までは出さなくとも良いと説明するのが普通でしたが、それでも弁護士費用程度までは出したのですが、今では親がお金を持っていても若夫婦にお金がなければ弁護士費用に関しても知らん顔の時代です。
弁護士がそのように長年かけて社会教育して来た結果ですから、仕方がないでしょう。

財産「分与」から分割へ

October 27, 2010「破綻主義2」のブログで、昭和62年最高裁大法廷判決を紹介しましたが、現在の判例が破綻主義になっていると言っても有責配偶者の離婚請求を認めるか否かの基準は、離婚後の相手方の生活状況が過酷なものにならないかどうかの判定が中心となっていますが、こうした判例基準が出来てくる前提には元々有責か否かの問題以前に離婚に際しては離婚後の妻子の生活保障を重視して来た歴史に由来するものと言えます。
財産分与が文字通り夫婦形成財産の分割として、経済的意味を持つようになったのは私の実務経験では昭和50年代に入ってからのことのように思われます。
30年代末頃から40年代頃に結婚した夫婦が政府の持ち家政策と住宅ローン制度の発展に乗って(相続によらずに)郊外のマイホームを取得し,列島改造論・狂乱物価等不動産価格の連続上昇によってマイホームの価値が取得時の数倍に上がったので,これを離婚時にどちらが取得するかは重大な意義を持って来たからです。
この段階になると、夫婦形成財産の清算が原則になったのですから、逆に「分与」と言う一方から他方への恩恵的な用語の方が違和感を持って来ます。
分け与えられるものではなく、妻は自分の稼いだ収入の潜在持ち分を取り戻すだけの機能になって来たのです。
実際、ここ20年以上離婚に際しては夫が親から相続した資産は分与請求の対象にはなっていません。
夫婦で形成した資産だけが対象になっている時代が来たのですから、分与ではなく分割とすべきだろうと言うことです。
このような観点から配偶者の相続分の観念はおかしいのであって、配偶者が2分の1まで取得するのは本来は相続ではない筈だと言う意見を11/01/03「相続分6(民法108)(配偶者相続分の重要性1)(遺産は共有か合有か)」以下で繰り返し書いて来ました。
そのコラムでも書きましたが、始めっから夫名義にする必要がなく共有名義にしておくべきだったのですが、明治民法下では、不動産その他重要資産の名義は戸主・男の名義にする習慣になっていたので、何かを買うと男の名義にする習慣がなかなか抜けなかったのです。
この10年余りでは若夫婦がマンションを購入する場合、夫婦共働きが多いこともあって、夫単独名義にせずに夫婦共有登記することが多くなったのは、こうした私の意見に世の中が近づいて来た結果でしょう。
ところが、ここ20年ばかり物価下落によってマイホームの方は値上がりしていないことと、(結婚後10年前後の場合ローン残との清算価値ではマイナスの家庭が増えて来ました)長寿化した最近ではこれに代わって退職金や老後の年金受給権が大きな意味を持つ財産となったので、年金に関しては数年前から分割請求権が法で明記されるようになっています。
年金分割については、06/23/07「年金分割と受給資格1」以下で紹介しました。
ただし,これは熟年離婚には大きな威力を発揮しますが、結婚後数年での若年離婚の場合、大した金額にはなりません。
出産しないうちの離婚の場合、特に問題がないのですが、乳幼児を抱えての離婚の場合、財産分与や慰藉料ではどうにもならない(財産分与に将来の扶養要素を含ませても、男の方も若くて一時金を払える能力がないことが多い)ので分割払いの養育料が重要になって来たのです。

婚姻費用分担と財産分与2

  

財産分与と言う漢字の意味からすれば、(正確には分与=分け与える・一方的な恩恵ですが・・長い間夫婦形成財産の分割の意味で使われて来ました)離婚時の共有財産の清算が本質で、離婚後の扶養を加味するのは奇異な感じですが、私が勉強していた当時は(基本書は主として昭和30年代までの判例学説を解説するものでした・・・)夫婦で形成した財産など微々たるものにすぎなかった社会経済状況を前提にしていたのです。
当時の都会流入者・・金の卵等と言われて集団就職等で都会に出て来た若者は結婚すればアパートないし借家住まいをするのが普通で今のように多くの人が自宅一戸建てやマンション等を所有している状態ではありませんでした。
・・そのために私の住んでいた池袋など多くの場所では、民間のアパートが急増されたのですが、これでは追いつかないので、社宅や県営、都営住宅や住宅団地が大規模に造られました。
住宅公団や住宅金融公庫法などは昭和25年頃から順次整備され始め30年代に完成していることを、10/29/03「相続分3(民法105)(配偶者相続分の変遷1)(ホワイトカラー層・団地族の誕生)」のコラムで紹介しましたが、土地買収から土木工事を経て実際に大規模な団地への入居が始まったたのは昭和30年代末から40年代にかけてのことです。
借地や借家生活は戦後に限らず明治大正時でも基本は同じで都会流入者・よそ者は、借地して家を建てたり借家住まいになるのが普通でした。
(あえて言えば江戸時代でもよそ者は大きく成功しない限り同じく長屋住まいが原則・・土地の売買仕組みがあまり機能していなかったことによるのでしょう)
大名屋敷や武家地なども将軍家かどこか分りませんが政府から借用と言うか指定されて使用しているに過ぎず、(忠臣蔵で有名な吉良上野が屋敷替えを命じられたのはこの原理の応用です)明治になって国民に払い下げたことによって初めて個人所有になったことを、09/01/09「地租改正4(東京府達別紙)」前後で紹介したことがあります。
この政策が大きく転換したのは,昭和30年代後半〜40年代に入って借地法の解約制限が厳しくなり,厳しくすれば貸す人が減りますので、他方で政府による持ち家政策が始まったことによるのです。
例えば昭和35〜6年頃に離婚事件を起こす人は、昭和20年代から30年代初めに結婚した人であるとすれば、(婚姻後2年や3年で離婚になった場合、これと言った財産を形成出来る訳がないのは今でも同じです)その頃・・・敗戦後焼け野が原にバラックから復興を始めた日本の疲弊した経済状態を前提にすれば、結婚後5年〜10年経過していても多くの人がこれと言った資産を持っていなかったことが分る筈です。
これと言った財産のない状態で離婚するのが普通であった当時としては、(30年代半ば以降は)所得倍増計画が始まった頃で,現役労働者・男には離婚後もフローとしての確かな収入が予定されていたのに対し、離婚後の(無職)妻子の生活保障がなかったので財産分与の解釈に扶養要素を取り込む必要であったことによるのでしょう。
これまで書いているように、結婚制度は子育ての間の母子の生活保障のために形成されて来たとする私の仮説からすれば、婚姻解消に際しても母子の生活がどうなるかについて関心を持つのは当然のことになります。

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