大晦日

昨日の続きです。
自分の人生が充実していても子供世代がしっかりしないと、(特に女性の場合)何となく幸福感が今ひとつ・・空洞感があるものですが、母の世代は(私の母に限らず)自分自身の生き抜いた人生は大変だった人が多いものの、子供世代が高度成長期に遭遇して充実・・ランクアップしている人が多く、子の幸せ中心に考える女性としては幸せだったと言えるのかもしれず、人生は考え方次第です。
私の前後の世代は、高度成長期に成人したので、多くの人は親世代よりは生活水準・階層的にワンランク上がって経済的に豊かになっている・・親孝行な世代です・・ことが多いのに比べて、私たちの子供世代は親の地位・・親同様の社会的地位や経営を維持するのに苦戦している人が多いのが現実です。
ホワイトカラーで言えば、大手企業の部長・重役クラスの子が同じような地位に就ける場合の方が少ないでしょう。
個々人ではこの逆もある(初代貴乃花のように子供が2人も横綱になった例もあります)でしょうが、大方の傾向ではこの流れ・・親同様の地位を承継出来ないことは否定出来ない・・・日本経済がグローバル化・国際平準化の影響で縮小過程に入っている以上仕方のないことです。
子供世代が苦戦しているのを見ると現在の親世代の方は幸福感が今ひとつと言うところで、これが社会的に現れているのが年金問題に連なる不安とも言えるかも知れません。
子世代さえ元気(収入が拡大傾向)ならば、年金(掛け金支払能力も上がるので)の将来に関する心配があり得ないのですから、年金問題は将来世代の見通しの暗さに由来するとも言えます。
個々人レベルで見ても、子供が3人〜4人いても全員がしっかりしない・・非正規雇用では不安ですが、一人っ子でもその子が事業その他の分野で成功していれば親は将来不安を感じないでしょう。
次世代の数の問題ではないことが明らかです。
年金問題を個々人のレベルに落とせば、自分の身近な子世代の不安を集約した不安心理の制度的表現と言えます。
少子化進行が年金不安の源泉ではなく、子世代の多くが失業したり非正規雇傭程度・・定職に就けていないことが不安を増幅しているのです。
私の持論ですが少子化をもっと進行させて、その代わり精選された子孫だけが残って行き、(レベルの低い子供を5人育ててもみんな仕事にあぶれているよりは)一人っ子でも世界の潮流に遅れずやって行けるようなしっかりした子供がいた方が、親の幸福感を満たせる筈です。
終わりは新たな始まりでもあるのですから、来年以降は日本の多数意見?・・政府・マスコミが、数で勝負する明治以降の発想を転換させて一騎当千の人材を求める・・次世代の活躍に期待出来るような人口政策・少数精鋭主義に目覚めてくれることを期待して、今年最後のコラムとします。

1年を振り返って

今日は1年のおわり・・大晦日の前日ですので、今日から正月3ヶ日は例年に倣って特別番組・テーマになります。
この1年を振り返ると私事ですが、今年の秋に私の母が亡くなったのが大きな出来事です。
幸い最後まで元気だったので、子供としては有り難いことでした。
この年末で満101歳になるところでしたので、満表記では100歳、数え年では102歳になるそうです。
念のために書きますと数え年とは一つだけ大きく数えるとは限らず、12月に生まれた人は生まれると同時に1歳になり、年が明けて1月1日は(わずかに数十日で)2歳になってしまうのです。
2歳のまま年末の誕生日が来てもそのままで次の1月1日で(満年齢ではまだ1歳ですが)となって行きます。
これは、02/09/08「期間の計算法3( 初日参入・・年齢計算2)満と数えの計算法」で数えの計算方法を紹介し、02/10/08「ゼロの発見とインド仏教(空の思想)1」でゼロに関して書きましたが、ゼロの数字を知らなかった時代の数え方だと思います。
こういう数え方なので、葬儀場で私の母は「享年102歳」と表示されていました。
人が死ぬとはどういうことでしょうか?
大晦日が1年の終わりとすれば、人の死は一生の終わりです。
1年が終われば新たに1年が始まるように人が死ねば、代わりの生命が別に始まっていると古代の人は考えたのでしょう。
「ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」と言う訳で、輪廻転生して行くと昔は考えたものなのでしょう。
秋に落葉すれば、その次の新芽が準備されているようなものです。
自分の子孫が連綿と続いているときにこれが実感出来るのですが、子供がいなかったり、子供がいてもうまく行ってないと何となく侘しいのは、生命の継承感に不安を感じるからでしょう。
男の方はこうしたことに鈍感なのは、生命の継承に関係なくセットされた性欲(風が花粉を飛散させるからと言って生命の継承に意義を感じている訳ではないのと同じか?)だけで(その結果子供が生まれるかどうかにあまり関心がなく)生きて来たからではないでしょうか?
戦中戦後を生き抜いて大変な苦労をして来た母ですが、女性に関心の強い生命の継承・・「次世代がどうなっているか」を老後の幸福度の基準にすれば子供のことを何も心配しないで済み、(4人の子供はみんな結婚して生活もそれぞれ安定しているので)恵まれた老後だったことになります。

都市集中と地方出身者

いわゆるグローバリゼーションが明確になって来た平成(中国の改革開放とソ連の崩壊)以降首都圏や大阪圏、福岡、名古屋圈等の大都会周辺を除いては、今では大都市への脱出が農村の子弟だけではなくなり、地方中核都市・・県庁所在地でさえ人口減が始まりつつあります。
この結果大都市住民親世代の資力・遺産と人口減に向かい始めた地方(都市を含めて)住民の資力・遺産とでは、期待価値観に大きな格差が生じています。
都市住民二世三世(とりわけ非正規雇用等の弱者)では、高度成長期に蓄財をした親世代が生きているうちの資産効果・親からの援助(同居継続も援助の一種です)と死亡後の遺産価値の重要性が増して来ていますので、september 20, 2010「所得低下と在宅介護」のブログで書いたように江戸時代までの3世代共同生活の必要性が高まり、ひいては家族共同体意識の復活・・親孝行意識が再来しそうな雰囲気となって来ました。
これに対して低成長期に入ったことによる現在の都市住民の意識変化(親からの援助と死亡後の遺産期待価値上昇)は東京大阪その他大都会経済圏特有のもので、地方では県庁所在地の都市を含めて職場の減少→人口減少が続いているので、地方在住の親の資産価値は今でも下がる一方ですから、大都会とその他に二極分化しつつある時代です。
職業の大半がサービスその他都会的職業になって行く以上は、首都圏や大阪等の大都会に人口が集中して行くしかありませんし、公的負担面でも効率的です。
バカの一つ覚えのように(これといった根拠なく)東京1極集中是正が言われますが、集中することは生活が便利になるばかりですから、都市集中がア・プリオリに弊害があるかのようなマスコミの論調は、長かった農業社会への(合理的根拠ない)郷愁を前提にしているとしか考えられません。
大都会もだだっ広く広がるのではなく60〜100階建を原則に集中立地し、その他は緑したたる田園地帯にして行くようになるべきでしょう。
工場等生産設備・大学等は田園の中に所々にシャトウのように綺麗に立地して、中心部から通う仕組み・・今のように郊外から中心部に通うのではなく中心部から郊外へ放射状に通う仕組みにするのが私の描く社会・・都市計画像です。
地方出身者と大都会2〜3世との経済格差と非正規雇用の問題については次回・新春以降に書いて行きます。
明日から年末年始コラムになりますので、今年のレギュラーコラムはこれでおしまいですが、都市計画の点は別の機会に譲り、年末年始特別コラムに続いて出身地域格差と都市住民内の格差に関して引き続き書いて行く予定です。

成長・停滞と出産2

平成バブル崩壊後では、江戸時代同様に経済停滞局面に入ったので、生き物の智恵として国民は自発的に少子化に転じているのですが、世代サイクルの変動に比べて経済情勢の変化の方が早いので、人口減が追いつかず若者の就職難・・非正規雇用問題になっているのです。
労働力の供給過剰は、高齢者がいつまでも隠退しなくなったので少子化にもかかわらず実質的労働人口が増え続けているのと、海外進出→国内生産縮小による需要減の両端から攻められていることによることを、これまで繰り返し書いて来ました。
我々弁護士増員問題も、従来の500人合格から750〜1000〜1500〜2000〜3000人合格にするとその差だけ増えて行くようなシュミレーションが多いのですが、従来60〜65才で多くが隠退していたのに対して、75才前後まで普通に働いている時代になるとその増加分を計算に入れないと間違います。
しかも高齢者が比較的有利な仕事を獲得して、若手は仕事がなくてサラ金や生活保護受給支援、少年事件等収入になりにくい事件ばかりやっているのが現状です。
これが合格者増に対する反乱が起きている・・平成22年春の日弁連会長選挙で増員反対派が当選した大きな原因です。
低成長社会になると原則として一家が分裂する必要・余裕がなくなったことと、次世代の多くが非正規職につくようになって自活し難くなって来たので、親が生きているうちから親の資産価値が増し(親の資金援助や同居して生活費を浮かせるなど)、さらには遺産承継価値増大となって親子関係維持の価値が増しつつあります。
成長の止まった社会・・静止社会と成長著しい動的社会とでは遺産価値が違うことをSeptember 20, 2010「所得低下と在宅介護」のブログで書きましたが、今回は国民全般の遺産価値感の変化ではなく、大都市とそれ以外の地域出身者との格差出現について書いて行きます。
農業社会では拡散して居住する形態ですので、遺産価値に地方と都会との格差はあまりありませんでしたが、商業社会化が進むと都市国家・都市集住形態が必然的帰結で散らばって住むメリットがありません。
(グローバリゼーションとは、言い換えれば世界中が商業社会化・・商品交換経済に巻き込まれるしかないことを意味します)
そこで商業社会化に比例して人口の都市集中が進むのは必然ですから、開国した明治以降ずっとその傾向で来たのですが、昭和末頃までは地方でも一定の都市機能のある場所はそれほど衰退していませんでした。
ですから、同じ県内に過疎地と都市部が混在している縣が殆どでした。

成長・停滞と出産1

維新以降は、江戸時代と違い都市労働者としての働き口が出来たので、成人すれば病人等以外は外に出てしまう・・明治に入って30年も経過する頃には大家族化どころか逆に都会定着によって郷里との縁が遠くなる核家族化が進展し始めて・・親族共同体意識の崩壊が進み始めていたことになります。
しかも、出先で知り合った人との結婚が進むと、地域に根ざした親族血縁意識も崩壊し始めます。
親族・地域共同体意識崩壊が始まってから実態に反した制度が出来たとすれば、民法典論争(「民法出(いで)て忠孝滅ぶ」のスローガンでした)で紹介したように共同体崩壊・・意識の変化を食い止めようとする勢力による反撃の成果であったと言えるでしょう。
民法典論争については、06/04/03「民法制定当時の事情(民法典論争1)」以下で紹介しました。
明治維新以降平成バブル期までは、(親の長寿化にあわせて長男夫婦までが新居を構える)核家族化が一直線に進行して行った過程であったとも言えるし、見方によれば子沢山時代だったので一家が分裂して行くしかなかった時代であったと言えます。
逆から言えばいくらでも分裂して行ける環境があったので多くの家庭で子沢山になった(政府による誘導だけではなく自発的だった)とも言えます。
何回も書きますが、二条城の黒書院のような大規模な家は生活の場としては存在せず、屋敷地としては広くとも庄屋クラスでも一つの住居用建物としては、数十坪あれば良い方の狭い生活でしたから、(一般農民の家は10坪前後のワンルームが普通でした)一つ屋根の下で生活出来る人数は限られます。
いつの時代にも一つ釜の飯を食い、生計を一にするのは親子直系だけで構成するのが原則で、新田開発や領土拡張その他景気が良ければ分家(家の制度で言う分家ではなくここでは、独立家庭を作る・枝分かれと言う意味です)して行けるし、社会が静止・停滞してしまうと分家・独立出来ないので子供は2人以内・・現状維持しかないのですが、誤って多く生まれたり嫁や婿に行き損ねると居候や厄介として傍系がぶら下がる例外的状態になると言えます。
江戸時代中期以降は経済成長が止まってしまったので、家族が分裂・独立出来なくなってしまいましたから、直系だけで次代に繋いで行く社会・・すなわち2人以上子を生み育てるのはリスクのある時代でした。
人口調節に失敗した例外的ぶら下がりが起きると庶民では都会へ放逐して無宿者にしていたのですが、明治以降は働き口が多く出来たので再び2人以上生み育てるのが普通になり、しかもぶら下がりが影を潜めた結果、核家族化が進んだに過ぎません。
ただ、都会への放出による核家族化は次男以下の別居になっただけでしたが、高度成長期以降は農林漁業がた産業に比べて収入が伸びなかったことから、地方では過疎化が進み長男も都会に出てしまう傾向が始まり、老人が取り残されるようになりました。
他方で、前回書いたように長寿化の進展が都会地でも長男夫婦と両親との別居をもたらし、核家族化の完成になったと言えます。
同一生活圏にありながら長男夫婦の別居が始まったのは、長寿化が大きな要因ですが、それだけではなく経済の成長があったればこそです。
非正規雇用が増えて来た昨今では、再び3世代同居が増えつつありますから成長社会では次世代が家を飛び出しやすく、停滞社会では家を出にくくなるので、成長・停滞は核家族化と出産数にとって重要な基準と言えるでしょう。

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