12/13/03「会津の悲惨3(刑務所の歴史2)」で書いたように、江戸時代には出奔してよその土地へ逃げれば新たな仕事を探せないので野たれ死にが普通でした・・・。
大多数の人間にとって家庭を持てるようになれるのは、長男その他恵まれた少数の男でしかなかったのですから、一旦家庭を持てればここ一カ所にしがみついて家庭の気分を支配する女性のご機嫌を取り結び居心地を良くするしかありませんでした。
江戸時代の離婚制度は形式的には男の一存・三行(みくだり)半とは言うものの実際には簡単に別れられなかったことを、12/17/02「権利能力と行為能力 2(民法23)」のコラムで紹介した事があります。
簡単に離婚出来ないとなれば男の方は家庭内を牛耳る女性の御機嫌取りに終始するしかないので、家庭内の地位は事実上女性優位になっていたのです。
男の武器は家庭内サービスが悪ければ離婚すると言う最後通告しかないのですが、都市労働者になると家の財産としては大したものがなく給与所得が主なものですから、男は家庭内で孤立して居心地があまり悪ければ妻子を残して家に帰らなくとも仕事を辞めない限り勤務先から以前通り給与をもらえるし、仮に知らぬ土地へ逃げても再就職が簡単な時代になったので駆け落ちしても殆ど困りませんが、給与所得を持ち帰らなくなると残された妻子は悲惨です。
農業収入の時代から夫だけどこかへ働きに出て貨幣収入を得られる時代になると、貨幣収入のない妻の地位が極端に弱くなったことを書いて来ました。
ただし、最近は共働きが多いのでそれほどのことはありませんが、専業主婦中心時代には夫が帰らなくなると収入がゼロですから、大変なことでした。
最近担当した離婚事件では夫の方は学校教師でしたが、同僚教師との浮気をして二人で学校を辞めて逃げていたのですが、関西に逃げてそこでまた教師として再就職していた事件でした。
農業や大名家に勤めるだけしかまともな仕事のなかった江戸時代には、駆け落ちして浪人したり農業を捨てて他国へ流れても生きて行くのは大変でしたから、事実上安易な離婚が出来ませんでしたが、都市労働者となれば旧来の職場環境を放り出して逃げたからと言ってどこでも再就職するのにそんなに困りませんから、すぐに食えなくなる時代ではありません。
江戸時代には名目的には三行半(みくだりはん)で一方的に離婚権が行使出来て、何の理由もいらないと言いながら、実際には簡単に権利行使が認められなかったのに対して、明治以降の家族制度では男の権威が強調されると同時に逆に離婚請求が法的にも制限されるようになった点では、女性の地位が守られるようになったとも言えます。
一見矛盾した制度設計ですが、法制度と言うのは「アメとムチ」・・矛盾した設計にして行き過ぎを防ぐことが多いことについては「抱き合わせ」として、06/10/03 「政府のしたたかさに付いて、(抱き合わせの怖さ)(憲法7)」前後で治安維持法と普通選挙法の抱き合わせ施行について紹介したことがあります。