家計管理(農耕社会から商工業社会へ)

都市住民2世の時代・・・自宅は先祖代々の家ではなく夫婦の努力で買い求めた家が殆どの現在では、家も金融商品や車などと同様に売却に抵抗感がなくなって来ます。
その上、江戸時代では隠居すると家禄や農業収入が息子に行くだけで退職金もなかったのに比べれば、まとまった退職金も手に入り現役時代に蓄えた貯蓄もそのまま子供に引き継がずに自由に使えます。
現役を退いた後にも自前の年金収入や貯蓄があるので、同居して子供夫婦に遠慮して暮らすくらいならば、身の回りが覚束なくなれば自宅を売ってしまって有料老人ホームに入る・・対価関係のはっきりしたサービスを受ける方がましだと言う高齢者が増えて来ただけの話でしょう。
いよいよ自分でやれなくなれば介護施設の世話になればいいので、身内は精々介護施設での不当行為がないかどうかの監視役としての役割にとどまります。
平安貴族・源氏物語に出てくる帝や戦国大名のように女性の屋敷や部屋(天皇の場合女御のいる殿舎)を渡り歩く通い婚あるいはその類似の場合には、男は居心地が良くないと自然に足が遠のく・・縁切りの危機・・子供の将来に影響する・王位継承権がなくなったりすることとなるので、女性の方はいつもにこやかに、迎え入れるしかないので女性の地位は低下して行きます。
しかし、これは限られた上流階級だけの話で、昔から大小名クラス未満の人は何人もの家庭を維持出来ませんから、これを社会の一般的形態であったと理解するのは間違いです。 
一夫一婦しか経済的に成り立たない庶民の場合、生活の場を一緒にするしかないので日常の生活費に関しては経済的にも一体にならざるを得ません。
サラリーで生活する都市労働者が大量発生する時代以前は、・・(日本に限らず)農耕社会では武士も農民もいわゆる家の収入しかなく男が外で金銭を稼いで持ち帰る仕組みではありませんから、自然と家政は女性が管理する仕組みになっていました。
大名家などは財政管理の役職(会社の経理部のように)があって男性の仕事ですが、数百石単位以下の場合そこまでの家臣を養えませんから結局は奥さんが切り盛りすることになります。
今でも八百屋、魚屋・個人的大工や電気工事などの零細商人の場合、奥さんが帳簿管理しているのと同じです。
江戸時代にも奥さんに小遣いをもらわないで妾宅を構えたり吉原や祇園に通えたのは、収支管理を他人に委ねている一定規模以上の武家か、大商人だけだったでしょう。

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