個性喪失と家庭

手前味噌と言う言葉がありますが、どんな味でも慣れ親しむとその味が良くなるものです。
おふくろの味と言うのも同じで、家庭ごとに手作りの時代であってこそ家庭の個性・独自性が生まれ、女性の個性も発揮出来たのですが、レトルトフードや中食、外食になってくると、家庭の味・独自性が弱まって来ます。
家風・・家の文化継承と言う言葉が最近死語になったのは、こうした結果です。
男女対等に家を空けて働ける社会になると言うことは取りも直さず、古代から続いた奥さんが作り上げる家風・家独自の文化形成力が薄まってしまう社会です。
家庭機能・家庭の味・個性・・ひいては個々人の個性の重要性が、減少して行く社会と言うことでしょう。
住む家の形も大型マンションが増えて画一化し、一戸建ても建て売りやハウスメーカの規格品が多くなると、中に住む人の心の有り様も影響を受けます。
家庭サービスがその女性でしか出せない個性に頼らなくなってくると、オスの方も家で食べたりその他のサービスを受けるメリットが少なくなって行きます。
夫の方も、(動物のオスとしては元々子供に関心がないので)くたびれて帰ってから、家事サービスを何故やる必要があるか?と疑問に思うようになるので、(出来合いの食品を買って帰り家で一緒に食べるだけなら、家で食べるメリットもないし)お互いに家庭が重荷になってくる時代が来るでしょう。
多くの友人知人と幅広く交際し、その時々に合わせて相手を変えて一緒に遊び、盛り上がるのと特定女性とだけ毎日一緒に食事したり映画見たり、旅行したりするのとどちらが良いかの問題ですが、特定女性と一緒になってもみんなと遊ぶ程度を超えて内容が深化・濃密にならないと意味がありません。
せっかく一緒になっても内容の深化がなく友人時代と同じ程度ならば、(人が人との触れ合いなしに生きて行けないとしても)多くの友人知人との関係を大事にして薄く広く関係を持てた方が合理的な時代になるかも知れません。
結婚しても」どうせレトルトフードばかりで、遊ぶと言っても友人知人時代の遊びのときと変わり映えしない程度なら、その時々で好みの合う友達と一緒に逢ってる方が楽しいことになります。
その上、オスの両親も長寿化の結果ぴんぴんしているので、妻がいなくとも実家で家族団らんの食事をしたければ両親と出来ますし、洗濯や掃除もみんな親がやってくれています。

(2)夫婦制度の将来

これからは、子育てや介護費用は(税で取って)社会全体で見る・・古代氏族社会の拡大判に戻っていくと、オスとメスは対(つがい)である必要のない社会になって行くのかもしれません。
社会全体で子供や老親の面倒を見る社会に近づけば近づくほど、公的負担割合が大きくなり個人が自分で使えるお金や時間・自由部分=個性が少なくなって行きます。
勿論税・公的保険等の割合いが増えることは、夫の経済負担の恩恵比率が下がると言うことです。
自前主義・・自給時代には地域共通項が数%で残り90%以上が家庭のやり方と言う時代から、公的=共通部分の比率が上がり、家庭・・独自性の占める比率が逆の数%に下がってくると、(家庭教育と言っても今や公教育の準備・・下請け中心です)自分の家庭もよその家庭も皆同じ・・となってくると自分の家庭を持つことにこだわる意味が乏しくなります。
この辺は基礎的生活費一律支給システムの構想(これは理念論であって直ちにそうなると言う意味ではありません)に関連して(本当は今年5月頃に書く予定でしたが先送りになっています・・忘れなければ)もう一度書きます。
古代から、動物としてのオスにとっては時々セックス出来れば良いのであって、元々重たい夫婦・・終身雇用的関係になる必要性がなかったのです。
それが終身制・・婚姻しない限りセックスは許されないとする道徳が生まれて、(中国の「姦」の定義です)縛られていたのですが、女性が子育てから解放されてくると、これに比例して男性も解放される関係です。
子育て協力関係が始まってから、3000年前後もかかったでしょうから、この間に夫婦関係を長持ちさせる工夫として性行為以外のいろんなサービスが発達して来ました。
男女人的サービス関係のバランスで見れば、(男子は経済面の負担をして女性は人的サービスの分業ですから)圧倒的に女性の方が、負担が大きいのが現状でしょう。
女性が多めの人的サービス負担をして来たのは、子育てに対してオスの長期経済協力を得るために長年かけて形成して来た結果ですが、子育てに個別的オスの経済協力が大きな意味を持たなくなってくると・・あるいは元々結婚する気がなくてデートするだけのオスに対して何故、へりくだった一方的サービスしなければならないか?となって来ます。
これが、夫に対する家事育児協力要求に繋がって来たし、若い男性の方も経済力にかげりがある実態を反映して家事育児に協力的な人が増えました。

家庭外労働と男女格差

元々女性が家庭を営むようになったのは、子育ての場として必要だったからです。
このために自分が餌を入手するために子供から目を離さずに済むようにオスを引き入れて飼い馴らして来たのですから、家庭を留守にして自分が外に働きに出るのでは、子育てのための家庭とすれば何のための家庭か、あるいは結婚したのか分りません。
そんなことから、子供のいる女性にとっては、古代以降明治までの女性の生き方・・家庭中心でその周辺での稲作や蚕を育てる労働でしたが、明治以降発達した外に働きに出る長時間勤労働方式とは(子供のいない女性は平安の昔から宮廷の女官等として勤務していましたが)両立出来なくなったのです。
子供の待つ自宅から遠くはなれた場所で長期間拘束される産業革命以降の労働方式は(途中適当に息抜き出来る方式では子供の様子を見に帰れません)子持ち女性を正規労働の場から阻害する作用を果たして来たのです。
農業従事人口が減り都市労働者が増えてくると、これに比例して女性の地位が低下して来たと言えます。
自宅から離れた勤務をする都市労働では、家庭生活と両立出来ないので女性は結婚するまで働いて、結婚したら結婚退職して家庭に入る社会の図式が生まれました。
男性にとっても勤務したら途中のお休みが細切れにあっても家に帰れない点は同じですので、(農耕時代には週1回の休日は必要がありません)休日とそれ以外が峻別されて来たのはそのせいです。
夫婦間の力関係を律するのは結婚してからの日々の生活費・貨幣獲得能力の差ですから、結婚前にOLをしていたか花嫁修業しかしていないかの差ではありません。
この結果女性の地位低下は、明治政府の武家思想の押し売りによるだけではなく、実態経済面から進んで行ったのです。
稲作農作業は女性中心だったと言っても家の周辺に自分の耕地があって、自宅の見えるところで・・家庭を維持しながらの労働が可能でしたが、明治以降の勤労環境になると結婚した女性は労働の場・・貨幣獲得手段から弾き飛ばされる結果となり、これが女性の地位低下をもたらしたのです。
牧畜社会では、元々男性が中心になって働く社会で、女性は皮をなめしたりチーズを作る等裏方の仕事ですから、女性の地位は元から低かったのは当然ですが、我が国の場合稲作や自宅周辺の蔬菜作りですから女性労働が中心でしたので、地位低下が始まったのは明治以降のことになります。
この種の意見は繰り返し書いて来ました。
本来怠け者で女性の勤労に頼って時々働く程度で生きて来たオスの方が、教育制度とセットでイキナリ長時間労働に耐えるような訓練を受け、生活費を稼ぐ中心になったのですから、明治以降農家以外の女性(3食昼寝付きと揶揄される等)の地位低下が極まったのは当然です。
ただし、ここでは古来からの官僚・武士層ではなく農民ないし庶民・労働者を対象に書いています。

(2)女性の地位向上と家庭の変質

本来根気が良くて持続的労働向きの女子が短時間労働のパートにしか出て行けず、ぱらぱらと働くのに向いているオスの方だけが長時間労働に出かける時代は、いわば両性の本質性向に反した行動を求めている社会だったと言えます。
このためにオスには教育機関に長年縛り付けることによって、長期持続型労働に堪えられるように訓練をして来たのですが、この社会システムによって女性の労働機会が奪われてしまいました。
その分、家庭は女性の城・・家庭のことに男に口出しさせない意識が強固に形作られた最大化した時代でもあったでしょう。
女性の地位向上・解決のためにはスローガンだけではなく、現実に貨幣獲得能力を身につけるしかありません。
家庭内職程度では働いても多寡が知れているので、家庭から離れた遠くで働く社会システムが変えられないとするならば、女性も長時間家を空けて外で働けるようにするしかないとなります。
このために、子を産まないで独身のまま頑張るエリート女性がまず活躍し、次いで子供を産んだ人や高齢者を抱えた人が働けるように保育制度や介護制度が発達して来たと言えます。
しかし、夫婦そろって家庭を長時間空けるようになると何のために家庭を築くのか、つがいとしての夫婦の存在意義・・古来から続いて来た家庭の役割が問い直されねばならなくなるでしょう。
過渡期においては妻・母親が外で働くためには、これまで以上に夫の家事協力が必要ですが、(そこで最近の若者は家事に協力的です)女性が働くようになるとこれに合わせて加速度的に社会の受け入れ態勢が整ってくる一方でしょうから、長期的には女性にとってもオスの協力を求める必要度合いが減少して行くと思われます。
明治から高度成長期にかけて貧弱だった実家のバックアップ体制が、都市住民2世〜3世になってくると近くに実家があるようになって来たことと親世代がまだまだ元気なことから、(フリーター化している次世代よりも全体として親世代の方が経済力があることも常識です)強固になって来たことも大きいでしょう。
そのうえ、男女賃金差がなくなって行き女性が自分で稼げる・・出産休業中の所得も保障される等で、・・夫のいない場合には子供手当も増額される方向になるでしょうし、夫の収入がある場合とない場合の経済格差が縮小される一方となります。
男女賃金格差の縮小は、男女平等の理念によるよりはパソコン等を駆使した仕事が(重工業分野でも)中心になって来たことが大きいでしょう。
この場合女性の方が、処理能率が男性よりも高いのです。
こうなると女性は外で働いて帰ってから、疲れた状態で子育ての外に家庭を維持するために夫に対するきめ細かなサービスをする余力もないし必要性もなくなります。
家庭は子育てのために人類が考え出したシステムですが、子育てを外注化し子供とは夜しか一緒にいない、遊びその他の行動も共に何かするよりは遊園地や動物園へ出かけることが中心になり、食事も外食や出来合いの中食が増えてくると従来の家庭から見ればその機能は激減していることになります。

夫や子供を管理したがる女性

縄文時代のように放浪していて何ヶ月〜半年に一回(女性の発情期だけ?)予告なしに帰るのではなく、毎晩帰らねばならない点が今は窮屈ですが・・・この窮屈感を緩和するのが帰りに立ち寄らずにいられない赤提灯・小料理屋の効用でしょう。
ここで会社でのいやなことふるい落とし・忘れてから・・ミソギをしてから帰路につくと言うのが定説ですが、私に言わせれば、それもあるでしょうが・・そこで一息ついて「さあ帰るか」と仕切り直しをする意味があるのです。
上司の管理が終わると直ぐに奥さんの管理が始まるのでは、男は気の休まる暇がないので、ここで一息つくのは合理的です。
ここで家に帰る勇気とすし等の手みやげを受け取ってカラ元気を付けてすし等をぶら下げて帰るのが、昭和年代の光景でしたが、帰る時間がイレギュラーですから奥さんはお冠です。
それでも一日中妻の監督下で自宅周辺の農作業をして、時々一服している時代よりは、一日中奥さんから見えない所にいられる分だけでも気楽になったでしょう。
美容師の若者がその母親(美容院経営)の紹介で来ていて、住所も同じなので当然親子で美容院をやっているのかと思ったら、意外と別のところに働きに行ってると言うのです。
何故か?と聞くと「一日中母と一緒では・・・」と言う回答です。
奥さんや母はウロウロしたがるオスを管理したいし、オスや子供の方は管理されたくないし・・と言うところです。
ただ、最近草食系若者と言うように最近の若者は、長年の受験勉強等で長時間管理に慣れて来ているので、勤務先から自宅直行も苦にならない人種が増えて来ました。
女性は何故夫や子を管理したがるかですが、これまで書いているように、長期にわたる子育て期間中(今は大学院出てもまだ一人前でないのが普通です)オスが外に気を散らさないようにするには、きめ細やかなサービスが欠かせなくなっています。
心を込めて手料理をしてみたら夫が赤提灯で呑んで来たから晩飯入らないと言ってすぐ寝てしまったのでは、「いくら何でも・・・」となりがちです。
この点昔は食事と言っても漬け物納豆や干物が中心では何時帰って来ても簡単でしたが、今では作り立てと時間をおいたものとではまるで味が違うのですから、よけい大変です。
夫用に作った夕飯がそのまま残るとその処理・・奥さんが翌日残り物を食べることになると、その都度不満の二重体験になります。
今日は食べてくるのかどうか何時頃に帰るのか等、細かく知りたくなるのは当然です。
夕方の連絡では買い物を済ませてしまっていると(さんまであれ肉類であれ)一人分余ってしまった食材の処理に困るので、昔のように保存食中心の時代とはまるで違っています。

(2)現在若者の家庭

これをうるさがっていると奥さんが不満を溜め込むことになり、高齢化した後の長い夫婦関係を円満維持出来るかどうかの差になってくると言えるでしょうか?
うるさがらない・・と言うことは、結局帰りに他所で飲食しないで、まっすぐ家に帰るように心がけるしかないでしょう。
最近の若者は実際に家庭重視で、あまり帰りに上司と飲食する傾向がないとも言われますが、実態はどうでしょうか?
マスコミはいつも「最近の若いものは・・」形式の報道をしたがるので、実はそれほど信用出来ないかも知れません。
我々弁護士仲間の若いものを見ていると、まだまだ昔ながらに仕事が終わってから、仲間同士で情報交換をかねて飲食をしている傾向が見られます。
それに仕事も掻き入れ時ですから、(若いうちにいろんな経験をしておかねばならないので彼らも必死です)普段から8時9時まで仕事をしているのが普通になっています。
今年の1〜2月頃にある警察署で午後8時頃に接見を終わって出てみたら、千葉の若い女性弁護士が待っているのに驚いたことがあります。
私としては、こんなに遅くなってしまった・・早く帰らねば・・と言う感じで出て来たのですが、話していると私の次に面会すべく待っていた女性弁護士は、特に遅く面会に来たと言う印象ではなく、普通の仕事タイムの印象で話していたのには驚いたことがあります。
(ちょっとした面会でも1時間くらいはかかるので、接見が終わると9時過ぎるようなスケジュールです・・それから一定の時間をかけて家に帰ると・・・?)
こういう状態ですから、若夫婦の家庭生活は意外に大変ではないかと思いますが・・・。
どちらも夜遅くまで働いていると家庭生活が極端に細ってしまい、家庭を持つ意味が減少して行きます。
これは弁護士に限らずどこの会社でも若手は無茶苦茶働かされている一方で、他方で不景気で仕事がなくて暇な人もいて・・・・アンバランスな社会になっています。
この話題についてはワークシェアリング等のテーマでたとえば、04/02/02「不景気と残業」その他で何回も書いて来たので、話を自宅から離れた場所での労働が中心になってくると女性の地位がどうなるかの関心に戻します。

教育期間の長期化と根気力

日本の企業全般でだらけた勤務ぶりがなくなったのは、私が弁護士になってから数年ないし10年くらい経ってからのことです。
世の中が昭和50年代になって何故変わったのか今でもはっきり分りませんが、ほとんどの企業が輸出産業化して行き国際基準(当時は欧米向け輸出が中心)の労働力が要請されるようになったことが大きいのでしょうか?
競争の激化と労働者の主力が戦後アメリカ式教育を受けた人種に入れ替わって行ったからなのか、あるいは前回書いた教育期間が延びて行った影響で持続力がついたと見るのも一つです。
戦前からの労働者は高等小学校卒が中心だったのですが、(戦前の教育制度については02/09/08「期間の計算法3( 初日参入・・年齢計算2)満と数えの計算法」以下で書き始め中でしたが、間に色々はさまって先延ばしになっていますがそのうち再開します。)戦後は中学まで義務教育になり、(これで拘束期間が9年に延びました)更には高学歴化が進み底辺労働者でも高卒が中心になって来たので、教室に長時間縛り付けられる期間が延びて合計12年になりました。
戦前に多かった高等小学校卒の場合、6年間の被拘束訓練ですが、戦後の高卒では合計12年間(もっと言えば幼稚園に誰でも行く時代になったので合計もっと長い期間です)もの長い間、朝起きたら毎日学校へお勤めですから、ここでついてしまう習慣の影響は大きかったでしょう。
高学歴者を企業が歓迎するのは、(次代を担うトップクラスを別として中堅層以下に関しては)優秀かどうかではなく、長年長時間労働に堪える訓練を経ているか否かの基準で見ることが可能です。
もしもこうした基準が正しいとすれば成績はビリでも中退せずに高校をやり抜くこと、体育系でもそのチームのレギュラーになれず下手でもやり抜いたかどうかを企業・採用基準に見ていることになります。
私が育った頃には「継続は力なり」と長年のたゆまぬ努力を賞賛する声があちこちで聞かれたものでした。
教育環境・労働環境の変化は上記の通りですが、それにも関わらず公務員の勤務態度の変化が最も遅かったのは企業のように対外競争にさらされていなかったことによるのでしょう。
「親方日の丸意識」「ダラ勤」として批判が強まり、国鉄その他の民営化が始まりその影響からか、民営化されなかった公務員も平成に入った頃から勤務態度が急速に改まったことも記憶に新しいところです。
千葉県の労働者は、明治以降の教育にも関わらず長時間勤務に耐えられない県民性があると12/11/03「千葉の歴史9(千葉県人と勤勉革命の素通り5)(会津の悲惨)」前後で連載したことがありますが、長時間持続労働に耐えられないというか苦手なのは、元々オス全般の傾向でした。

(2)男性と営業職

長期間の学校・受験生活をして来た今でも、ほとんどの男性は経営者あるいは管理職・・あるいは営業等になって勤務時間が朝早くから夜中までの長期になっても良いから、そのかわり途中で自由に出たり入ったり出来る非連続労働環境を望んでいる筈です。
私等弁護士も男が多いのですが、幸い出たり入ったりで変化があるので成り立っていますが、経理事務みたいに一日中机に向かうのは苦手な人が多い筈です。
こんなことを書くのは私自身の経験にもよるのですが、あまり勉強せずに大学を出る頃になって、いよいよ勉強しなくっては・・・となって驚いたのですが、長時間勉強の経験がなかったので、一日中机に向かって見るとどうもお尻がむずむずして来てじっとしていられなかったことがあるからです。
さしあたり高校時代から読みなれた文学系あるいは哲学系あるいは経済学のサワリみたいな本を読んで、まずは机に一日中座っていることに慣れるようにした経験があります。
この頃は神田の古本屋街で紙が赤茶色が変わっているような文庫本を1冊10円から20円で買って来ては読みふけり、まぶたが熱くなるほど数ヶ月間以上読書三昧でした。
今思い出してもこんな幸せな時期はなかったと思いますが、それにしても友達はみんな就職しているのに自分は浪人のままで将来の不安もあるしで、その頃流行した「若いと言う字は苦しいに似ている」と言う歌詞のとおりで、いつでも人生と言うものは大変です。
ようやく机に向かうのに慣れた頃に、法律の本を読み始めたのですが、ちょっと読んでいると図書館の中をウロウロしたくなったものです。
と言ってもトイレくらいしか行くところがないので、自分で刑務所・・実際の刑務所を見学するとトイレは同じ室内にあるのでトイレに行きたいと言っても廊下にも出られません・・に入っているような気分の人生でした。
そんなことをしているうちに、一日中机に向かう生活にも慣れて来て何とか試験に合格したのですが、この経験から言って男と言うのはじっとしているのは大変な種族だと自信を持って言えるのですが、(これは私一人の体験にすぎないので普遍化するのは問題かもしれれません・・まして今の若者は訓練が行き届いているでしょう)男性読者の感想はいかがですか?
今でも事務所内で一日中起案していると、無意識の内に立ち上がって室内をぐるぐる回ったりしていますが普通のサラリーマンが会社内でそんなことは出来ないでしょうから、男性が事務員になって一日中机に向かうとストレスが大変だと思います。
平社員で言えば、出たり入ったりの営業マン・・しかも直行直帰が時々出来る環境が最も適した職種でしょう。
このように、自宅から遠くはなれた場所でだらだら長期間拘束されながら、営業等で歩いているのは(富山の薬売りがその原型です)途中で息抜きをいくらでも出来る便利なもので、明治以降に定着した労働環境・習慣は、適宜働いては休憩出来る農作業とも似ているし、男性には縄文時代以降慣れ親しんだ環境でした。

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