01/14/05

私生児率とモラル(戸籍制度3)

明治以降も私生児や離婚などの比率が高く家庭は安定していなかったので、見方によっては性関係のモラルも乱れていたと言うことが出来ます。
戦前は道徳律が厳しかったと言う人がいますが、厚生省統計からみるととんでもない思い違いと言うことになります。
私生児の内で、父親の認知した子については、父から見れば非嫡出子と言います。
非嫡出子については07/19/03「相続分1 (民法78)」のコラムで少し触れましたが、追って民法のコラムに戻ったときに詳しく説明します。
戦前の私生児・非嫡出子率は、7〜10%にも上っているのに対し、1965年から85年までは常に1%以下にすぎないのです。(最近1%を越えるかと言うところです。)
ただし、これも別の正論があって、戦前の婚外子が多いのは、明治以降の戸籍制度は殆ど機能していなくて、入籍をしない夫婦が多かったことにも原因があるのであって、政府の押し付けたモラルが機能していなかっただけとも言えるのです。
明治の戸籍制度の定着性については、07/08/03「戸籍制度2(管理の思想)」前後のコラムで紹介しました。
誰も知らないうちに戸籍上だけ届けた夫婦よりも、村中でお披露目して公然と生活している夫婦の方が正式な夫婦として認められていた社会だったのです。
ところが、こうした夫婦は法律上内縁となり、生まれた子は私生児、非嫡出児となるのですから、統計も見方によって意味がいろいろです。
西洋でもカトリックが離婚を認めないのは、非合理なように言われていますが、大多数を占める庶民は殆どが教会で結婚式までしなかったので、実際にはなんら実害がなかったらしいのです。
これが現在社会では、みんな届け出て統計対象になってきたので、不都合な問題になっているだけです。
近代までは、資産家層だけが教会に通い、式も挙げていたのですが、資産家にとってはむやみに離婚を認めると資産の分配、子の権利問題などややこしいことがあったのですが、この解決法が合理的に決められなかったので、この回避政策から(面倒なので)禁止してしまった過ぎません。
1部領主層にとっては合理的で、それなりに支持されていたから存続していたのです。
歴史解釈は、見方によっていろいろなことが分りますね。
ただ、古来からわが国では、或いは、西洋もそうですが、精力のありあまった男とそれほどでもない男があって、それのうまい調合法として、適当な浮気、人妻との性関係は公認されてきたのです。
西洋でも未婚女性との交際は厳禁でしたが、「○○夫人」との恋をテーマにした名作がたくさんありますが、既婚女性の性欲、ないし子宝願望に基づくもので、公認されていた社会実態を反映したものです。
こうして、柔軟に人口維持、調節が行われてきたのが現実ですから、高度成長期以来核家族で、しかも浮気してはいけないとなれば、子供の生まれない家庭が一杯できるのも仕方ないでしょう。



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